瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[218] [217] [216] [215] [214] [213] [212] [211] [210] [209] [208]
 昼飯前に山谷堀公園の吉野橋から北上し、地方橋通の1つ先の路地を入ったところにある春慶院を訪ねた。
a8b2d38c.jpg
f8564487.jpg
bfac0e3e.jpg






 ここには2代目高尾太夫の墓がある。この高尾太夫は世に万治高尾、あるいは仙台高尾と謳われ、幾多の伝説を生んだ。細部にまで意匠をこらした笠石塔婆で、戦災で亀裂が入り、一隅が欠けている。高さ1.5m、正面に紅葉紋様があり、中央から下に楷書で「為転誉妙身信女」、その下に「万治二年己亥」、左に十二月五日」と戒名.忌日が刻まれている。右面に遺詠、「寒風にもろくもくつる紅葉かな」と刻む。巷説に、仙台の大名、のちの伊達騒動の悲劇の主人公になる伊達綱宗とのロマンスがあり、高尾の綱宗にあてた手紙の一節、「忘れねばこそ、おもい出さず候」、「君はいま駒形あたりほととぎす」の句が伝えられている。
8ef2e411.jpg
2c965e63.jpg 春慶院と背中合わせに路地1つを隔てて東禅寺がある。この寺の正面に銅像地蔵菩薩坐像がある。宝永7(1710)年、江戸六地蔵の2番目に奥州街道の旅人の安全を祈願して建立されたものだという。
704940a5.jpg
e485e1fb.jpg 再び吉野通に出ると、昨日通ったあさひ会商店街を抜けると、左折して明治通に出る。白鬚橋を左に台東区側の遊歩道を南下。この道は午前中は陽だまりとなっていてポカポカと暖かい。桜橋脇のテニスコートはテニスをする人で賑わっているし、山谷掘水門の脇では何処かの保育園の園児達が保母さんに見守られながら元気良く楽しそうに遊んでいた。テレビの天気予報では今日は3月上旬の陽気だという。もう春なのだ。
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
[m.m 10/12]
[爺の姪 10/01]
[あは♡ 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[Mr.サタン 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
[爺 09/20]
[ままだいちゅき 09/20]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/