瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[219] [218] [217] [216] [215] [214] [213] [212] [211] [210] [209]
c1fd9e27.JPG
9dfb4b2e.jpg
bb66c390.jpg





 今朝は隅田川から離れて、西の上野方面に向けて歩くことにした。まだ、明けやらぬ吉野通りを左折して。小松橋通りを西に進む。馬道通り、千束通りを横切り、国際通りに出る。国際通りを北上、最初の信号で「金美館通り」の標識が目に入り、ここを歩いてみることにする。
9c1c1987.jpg
5f54916c.jpg
29a728ca.jpg





a703eebe.jpg 入谷金美館通りは地下鉄入谷駅北口から千束方面に向かう延長300mの通りで入谷一、二丁目に位置している。この通りは坂本から吉原へ通じる道として古くからあったという。現在の道路は震災後の区画整理で完成、同時に入谷寄りにこの通りの由来ともなった金美館という映画館が出来、近隣から多くの映画ファンを集めたらしい。大型店としては、平成12年新装改築オープンした区設入谷市場、第一食品、エチゴヤなどがある。飲食関係のお店が多いが、なかでも甘味店が多いのが特色であるという。安売りの店が多く、千束方面の主婦に人気があると聞くが、特に11月の酉の市の時は、入谷駅から鷲神社間を熊手を持った大勢の人で賑わう。
 この通りに面して区立大正小学校があり、昭和通りをわたると、そこは下谷二丁目である。金杉通りに出るところに小野照﨑神社がある。小野照崎神社の祭神は、平安初期の漢学者・歌人として著名な小野篁(たかむら、802~853年)である。創祀の年代は不明だが次のような伝承がある。篁は上野国司の任期を終え、帰洛の途についた際、小野照崎(忍岡、現在の上野公園付近)の風光を賞した。仁寿2(852)年篁が亡くなったとき、その風光を楽しんだ地に彼の霊を奉祀した。その後、江戸時代をむかえ、寛永2(1625)年忍岡に東叡山寛永寺を創建するにあたり、当社を移転することになり、坂本村の長左衛門稲荷社が鎮座していた現在地に遷したというものである。また、一説には、忍岡から孔子聖廟が昌平橋に移った元禄4(1691)年頃に遷座したのではないかともいうそうじゃ。
 小野照崎神社の裏に、富士山をかたどった築山がある。室町末期に始まった富士山信仰は江戸中期に盛んになり、多くの講中が組織された。講中は神仏参詣のために組織した団体で、神仏に詣でながら、おしゃべりを楽しんだのだそうじゃ。江戸時代には富士講、大山講が盛んであったが、富士講は富士山信仰の団体なのじゃ。富士登山は容易ではない、講中は江戸各地に模造富士を築いて登った。しかし今に伝わる富士塚は少なく、ここの富士塚は富士の溶岩で覆われ原型が良く保存されているということで、昭和54年5月、国の重要有形民俗文化財の指定を受けたそうじゃ。6月30日と7月1日には、山開きが行われるという。
2803933a.jpg 今の昭和通りは昭和初年に開通した。旧道は上野山下から入谷口通りを経由、昭和通りと並行して東北に延び三ノ輪で昭和通りと合流する。この道を俗に「金杉通り」と呼ぶのじゃが、昔はこの街道を奥州街道裏道と言ったそうじゃ。金杉の地名は、鎌倉時代に金曽木彦三郎という人物がいて、地名を姓にしたと考えられるので、初めは金曽木といい、それが金杉に訛ったものとされている。金曽木は現在、小学校の名前で残っている。金杉は江戸時代以前からあった地名で、奥州裏街道沿いに金杉上.下町が出来た。この町並の裏側は田畑で、金杉村になっていた。その村域は広く、台東.荒川両区にまたがり、根岸は金杉村南部の小字であった。根岸3丁目から5丁目にかけての道の両側が金杉一丁目(江戸時代は金杉上町)であった。この辺りには土蔵づくりの家が数多くあったが年々姿を消して、後にはマンションが立ち並ぶようになったというが、日を改めて金杉通りをゆっくりと散策してみたいもの。
1b2112d1.jpg
8ee44c37.jpg
2b25a3ab.jpg







 言問通りを東進して、入谷鬼子母神(法華宗本門流の寺院で真源寺という)の前をとおり、昭和通り、左衛門橋通り、かっぱ橋道具街通り、国際通り、馬道通りを横切り江戸通りに出て、帰宅した。
582245dc.jpg
2b28dd7c.jpg 東京の町並みでは、時々小さなお稲荷さんや地蔵尊にぶち当たるが、ここ言問通りでも観音裏の辺りに道引長太郎地蔵尊がある。「江戸期、将軍綱吉の生類憐れみの令で野良犬が増え、見かねた浅草寺の住職は使用人の長太郎に命じ、犬を集め隅田川に流してしまった。このことが発覚し、住職は逃亡、その住職が死んだと思い込んだ長太郎は自害してしまう。後に彼を偲んで地蔵が立てられた」という言い伝えがあるそうじゃ。だが、一般的にはあまり知られていない「地蔵尊」である。8月には「みきびきまつり」が行われるということじゃ。
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 3 4 5 6
7 8 10 11 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 26 27
28 29 30
最新コメント
[m1WIN2024Saulp 04/22]
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
[松村育将 11/09]
[松村育将 11/09]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/