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 食べ物ではありませんが、嗜好品としての煙草についても調べてみました。
 煙草は南アメリカが原産ですが、コロンブスがハイチから土民が吸っているのを見てポルトガルに持ち帰ったと言われています。

 言語はカリブの土語だといいますが、スペイン語の tabaco(古いアラビア語で薬草の一種を示す “tabaq”という言葉が語源) が元になって英語やフランス語にはいっていったというのが、本当のところだと言います。いずれにしてもわずか1世紀たらずで日本にももたらされたのは余程人間の嗜好にあったのでしょう。日本では「思い草」「忘れ草」「相思草」などともよばれ、漢字表記「煙草」「莨」「莨菪」「多葉粉」「佗波古」「淡婆姑」と沢山の表記が見られます。中国語では「香煙」などと呼ばれることもあります。
  「たばこ」が日本へ伝わった正確な年代や状況は、日本およびヨーロッパともに現存する明確な記録がないため、今のところ推測の粋を出ません。 しかし、以下の2説をはじめ、さまざまな説が存在します。
 天文年間説 ……       天文12(1543)年に種子島に漂着したポルトガル人が、鉄砲とともに伝えたとする説 
 慶長年間説 ……       慶長10(1605)年前後に、ポルトガルやスペインなどの西欧諸国=南蛮から渡来したとする説
 いずれにしても、慶長年間(15961615年)にはすでに喫煙も「たばこ」の耕作も伝来していたと考えられています。


 タバコと最初に出合った人物として記録上に残るのは、江戸幕府を開いた徳川家康です。それはスペインのフランシスコ会の修道士ヘロニモ・デ・ヘススからの贈り物でした。ヘススはさまざまな土産物と一緒に、「たばこ」を原料とする薬と、「たばこ」の種子を家康に献上したのですが、この時、家康は「たばこ」についてこまごまと尋ね、列席の役人に効能や特性を書き留めさせたといわれています。
 庶民の間に喫煙の風習が広がりはじめた頃、徳川幕府は「たばこ」の禁煙令を発します。この「たばこ」に関するお触れは後に、「たばこ」の栽培の禁止など、幾度か内容を変えて発令されますが、度重なる禁令にも関わらず、「たばこ」を楽しむ人々は増え続け、徳川3代将軍・家光の代となる寛永年間(1624〜1645年)に入ると、「たばこ」に課税して収入を得る藩も現れ、「たばこ」の耕作は日本各地へ広まっていきます。やがて、禁令は形骸化し、徳川綱吉が5代将軍を務めた元禄年間(1688〜1703年)頃を境に、新たなお触れは出されなくなりました。

 こうして「たばこ」は庶民を中心に嗜好品として親しまれながら、独自の文化を形作っていくこととなったのです。


 


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