蔦(つた)/綱(つな)を詠んだ歌5
巻19-4220:海神の神の命のみ櫛笥に貯ひ置きて斎くとふ.......(長歌)
標題:従京師来贈謌一首并短謌
標訓:京師(みやこ)より来贈(おこ)せる謌一首并せて短謌
原文:和多都民能 可味能美許等乃 美久之宜尓 多久波比於伎氏 伊都久等布 多麻尓末佐里氏 於毛敝里之 安我故尓波安礼騰 宇都世美乃 与能許等和利等 麻須良乎能 比伎能麻尓麻仁 之奈謝可流 古之地乎左之氏 波布都多能 和可礼尓之欲理 於吉都奈美 等乎牟麻欲妣伎 於保夫祢能 由久良々々々耳 於毛可宜尓 毛得奈民延都々 可久古非婆 意伊豆久安我未 氣太志安倍牟可母
万葉集 巻19-4220
作者:坂上郎女
よみ:海神(わたつみ)の 神の命(みこと)の 御櫛笥(みくしげ)に 儲(たくは)ひ置きて 斎(いつ)くとふ 玉にまさりて 思へりし 吾(あ)が子にはあれど 現世(うつせみ)の 世の理(ことわり)と 大夫(ますらを)の 引きのまにまに 科(しな)離(さか)る 越道(こしぢ)をさして 延(は)ふ葛(つた)の 別れにしより 沖つ波 とをむ眉引き 大船の ゆくらゆくらに 面影に もと汝(な)見えつつ かく恋ひば 老いづく吾が身 けだし堪へむかも
意訳:渡す海の、その海の神が御櫛笥に蓄えて置いて大切にすると云う玉に勝って、大切思える私の愛しい貴女ではありますが、この世の、世の中の道理として大夫の職務として大王の御任命に従って、都の輝く光から離れて、越道を目指して旅立って、延びる蔦のように別れた時から、沖の波がうねるように、大きな波のようなに描く眉が、悲しみに大船のようにゆらゆらと揺れて、心に浮かぶ貴女の姿に、昔の貴女を見えながら、このようにお慕いすると、年老いていく私の体は、果たして堪えられるでしょうか。
左注:右二首、大伴氏坂上郎女賜女子大嬢也
注訓:右の二首は、大伴氏の坂上郎女、女子(むすめ)の大嬢(おほをとめ)に賜(たま)へり
※大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ、生没年不詳)
『万葉集』の代表的歌人です。大伴安麻呂と石川内命婦の娘です。
大伴稲公の姉で、大伴旅人の異母妹にあたり、大伴家持の叔母で姑でもあります。『万葉集』には、長歌・短歌合わせて84首が収録され、額田王以後最大の女性歌人であります。
13歳頃に穂積皇子に嫁ぐが霊亀元年(715年)に死別します。一説に宮廷に留まり命婦として仕えたといいます。この頃、首皇子(聖武天皇)と親交を持ったらしく、後年には個人的に歌を奉げています。その後に藤原麻呂の恋人となるが、麻呂とも早くに死別します。養老末年頃、異母兄の大伴宿奈麻呂の妻となり、坂上大嬢と坂上二嬢を産んだものの、彼とも33歳頃に死別したと思われます。その後は、任地の大宰府で妻を亡くした大伴旅人のもとに赴き、大伴家持、大伴書持を養育したといわれます。帰京後は佐保邸に留まり、大伴氏の刀自(主婦)として、大伴氏の一族を統率し、家政を取り仕切ったのでしょう。
その作風は多分に技巧的でありながらも、豊かな叙情性をも兼ね備えています。しかし、彼女の数多い男性との相聞歌は、恋の歌になぞらえて、彼らへの親しみを表したものであったり、実体験ではないのではないかとも言われています。
坂上郎女の通称は坂上の里(現・奈良市法蓮町北町)に住んだためといいます。
ウェブニュースより
藤井2冠が竜王戦4強進出、史上初5期連続Vあと2 ―― 将棋の藤井聡太2冠(棋聖・王位=18)が18日、関西将棋会館で行われた第34期竜王戦2組ランキング戦準々決勝で広瀬章人八段(34)を下し、ベスト4に進出した。藤井はデビュー以来、6組、5組、4組、3組と4期連続で優勝。1月末で名古屋大学教育学部付属高校(名古屋市)を自主退学したことが明らかになってからの初対局を白星で飾り、史上初の5期連続優勝へ、あと2勝とした。
「将棋1本に専念」の覚悟を決めた藤井は先手番としては初となる「相掛かり」を選択した。双方の飛車先の歩を交換する戦型。昼食後は、長考合戦が繰り広げられたが、中盤からリードを広げた藤井が熱戦を制した。将棋1本に専念した研究の深さの効果もあった。
https://www.youtube.com/watch?v=-cztWDtqG9w
終局後、藤井は「序盤から構想が難しい将棋だった」と振り返った。これで公式戦は15連勝、本戦トーナメント(T)進出を目指すランキング戦では、22連勝。絶好調モードに突入した。
竜王戦は現役全棋士と女流棋士4人、奨励会員1人、アマチュア5人が参加。1組から6組まで格付けしてトーナメントを実施。勝ち抜き人数は1組から順に優遇し、本戦Tに出場できるのは1組上位5人、2組上位2人、3、4、5、6組各上位1人の計11人。
藤井は過去、4期連続で本戦出場と昇級を果たしてきた。今期の2組には渡辺明名人(棋王、王将=36)ら強敵がそろう。準決勝では松尾歩八段(40)と対戦する。準決勝では松尾歩八段(40)と対戦する。「次も一手一手を考えて指したい」。異次元の強さがさらにパワーアップした。 [日刊スポーツ 2021年2月18日21時52分]
協議わずか4時間…9人の候補者は非公表…透明性なく決定経緯も結局「密室」 橋本新会長を選んだ五輪組織委 ――新会長に橋本聖子五輪担当相を選んだ東京五輪・パラリンピック組織委員会。候補者として推薦した検討委員会は3日間、合計わずか4時間の協議で終えた。「密室人事」との批判を受けた「川淵(三郎)案」の白紙撤回から1週間、透明性をアピールするはずだったが、18日の記者会見でも明確な選定経緯の説明はなく、国民に不信感を残したままの船出となった。
◆「橋本さんの話に集中した流れ」
「橋本さんに比べてマイナス点があったと思われる。人権問題になるので名前は勘弁してほしい」。検討委の御手洗みたらい冨士夫委員長(キヤノン会長)は会見で、各委員から推薦された候補者が9人いたことを明かしたが、氏名は伏せた。
検討委は16日から開かれ、推薦者提出から「橋本氏一本化」まで行った2日目の会合は1時間半で終了した。御手洗氏によると、自身を除く7人の委員が推薦者を提出。6人が複数回答も含めて、橋本氏の名前を書き込んだ。
御手洗氏は最終的に橋本氏に絞り込んだ過程について「一人一人(の資質など)を話した。ひと通り終わったら橋本さんの話に集中したという流れだった」とぼかした。
◆「感動的な会議」に懐疑
橋本氏は日本スケート連盟会長だった2014年、五輪の慰労会で男子フィギュアスケート選手にキスをする写真が報道された。御手洗氏は「国務大臣をやっている。社会的にも政府の中でも橋本さんの謝罪をきちっと受け入れていると解釈している。われわれの中では質問は出なかった」と説明。検討委がこの問題を議論しなかったことが判明した。セクハラ疑惑は今後も国内外から蒸し返されるリスクもある。
そもそも検討委は事前に委員の氏名や会議日程、場所を明かさず、秘密裏に行われた。委員の名前を公開したのも、この日になってようやく。短期間での議論に「出来レースだったのでは」と記者に問われた御手洗氏は「熱のこもった、感動的な話でかなり盛り上がった会議となった」と反論した。
◆胸張って「オープンだった」
森喜朗前会長の就任時も「密室人事」だった。公式エンブレムの盗作疑惑や国立競技場の建て替えを巡っても不透明な意思決定が批判された。11日に森氏の辞意が報道されると同時に、森氏から要請を受けた川淵三郎・日本サッカー協会元会長案が浮上。「透明性がない」と政府に批判され、白紙に追い込まれた。
国民の厳しい目が向けられる中、この日の会見で「オープンで透明度の高い手法を使い、橋本会長が誕生した」と胸を張った御手洗氏。その説明にどれほどの人が同意しただろうか。 (東京新聞 2021年2月19日 06時00分)
sechin@nethome.ne.jp です。
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