瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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以下、「北越奇談」の原文のまま転写致します。
 
其一 燃土(もえるつち)
 
 
焚土(えんど)なり。米山(よねやま)の陽(みなみ)、西北の濱、潟町(かたまち)のほとり、鵜(う)の池・朝日の池、同ク柿崎(かきざき)の裏田(うらた)の沼より出(いづ)る。又、三島郡竹森(たけもり)と云(いへ)る所、用水の溜池及(および)田の沼より出づ。其外、所々に多し。是、謂ゆる、桑田江海(さうでんこうかい)の変、上古、艸根木葉(さうこんぼくよう/くさのねこのは深く落(おち)重なりて、數(す)千年を積み、泥土(でいど/どろつち)のごとくなりたる物也。是を田家(でんか)の人、切(きり)上げて、日に干(ほし)、焚(たく)時は、即(すなはち)、よく燃(もゆ)る。今尚、信州にも出(いで)、西國にもありと云へり。然れども、「日本書紀」に、『人皇三十九代天智帝七年戊辰(つちのえたつ)五月、越國進二水土一可代二薪油一者』とあり。上古、已に予が國より此一奇を出すこと、明(あきらか)なり。今年、文化庚午(かうご)まで千百四十三年に及べり。
注釈
「焚土(えんど)野島出版脚注には、『「えんど」と振仮名がつけてあるが、正しくは「ふんど」又は「はんど」である』とある。
 
「米山(よねやま)の陽(みなみ)、西北の濱、潟町(かたまち)のほとり、鵜(う)の池・朝日の池」現在の新潟県上越市大潟区潟町。
 
「柿崎(かきざき)」前の潟町の東北の日本海沿岸にある現在の上越市柿崎区柿崎。
 
「三島郡竹森(たけもり)」先の柿崎より遙か東北の長岡市寺泊竹森。
 
「桑田江海(さうでんこうかい)の変」盛唐の詩人劉廷芝の名作「代悲白頭翁」(白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代はる)の「已見松柏摧爲薪 更聞桑田變成海」(已に見る 松柏の摧(くだ)かれて薪(たきぎ)と爲るを 更に聞く 桑田の變じて海と成るを)で知られる「滄海變じて桑田となる」(但し、実際には同じ盛唐の詩人儲光羲(ちょこうぎ)の詩「獻八舅東歸」(八舅(はつきう)の東歸するに獻ず)の最終句「滄海成桑田」(滄海も桑田と成る)を出典とすると言った方が正しいようである)の誤り。原義は「青海原が桑畑に変わるように、世の中の移り変わりが激しいこと」を言うが、ここはそうした想像を絶した物質変性を言っている。
 
「切(きり)上げて」地中から伐り出して地表に掘り上げて。
 
「人皇三十九代天智帝七年戊辰(つちのえたつ)」六六八年。
 
「五月、越國進二水土一可代二薪油一者」原文に従って訓読すると「五月、越國(ゑつこく)、水土(すいど)を進(すゝ)めて可代二薪油(しんゆ)に代(か)ゆべき者(もの)」であるが、この叙述を載せる「日本書紀」の伝本の当該箇所を見出すことが出来ない。
 
「文化庚午(かうご)」文化七年。一八一〇年。崑崙の冒頭の凡例の前年。「千百四十三年」が数えの計算であるからおかしくない。


 

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