瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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   紫の 尓保敝類(にほへる)妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも (万葉集 巻1、12)
  「紫に美しく輝くあなたを嫌う訳があれば 愛してはいけない人妻であるあなたになぜこんなにも恋い焦がれるのでしょうか」
 額田王の「茜さす紫野行き標野行き……」歌に大海人皇子が応えて詠んだ歌です。冒頭の「紫」は「茜さす紫」と同じく、紫草から染め出した紫の色を指します。紫の色のように「にほへる」糠田王の美貌、その「にほふ」は
   しぐれの雨、間なくな降りそ、紅に、にほへる山の、散らまく惜しも (万葉集 巻8、1594)
  (しぐれの雨、間なく降らないで。紅に色づいた山の紅葉が散ってしまうのが惜しいです。)
   紅に 染めてし衣 雨降りて にほひはすとも うつろはめやも  (万葉集 巻16、3877)
  (紅色に染めた衣 雨が降り濡れて色が鮮やかになっても、その色が褪せることがあるでしょうか)
などと使われた古い用法の「にほふ」で、赤い色が表面に滲み出るような感じを表す動詞でした。
 紅顔の美女を讃えて
   桃の花 紅色に にほひたる 面輪(おもは)のうちに……  (万葉集 巻19 4192、大伴家持)
と表現した例もあれば、
   筑紫なる にほふ児ゆゑに 陸奥(みちのく)の かとり娘子(をとめ)の 結(ゆ)ひし紐解く  (万葉集 巻14、3427)
  (筑紫の美しい女のお蔭で故郷かとりに住む恋人が結んでくれた紐をとうとうおれは解いてしまったよ。)
と短く言って済ませた例もあります。
 額田王の美貌を「紫のにほへる妹」と賛美した大海人皇子のうたは、「にほふ」の使用によって、紫色が赤色の範疇にあった事を傍証するものです。額田王の「茜さす紫」と好一対を成すものです。

 雑歌,作者:小野老,奈良都
[題詞]<大>宰少貳小野老(おののおゆ)朝臣歌一首
   青丹吉  寧樂乃京師者  咲花乃  薫如  今盛有
   あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり  (万葉集 巻3、328)
  (寧樂のみやこは 満開の花が色鮮やかに華やぐごとく 今まさに盛りであることだ)
 「咲く花」が実際に何の花であったかは判りませんが、「にほふ」の原義を尊重して大意を汲み取ると「美しい寧良(なら)の都は、咲く花の華やかなように今さかんである」ということになります。
 しかし、「にほふ」が原文では「薫」の字で表記されている点を見逃してはなりません。和語の「にほふ」を「薫」という表意文字で書いたということは、もと赤い色さらには明るい色の発散するような感じを表した「にほふ」が、嗅覚に関する印象をも合わせ持ちうる語であったことをうかがわせます。

 万葉集には動詞「にほふ」に「薫」の字を当てた例がもう一つあります。
   …… 龍田道(たつたぢ)の 岡辺の道に 紅躑躅(につつじ)の 薫(にほは)む時の 桜花 咲きなむ時に …… (万葉集巻6、971)
   (…… 龍田道の岡辺の道に紅の躑躅が映える時、桜の花が咲く時に、…… )
 作者、高橋虫麻呂(生没年不詳)は赤い躑躅の花が「にほふ」と述べているのですから、語の用法としては赤い色が滲出という「にほふ」の古義から逸脱していないのですが、「薫」の字によって表記した心理は、「咲く花のにほふが如く今盛りなり」の歌がそうであったように、芳しい花の香りが随伴的に意識されたためでしょう。「薫」野ほかに「香」の字を「ニホフ」とよませた例もあります。
   …… 茵花 香君之 牛留鳥 名津匝来与 ……
   …… つつじ花 香(にほへる)君が にほ鳥の なづさひ来むと ……
  (…… つつじの花のように 芳しい我が子が 帰って来るだろうと ……
 ※「にほ鳥の」は「なづさひ」にかかる枕詞
 私たちは現在「匂う」という動詞を嗅覚に関する語として使用しています。いつの頃から「にほふ」が嗅覚専用の言葉になったのでしょう。徴候はすでに『万葉集』において「薫」「香」などの文字が徐々に採用されているという所に見いだされるのです。

 天平19(747)年、春二月二十九日、越中国守大伴家持は、越中掾(じょう)大伴池主(いけぬし)に宛てて、病後の身を案ずる二首の歌を贈りました。
   波流能波奈 伊麻波左加里尓 仁保布良牟 乎里氐加射佐武 多治可良毛我母
   春(はる)の花(はな)、今は盛りににほふらむ、折りてかざさむ、手力(たぢから)もがも (万葉集 巻17、3965)
  〔春(はる)の花(はな)が今は盛りと咲いていることでしょう。手折って髪を飾る体力があればいいのですが。〕
 これは、このうちの第一首、原文には「にほふ」を「仁保布」と書いて、「薫」「香」など表意文字は使われていません。「にほふ」は色美しく咲く意で、歌の大意も「春の花は今は盛りと美しく咲いているであろう。折ってかざす力が欲しいものですよ」と通釈できるようです。
 しかし、このような解釈は家持が歌に首の前に詞書的な役割を持たせて書いた長い漢文の書状を読まなかったことになります。書状のなかには「方今春朝春花流馥於春苑(方今〈いまし〉春朝に春花は馥〈にほ〉ひを春苑に流し)」という一説があり、これに基づいて作られたのが上の句の「春の花今は盛りににほふらむ」であったのです。「にほふ」という語を自覚的に嗅覚化した万葉歌人は多分に家持当たりであったかも知れません。

   十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首
   橘乃 尓保敝流香可聞 保登等藝須 奈久欲乃雨尓 宇都路比奴良牟
   天平十六年四月五日(西暦744年)・独居して平城の故宅(旧宅)にて作る歌六首
   橘の にほへる香かも 霍公鳥(ほととぎす) 鳴く夜の雨に 移ろひぬらむ  (万葉集 巻17 3916)
  (〈それは〉タチバナの、匂える香りかも。ホトトギスが、鳴く夜の雨に、〈香りが〉消えたのでしょうか)
 これも大伴家持の歌です。天平16年の作ですから「春の花今は盛りににほふらむ」の歌より3年古いわけです。「にほへる香」ということが言えるくらいなら、「香がにほふ」という言い方もまた不可能ではなかったはずです。「人はいざ心も知らず古里は花ぞ昔の香ににほひける」と詠んだ『古今集』紀貫之の歌も、天平の家持によって道が開かれたとみてもよいでしょう。
 「香」は嗅覚に属する語です。「にほふ」は元来視覚に属する語でした。嗅覚に属する事柄を完成領域の全く違う視覚の語で表現するというのは、奇妙なことではありますが、心理的に共感覚と呼ばれる現象に根ざす言語表現は、古今東西を通じて普遍的にあるものでしょう。自己の作品のなかで積極的かつ自覚的に「にほふ」を嗅覚化して用いた家持が、その転用を中国の詩文から学び取ったという可能性を否定することはできませんし、否定する必要もありません。


 


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