昨日は、浅草寺病院で定期健診の日でした。区の無料検診も受けましたし、インフルエンザワクチンも打ってきました。
Hēraklēs(ヘーラクレース)はAmphitryōn(アムピトリュオーン)から戦車の扱いを、Autolykos(アウトリュコス)からレスリングを、Eurytos(エウリュトス)から弓術、Kastōr(カストール)から武器の扱いを、Linos(リノス)から竪琴の扱いを学びました。リノスはヘーラクレースの覚えの悪いのに業をにやして彼を打擲しますが、反対に大石で打ち殺されたともいわれています。また、Kentauros(ケンタウロス)族のCheirōn(ケイローン)に武術を師事して、剛勇無双となりました。Kithairon(キタイローン)山のライオンを退治し、以後ライオンの頭と皮を兜・鎧のように身につけて戦うようになります。
ヘーラクレースは義父アムピトリュオーンが属するThēbai(テーバイ)を助けてOrchomenos(オルコメノス)の軍と戦い、これを倒しました。テーバイはオルコメノス王Klymenos(クリュメノス)を殺した賠償として、20年間の貢物を課されていましたが、ヘーラクレースはオルコメノスにテーバイに対してその2倍の貢物を支払うことを認めさせたのです。これらの功績がKreon(クレオーン、テーバイ王妃イオカステーの実弟であり、後のテーバイ王。8月30日のブログ「Oidipūs(オイディプース)王」を参照)に認められ、クレオーン王は娘Megarā(メガラー)を妻としてヘーラクレースに与えました。二人の間には3人の子供が生まれます。
しかし、Hērā(ヘーラー)がヘーラクレースに狂気を吹き込み、ヘーラクレースは我が子とĪphiklēs(イーピクレース)の子を炎に投げ込んで殺してしまい、これを悲しんだメガラーも自殺してしまいます。正気に戻ったヘーラクレースは、罪を償うためにDelphoi(デルポイ)に赴き、Apollōn(アポローン)の神託を伺ったのです。神託は、「Mykēnai(ミュケーナイ)王Eurystheus(エウリュステウス)に仕え、10の勤めを果たせ」というものでした。
ヘーラクレースはこれに従い、本来なら自分がなっているはずのミュケーナイ王に仕えることになったのです。「ヘーラクレースの選択」といえば、敢えて苦難の道を歩んでいくことをいいます。
Annibale Carracci(アンニーバレ・カラッチ、1560~1609年)の絵画に英雄ヘーラクレースが岩の上に座り、「美徳」と「悪徳」を擬人化した二人の立ち姿の女性の間で、どちらに従うべきか迷っている様子を描いているものがあります。
左側の地味な服装をした女性は「美徳」の象徴で、足元には月桂冠の冠を戴き書物を持つす詩人の姿も描かれています。彼女が指し示す方向は、岩だらけの狭い道が続いていますが、これを頑張って登れば、名声を象徴する有翼のPēgasos(ペーガソス)が待っていると示しています。一方、右側の薄い衣を身にまとった女性は「悪徳」の象徴で、足元に置かれた仮面は「欺瞞、淫欲」、楽器は「地上的な快楽」の象徴として描かれています。彼女の示す道はなだらかで、その先は陽の当たる牧場に至り、池では裸の男女が遊び戯れています。
双方の言葉に耳を傾けた後、神の子ヘラクレスがどちらの女性の手を取ったかは言うまでもありません。
※ Annibale Carracci(アンニーバレ・カラッチ):バロック期のイタリアの画家です。イタリア美術における初期バロック様式を確立した画家の一人であり、イタリア北部のBologna(ボローニャ、イタリア共和国北部にある都市)を中心に活動したボローニャ派の代表的画家です。アンニーバレを中心とするカラッチ一族の門下からは多くの著名画家が育っており、後世への影響も大きいものがあります。
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