Hēraklēs〈ヘーラクレース〉の第5の難行はAugeiās(アウゲイアース)の家畜小屋を1人で、尚且つ1日で掃除をすることでした。 アウゲイアースはĒlis(エリース、Pelopónnisos〈ペロポネソス〉半島にあり、北をAchaia〈アカイア〉、東をArcadia〈アルカディア〉、南をMessenia〈メッセニア〉、西をIónia〈イオニア〉海とそれぞれ接しています)王でHēlios(ヘーリオス、ギリシア神話の太陽神)の子、またはPoseidōn(ポセイド-ン)の子、 あるいはPhorbas(ポルバース)の子とも言われています。
今までの苦行に比べるとかなり生活じみた難事でありましたが、アウゲイアースの所有する家畜小屋の広さは半端ではありません。 おまけにその小屋は1度も掃除をしたことがないという汚さです。そんな衛生状態でよく家畜が病気にならないものでした。
※ Honore Daumier(オノレ・ドーミエ):マルセーユ出身。パリでルイ・フィリップ王政を批判する石版画を発表し、投獄されます。その後も、風刺の精神を貫きました。現実から目をそむけず、痛烈な観察眼を持って政治漫画などを描いていましたが、晩年になってから、画家として重要視されるようになります。多様な文学的主題を取り扱った点でも、ロマン派の画家であった。
アウゲイアースを訪れたHēraklēs(ヘーラクレース)は、Eurystheus(エウリュステウス)には内緒でちょっと汚い交渉をしました。
「もし俺が1日でこの小屋を掃除できたら、家畜の10分の1を分けてくれるか?」
「まさか、この広さを1日で掃除なんて。できっこないだろう。もし本当に出来たら約束は果たそう。」
「よし、じゃあ証人を立てよう。」
「私の息子Phȳleus(ピューレウス)でよいかな。」
「いいだろう。王子ピューレウスよ、今の話聞いたな。」
「はい。神に誓って。」
交渉成立。まず家畜小屋の土台の両端に大きな穴をあけて、Alpheus(アルペイオス)川とPeneios(ペネイオス)川から水を引いてきました。 そして小屋の中に大量の水を流し込み、あっという間に家畜の糞は川に流れていったのでした。価値小屋はピカピカ。牛も馬もご機嫌。 不機嫌なのはアウゲイアースです。
アウゲイアースは吃驚仰天開いた口がふさがりませんでしたが、報酬を与えることを拒み始めたのです。
「報酬だと? そんな約束をした覚えはない。大体この仕事はMykēnai(ミュケーナイ)王エウリュステウスの命令だというではないか。 そんな、私が報酬などと…… 寝ぼけるのもいい加減にしたまへ。」
「なに? それとこれとは関係ない。俺は証人として貴様の息子ピューレウスまで立てたのを覚えてないと言うのか。訴えてやる!」
そして裁判が始まりました。父アウゲイアスは、息子は自分の味方をすると思っていたのでしょうか。 残念ながらピュレウスは信義を重んじる性格だったようで、正直に父の証言を否認したのです。 逆切れしたアウゲイアスは投票が行われる前に、ピュレウスとヘーラクレースをエリースから追放してしまいます。 居場所を失ったピューレウスはDulichion(ドゥ-リキオン)島に腰をすえることにしました。
このことを恨んだヘーラクレースは、Īlios(イリオス)攻略ののち、Arcadia(アルカディア)人の軍勢を集めてエーリスを攻撃した。アウゲイアースはこれに対してMolione(モリオネ、Eurytos〈エウリュトス〉とCteatus〈クテアトス〉で、アクトールとモリオーネーの息子。腰から下はひとつの身体という双子の兄弟)を将に任じます。この兄弟はPoseidōn(ポセイドーン)の子ともいわれ、怪力の持ち主で、エーリス地方の英雄と言われます。ヘーラクレースは遠征中に病を得て休戦したが、休戦の理由を知ったエウリュトスとクテアトスがこれを襲い、ヘーラクレースは退却を余儀なくされました。その際多くの兵が倒され、ヘーラクレースの異父兄弟Īphiklēs(イーピクレース)もこのときの傷がもとで死んだといいます。
しばらくしてIsthmia(イストミア)大祭が開かれ、これにエウリュトスとクテアトスが参加することを知ったヘーラクレースは、二人を待ち伏せして殺し、エーリスを陥落させました。アウゲイアースは息子たちとともに殺されました。一説には、命だけは助けられたともいいます。ヘーラクレースは追放されていたピューレウスを呼び寄せてエーリスの王としました。
Pausanias(パウサニアス、115年頃~180年頃、2世紀ギリシアの旅行家で地理学者で、『ギリシア案内記』の著者として知られています)はこの話に加えてその後日譚について触れています。ヘーラクレースが報復のためにエーリスを攻撃して占領したさい、ヘーラクレースはピューレウスをドゥーリキオンから呼び寄せ、エーリスの王としました。しかしピューレウスはエーリスの国制を制定した後に、再びドゥーリキオンに戻り、エーリスは兄弟のAgasthenēs(アガステネース)が後を継いだといいます。
一方ヘーラクレースはAchaia(アカイア)西端にあるOlenos(オレノス)領主Dexamenos(デクサメノス)の館に赴きました。 ちょうどCheirōn(ケイローン)が亡くなった後Pholoe(ポロエ)山に戻ったはずのKentauros(ケンタウロス)のEurytiōn(エウリュティオン)が、 王女Mnesimache(ムネシマケ)にあれやこれやとちょっかいを出していて王はかなり困り果てていたのです。館ではちょうど、王女ムネシマケを花嫁として送り出すところだったのです。先にヘラクレスと戦って散り散りに逃げた、乱暴なケンタウロス族の一人、Eurytiōn(エウリュティオン)が、こんなところにやって来て、ムネシマケに激しく恋慕、是非妻にくれと脅迫していたのです。生贄同然の花嫁を前に、単純なヘーラクレースは断固、義侠心を発揮。早速、エウリュティオン待ち伏せて、花嫁を受け取りに来たところを、とっとと殺してしまいました。
ヘーラクレースはこんなふうに、難業の往路、帰路の先々で、人々を困らせる人間やら半人半獣やら猛獣やらを一掃しながら進んでいるのです。
sechin@nethome.ne.jp です。
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