瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昼飯前に山谷堀公園の吉野橋から北上し、地方橋通の1つ先の路地を入ったところにある春慶院を訪ねた。
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 ここには2代目高尾太夫の墓がある。この高尾太夫は世に万治高尾、あるいは仙台高尾と謳われ、幾多の伝説を生んだ。細部にまで意匠をこらした笠石塔婆で、戦災で亀裂が入り、一隅が欠けている。高さ1.5m、正面に紅葉紋様があり、中央から下に楷書で「為転誉妙身信女」、その下に「万治二年己亥」、左に十二月五日」と戒名.忌日が刻まれている。右面に遺詠、「寒風にもろくもくつる紅葉かな」と刻む。巷説に、仙台の大名、のちの伊達騒動の悲劇の主人公になる伊達綱宗とのロマンスがあり、高尾の綱宗にあてた手紙の一節、「忘れねばこそ、おもい出さず候」、「君はいま駒形あたりほととぎす」の句が伝えられている。
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2c965e63.jpg 春慶院と背中合わせに路地1つを隔てて東禅寺がある。この寺の正面に銅像地蔵菩薩坐像がある。宝永7(1710)年、江戸六地蔵の2番目に奥州街道の旅人の安全を祈願して建立されたものだという。
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e485e1fb.jpg 再び吉野通に出ると、昨日通ったあさひ会商店街を抜けると、左折して明治通に出る。白鬚橋を左に台東区側の遊歩道を南下。この道は午前中は陽だまりとなっていてポカポカと暖かい。桜橋脇のテニスコートはテニスをする人で賑わっているし、山谷掘水門の脇では何処かの保育園の園児達が保母さんに見守られながら元気良く楽しそうに遊んでいた。テレビの天気予報では今日は3月上旬の陽気だという。もう春なのだ。
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1932/02/04
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 sechin@nethome.ne.jp です。


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