今朝のウェブニュースより
「あさが来た」モデル、広岡浅子ゆかりの資料1万点発見 ―― NHKの連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデル、広岡浅子(1849~1919)が嫁いだ大阪の豪商・加島屋(かじまや)が幕末に各地の藩に貸した金の借用書や、浅子の手紙など約1万点の資料が、奈良県橿原市の民家で見つかった。加島屋の分家を切り盛りしていた浅子が、新政府との交渉に向けて旧藩の借用書の整理を手がけた可能性もあるという。
見つかったのは江戸時代以来、奈良県で山林経営をしている岡橋家。加島屋の10代当主・広岡正直の娘が嫁いでおり、太平洋戦争の際に広岡家が加島屋関係の古文書を「疎開」させたものという。
借用書は仙台、長州など藩別に封筒に入れられて整理されていた。明治政府は旧藩の借金を新設の県に引き継がせる際、金を貸した両替商らに借用書などの提出を求めており、その際に整理したとみられる。中津藩(今の大分県中津市)の借用書には、大阪の蔵屋敷に勤めていた福沢諭吉の父、百助(ひゃくすけ)が署名したものもあった。
加島屋では、本家の親戚の「分家」や奉公人が独立した「別家」の債権も、すべて本家に集めて整理。浅子は、夫が継いだ分家の経営を仕切っていたと自伝に記していることから、宮本又郎(またお)・大阪大名誉教授とともに資料を調べた神戸大経済経営研究所の高槻泰郎(やすお)・准教授は「浅子も債権整理に関わった可能性が高い」とみる。また、浅子が義弟の妻にあてた「浅」の署名がある手紙も見つかった。
明治政府は1843年以前の旧藩の借金を帳消しとしたため、大阪の両替商は大打撃を受けたとされてきたが、両替商らは水面下では借金の扱いを交渉していたことも明らかになりつつある。高槻さんは「大阪の両替商が明治維新で受けた打撃の実態がつかめるかも」と期待する。
資料は9日、神戸大である公開講座「豪商たちの近世・近代」(すでに受け付けは終了)で報告される。
〈広岡浅子〉 京都の三井家の出身で、加島屋8代目当主広岡久右衛門の次男、信五郎と結婚。明治維新後に危機に陥った加島屋の経営を立て直し、筑豊の炭鉱経営も手がけた。日本初の女子大、日本女子大学校(現在の日本女子大)の創設にも尽力した。座右の銘は「九転十起」。
(朝日新聞DIGITAL 2015年11月5日11時39分)
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