Hēraklēs(ヘーラクレース)の第8の難事はTrakya(トラキア、バルカン半島南東部の歴史的地域名)王Diomēdēs(ディオメーデース)の牝馬をMykēnai(ミュケナイ)に持ち帰ることでした。 ディオメーデースはArēs(アレース)とKȳrēnē(キューレーネー、女狩人であり、Apollōn〈アポローン〉の恋人)の子で、好戦的なトラキアのBiston(ビストーン)族の王です。 また飼っている4頭の牝の人食い馬は、それぞれPodargos(ポタルゴス)、Lampon(ラムボーン)、Xanthos(クサントス)、Deinos(デイノス)と言う名前で、狂暴な上に、主食はその名の通り人肉でした。
ヘーラクレースはAbderos(アブデーロス)を同行しました。 彼はHermēs(ヘルメース)の子でOpous(オプース、古代ギリシア・ロクリス地方の主要都市。現在の中央ギリシャ)のLocris(ロクリス)人であり、またヘーラクレースの愛人の少年でした。 ヘーラクレースはbisexual(バイセクシャル、両性愛者)だったのです。
途中でThessalía(テッサリア)国Pherai(ペライ)領主Admētos(アドメートス)のところへ寄ったヘ-ラクレ-スは、 ちょうど彼の妻Alkēstis(アルケスティス)の喪中であることを知ります。 そしてヘーラクレースは彼のために、黄泉の国まで行ってアルケスティスを連れ戻してきてしまったのです(10月25日のブログ『アルケスティス』を参照)。
※ Eugène Delacroix(ウジェーヌ・ドラクロワ):フランスの19世紀ロマン主義を代表する画家で、しばしば劇的な画面構成と華麗な色彩表現は、ルノワールやゴッホなど多くの画家たちに影響を与えたといいます。
とんだ道草ですが、この話には少々つじつまの合わない点があります。 まずヘーラクレースとアドメートスはArgo(アルゴー)遠征で知り合った仲といわれています。 しかしこのときはまだアルゴー遠征に行っていないはずです。また後にヘーラクレースは黄泉の国へ向かうのですが、 入り口がわからなくて苦労するくだりがあります。 どうして簡単にアルケスティスを連れ戻しに行けたのでしょうか。 まあしかしヘーラクレースの話は、各地方の集合体であるといいますから多少の時間軸のずれや矛盾は仕方ないのでしょう。
とにかくトラキアへ着いたヘーラクレースは、狂暴な牝馬の奪取に成功します。しかし王の家来に気づかれてしまいます。 ヘラクレスは牝馬をアブデーロスに預けて、戦闘に向かいます。
彼らを片付けてアブデロースの元に戻ってきたヘーラクレスーは、衝撃な場面に遭遇します。 アブデロースはその牝馬に引きずられて死んでいたのです。 ヘーラクレースは少年の墓をたて、その近くにÁbdēra(アブデーラ、Thracia〈トラキア〉地方にある古代ギリシアの都市)市を創建しました。 そして王ディオメースは殺されて、牝馬の食糧と変わり果てたのでした。
※ Gustave Moreau(ギュスターヴ・モロー):フランスの象徴主義の画家です。パリに生まれパリで亡くなりました。聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られます。 印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、もっぱら想像と幻想の世界を描いたといいます。
牝馬はEurystheus(エウリュステウス)の元へ連れてこられますが、この無責任な王は処置のしようがなく野に放ってしまいます。 牝馬はそのままÓlimpos(オリュンポス)山に逃げ、野獣に食い殺されてしまったようです。
sechin@nethome.ne.jp です。
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