瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 『古語拾遺』(807年成、平安時代の神道資料)には、天照大神が岩戸から姿を現した時、神々が喜びの余り、「あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ」と「手を伸(の)して歌ひ舞」ったので「楽し」という語が生まれたと説明していますが、文法上こじつけであることははっきりしており、いわゆる民間語源に留まるようです。
 徒然草99段に「堀川相国(ほりかはのしやうこく)は、美男のたのしき人にて」とありますが、この場合の「たのしき人」は裕福な人という意味になります。

 無住法師の『沙石集』(1283年刊)は、その面白さゆえに後世までも沢山の愛読者があったと言います。
 ヘツライテタノシキヨリモヘツラハデマヅシキ身コソ心ヤスケレ (沙石集 巻3の2)
とあった、述懐の歌が、それから23年後に書いた「雑談集(ぞうたんしゅう)」では
 ヘツライテ富メル人ヨリヘツラハデマヅシキ身コソ心ヤスケレ
と変えられています。

 当時「楽し」という形容詞は、裕福という意が強かったので「タノシキ」を直接的な「富メル人」に置き換えることは充分可能であったわけです。
 ワラシベ長者の致富譚を「便り、只付きに付て、家など儲て楽しくぞ有ける。其の後は、『長谷の観音の御助け也』と知て、常に参けり。」と結んだ今昔物語集の「楽しく」も裕福を意味しています。同じくだりが『宇治拾遺物語』では、「それよりうちはじめ、風の吹きつくるやうに徳つきて、いみじき徳人にてぞありける」となっています。
 「たのし」が「裕福」の意で通じたのは、鎌倉・室町を経て江戸時代にまで存続したようです。

 人にすぐれてたのしきひとあり。しかしながら又ひとにすぐれてしはひ人じゃ。(『寒川入道筆記』慶長十八年成)
※『寒川入道筆記』は、江戸時代初期の1613年に書かれた随筆。著者は定かではないが、松永貞徳ではないかと言われています。
 文中の「しはひ」は正しくは「しわい(吝い)」で、眉にしわを寄せて渋い顔をした吝嗇(りんしょく、ケチなこと)の態(てい)を原義とします。
 「はなし家」の元祖と言われる安楽庵策伝(1554~1642年)の『醒酔笑』に、
 春の始めの朝(あした)より千秋万歳(せんずまんざい)ともまた鳥追(とりおい)ともいふかや、家ごとに歩きて慶賀をうたうふに、「千町万町の鳥追が参った」というて、ある門の内へ入らんとしければ、戸のわきに子をうみて人に恐るる犬ありしが、ふと向脛(むこうずね)をしたたかくらひけるまま、「あらたのしや」といふを、痛さに「あらかなしや」と。
のようにありますが、この笑い話においても、「楽し」は裕福、「かなし」は貧乏の意があるのでは?


 
 随分かなしき家の乳母にても、壱人一年に銀三百四十五匁程は定まって入(い)るものなり。(『西鶴織留』)
などと、西鶴もしばしば貧乏の「かなし」を使っています。

 俗諺「かなしきときは身一つ」の「かなし」も、当初は「貧し」の意味だったのかも知れません。


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