藻(も)を詠める歌2
巻2-0121: 夕さらば潮満ち来なむ住吉の浅香の浦に玉藻刈りてな
※弓削皇子(ゆげのみこ、?~699年)
7世紀後半の皇族です。天武天皇と天智天皇の娘大江皇女の子。第6皇子。同母弟に長皇子がすまか。『懐風藻』所収の葛野王伝によれば、天武天皇の第1皇子高市皇子の死(696)後、弓削皇子は皇太子を選ぶ群臣会議で兄弟による皇位継承を主張しますが、兄弟による継承は乱の原因になると主張し、草壁皇子(母がのちの持統天皇)の子軽皇子による継承を支持する葛野王らに敗れます。軽皇子はのちの文武天皇です。「万葉集」に短歌8首があります。文武天皇3年7月21日死去。
巻2-0131: 石見の海角の浦廻を浦なしと人こそ見らめ.......(長歌)
標題:柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌
標訓:柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)の石見(いはみの)国より妻に別れて上(のぼ)り来(こ)し時の歌二首并せて短歌
原文:石見乃海 角乃浦廻乎 浦無等 人社見良目 滷無等 [一云 礒無登] 人社見良目 能咲八師 浦者無友 縦畫屋師 滷者 [一云 礒者] 無鞆 鯨魚取 海邊乎指而 和多豆乃 荒礒乃上尓 香青生 玉藻息津藻 朝羽振 風社依米 夕羽振流 浪社来縁 浪之共 彼縁此依 玉藻成 依宿之妹乎 [一云 波之伎余思 妹之手本乎] 露霜乃 置而之来者 此道乃 八十隈毎 萬段 顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志<怒>布良武 妹之門将見 靡此山
万葉集 巻2-131
作者:柿本人麻呂
よみ:石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと [一云 礒なしと] 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟は [一云 礒は] なくとも 鯨魚取り 海辺を指して 柔田津の 荒礒の上に か青なる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄せめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 寄り寝し妹を [一云 はしきよし 妹が手本を] 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎へて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山
意訳:石見の海の津野の浦を、船を泊めるよい浦がないと人は見るだろう。藻を刈るのによい潟がないと〔一は云はく、釣りをするよい磯がないと〕人は見るだろう。たとえよい浦はなくても、たとえよい潟は〔一は云はく、磯は〕なくても鯨でさえ捕れるほどの海から海岸に向けて、和多津の荒磯の上に青々とした美しい藻、海底の藻を、朝は溢れるように風が寄せ、夕方には溢れるように波が寄せて来る。その波のように私に寄りかかり寄る、美しい藻のように側によって寝る妻を〔一は云はく、妻の袂を〕露霜の置くように家に置いてきたので、この旅路の道のたくさんの曲がり角ごとに、何度も何度も振り返ってみるけれど、ますます妻のいる里は遠くなってしまった。ますます高く山も越えてきてしまった。夏草の萎えるようにように恋しさに萎えて私を思っているだろう妻のいる家の門を見たいものだ。靡け山々よ。
◎この歌は石見の国(現在の島根県の西半分)に赴任していた柿本人麿が大和へ戻る際に石見の国に残してきた現地妻を思って詠んだ一首。
非常に長い長歌となっていますが、意味は無駄がなく「調べ(リズム)」も人麿らしい重厚な美しさを持った名歌のひとつなのでこの歌もぜひ記憶しておいてもらえればと思います。
内容としては歌の前半を石見の国の土地讃めに使い、そこから石見の家に残してきた妻に想いを馳せる土地讃め歌と、妻を想うことで旅路での心の不安を鎮める旅の鎮魂歌的な両方の要素も持った恋歌となっています。
結句の「靡けこの山」は、妻のいる家が見えるように目の前の山々に伏してくれと祈っているわけですが、山に向かって「靡け」とはなんとも壮大で呪術的な言の葉ですよね。
あまりにも長い長歌であるために一見しただけで避けてしまわれる方もいらっしゃるかも知れませんが、口語訳を参考に内容を理解して読んでくださればそれほど難しい歌ではないですし、なによりも「調べ(リズム)」の美しい一首ですので、この歌もぜひ実際に口に出して(出来れば石見の国の海や山を眺めながら)詠ってもらえればと思います。
そうすることで、千数百年の時を越えて蘇った人麿の言の葉の力によって実際に目の前の山々が動き出しそうなそんな不思議な感覚も味わっていただけるかと思います。
巻2-0135: つのさはふ石見の海の言さへく唐の崎なる.......(長歌)
標題:柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首[并短歌]
標訓:柿本朝臣人麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)の石見(いはみの)国より妻に別れて上(のぼ)り来(こ)し時の歌二首[并せて短歌]
原文:角<障>經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 [一云 室上山] 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而<沾>奴
万葉集 巻2-0135
作者:柿本人麻呂
よみ:つのさはふ 石見の海の 言さへく 唐の崎なる 海石にぞ 深海松生ふる 荒礒にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜は 幾だもあらず 延ふ蔦の 別れし来れば 肝向ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡の山の 黄葉の 散りの乱ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上の [一云 室上山] 山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝ふ 入日さしぬれ 大夫と 思へる我れも 敷栲の 衣の袖は 通りて濡れぬ
意訳:石見の海の辛の崎にある海石(海中の岩)には、海松(海草)が生い茂り、荒磯にも美しい藻が生い茂っている。 その玉藻のように、添い寝した妻を、その深海松の名のように、深く思いながら、共に寝た夜は、いくらもなかった。 今、這う蔦の先の別れるように、別れてきたので、心を痛め、悲しい思いにふけりながら、振り返り見るけれども、 渡の山の紅葉の葉が散り乱れていて、妻の振る袖もはっきりとは見えず そして、屋上の山の雲間を渡る月が姿を隠していくように 妻の姿も見えなくなってしまった。 その時、入日が淋しく射してきた。ひとかどの男子だと思っていたわたしも、衣の袖が涙でしみ通るほど濡れてしまった。
◎この歌は巻2-0131の長歌とともに、石見の国に派遣されていた柿本人麿が大和へ帰るときに詠んだもう一首の長歌です。
「海松(みる)」は海の底深くに生えている海藻。
「言さへく韓」は「言葉の通じない韓の国」の意味で、ここでは「韓の崎(現在の島根県那賀郡国府町、唐鐘の崎か?)」を引き出す修飾語となっています。
内容としては巻2-0131の長歌とおなじく相聞歌の分類に含まれていますが土地誉めや旅の鎮魂歌の要素も多く持っている一首といえるでしょう。
巻2-0131の歌が石見の家に残してきた妻を中心に詠っていたのに対して、こちらではおなじく石見の家に残してきた子のことにも触れて、別れの哀しさを際立たせる内容となっています。
また、海の底深くの「海松」や散り乱れる山の黄葉も詠い込み、巻2-0131の長歌の内容をさらに深めた内容となっていますね。
このように呪術的な鎮魂歌としての要素を盛った歌でありながらも読み手を飽きさせない工夫がなされているのは、道々の精霊や土地の神々を飽きさせない言葉にこそ大きな言霊としての霊力が宿ると人麿たちの時代の人々が信じていたからなのでしょう。
巻2-0138: 石見の海津の浦をなみ浦なしと人こそ見らめ.......(長歌)
標題:柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌/或本歌一首并短歌
標訓:柿本朝臣人麿(かきのもとのあそみひとまろ)の石見(いはみの)国より妻に別れて上(のぼ)り来(こ)し時の歌二首并せて短歌/或る本の歌一首并せて短歌
原文:石見之海 津乃浦乎無美 浦無跡 人社見良米 滷無跡 人社見良目 吉咲八師 浦者雖無 縦恵夜思 潟者雖無 勇魚取 海邊乎指而 柔田津乃 荒礒之上尓 蚊青生 玉藻息都藻 明来者 浪己曽来依 夕去者 風己曽来依 浪之共 彼依此依 玉藻成 靡吾宿之 敷妙之 妹之手本乎 露霜乃 置而之来者 此道之 八十隈毎 萬段 顧雖為 弥遠尓 里放来奴 益高尓 山毛超来奴 早敷屋師 吾嬬乃兒我 夏草乃 思志萎而 将嘆 角里将見 靡此山
万葉集 巻2-0138
作者:柿本人麻呂
よみ:石見の海 津の浦をなみ 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚取り 海辺を指して 柔田津の 荒礒の上に か青なる 玉藻沖つ藻 明け来れば 波こそ来寄れ 夕されば 風こそ来寄れ 波のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 靡き我が寝し 敷栲の 妹が手本を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ はしきやし 我が妻の子が 夏草の 思ひ萎えて 嘆くらむ 角の里見む 靡けこの山
意訳:石見の海の津の浦を、船を泊めるよい浦がないと人は見るだろう。藻を刈るのによい潟がないと人は見るだろう。たとえよい浦はなくても、たとえよい潟はなくても鯨でさえ捕れるほどの海から海岸に向けて、柔田津の荒磯の上に青々とした美しい藻、海底の藻を、朝が来れば波が寄せ、夕方には風が寄せて来る。その波のように私に寄りかかり寄る、美しい藻のように側によって私が寝た敷栲の妻の袂を、露霜の置くように家に置いてきたので、この旅路の道のたくさんの曲がり角ごとに、何度も何度も振り返ってみるけれど、ますます妻のいる里は遠くなってしまった。ますます高く山も越えてきてしまった。愛しくて仕方ないわが妻である子が夏草の萎えるようにように恋しさに萎えて嘆いているだろう。妻のいる角の里を見たいものだ。靡け山々よ。
◎この歌も石見の国(現在の島根県の西半分)に赴任していた柿本人麿が大和へ戻る際に石見の国に残してきた現地妻を思って詠んだ一首で、巻2-0131の歌の異伝です。
内容自体は巻2-0131の歌とまったく同じですが、語句などが少し変わっていますね。
万葉集の歌の中にはこの歌のように同じ歌が異伝として少し形を変えて伝わっているものが多く含まれていますが、この時代の人々には著作権という概念などは当然無く、歌が呪術的な言霊の記録として伝誦される過程で享受者などによってこのような語句の変化を見せたのでしょう。
物などへの記載の際か、あるいはそれ以前の口伝の過程で変化したのか…
場合によっては人麿自身が歌を記録として残す際に時期によって語句を推敲した可能性なども考えられるかと思いますが、このように同じ歌の異伝がどのような意図を持って語句の変化として表れたのかを想像し、比べてみるのも万葉集の楽しみのひとつといえるのではないでしょうか。
sechin@nethome.ne.jp です。
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