瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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万葉集巻五「梅花歌三十二首」の「題詞」の中に「于時初春月 氣淑風(時に、初春の月にして、気淑く風)の語句があり、これを出典として「令和」としたと説明されました。
 
これは、「文選」(530年頃成立)巻十五にある後漢の張衡(ちょうこう)が詠んだ「帰田賦」の、「於是仲春月 時氣清」(これにおいて、仲春の月、時はし気は清む)を踏まえているのです。
 
 
「序」に続いて、この「梅花の宴」で歌われた三十二首が一気に紹介されています。昔はこの三十二首を手掛かりとして旅人主宰による「梅花の宴」の席順などが詳しく研究されたそうです。そして、その席順の想定などをもとに、これらは四つのグループに分かれるのではないかというようなことも言われたそうです。
 
確かに、それぞれの歌には名前と官職が記されていますから、この三十二首が上級の職から下っ端に向かって並べられていることが分かります。冒頭の「大弐紀卿」という人は太宰府のナンバー2で、それに続く「少弐小野大夫」というのがナンバー3に当たるそうです。そして、それらに続いて筑前守とか豊後守という国守クラスが続いていて、8番目に主人である旅人の歌が披露されることで一つのまとまりとなっています。
 
つまりは、旅人までの7人がこの宴のいわゆる「主賓」にあたる人だと考えていいようなので、それに従って残る24人も8人ずつのグループとして着座したのではないかと想定したようなのです。
 
「大弐紀卿」とか「少弐小野大夫」というのは、少し気取って「中国風」に名乗ったものなので、なかには「中国風」になりすぎていて「名未詳」となっている人も多いようです。ちなみに、主賓中の主賓である「大弐紀卿」と言う人もそういう「名未詳」の一人になってしまっているようです。
 
それにしても、「蘭亭序」の「曲水の宴」を踏まえて「梅花の宴」を行うだけでなく、出席者全員が名前まで「中国風」にして「歌」を詠んだとは、驚くほどの凝りようです。
(大貳紀卿)
集歌815 武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎岐都々 多努之岐乎倍米
訓読 正月(むつき)立ち春の来()たらば如(かく)しこそ梅を招()きつつ楽しきを経()
意味 正月の立春がやって来たら、このように梅の花が咲くのを招き、そして客を招き、楽しい風流の宴の一日を過ごしましょう。
※大弐紀卿(ただいにきのまえつきみ): これは名前ではなく、このとき太宰府の大弐(位のひとつです)だった紀氏の人、という意味です。
 
(少貳小野大夫)
集歌816 烏梅能波奈 伊麻佐家留期等 知利須義受 和我覇能曽能尓 阿利己世奴加毛
訓読 梅の花今咲ける如(ごと)散り過ぎず吾()が家(いへ)の苑(その)にありこせぬかも
意味 梅の花は今咲いているように散り去ることなく吾が家の庭に咲き続けてほしいよ。
 
(少貳粟田大夫)
集歌817 烏梅能波奈 佐吉多流僧能々 阿遠也疑波 可豆良尓須倍久 奈利尓家良受夜
訓読 梅の花咲きたる苑(その)の青柳(あほやぎ)は蘰(かづら)にすべく成りにけらずや
意味 梅の花の咲く庭に、青柳もまた、蘰に出来るように若芽を付けた枝を垂らしているではないか。
(筑前守山上大夫)
集歌818 波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈 比等利美都々夜 波流比久良佐武
訓読 春さればまづ咲く屋戸(やと)の梅の花独り見つつや春日(はるひ)暮らさむ
意味 春になると最初に咲く屋敷の梅の花よ、私独りで眺めながら、ただ、春の一日を暮らしましょう。
 
(豊後守大伴大夫)
集歌819 余能奈可波 古飛斯宜志恵夜 加久之阿良婆 烏梅能波奈尓母 奈良麻之勿能怨
訓読 世間(よのなか)は恋繁しゑや如(かく)しあらば梅の花にも成らましものを
意味 この世の中は私から女性に恋することが多いなあ。このようであるのなら人に恋われる梅の花になれたら良いのに。
(筑後守葛井大夫)
集歌820 烏梅能波奈 伊麻佐可利奈理 意母布度知 加射之尓斯弖奈 伊麻佐可利奈理
訓読 梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり
意味 梅の花は今が盛りです。親しい友よ梅の花枝を飾って眺めましょう。花は今が盛りです。
 
(笠沙弥)
集歌821 阿乎夜奈義 烏梅等能波奈乎 遠理可射之 能弥弖能々知波 知利奴得母與斯
訓読 青柳(あほやぎ)梅との花を折りかざし飲みての後(のち)は散りぬともよし
意味 青柳と梅との枝や花枝を、手折って皆の前に飾って眺め、この宴会で酒を飲んだ後は花が散ってしまってもしかたがない。
(主人)
集歌822 和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母
訓読 吾()が苑(その)に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
意味 私の庭に梅の花が散る。遥か彼方の天より雪が降って来たのだろうか。
 
(大監伴氏百代)
集歌823 烏梅能波奈 知良久波伊豆久 志可須我尓 許能紀能夜麻尓 由企波布理都々
訓読 梅の花散らくは何処(いづく)しか清()がにこの城()の山に雪は降りつつ
意味 梅の花が散るのは何処でしょう。それにしてもこの城の山に雪は降りつづくことよ。


(小監阿氏奥嶋)
集歌824 烏梅乃波奈 知良麻久怨之美 和我曽乃々 多氣乃波也之尓 于具比須奈久母
訓読 梅の花散らまく惜しみ吾()が苑(その)の竹(たけ)の林に鴬鳴くも
意味 梅の花の散ることを惜しんで、私の庭の竹の林に鴬が鳴くことよ。
 
(小監土氏百村)
集歌825 烏梅能波奈 佐岐多流曽能々 阿遠夜疑遠 加豆良尓志都々 阿素比久良佐奈
訓読 梅の花咲きたる苑(その)の青柳(あほやぎ)を蘰(あづら)にしつつ遊び暮らさな
意味 梅の花の咲く庭の青柳の若芽の枝を蘰にして、一日を宴会で過ごしましょう。
(大典史氏大原)
集歌826 有知奈比久 波流能也奈宜等 和我夜度能 烏梅能波奈等遠 伊可尓可和可武
訓読 うち靡く春の柳と吾()が屋戸(やと)の梅の花とを如何(いか)にか分()かむ
意味 春風に若芽の枝を靡かせる春の柳と私の屋敷の梅の花の美しさを、どのように等別しましょうか。


 

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