瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
[1859] [1858] [1857] [1856] [1855] [1854] [1853] [1852] [1851] [1850] [1849]

 Hēraklēs(ヘーラクレース)の第9の難事はAmazōn(アマゾーン)女王Hippolyte(ヒッポリュテ)の帯を持ってくることでした。 アマゾーンとはThermodon(テルモードーン)川流域に居住する民族で、Arēs(アレース)の子孫として女性のみの集落である。 彼女たちは武に長けており、戦争と狩猟に使用する弓の邪魔にならぬよう右の乳房を切り取り、左胸は子供を育てるために残している。 種族保存のために近隣種族の男性をさらって子供を作る。生まれた子供が男児の場合は、殺すか去勢して能力を失わせました。 実際はそのような種族はおらず、フィクションであろうといわれています。アマゾーンは黒海沿岸の他、Anatolia(アナトリア、アジア大陸最西部で西アジアの一部をなす地域で、現在はトルコ共和国のアジア部分をなします)や北アフリカに住んでいた、実在した母系部族をギリシア人が誇張した姿と考えられています。


 


ヒッポリュテはアマゾンの支配者のしるしとしてアレースの帯を持っていました。 Eurystheus(エウリュステウス)の娘Adomētē(アドメーテー)がこれを欲しがったといいます。この帯の性能はよくわかりませんが、持っていると何かいいことでもあったのでしょうか。宝石をちりばめたアマゾン女王の徴(しるし)であったようです。


ヘーラクレースはまた同行者を連れて船で東航しましたた。途中でParos(パロス)島(エーゲ海の中央に浮かぶギリシャの島。キクラデス諸島の1つです)に到着します。 そこにはMīnōs(ミーノース)の息子Eurymedon(エウリュメドーン)、Chrȳsēs(クリューセース)、Nephalion(ネパリオン)、 Philolaos(ピロラオス)――いずれもミーノースとNymphē(ニュムペー)のPareia(パレイア)との子――が住んでいました。しかし下船したときに、仲間の2人がこの息子達に殺されるという事件が起こります。 ヘーラクレースは憤り、息子たちの家来を殺してしまうのです。恐怖におののいた息子たちは、殺された2人の代わりに自分たちから2人を人質に差し出すという提案を出しました。 ヘーラクレースは彼らを選ばず、Androgeōs(アンドロゲオス)の息子(ミーノースの孫)Alcaeus(アルカイオス)とSthenelos(ステネロス)を選びます。彼らの名前は2人ともPerseus(ペルセウス)とAndromedā(アンドロメダ-)の息子たちの名前と同名なのですが、単なる偶然でしょうか。


Mysia(ミュシア、トルコのアナトリア半島北西部の地方)に到着した一行は、Daskylos(ダスキュロス)の子Lykos(リュコス)王の世話になりました。 リュコスはBebrykes(ベブリューケス)族と戦っていた最中で、ヘーラクレースたちも戦争に参加しました。 多くの戦死者が出ましたが、その中にAmykos(アミュコス)の兄弟Mygdon(ミュグドン)王もいたようです。 制覇したリュコスは、ヘーラクレースに感謝の意を込めてその地をHērakleia(ヘラクレイア)と呼ぶことにしました。


次に入港した場所はThemiskyra(テミスキュラ、黒海沿岸の Pontos〈ポントス〉 地方のアマゾーン族の国の地)でした。するとアマゾン女王ヒッポリュテがわざわざ訪ねて来たのです。 そして帯が欲しい旨を伝えるヘーラクレースに、簡単に承諾してくれのです。それほど価値のあるものだとは思えません。しかしあまりにも上手く事が運ぶことを妬んだHērā(ヘーラー)は、自らアマゾーンの1人に変身します。


「あのヘーラクレースって男、実は女王ヒッポリュテ様を攫うつもりなのヨ!」


その言葉を信じたアマゾーンたちは、血相かえて武装し彼らに襲撃したのです。 その状況を見てヘーラクレースもまた詐欺にかかったと思い、ヒッポリュテを殺して帯を奪って逃走しました。 他説ではヒッポリュテの妹Melanippē(メラニッペ)が捕まり、ヒッポリュテが帯と交換したといいます。

※ Nikolaus Knüpfer(ニコラウス クニュプファー):オランダの黄金時代の画家。聖書の文学、神話をテーマに小規模な絵を描きました。
※ Euphronios(エウプロニオス、紀元前535年頃~紀元前470年以降): 古代ギリシアの陶工兼絵付師で、紀元前6世紀末から紀元前5世紀初めのアテナイで活動しました。

 どちらにせよ彼女が殺されてしまうと、後にThēseus(テーセウス)との子供も生まれず、 またAthēnai(アテーナイ)へのアマゾーン襲撃の事件もなくなってしまうので少々話が矛盾してしまいます。
 その後ヘーラクレースは黒海を渡りHellēspontos(ヘレスポントス)海峡(Dardanelles〈ダーダネルス〉海峡のこと)を通過、Troia(トローイア)に寄港しました。この頃トローイアではApollōn(アポローン)とPoseidōn(ポセイドン)の怒りに触れて困りはてていました。 実は首都Īlios(イリオス)にあるPergamon(ベルガモン)の城壁を築くとき、この両神が人間の姿に化けて手助けをしてやったのです。 しかし完成したにも拘わらず、立派に功績を残した2人に対して王Lāomedōn(ラオメードーン)はすこしもの報酬も与えなかったのです。 その態度に憤った神たちは、この町に疫病と洪水を引き起こしたのであります。

※ Girolamo Troppa(ジローラモ トロッパ):イタリアの画家。教会壁画などを描きました。
 そこで急いで信託を受けることになりました。神託は「王女Hēsionē(ヘーシオネー)をポセイド-ンが送った怪物Ketos(ケートス、ギリシア神話などに登場する、海の怪物。ポセイドンの眷属。その姿は一定していないが、下半身はヒレのある長い蛇のような姿をしている。上半身は下半身と違って一定しておらず、ワニ、イルカ、蛇〈歯や耳があり、目が正面近くについているといいます〉のような水生動物)に生贄として差し出せば、神々の怒りはおさまるであろう。」とありました。
 そしてヘーシオネは海辺の岩に縛り付けられ、生贄までの時間を待つだけでしたた。そんな時にヘーラクレースが上陸したのです。 状況はまさにAndromedā(アンドロメダー)とPerseus(ペルセウス)と同じです。 だがヘ-ラクレ-スにとってヘ-シオネ-はそんなに魅力的な女性ではなかったのでしょうか。 彼の要求したものは王女ではなかったのです。
「王女を助けてやるから、なんかくれ。」
「本当に助けてくれるんなら、馬をやろう。」
「馬ぁ?」
「ただの馬ではない。私の祖父Trōs(トロース)が、 私の叔父Ganymēdēs(ガニュメーデース)の代償としてゼウス様より戴いた牝馬の血をひいた子供だぞ。」
「代償? どういうことだ?」
「ゼウス様は、少年の頃Idê(イ-デ-山)で羊と戯れていた叔父ガニュメーデースをいたく気に入られて天に連れ去ったのだ。 その代わりに、それは素晴らしい馬をプレゼントしてくれたのだよ。」
「その子供の馬だというのだな。よし、その条件を飲もう。」
 ガニュメーデースはトロースの子ではなく、ラオメードーン自身の子供だという説もあります。そしてヘーラクレースに与えると約束した馬は、子供ではなくゼウスからもらった馬そのものであったというものです。

 とにかくヘーラクレースは海の大岩にくくられている王女ヘーシオネーを助け、海獣ケートスを倒しました。

 しかし王ラオメードーンは、またも約束を破ります。
「おおヘーシオネー、無事だったか。こっちへ来い。馬? そんな約束をした覚えはないぞ。」「なにぃ? こっちも急ぐ身だ。今お前の相手をしている暇はない。いいか、そのうち絶対にトローイアを攻めてやるからな。首を洗って待っておれ。」
 後にヘーラクレースは軍を率いてトローイアに攻めこみます。ラーオメドーンは船を攻撃し、留守を守っていたOiklēs(オイクレース)を殺しますが、ヘーラクレースの軍がトロイア軍を追い払い、トローイアを包囲します。そしてTelamōn(テラモーン)に城壁を破られ、攻め落とされました。ラーオメドーンはヘーシオネーとPodarkēs(ポダルケース、姉ヘーシオネーによって、ヘーラクレースから購われます。このことに因んで、Priamos〈プリアモス〉と呼ばれるようになったといいます)を除く子供たちとともに射殺されました。

 テラモーンはヘーラクレースに従ってトローイア攻略に参加しました。テラモーンはこの戦争で城壁を越えて一番乗りを果たす活躍をしますが、Apollodoros(アポロドーロス、1世紀~2世紀、『Biblioteke〈ビブリオテーケー〉』(『ギリシア神話』)の編纂者として知られます)によるとヘーラクレースは一番乗りを奪われたことに腹を立て、テラモーンを殺そうと考えたといいます。殺意を感じたテラモーンがとっさにその場に転がっていた石を集めだしたので、ヘーラクレースがテラモーンに何をしているのかと尋ねると、偉大なるヘーラクレースのための祭壇を作っているのだと答えました。ヘーラクレースはこの返答に満足して殺すのをやめたといいます。戦争がヘーラクレースの勝利で終結すると、テラモーンは報酬として王女ヘーシオネーを与えられ、この女性との間にTeukros(テウクロス、トローイア戦争のさいにはサラミース島の武将の1人として大Aiās〈アイアース、テウクロスとは異母気を異母兄弟〉に従って参加し、一説にはSalamis〈サラミース〉島の軍勢12隻を率いたといわれます。木馬作戦にも参加しました)を儲けました。
 トローイアを出航したあとも、真っ直ぐにミュケナイには帰らずAinos(アイノス)に寄港します。その地でPhorkys(ポルテュース)という男に客人として迎えられました。 この男はポセイドーンの息子でSarpēdōn(サルペードーン)という兄弟がいたようです。 原因は解りませんが、サルペードーンはアイニア海岸でヘーラクレースによって射殺されてしまうのです。
 次にThasos(タソス)島(エーゲ海最北部にある島)に来て、そこに住んでいたThracia(トラキア)人を征服し、その地をアンドロゲオスの息子たちに与えました。
 今度はTorone(トローネー、Khalkidhik〈カルキジキ〉半島にあった古代都市)に進みます。 そこでPrōteus(プローテウス)の子Polygonos(ポリュゴノス)とTelegonos(テレゴノス)という兄弟が、 ヘーラクレースにレスリングを挑み殺されてしまいます。こうしてやっとミュケナイに戻ったヘーラクレースは帯をエウリュステウスに渡したのです。 

この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


小冊子の紹介
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
[傍若在猫 05/07]
[EugenePum 04/29]
[m1WIN2024Saulp 04/22]
[DavidApazy 02/05]
[シン@蒲田 02/05]
[нужен разнорабочий на день москва 01/09]
[JamesZoolo 12/28]
[松村育将 11/10]
[爺の姪 11/10]
[爺の姪 11/10]
最新トラックバック
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り All Rights Reserved
/