ウリ科の一年生つる草、カボチャ属の野生種は新大陸のみに分布し、その多くはメキシコおよび中央アメリカで、11種に及ぶといいます。栽培種5種のうちニホンカボチャ、クリカボチャ、ペポカボチャは世界で広く栽培されています。
カボチャ類のもっとも古い記録はペポカボチャで、メキシコのTamaulipas(タマウリパス)の紀元前7000~前5500年の地層からは種子と果皮の一部が出土しています。ペポカボチャは考古学的資料からはメキシコとアメリカ西部に限定され、逆にクリカボチャはアンデスの高原地帯しか知られていませんでした。ニホンカボチャはペルーのHuaca Prieta(ワカ・プリエタ、ペルー北海岸チカマ河口の遺跡。紀元前2500年ごろから前500年ごろのもので、先土器時代から形成期中期の生活の跡をとどめる)の遺跡、ついでメキシコのTamaulipas(タマウリパス)の前1440~前440年の地層から発掘され、有史以前に南北アメリカに広がっていたことが知られています。新大陸の発見後、16世紀前半に世界に伝播(でんぱ)され、日本にもいくつかの経路で渡来したことが異名からわかります。九州の方言ボーブラはポルトガル語のabóbora(アボーボラ)に、ナンキン(南京)、トウナス(唐茄子)、カボチャ(カンボジア)はそれぞれ地名に由来するものです。
カボチャは、漢字では「南瓜」と書きますが、これは南京瓜の略語で、唐茄子とも呼ばれます。また、英語では「pumpkin(パンプキン)」といいますが、これはハロウィンなどで使用するオレンジ色のカボチャを指す言葉で、日本で良く見る緑色のものは、Squash(スクァッシュ)と呼ぶのが正解なんだそうです。
カボチャ(Canbodia abobora)もジャガイモと同じく産地名から出ていますが、新井白石(1657~1725年)は次のように述べています。
「南瓜、一名カボチャ、一名ボウブラ、カボチャは其出所の地名にて、ボウブラは瓜の変名なるべし(西洋紀聞)」
ポルトガル人が彼らの寄港地である東南アジアのカンボヂャから日本に持ってきたものです。戦国時代の末には既に栽培されていたようです。
カボチャはインドシナのカンボジャに由来し、abobora de Cambodia「カンボジャ産のうり」の前半を略したものかもしれないし、あるいはCanbodia abobora「カンボジャうり」の後半を略したものかもしれません。ところで、この略したabobora ですが、ポルトガル語ではabobra と言います。これを日本人がボーブラとして受け入れました。関西・九州方面では、このボーブラがいまでも「カボチャ」として通用されています。熊本民謡の歌詞の中にも「川端町ツアン キャア めぐらい 春日南瓜(ぼうふら)どん達ア しりひっ張って 花盛り 花盛り ピーチク パーチク雲雀の子 ゲンバクなすびの イガイガドン」とあります。
https://www.youtube.com/watch?v=cMDKvG5nZM4
「ハロウィン」と言えば、かぼちゃとセットで扱われるようになったのは、アメリカが始まりなのです。それまで「ハロウィン」で用いられるランタンにはカブが使われていました。しかし、ヨーロッパの人々がアメリカに渡って独自の文化が築かれる様になった際に持ち込まれた野菜の中で、数種類のカボチャがアメリカの土地に適した作物だったので、今ではカボチャはアメリカを代表する野菜の一つになりました。そのカボチャの中でも、特に色合いが良いオレンジや黄色のカボチャは「ハロウィン」の際に作られるランタンに最適の材料でした。そうして作られたカボチャランタンがアメリカからヨーロッパに渡り、カブより扱いやすくて見栄えの良い事からヨーロッパでも親しまれるようになりました。それがヨーロッパだけでなく世界に広まって、現在では「ハロウィン」の時に家の装飾やランタン専用のカボチャが栽培されるまでなりました。
最初はカブだったランタンも、アメリカで作られたカボチャのランタンが普及し、今ではカボチャランタンが一般的な「ジャック・オー・ランタン(jack-o’-lantern)」になっています。
なおスイカも南蛮人によって、日本へ持って来られたものです。西域(今の中央アジア)より渡来したので、西瓜でスイカ(唐音)と言います。大阪ではそのままサイカと言ったそうです。言語を伝えていませんが、おそらく最初は原語のまま呼ばれていたのではないでしょうか。
ザボンは、ミカン科の常緑小高木です。アジア南部原産で、果皮は厚く、砂糖漬けにします。果肉は淡黄色で、やや苦味があります。文旦(ぶんたん)ともいいます。ザボンの語源をパソコンの語源由来辞典で調べてみると、『ザボンは、ポルトガル語の「zamboa」から。当初は、「ザンボア」や「ザンボ」と原語に近い呼称であったが、転じて「ジャボン」となり、「ザボン」になった。これには、ザボンの粘液が水に溶けた石鹸のように泡が立つことから、「シャボン」との混同で「ジャボン」になったとする説と、単に発音のしやすさから転じたとする説がある。漢字表記の「朱欒(しゅらん)」は漢名からで、江戸時代には「座梵」という当て字も使われた。』とあります。
今から240年前(安永元年・1772年)に吹き荒れた春一番により、唐船(中国福建の船)が薩摩の阿久根に漂着しました。地元のあたたかいもてなしと物心両面の援助と協力により応急の修理も終わり、食料や飲料水を積み込んで目的地の長崎に向かいました。この際お礼にと船内に僅かに残っていた2個の朱欒(シュラン)、白欒(ハクラン)を唐通詞の原田喜右エ門に贈りました(朱欒は果肉の色が赤、白欒は果肉の色は白色・黄色)。このミカン(当時温州みかんはすでに渡来していました)の化物みたいな果実を番所の役人達は神妙に食べ、数人の役人達はその種子を持ち帰って自分の屋敷に播いて育ててみました。その種子から育った木に実ったミカンの王者を見て、昔お礼にと二個の果物を恥かしげに渡して去った船長の名(謝文旦)を思い出し、上二個の謝文(ザボン・またはジャボン)とか、下二字の文旦(ボンタン又はブンタン)と呼ぶようになったと伝えられているそうです。中国ではボンタンの事を柚子(日本の柚子とは別)と呼ぶそうです。
マーマレードは、オレンジなどの柑橘類の果実を原料としたものですが、ポルトガルで最初に作られたときの原料は marmelo(マルメロ、ポルトガル語、英語ではquince〈クインス〉)であったといいます。
マルメロの言語 marmelo に接尾辞の –ada をつけると marmelada となります。これがフランス語経由で英語に取り入れられて marmalade になったということです。しかし、マーマレードの由来には諸説があるようです。
1700年頃にスペインで誤って船一杯にbitter orange(ビターオレンジ、だいだい)を買ってしまったスコットランドの商人が悲嘆していたところ、奥方がこれを砂糖漬けの加工品にしたところ大変好評となり、その際に、庭で遊んでいた一人息子のメアーをMair Ma lad!(メアー、私の息子よ!)と手伝いに呼んだ事が由来とされた説、マリ・マラード(仏: Marie malade、病気のマリ)に綴りが近いことから、スコットランドのメアリー女王が腹痛の時に食べたから、あるいは、仮病を使ってでも食べたがったから、という民間語源説などです。
英語でも –ade という接尾辞は lemon(レモン) → lemonade(レモン水)のように使われます。
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