瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 本日より、ヘーラクレースの12の功業(難行)の1つずつについてみていくことにしましょう。


 


 Nemea(ネメアー、ペロポネソス半島北東部)の谷に住み着き、人や家畜を襲ったとされる獅子は、母はEchidna(エキドナ、上半身は美女で下半身は蛇で背中に翼が生えた姿をしている怪物。「蝮の女」がその名の意味です)、父はその子Orthros(オルトロス、テューポーンとエキドナの子で、姿は黒い双頭の犬で、鬣〈たてがみ〉一本一本と尻尾が蛇になっているといいます)とも、Tȳphōn(テューポーン、ギリシア神話に登場する神、あるいは怪物たちの王。体躯は宇宙に到達するほど巨大とされ、地球を焼き払い、天空を破壊し、灼熱の火炎と共に暴れ回って全宇宙を崩壊させた。その力は神々の王ゼウスに比肩するほどであるといいます)ともいわれています。


 皮は分厚く、さらにその皮膚の下に筋肉が変化して出来た甲羅があるといわれます。ヘーラクレースの12の難行のうち、最初の難行がネメアーの獅子を倒す事でありました。ヘーラクレースはネメアーの森にライオンを探しに行きましたが、皆ライオンに食べられてしまって、 ライオンのことを知る人に出会うことが出来ず、 ヘラクレスは20日以上もネメアの森をさ迷いました。ある日ヘラクレスはKleonai(クレオーナイ、Mykēnai〈ミュケーナイ〉の一地域)の日雇い人Molorchos(モロルコス)の客となりました。 彼は自分の子供をライオンに食べられた貧乏人でした。 モロルコスはヘラクレスを歓迎して1頭しかいないメスの羊を殺して接待しようとしたとき、 ヘラクレスはそれを止めてこう言いました。

※ Andrea Mantegna(アンドレア・マンテーニャ):イタリアルネサンス期の画家。ゴシック期、ルネサンス期のイタリアの絵画は、都市ごとに独自の発達をとげ、シエナ派、ヴェネツィア派などと都市の名を冠して分類されます。マンテーニャはパドヴァ派の代表格と見なされる画家です。

「30日の間にネメアのライオンを退治できたらこの羊はゼウスに捧げて下さい。 もし30日たって私が帰らなかったら、死者(ヘーロース)として私に供えて下さい。こうしてヘラクレスは旅立ち、ついにライオンを見つけたのです。
 ヘラクレスはライオンに向って矢を放ちましたが2本とも跳ね返ってしまい、 3本目を射ようとしたとき、ライオンは猛然と襲い掛かってきました。 ヘラクレスは棍棒で人食いライオンに殴り掛かかったのですが、 なんと棍棒は真っ二つに折れてしまいました。
 しかしライオンは堪らず2つ穴のある洞穴に逃げ込んだのです。 ヘラクレスは片方の穴を大岩で塞ぎ、もう一方の穴から入り 無双の腕力で3日3晩ライオンの首を絞めて窒息させました。

※ Francisco de Zurbarán(フランシスコ・デ・スルバラン):バロック期のスペインの画家。スペイン絵画の黄金時代と言われる17世紀前半に活動した画家であり、宗教画、静物画に優れていました。

 その後、ヘーラクレースによって、あらゆる武器を弾く毛皮は獅子の爪で引き裂かれて加工されて、ヘーラクレースは皮を頭からかぶり、鎧として用いたといいます。または獅子の肉はヘーラクレヘスによって食べられたといいます。
 モロルコスは30日経ってもヘラクレスが戻らないので、 ライオンに殺されてしまったと諦めて、 死んだヘラクレスに羊の捧げ物をする準備を始めておりました。 丁度そこにヘラクレスが帰ってきてライオンを退治したことをモロルコスに告げたので、 羊はゼウスに捧げられました。
 ライオンを退治してきたヘーラクレースを市民は歓喜の声で迎えました。 ヘーラクレースがライオンを退治してきたことを聞いたEurystheus(エウリュステウス)王は、 ヘラクレスの恐ろしい力を知り、殺されてはたまらないと、 鍛冶屋に命じて頑丈な青銅の壷を作りヘーラクレースがやってくるとその中に逃げ込み、 ヘラクレスを王宮に入れることを許さないで、 命令は使者を通じて言い渡すようになりました。

 その後、ネメアーの獅子の魂は、ゼウスによって星座の一つである『獅子座』になったと言われています。獅子が英雄のシンボルになったのもこのためだといわれいます。
 一説によると、ヘラクレスを憎むゼウスの妻Hērā(ヘーラー)は、よくぞヘラクレスを苦しめてくれたと、 このライオンを星座にしたという事です。

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