瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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其五 胴鳴(ほらなり)
 
 
胴鳴りは秋晴(しうせい)の日、風雨ならんとする時、必、是を聽く。例へば、雲中(うんちう)より雷(らい)の轟き落(おつ)るごとく、雪の高山(かうざん)より雪崩れ落(おつ)るがごとき聲ありて、何處(いづ)くとも定めがたし。頸城郡には黑姫嶽(くろひめだけ)と云へ、蒲原古志の邊(ほとり)には蘇門山(そもんざん)淡ケ嶽(あはがたけ)とも云ふ。又、岩船郡(いはふねごほり)には村上(むらかみ)外道山とも云へり。其響(ひゞき)、更に遠近(えんきん)なし。俗の諺に、昔、奧州阿部の族徒、黑鳥兵衞(くろとりひやうゑ)と云へる者あり。八幡太郎義家のために討(うた)れ、其頭(かしら)と胴(どう)と兩斷して埋(うづ)む、と【今、蒲原郡鎧潟の辺、黑鳥村八幡の神社あり。其下、時々震動して、此音をなす。】然(しか)るに、其胴、其頭と合(がつ)せんことを欲して此鳴動をなせりと云へ傳ふ。一笑すべし。今は、此奇、稀に聞(きく)ことなり。只し、黑鳥の村、二、三里の間(あいだ)は、今、猶、此動鳴(どうめい)ありて、其方角、紛ふべくも在ず、黑鳥八幡の社地なり、と云へり。又、黑鳥村の人は、前々(ぜんぜん)より、更に此鳴動を聞こと、なし。他(た)に出るときは、即(すなはち)、聞(きく)。是、又、一奇なり。予近頃、丙寅(へいゐん)の秋、米山(よねやま)より西北の海邊(かいへん)にて聞(きゝ)しは、山の鳴るにあらず、海潮の響、地に接して、此動鳴をなすなるべし。是を以(もつて)按ずるに、頸城郡の海は能登の北涯(ほくがい)を外(はづ)れ、佐州の南浦(みなみうら)を離(はな)れて、大洋數(す)千里の海潮、玆(こゝ)に、的(てき)する所なれば、此響(ひゞき)をなす、と覺ゆ。是、即、數(す)千里の外(ほか)、風雨氣(き)ざし起こる時は、其氣、海上を走りて、地に徹接(てつせつ)する所、即、其氣、地を押し、山谷(さんこく)に徹して、鳴動す。凡(およそ)、氣を以つて氣を製するとは、此理(り)にして、方(まさ)に風(かぜ)ならんとする時は、窓戸(そうこ)先(まづ)ツ鳴り、雨ならんとする時は、煤(すゝ)、自然に落(おつ)。頭(かしら)痒く、氣鬱(きうつ)し、魚(うを)、躍(おど)り、猫兒(びようじ)獨り、狂ふ。是、自然にして、其氣、先(まづ)ツ押至(おしいた)るものなり。されば、晴天、波(なみ)風、靜かなる折にも、浦々(うらうら)、胴鳴(どうめい)する時は、必、風雨あり。胴鳴(どうめい)と云へるは、胴(どう)に響(ひゞき)て鳴るゆへに名付(なづけ)しならん。此義を以つて擦(さつ)すれば、越後にのみ限るいはれ、なし。他邦、いまだ穿鑿の至らざる所か。只し、地勢によるか、黑鳥の一奇か。
注釈
 
崑崙も疑義を挟んでいるように(崑崙は最終的に「海鳴」と同じ現象と断じ、それが陸の山地地形によって増幅されたものと考えているようである)、「海鳴」との差異が明確でない。
 
「頸城郡には黑姫嶽(くろひめだけ)」新潟県糸魚川市にある黒姫山(くろひめやま)。標高千二百二十一メートル。
 
「蒲原古志の邊(ほとり)には蘇門山(そもんざん)淡ケ嶽(あはがたけ)」先の河内の記載から、守門岳(すもんだけ:新潟県魚沼市・三条市・長岡市に跨る標高千五百三十七・二メートルの山)と粟ケ岳(あわがたけ:新潟県加茂市と三条市の境で新潟県のほぼ中央にある標高千二百九十三メートルの山)と判明。
 
「岩船郡(いはふねごほり)には村上(むらかみ)外道山」原典では「外道山」のルビが黒く抜け落ちている。やはり、先の河内氏の記載から新潟県村上市山辺里(さべり)にある下渡山(げどやま)と判明。標高二百三十七・八メートル。なお、以上の山の位置も河内氏のページの地図に総て示されてある。
 
 
「奧州阿部」安倍貞任(さだとう 寛仁三(一〇一九)年~康平五(一〇六二)年)及びその弟宗任(むねとう 長元五(一〇三二)年~嘉承三(一一〇八)年:鳥海柵の主として「鳥海三郎」とも称された)の一族。兄貞任は前九年の役で源頼義・義家父子と戦って敗死し、弟宗任は降服、義家によって都へ連行され、四国の伊予国に配流、治暦三(一〇六七)年には筑前国宗像郡筑前大島に再配流させられた。
 
「黑鳥兵衞(くろとりひやうゑ)」『越後国の伝説上の人物』とする。『伝説によれば、平安時代の後期、安倍貞任の残党であった黒鳥兵衛は越後国へ入ると』、『悪逆非道の限りを尽くし、朝廷の討伐軍をも打ち破った』。『困り果てた朝廷は、佐渡国へ配流となっていた源義綱』(?~長承三(一一三四)年?:頼義の子で義家の同母弟。後三年の役には下向せず、以後義家に代わって朝廷に重用された。天仁二(一一〇九)年に実子義明が源義忠暗殺の嫌疑で殺害されたのに怒り、出京したが、追捕され、佐渡に配流となった。歴史的には帰京後に自殺したとされている)『を赦免し(あるいは源義家とも言う)黒鳥兵衛の討伐に当たらせた』。『黒鳥兵衛は妖術を使って抵抗するが、次第に追い詰められ、現在の新潟市南区味方の陣に立てこもった。当時、このあたり一帯は泥沼で、容易に歩ける場所ではなく、攻めるに難しい陣であった』。『攻めあぐねていた源義綱は、ある日、一つがいの鶴が木の枝をくわえて来ると、それを足に掴んで沼の上を歩くのを見た。「これこそ神の御加護」と、かんじき(竹などで作った輪状又はすのこ状の歩行補助具で、足に着け、雪上や湿地などで足が潜らないようにする。)を作り、兵に履かせて一気に攻め込んだ。不意を突かれた黒鳥兵衛は、ついに討ち取られ、首をはねられた』。「かんじき」発明の始祖とされ、『かんじきの緒を立てた場所が現在の新潟市西区黒鳥緒立』とされた。以下の地名もこの周辺に集まっている。『黒鳥兵衛の斬られた首の落ちた所が現在の新潟市西区黒鳥である』と伝え、『これが、黒埼という地名の起源となった』という。『黒鳥兵衛の首は塩漬けにされ、埋めた場所に首塚が造られ』、『この地に鎮護のために建てた祠が緒立の八幡神社である』とされる。
 
 
『塩漬けの首により、塩分を含んだ水が地中から湧き出している』とされ、これが現在の緒立温泉(鉱泉)であるという。ここに本記載の内容が出、時折、『空に轟音が轟くことがあるという。人々は、首を切られた黒鳥兵衛の胴が首を求めて咆哮すると言い、「胴鳴り」と呼んで恐れた』とある。『このように、黒鳥兵衛の伝説は越後国一帯を舞台とする壮大な軍記物で、伝説ゆかりの地は、新潟市黒埼地区を初め、新潟県北部に広く分布する。緒立からは緒立遺跡や的場遺跡といった古い住居跡が見つかっているが、黒鳥兵衛伝説は史実に基づくものではなく、後世の創作と見られている』とある。
 
「蒲原郡鎧潟」現在の新潟市西蒲区鎧潟にあったかつてあった面積約九平方キロメートルの潟。文政年間(一八一八年~一八三〇年)に長岡藩によって干拓が始められ、明治末期までに半分が耕地となった。但し、ここは先の黒鳥地区からは南南西に十一キロも離れていから、「黑鳥村八幡の神社あり」というのはちょっと解せない。現在、新潟市県新潟市西蒲区巻甲(鎧潟の南西近く)に八幡宮(といっても、ただの小さな石の祠。)はあるにはあるが、新しい(刻印は昭和五(一九三〇)年七月という)。これは潟の完全干拓後に移されたものと考えてよいように思われるが、にしても黒島と鎧潟の距離は如何ともしがたい。
 
「丙寅(へいゐん)」文化三年丙寅(ひのえとら)はグレゴリオ暦一八〇六年。
 
「米山(よねやま)」既出既注。
 
「佐州の南浦(みなみうら)」前に「能登」半島を指してあるから、佐渡島の小佐渡の本土側を広域に指していよう。
 
「的(てき)する」目指す。対馬海流の中の本土側の流れは能登を舐めて富山湾沖を回って佐渡海峡を北上する。
 
「徹接(てつせつ)する」野島出版脚注に『つきさゝる』とある。
 
「此理(り)にして」「此」は強調の「これ」であろう。
 
「風(かぜ)ならん」後の「雨ならん」とともに、プレの状態(風が吹かんとしている直前、雨が降ろうとしている直前)を指している。
 
「先(まづ)ツ」以前にもあったが、これは以降にもまま見られるから、これは例えばこの場合、「まづ」の積りで「先ツ」と本文を刻印したにも拘わらず、ルビだけを集中して後から彫った結果、ダブった、結果的に衍字となってしまったものであろうは推測する。以後に出ても注記はしない。
 
「頭(かしら)痒く」原典・野島出版版ともに「痒く」は「かゆく」と平仮名。推定して漢字化した。
 
「猫兒(びようじ)」子猫。ここまでは、大気圧や気温・湿度の変化を、人の器官や心理及び動物が事前に察知(予兆)すること(それを崑崙は「其氣、先(まづ)ツ押至(おしいた)る」と言っているのである)を示している。
 
「胴鳴(どうめい)と云へるは、胴(どう)に響(ひゞき)て鳴るゆへに名付(なづけ)しならん」崑崙先生に諸手を挙げて賛同する。黒島の胴体が鳴るというのは洒落にもならない、あまりに牽強付会の駄解釈である。


 

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