前回の菓子に続いて、ジャガイモとカボチャなどの野菜・果物について調べてみました。
日本原産とされる野菜で、確実なのは、フキ・ミツバ・ウド・ワサビ・アシタバ・セリぐらいです。
現在、日本国内で栽培されてる野菜は150種あまり、そのほとんどすべてが外来種です。ダイコン、ハクサイ、ネギ、キュウリ、ダイズは中国周辺。タマネギ、ニンニク、ソラマメ、ニンジン、ホウレンソウは中央アジアから中近東。キャベツ、レタス、アスパラ、セロリ、カブは地中海沿岸。カボチャ、サツマイモ、インゲン、トウガラシ、トウモロコシ、ジャガイモ、トマト、ピーマンは中南米。オクラや豆類、ゴマがアフリカ。
古い時代に日本に伝来したのもありますが、栽培するようになったのは多くが江戸時代以降です。外来種がその土地独自のものを駆逐していく歴史は近世以降、特に市場経済が発達した近代以降猛烈に加速したようです。
現在広く栽培されるジャガイモは四倍種で、アンデス山岳地帯のペルーとボリビアにまたがる標高4000メートルにあるティティカカ湖周辺で、西暦500年ころに栽培されていたものです。
それまでは数種の二倍種がペルー、ボリビアを中心にエクアドル、コロンビア、ベネズエラの限られた地域で栽培されていたといいます。この栽培四倍種のandigena(アンディゲナ)が南北に伝播(でんぱ)し、コロンブスの新大陸発見(1492年)当時にはメキシコからチリ南部に至る地域で栽培されていたそうです。アンディゲナは長日条件下ではいもが形成されませんが、この伝播の過程で、長日下でもいもを形成する、現在の栽培種tuberosum(テュベローサム)が成立したといいます。
旧大陸へは、1570年にメキシコからスペインに導入され、16世紀に広くヨーロッパの北方の国々に伝播しました。イギリスにはこれとは別に1590年に導入、北アメリカには1621年にヨーロッパから導入されました。インドには16世紀に、インドネシアや中国には16世紀にオランダ人により導入されたそうです。日本には1601(慶長6)年に、ジャカトラ港(現在のジャカルタ)からオランダ船によって長崎県の平戸(ひらど)に運ばれたのが最初で、ジャガタライモと名づけられました。それが略されてジャガイモとよばれるようになったそうです。
「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名もよく用いられますが、これは中国での呼び名のひとつと漢字が同じで、中国語で読むとマーリンシュー(ピン音mǎlíngshǔ)となります。18世紀に日本人の小野蘭山が『耋筵小牘』(1807年)で命名したといわれていますが、中国名をそのまま輸入したものなのか、新しく付けた名前がたまたま中国名と同じだったのか、それとも蘭山の命名が中国に伝わったのかは明らかではありません。
寛政(かんせい)年間(1789~1801年)にはロシア人が北海道や東北地方に伝え、エゾイモの名で東北地方へ広がっりました。日本でも最初はヨーロッパ同様観賞植物扱いでしたが、その後飢饉(ききん)のたびに食糧として関心が高まりました。甲斐(かい)(山梨県)代官中井清太夫(せいだゆう)の尽力により、食糧難を乗り越えたことから「清太夫いも」の名でよばれたこともあるなど各地に逸話が残っています。
こうして19世紀後半の幕末までには救荒作物として全国的に広がりました。しかし本格的に普及したのは、明治初期に北海道開拓使などがアメリカから優良品種を改めて導入してから以降のことであるといいます。ジャガイモは英語ではハイチ島起源のpotato という言葉を、スペイン語経由で借り入れて使っており、これが日本語にもポテトとして入っています。フランス語ではこれを pomme de terre(ポム・ドゥ・テール)と訳し、オランダ語でも aardappel(アールダップル)と呼んでいるそうです。どちらも「大地のリンゴ」と言う意味で、英語で言えば earth-apple となります。茨城などの方言に見られる「アップラいも」と言うのはこのオランダ語のaardappel の後半を取り入れて、それに「いも」を付けたものでしょう。
sechin@nethome.ne.jp です。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |