瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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其二 燃水(もゆるみづ)
 
 
草生津(くさふづ)の油(あぶら)、即(すなはち)、臭水(くさみづ)の油なり。頸城郡(くびきごほり)、凡(およそ)六ケ所。然れども、その大なるものは、蒲原郡草生津村、同新津(にいつ)村、同柄目木(からめき)村、同黑川館村(くろかはたてむら)等(とう)なり。出雲崎の上蛇崩(かみじやくづれ)と云ふ所、海中に出(いづ)ツ。如此(かくのごとく)、所々(しよしよ)、水中(すいちう)より、油、混じはりて、沸出(わきいづ)るを、草(くさ)にしみ付(つけ)、採ること也。然(しか)れども、如何なる油なることを知らず。水の臭きが故に「くさ水の油(あぶら)」と稱す。張華が「博物志」ニ『石泉脂石漆(せきせんしせきしつ)』、李時珍が「本艸(ほんさう)」に『石腦油(せきのうゆ)』又『石油(せきゆ)』『山(さん)油』、「酉陽雜記(ゆうようざつき)」ニ『石脂水』と云へる、皆、此類(たぐひ)か。今、此邦(くに)の醫(ゐ)、是を「石腦油」に當(あて)、用(もちゆ)るに、甚だ効ありと云へり。予是を按ずるに、これも又、焚土(えんど)のごとく、數(す)千年前(ぜん)、松柏(しようはく)の古木大材(こぼくたいざい)、土中に落入(おちいり)たる、松脂(まつやに)の腐水(ふすい)と覺ゆ。其故は、甚(はなはだ)、油煙(ゆえん)多く、松の匂ひあり【或人云、「松脂は茯苓となり、琥珀となる、何ぞ油となるの理あらん、是は只、土中の油なるべし」と。然らず。松脂、其樹より自然に滴り落(おち)、土中に凝塊するもの、化して茯苓・琥珀ともなるべし。これは土中に含みたる松脂にして、水土の底に腐爛せるものなればなり。只、「土中自然の油(あぶら)」と云はんも暗愚の説と云ふべし。】。殊に、上古、北越は、如何なる山谷水土の変ありにしや、所々(しよしよ)、水底(すいてい)・沼田の下(した)、多く埋木(まいぼく)の大なるものを出(いだ)すこと、はかりがたし。近頃、圓淨湖水(えんじようこすい)の底、樋(ひ)、掘り拔きの所、數(す)丈の土中より、立木(たちき)のまゝなる埋木(まいぼく)數(す)十を出すと云へり。何(いづ)れ、其奇、可察(さつすべし)。此二奇(にき)、即(すなはち)、『可代二薪油一(しんにかゆべき)』ものなり。
注釈
 
「蒲原郡草生津村」旧新潟県古志郡草生津町(くそうづまち)内。現在の新潟県長岡市草生津。
 
「新津(にいつ)村」現在の新潟市秋葉(あきは)区新津本町周辺であろう。「柄目木(からめき)村」新潟市秋葉区柄目木(がらめき)。新津の南東直近。
 
「黑川館村(くろかはたてむら)」現在の新潟県胎内市のこの附近か。
 
「出雲崎の上蛇崩(かみじやくづれ)」現在の新潟県三島郡出雲崎町勝見に「蛇崩丘(じやくずれおか)」という場所を見出せる。古く或いは近くに大きな崩落のあった場所には「蛇崩」の名が各地でつく。地中を巨大な蛇が移動したと考えられたり、激しい帯状の崩落の跡が蛇のように見えたからであろう。
 
『張華が「博物志」』晋の政治家文人張華(二三二年~三〇〇年)が撰した博物書。散逸しているが、恐らくは次の「本草綱目」の記載(張華「博物志」載、『延壽縣南山石泉注爲溝、其水有脂、挹取著器中、始黃後黑如凝膏、燃之極明、謂之石漆。』からの半可通な孫引きではなかろうか?
 
『李時珍が「本艸」』明の本草学者李時珍(一五一八年~一五九三年)の著した「本草綱目」。以下は、「金石之三」に「石腦油」として項立てされてある。
 
その「釋名」では「石油」「石漆」「猛火油」「雄黃油」「硫黃油」を挙げるが、ここで崑崙が示す「山油」という異名は出ない。
 
「酉陽雜記」唐の段成式(八〇三年~八六三年)の撰になる主に怪異記事を集録した博物学的大著「酉陽雜俎(ゆうようざっそ)」の誤り。
 
「卷十 物異」の以下。
 
石漆。高奴縣石脂水、水膩浮水上如漆。採以膏車及燃燈、極明。
 
自然流で訓読すると、
 
石漆(せきしつ)。高奴(かうど)縣の石脂水(せきしすい)、水の膩(あぶら)の水上に浮きて漆(うるし)のごとし。採りて以つて車に膏(あぶらさ)し、及び燈(ひ)に燃(も)さば、極(いみ)じく明(めい)たり。
 
 
これは確かに「石油」のことと考えよい。東洋文庫版の今村与志雄の訳注でもそう推定注されてあり、『現在、この地方に玉門油田(中華人共和国成立後、最初に開かれた油田)がある』ともある。「高奴縣」現在の陝西省延安市北東部を流れる延河北岸地域に相当する秦代の古い県名。後漢末には廃されている。この附近か。
 
「甚だ効あり」先のリンク先の「本草綱目」の「主治」を見ると、「小兒驚風」(小児が「ひきつけ」を起こす病気の称。現在の癲癇(てんかん)症や髄膜炎の類に相当)・「瘡癬蟲癩」(疥癬や虫刺されによる皮膚の壊死をいうか)・「針箭入肉」(尖ったものが筋肉まで刺さって折れたもの状態を指すか)に処方するとある。
 
「松脂(まつやに)」主成分はテレビン油(C10H16)とロジン(アビエチン酸などの樹脂酸を主成分とする樹脂の総称)。因みに、石油の主成分の殆んどは炭化水素で、それに種々の炭化水素混合物が混じり、その他にも硫黄化合物・窒素化合物・金属類も含まれている。崑崙が拘るように松脂が石油になったわけではないが、構成元素は確かに同じ炭素と水素ではあるし、この反論した知ったか男の謂い方は確かにひどく気に食わない。
 
「茯苓(ぶくりょう)」は漢方薬に用いる生薬の一つ。茸の一種である松の根に寄生する松塊(まつほど:菌界担子菌門菌蕈(きんじん)綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド Wolfiporia extensa)の菌核を乾燥させたもの。健胃・利尿・強心等の作用を持つ。

 
「琥珀」植物の樹脂が化石となったもの。黄褐色か黄色を呈し、樹脂光沢を持ち、透明か半透明。石炭層に伴って産出する。
 
「圓淨湖水(うえんじようこすい)」野島出版脚注によれば、正しくは「圓上寺湖」であるとし、『信濃川の悪水を円上寺より隧道によって寺泊町を横断して日本海に注ぐもの』とあるが、この湖(後掲するように「潟」)は現存しない。現在の新潟県長岡市寺泊下曽根附近)に存在した「円上寺潟」のことである。新潟県公式サイト内のこちらのページに、この附近は『下曽根地域付近に円上寺潟と称する』五百『ヘクタール余りの湖沼の低湿地が広がる水害常襲地帯』で、『また、地域を縦貫していた島崎川は、現在の燕市(旧分水町牧ヶ花)地先で西川と合流し、地域の用水源としても重要な機能を果たしてい』たものの、『梅雨や秋雨の頃になると』、『西川からの悪水が逆流し』、『一帯は湛水し、一大湖沼の様相を呈してい』た(これが、崑崙が「湖水」と表現した所以であろう)。『円上寺潟の干拓は』承応元(一六五二)年から『始まり、日本海への排水も計画され』『たが、丘陵地を通過すること、膨大な費用がかかることなどからその当時は、排水先を島崎川筋から西川に求めざるを得』ず、『その後、島崎川筋への排水路の整備を進め』ものの、『排水口にある村々の反対などに遭い、思うように工事が進』まなかった。そこで、寛政一〇(一七九八)年、『渡部村地内(旧分水町)から丘陵地を掘り抜き、野積村須走浜にて日本海に直接排水する計画』(排水路延長四千九十メートルの内、隧道部分は実に千百八十一メートルあった)『が再び立案され』、寛政一二(一八〇〇)年『より工事が始まり』、文化一二(一八一五)年『に竣工し』た。しかし、それでも『潟の完全な排水はできず』、その悲願は『明治以降の大河津分水路の完成まで』『待たなければなか』ったとある、その隧道のことをここで「湖水の底」に「樋(ひ)」を「堀り拔」いた、と言っているのだと読める。本書の刊行は文化九(一八一二)年であるから、この隧道掘削の時期と矛盾がないからである。
 
「數(す)丈」一丈は三・〇三メートル。


 

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