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 ウェブニュースより
 天地人 ―― 「もったいない」。ドイツ人から、こんな日本語を聞かされるとは思いも寄らなかった。小池百合子都知事と会談した国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長のことだ。2013年の会長就任以降、五輪改革路線をひた走る。
 肝いりで策定された中長期改革は「アジェンダ2020」と呼ばれる。五輪について複数の都市や国内での分散開催を認めるほか、既存や仮設施設の活用も積極的に奨励する。開催都市にのしかかる巨額の財政負担を減らすためだ。
 20年東京五輪の経費削減を訴える小池知事に対し、バッハ会長の口から出たのが「もったいない」発言である。要は節約の考え方は十分理解できるとの姿勢だ。きのうの安倍晋三首相との会談では、東日本大震災の被災地で複数種目を実施する案も示した。
 ならば渦中のボート・カヌー会場も宮城・長沼ボート場に変更すれば、と思うのだが、組織委や競技団体の反発は根強い。運営体制の再構築、警備や輸送のコスト増を強調する。
 招致段階の大会経費の見積もりは約7340億円。今では3兆円を超えるとの指摘もある。新国立競技場といい、そもそも原因は丼勘定にある。責任の所在も曖昧だ。「社長と財務部長を欠いた会社」と皮肉られても仕方あるまい。本番まで4年を切ってなお騒動が続く。時間が「もったいない」ようで。  【Web東奧 2016年10月20日(木)】

 「勿体ない」をパソコンの語源由来辞典で調べると、
 もったいないは、和製漢語「勿体(もったい)」を「無し」で否定した語。勿体の「重々しさ」「威厳さ」などの意味から、もったいないは「妥当でない」「不届きだ」といった意味で用いられていた。転じて、「自分には不相応である」、「ありがたい」「粗末に扱われて惜しい」など、もったいないの持つ意味は広がっていった。また、「勿体」は本来「物体」と書き、「もったい」と読むのは呉音。「物の形」「物のあるべき姿」から派生し、「重要な部分」「本質的なもの」となった。さらに、重々しい態度などの意味に派生し、意味が離れてきたため「物」が省略され、「勿」という表記で和製漢語の「勿体」が生まれたとされる。これらの経緯から、「惜しい」といった意味で用いられる「もったいない」は、「本来あるべき物がない」と原義に戻ったようにも思えるが、「もったいないおばけが出るぞ」など言われるように、「神聖な物」「重要な物」を粗末にする意味が含まれるため、「勿体」の意味が転じた流れによるものと考えられる。
と、あります。

 この「勿体ない」という形容詞は中世以後に用いられるようになった言葉だそうですが、その語源については諸説があるようです。「勿」は「物」の省字(せいじ、漢字の画の一部を省いてあらわした字)で、「物体なし」と書くのが本来であろうかと考えられています。「もったい」は「物体」の呉音読みで「物のかたち」という意味に用いられた語です。江戸時代の初めの評判記「色道大鏡」にはこの語を説明して、
 もったい。僭上(せんじょう)をさきだて景気を繕う貌(かたち)なり。勿体らしきなどという詞なり。
と言っています。すなわち、偉ぶった態度を取って様子を飾るという語だというのです。


 


 確かにこの語は、「もったいぶる」とか、「もったいらしい」とか、あまりいい意味には使われないことが多いようです。しかし、「勿体がある」とか「もったいをつける」と言うといかにも重々しい威厳のある様子になるという意味にも用いられています。「もったい」には、その物に備わって見える品位・品格という意味があったのです。そうした実体がいかにもあるかのようにふるまうのがつ「もったいぶる」であり、その態度が「もったいぶる」なのです。
 「もったいなし」とは、ある物に備わるそういう品位を無いものにする(無視、或いは否定する)ような態度や行動をとる様子をいうのです。場合によっては「無礼だ」「不都合だ」「とんでもない」の意味にもなります。『宇治拾遺物語』に鮭を盗んだ大童子(寺の雑役に使われる下級僧)が裸にされ身体検査を受ける話がありますが、憤慨した大童子が 「あはれ、もったいなき主(ぬし)かな」 と怒鳴るのですが、これは「まあ、無体な(不都合な)お方じゃなあ」という意味になります。
 『日葡辞書』にも「モッタイナイ 耐えがたい。また、不都合な。」と説明されているそうです。

 「耐えがたい」「不都合な」というのは、そのもの本来のありようからすれば受けるべきでない処遇を受けるから、言うのです。
 したがって、へりくだった態度からすれば、この語は「もったいないお言葉です」というように、我が身の分に過ぎて恐れ多いということにもなるし、又、「捨てるのはもったいない」というように、捨ててしまっては、その物のまだ保有している有効性を無視した、その物に対して不都合な処遇をすることになるというような意味にもなるのです。この点で、「惜しい」と通じるのでありまして、「あの人にこんな仕事をさせておくのは、惜しい」というのを「あの人にこんな仕事をさせておくのは、もったいない」という言い方もできるわけです。


 


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