昨夜は歯が疼いて眠れませんでした。明日は日曜、明後日はこどもの日と歯医者さんはお休みでしょう。寝床で何度も寝返りを打ちますが、痛いのが治まる訳がありません。電灯をつけて時計を見ると2時です。少しでも眠ろうと目をつぶりますが眠れそうにもありません。3時過ぎには起き出して、気を紛らわすように柔軟体操をして、3時30分には家を出ました。
少々風が強いようでしたが、今日はコースを変えてみようと、向かい風に逆らって、今戸・橋場の遊歩道を北上、明治通りを横切って荒川区の隅田川沿いの土手の遊歩道を北上、水神大橋を渡りました。橋を渡って、東白鬚公園に入る頃はすっかり、明るくなります。追い風を背中に受けながら、木母寺・隅田川神社の前を通って、南池に近づくと、沢山の鯉のぼりが泳いでいます。携帯でスカイツリーの上を泳ぐ鯉のぼりを撮ってみました。
東白鬚公園を抜けると、白鬚橋を渡り、橋場・今戸のテラスを通って、帰宅しました。歯は相変わらず「はしって」います。
今朝のウェブニュースより、
ツリー背に 泳ぐ巨大こいのぼり ―― 墨田区の東白鬚(ひがししらひげ)公園(堤通二)で、子どもたちがカラフルに模様を描いた二匹の巨大こいのぼりが、東京スカイツリーへ向かってダイナミックに泳いでいる。/地元の幼稚園、保育園児や小学生ら約六十人が先月二十七日に公園に集まり、長さ十メートルの無地のこいのぼりに自由に色を塗った。地元ボランティア団体「すみだカット倶楽部(くらぶ)」(坂井紘弥(こうや)代表)が、東日本大震災からの復興と子どもたちの元気を応援しようと昨年に続き企画した。各地から寄贈された大小さまざまなこいのぼり四百五十匹とともに飾った。/十日には青森県大間町で制作された長さ十メートル、胴回り三メートルの「マグロのぼり」も登場する。こいのぼりは二十日まであげる。 (東京新聞 2014年5月3日掲載)
鯉のぼりの由来:端午の節句は、奈良時代から行われている古い行事です。/端午というのは、五月の初めの午(うま)の日という意味です。それがいつのまにか五月五日に固定されてしまいました。/奈良・平安時代の端午の日は、災厄を避けるための行事が行われる重要な日でした。 宮廷ではこの日、軒に菖蒲やよもぎを挿し、臣下の人々は菖蒲を冠に飾ったり、菖蒲の葉の薬玉を柱に下げたりしました。 鎌倉時代には、武家の間から菖蒲と尚武をかけてこの日を大切にする気風が生れました。 江戸時代には、端午は幕府の重要な式日となり、大名や旗本は江戸城に出仕し将軍にお祝を述べました。 将軍に世継が生れると、城中にたくさんの幟や作り物の遣り、長刀、兜などを立てて盛大にこれを祝いました。/江戸中期になると庶民の間から町民のアイデアで鯉のぼりが生れました。中国に古くから伝わる登竜門の伝説になぞらえ、 竜門の滝を登り切ると鯉が竜になるように、我子も健康に育ち、将来は大きく出世して欲しいとの気持を込めたものです。また、「わが家に男の子が生まれました。どうぞお守りください。」と天の神様に伝え、守っていただく意味があるとも伝えられています。 /この頃は和紙に鯉の絵を描いたものでしたが、大正時代に破れない綿の鯉のぼりが生まれ、 昭和三十年代の半ばには雨にぬれても色落のしない合成繊維の鯉のぼりが誕生し、現在に受継がれています。
sechin@nethome.ne.jp です。
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