昨日は休日でもあるし、夕食は松屋で握り寿司を買って来て食べました。買い物の道々、寿司について調べてみようと思い立ちました。
「すし」の語源をパソコンの語源由来辞典で調べてみました。
すしの語源は「すっぱい」を意味する形容詞「酸し(すし)」の終止形で、古くは魚介類を塩に漬け込み自然発酵させた食品をいい、発祥は東南アジア山間部といわれる。/「酢飯(すめし)」の「め」が抜け落ちて「すし」になったとする説もあるが、飯と一緒に食べる「生成(なまなれ)」や、押し鮨の一種である「飯鮨(いいずし)」は、上記の食品が変化し生まれたもので、時代的にもかなり後になるため、明らかな間違いである。/すしの漢字には「鮓」「鮨」「寿司(寿し)」があり、「鮓」は塩や糟などに漬けた魚や、発酵させた飯に魚を漬け込んだ保存食を意味したことから、すしを表す漢字として最も適切な字である。/「鮨」の字は、中国で「魚の塩辛」を意味する文字であったが、「鮓」の持つ意味と混同され用いられるようになったもので、「鮓」と同じく古くから用いられている。/現代で多く使われる「寿司」は、江戸末期に作られた当て字で、「寿を司る(つかさどる)」という縁起担ぎの意味のほか、賀寿の祝いの言葉を意味する「寿詞(じゅし・よごと)」に由来するとの見方もある。
とありました。
すし(馴れずし)の起源は東南アジアといわれています。すしはもともと東南アジアの山地民族の間で行われていた魚の貯蔵法で、川魚の保存法として米などの穀類と炊いたものと一緒に漬け込み、米の発酵を利用して魚を保存したものでした。この技術が中国→朝鮮半島→奈良時代に日本に伝わったといわれます。文献によると大宝2(702)年施行の大宝令は今日全文は伝わっていませんが、その第一次改訂である(養老令)が残っていますし、令義解、令集解などの令文の注釈書などによっても原型をだいたい復元できるといいます。その中の賦役令の中に、若し雑物を輪するならば・・・鰒鮓(あわびずし)二 、貽貝鮓(いがいずし)三 ・・・雑
奈良時代に入って穀類と一緒にアユやフナを漬け込んだ熟れずしが庶民に食べられるようになります。琵琶湖周辺のフナの熟れずしがありますが、塩つけにしたフナをご飯とともに、1年くらい漬け込んだもので、ご飯は食べずフナだけ食べます。
古代の寿司の推移を見ますと、平安時代の寿司は『今昔物語集』の「すし売りの女の話」や「太りすぎた三条中納言朝成の話」の記述によると、寿司は飯部分を除去して食されていたようです。
鎌倉時代は生成(なまな)れが登場します。生成れは10日くらいで食べられ、素材はアユ・フナ・ナマズ・コイなどの川魚が中心でした。
安土桃山時代になると酢が作られました。これによって、寿司が大きく変わりました。この頃、飯ずしが誕生します。(ご飯も食べる)箱寿司(押し寿司)もこの頃に誕生したそうです。素材も川魚に代わって、小鯛やサバなどになりました。漬け込んだ魚は今までは、おかずでしたが、食事へと変わっていきました。
にぎりずしの誕生は、江戸時代の後期、文化年間(1818~1830年)だそうです。握ってその場で食べる・・というのを考案したのは、花屋興兵衛(1799~ 1858年、「与兵衛寿司」を開業した)と伝えられます。日本料理の技術である酢の物(コハダ)や煮物(イカ・穴子)、焼き物(玉子)、蒸し物(アワビ)、刺身(マグロ・ヒラメ)などをすし飯と一緒に食べさせるということを思いついたと云われます。江戸前というとすしの代名詞と思われますが、もとはウナギを指していました。かって江戸城の前は海でしたが、ここを埋め立てた沼でウナギが沢山捕れ、これをぶつ切りにして串にさして焼いて食べさせた店があったことから、江戸城前のウナギと云われるようになったらしいです。その後、にぎりずしが盛んになったので、江戸前ずしとすしにも使われるようになったといわれます。江戸の前の海で捕れる魚を指す言葉です。
江戸から明治にかけてのすしは、屋台が中心で、現在のように店を構えるようになったのは、もっと後のことです。桶にすしダネを入れて、担いで町の中で売り歩くすし売りという商売もありました。冷蔵庫の無い時代のことなので、殆どのすしダネは、酢に漬けたり、煮たり、しょう油に漬けたりと手が加えられていました。これが、今も伝わる酢じめをした光りものや煮イカや煮ハマグリ、またはマグロのしょう油ずけの原型です。すし屋の調理場がつけ場と云われるのは、このように醤油に漬けたり、酢に漬けたりする仕事が中心だったことの名残です。
戦後は、屋台で生ものを扱うことが禁止され、店の中に屋台を持ち込み店内で食べさせるようになりました。これは屋台の形式を店の中で再現したと言うことです。屋台の形式がカウンターになりました。戦中・戦後の食糧難の時は、すし屋も店を閉めなくてはならなかったのですが、米1合で巻物を含むすし10個と交換することが出来たといわれています。この時のすしが1貫の大きさの基準であり1人前の基準となっています。
大阪の立ち喰い寿司店経営者・白石義明(1913~2001年)が、ビール製造のベルトコンベアをヒントに、多数の客の注文を低コストで効率的にさばくことを目的として「コンベヤ旋廻食事台」を考案し、1958年、大阪府布施市(現・東大阪市)の近鉄布施駅北口に最初の回転寿司店である「元禄寿司」(元禄産業株式会社)を開きました。1970年代以降、元禄寿司のフランチャイズは全国的に広まり最盛期には200店を超えたといいます。にぎりずしが誕生してから、わずか200年余。これからすしはどのように変化していくのでしょうか。
sechin@nethome.ne.jp です。
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