瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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今昔物語集巻24第43話 土佐守紀貫之子死読和歌語
 今昔、紀貫之と云ふ歌読有けり。
 土佐守に成て、其の国に下て有ける程に、任畢(はて)の年、七つ八つ許有ける男子の形ち厳(いつくし)かりければ、極く悲く愛し思けるが、日来煩て、墓無くして失せにければ、貫之、限り無く此れを歎き泣き迷(まどひ)て、病付許思焦(おもひこがれ)ける程に、月来に成にければ、任は畢ぬ。
 此(かく)てのみ有るべき事にも非ねば、「上なむ」と云ふ程に、彼の児の此にて此彼(とかく)遊びし事など思ひ出でられて、極く悲く思へければ、柱に此く書付けり。
  みやこへと思ふ心のわびしきはかへらぬ人のあればなりけり
と。
 上て後も、其の悲の心失せで有ける。其の館の柱に書付たりける歌は、今まで失せで有けりとなむ語り伝へたるとや。
※七つ八つ許有ける男子→土佐日記によると女子

現代語訳
 今は昔、紀貫之という歌詠みがいたそうだ。土佐の守となって土佐に下り、そこで暮らしていたが、任期が果てる年に、七つか八つになる男の子を亡くした。見目かたちの美しいその子どもをかわいがっていた守は嘆き悲しみ、病みつくほどに思いこがれたという。やがて任期が果てたので都に戻ることになったが、この地であれやこれや遊んだ子どものことが思い出されて、なんとも悲しくなり、柱に次のように書き付けた。
   都へ(帰るのだ)と思うにつけて何かしら悲しいのは、(死んでしまって)帰らない人(=自分の子)がいるのだからであった。
 都に上った後もその悲しみは消えなかったそうだ。柱に書き付けた歌は今も残っていると語り伝えられているとか。


 


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