瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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3.ボーロ (: bolo) とは、ポルトガル語においてはケーキを主とする菓子の総称であり、特定の菓子の名前ではありませんが、日本においては小麦粉、砂糖、卵、牛乳を材料とした南蛮焼き菓子のことをいいます。日本には16世紀に伝えられ、江戸時代の『古今名物御前菓子秘伝抄』などの菓子の製法書に製法が残されていますが、当時の材料には卵は用いられていませんでした。次第に材料に胡麻や大豆などを用いる工夫も重ねられ、造形も王冠、あるいは花びらのような形に成形された花ぼうろとして親しまれていた様子が『名代干菓子山殿』や『小紋裁』に記述されていますが、成形の手間などから次第に廃れ、現在その痕跡は沖縄県の花ぼうるとしてみるに留めます。これは他のボーロと異なり複雑な形をしていて、食感はクッキーに近いもののようです。現在では小麦粉の他にもそば粉や片栗粉を主原料とし、卵、砂糖などを加えてこね、成型してから焼き上げられます。一般的にはカリッとした軽い歯ざわりと口中でさらりと溶ける食感が特徴ですが、中にはカステラのようにしっとり焼き上げたものもあります。 形としては丸めてから平たくしたものや、小粒のものなど様々であり、販売される商品名も「乳ボーロ」「丸ぼうろ」「たまごボーロ」「ミルクボーロ」「ベビーボーロ」「そばぼうろ」「松葉ボーロ」(島根県津和野町など。「松葉」と呼ばれることも)「堅ボーロ」(滋賀県長浜市)など様々な名称で広く市販されています。 「丸ぼうろ」は佐賀市の銘菓であり、佐賀をはじめとする九州の土産菓子として有名です。

 4.カルメラ(葡: caramelo)はカルメ焼き、かるやきとも呼ばれています。いわゆる駄菓子の一種で、今日でもお祭や縁日の露店などで稀に見掛けることができます。直径は10cmほど、厚みは45cmほどの「亀の甲羅」に似た中央が膨らんだ楕円状の菓子である。発泡させた飴のようなモノでもあり、サクサクした歯応えと濃厚な甘さ、加えてカラメルのような砂糖の焦げた風味があります。語源はポルトガル語の「甘いもの」(caramelo)によります。作るには砂糖を融かす熱源と砂糖を融かす型、そして攪拌するための割り箸や菜箸のような棒があればよいのです。材料は水・砂糖・重曹(膨らし粉)です。爺も子供の頃、おたまの中にザラメ砂糖を入れてガス代に載せて溶かし混ぜ棒の先に重曹をつけて素早くかき混ぜ、混ぜ棒を少しばかり持ち上げると溶けたザラメが膨らんでカルメ焼きが出来上がり、それをおやつに食べていたのを思い出します。作り方は単純で、ザラメまたは赤砂糖(三温糖)に少量の水を加え加熱して融かし、125℃になったら重曹を加えて手早くかき混ぜ、炭酸ガスで発泡したところで、冷やしながら軽石状に固めたものです。古くは重曹の代わりに卵白を用いていたといいます。ただ、砂糖と水の分量や、火から下ろすタイミング次第では失敗することがあります。冷やす際には、水に濡らしたタオルの上に形を押し当てながら、溶けた砂糖が発泡状態のまま固まるようにさせます。

 5.アルヘイトウ(葡: alféloa)は、砂糖を煮て作られた飴の一種で、南蛮菓子の一つです。金平糖と共に、日本に初めて輸入されたハードキャンディとされています。阿留平糖、金花糖、氷糸糖、窩糸糖とも呼ばれます。語源にはポルトガル語のアルフェロア(alféloa;糖蜜から作られる茶色の棒状の菓子)とする説とアルフェニン(alfenim;白い砂糖菓子)とする説とがあります。製法は、原料の砂糖に少量の水飴を加えて煮詰め、火からおろした後に着色や整形を行って完成させる。初期の頃は、クルミのように筋がつけられた丸い形をしていましたが、徐々に細工が細かくなり、文化・文政期には有平細工(アルヘイ細工)として最盛期を迎えました。 棒状や板状にのばしたり、空気を入れてふくらませたり、型に流し込んだり、といった洋菓子の飴細工にも共通した技法が用いられます。江戸時代、上野にあった菓商、金沢丹後の店の有平細工は、飴細工による花の見事さに蝶が本物の花と間違えるほどとされました。有平糖は茶道の菓子として用いられることが多く、季節ごとに彩色をほどこし、細工をこらしたものが見られます。縁日などで行われている即興的な飴細工とは異なるものです。一方、技巧が進化し高価なものとなってしまった有平糖を、見た目よりも味を重視して廉価にしたものとして榮太樓本店の「梅ぼ志飴」や、村岡総本舗の「あるへいと」などがあります。

 .コンペイトウ(葡: confeito)は、戦国時代にポルトガル人が西日本へ来航し、南蛮の諸文物がもたらされました。永禄121569)年にキリスト教・宣教師のルイス・フロイスが京都の二条城において織田信長に謁見した際に、献上物としてろうそく数本とフラスコ(ガラス瓶)に入った金平糖が差し出されたといわれています。江戸時代初期には慶長141609)年に佐賀藩の『坊所鍋島文書』に「金平糖一斤(600グラム)」が記されており、慶長181613)年に平戸の松浦鎮信の病気見舞いに贈られたといいます。さらに、寛永14年(1637年)の長崎・平戸のオランダ商館長日記に拠れば、ポルトガル船により「各種金平糖3000斤(1800キロ)」が運ばれており、京都などに流通して献上品として用いられていたといいます。江戸中期の元禄元(1688)年に刊行された井原西鶴の『日本永代蔵』の中で長崎において金平糖作成を試みる話が記されており、中国人もその製法を知っていたといいます。なお、西日本では佐賀藩で元禄3(1690)年から三度に渡る贈答の事例があります。18世紀には、庶民の間にも普及していたようです。

 余談になりますが、爺が子供の頃、餓鬼どもの間で「いろはに金平糖 金平糖は甘い 甘いはお砂糖 お砂糖は白い 白いはうさぎ うさぎははねる はねるはかえる かえるは青い 青いはお化け お化けは消える 消えるは電気 電気は光る 光るはおやじの はげあたま」というわらべ歌? が唄われていました。


 


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