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飛竜頭とは、関西でいう、がんもどき。粳米(うるちまい)と糯米(もちごめ)の粉を混ぜて練り、油で揚げた食品で、飛竜子・ひりゅうず・ひろうす・ひりうす と表記することもあります。パソコンの語源由来辞典によると「飛竜頭は、ポルトガル語「filhos(フィリョース)」に漢字を当てたもの。『filhos』とは小麦粉に卵を混ぜ合わせ油で揚げた菓子で、元禄2年(1689年)の『合類日用料理指南抄』にある「ひりやうす」の作り方が近い。元禄10年(1697年)頃には、ゴボウやキクラゲを炒ったものと、豆腐を擂ったものを混ぜ合わせてまるめ、油で揚げた精進料理の「豆腐巻(とうふけん)」が「飛竜頭」と呼ばれるようになっており、部分的に製法が似た料理に「飛竜頭」の名が用いられた結果、「がんもどき」を指すようになったと考えられる。」とあります。
 
 英葡辞書によると filhozes fritter とあるものもあるそうです。Fritter とは「果物、肉、野菜などを少量の練り粉に包んで揚げたもの」を指しますので、油で揚げたものなのでしょう。安土桃山時代に伝えられたもので、最初は『紅毛雑話』に「この国にて言う油揚げは飛龍豆でポルトガル国の食物なり。その製、左の如し、ひりょうずは彼の国の語の由なり。糯米粉、粳米粉、各七合、水にて練り合わせ、ゆで上げて油揚げにしたるものなり」とあるように、「油揚げにした餅」すなわち完全な菓子でした。これが江戸時代になって料理食品の「がんもどき」になったというのです。「がんもどき」は精進料理で肉の代用品(もどき)としたもので、鳥のガンの肉に似せた料理ということになります。


「がんもどき」の材料は、もともとは豆腐ではなく、こんにゃくだったといいます。味が雁の肉に似ていることから「雁擬(がんもどき)」の名がついたという説。もう一つは、精進料理の「糟鶏」という料理だったという説で、こちらはこんにゃくを使った点心(中華料理の一つ)「糟鶏」が、「俗にいうがんもどきなるべし」と古い本に書かれているところから、「糟鶏」の俗称として「がんもどき」という親しみやすい日本語にしたという説があります。


 明暦の大火(1657)後の復興過程で、江戸の町には様々な屋台が登場しました。特に防災都市化する過程で各地に設けられた火除地は広小路と呼ばれて盛り場に発展、飲食店が軒を連ねた他、祭りともなれば寺社の門前に、さらに季節の行事毎に人が集まる場所に屋台が集結しました。その屋台の商品の一つとして「すし」「そば」「田楽」「蒲焼き」などとともに売られるようになったのが、「てんぷら」であったようです。記録は下りますが、文政十三(1830)年に出版された、喜多村信節「嬉遊笑覧」に日本橋に屋台を出していた男が鰹を使ったてんぷらを出したという話があり、文久元年(1861)の滑稽本「江戸久居計」にも弥次喜多が屋台の天ぷらを犬に食われてしまうイラストがあります。いつ頃から食べられはじめたのかは十七世紀末から十八世紀半ばまで幅がある。


 
 関東地方では東京湾でとれた新鮮な魚を天ぷらに、関西地方(特に京都)では新鮮な魚が入手しにくかったので野菜や山菜を天ぷらにして食べていました。食材の旨みをサクサクとした衣で包み込んだ天ぷらは、世界中の人々に好まれている日本料理の一つになっています。しかし、天ぷらは日本古来の料理ではなく、今から約400年前(16世紀の中頃)鉄砲の伝来とともにポルトガルから長崎に伝わった南蛮料理だということです。当時の日本では油は灯火用の大変貴重なものだったため、調理に大量の油を使用する天ぷらは高級品として扱われていました。江戸時代に入り油の生産が増えた事によって、天ぷらは次第に庶民の大衆料理として広まっていきました。はじめは立ち食い屋台で、おかずと言うよりは間食のような感覚食べられていたようです。天ぷら料理の専門店や料亭が出現しはじめたのは明治以降の事です。

 関東風の天ぷらは、卵を入れた衣を胡麻油で揚げたもので、こんがりキツネ色に仕上がるのが特徴です。一方関西風の天ぷらは卵を入れない衣をサラダ油で揚げたもので、白い天ぷらが特徴です。もともと関東では江戸前でとれた魚を天ぷらにしていたので、魚の臭みをとるために胡麻油で揚げるようになった言われています。一方関西では野菜中心であったため、自然の味を生かすため天つゆではなく食塩をつけて食べるようになったと言われています。
 
「天ぷら」はポルトガル語で「四季の斎日」を意味する「Tempora(テンポラ)」が語源という説があります。四季の斎日とは季節のはじめの三日間に祈りと節食をする習慣です。この期間中信者は肉を食べる事が禁じられるため、魚などに小麦粉の衣を付けた料理を食べていました。この料理が日本に伝わり「天ぷら」になったと言われています。この他にもポルトガル語で調味料・料理を意味する「Tempero(テンペロ)」や、「あ・ぶ・ら」の当て字で「天〔あ〕・ぷ・ら」など、語源に関しては様々な説があり、どの説が正しいのかはっきりした事はわかっていません。漢字の「天麩羅」は、「天」が「天竺(てんじく)」、「麩」は「小麦粉」、「羅」は薄い衣を表し、天竺から来た浪人が売る小麦粉の薄物という意味で、江戸時代に戯作者の『山東京伝』が考えたものとされるそうです。「天婦羅」の漢字は、「天麩羅」の当て字を変えただけのものと考えられます。


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