瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日は日曜日。曇り空ではあったが、家の傍を通っている「めぐりん」バスを利用して出掛けることにした。
 台東区北めぐりんの③停留所『隅田公園』発、午前10時17分発に乗車。⑬停留所「三ノ輪駅」で下車。
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0ec0a944.jpg ここから金杉通りを南下しながら、左(東)側に下谷、右(西)側に根岸の町並みを見ながらゆっくりと歩いた。金杉通り沿いには、明治から昭和初期に建てられた古い町家が多く残っていて、金杉通りの北側にほぼ並行する通りは、大正10年に三業地(芸妓置屋、待合、料亭の営業が許可される区域のこと、行政用語であった)の許可が下った遊里だったところで、大正15年には、芸妓置屋40軒、芸妓139人、待合30軒があったと聞く。しかし、今はほとんどマンション化して古い町家や待合風・置屋風の家屋をを見つけるのは難しい。
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49e47b07.jpg 途中、三島神社に立ち寄る。縁起によると、弘安の役の勇将、河野通有の発願によりその一族が伊豫国越智郡に鎮座する日本総鎮守大山積命を武蔵国豊島郡に勧請して金杉村上野山内の自宅に奉斎し、この地方一帯の守護神と定め社殿を建立したのに始まるといわれる。
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b2a0f2dd.jpg 路地越しに厳(いかめ」しい造りの寺が見えたので立ち寄ってみる。真言宗豊山派鐡砂山世尊寺。本堂は、現代風なデザインのコンクリート造りで、綺麗に整備されていて、かなり古い福智六地蔵尊が、古いお堂の中に奉られている。その前には珍しい石仏群があるが、謂れなどは判らない。
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5258d132.jpg 2・3日前に金美館通りを歩いたときに立ち寄った小野照崎神社に、再び立ち寄った。2・3日に立ち寄ったときには早朝でもあり、折角撮った説明板もよく読めなかったので、再度説明板を写すことにした。
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1eda1af0.JPG 金美館に通じる道を隔てて下谷七福神の大黒天を祀る英信寺がある。今年の正月は浅草七福神と谷中七福神を巡った。下谷七福神と小石川七福神も回るつもりでいたが、ついつい億劫になり、止めてしまった。来年は是非回ってみたいものだ――あれまあ、鬼に笑われそう。
 言問通りに出たところに長寿庵という蕎麦屋があったので、早昼飯に天麩羅蕎麦を食って、さらに入谷口通りを通って上野に出る。
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 東西めぐりん上野公園口停留所まで来ると、公園入口の交番横の桜が早や開花している。カメラを翳(かざ)す人達で賑わっていたので仲間に入れてもらった。この桜は「大寒桜(おおかんざくら)」という品種であった。東西めぐりんで浅草松屋前にでて、江戸通りを北上、帰宅した。
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目高 拙痴无
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92
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1932/02/04
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くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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