朝食後、薄曇の天気の中、桜橋から墨堤通りを北上、東白鬚公園を抜けて、水神大橋を渡り、汐入公園内のさくら橋を渡ると、隅田川に沿って南下、帰宅した。本日は風もなく、気温もそんなに低くはないが、まるで春先のように景色全体が霞んで見える。午後からの天気は下り坂になるという。こんな日の写真撮影は苦手で、そそくさと家路に着いたのである。それでも10771歩、7.0kmを記録していた。
今日は新聞の休刊日。帰宅後、ウェブからのニュースを見る。
普天間「県内移設に反対」 沖縄で2万人の県民大会―― 米海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、キャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)に代替施設を造る現計画や県内移設に反対する県民大会が8日、宜野湾市の海浜公園で開かれた。約21000人(主催者発表)が参加し、「沖縄にこれ以上の基地はいらない」などとする決議を採択。「県外、国外移設」を掲げながら「県内移設」も視野に入れる鳩山内閣に対し、不満の声も上がった。
大会では、宜野湾市の伊波洋一市長が「鳩山首相には、戦後64年間も基地負担を押しつけられてきた沖縄県民が『これ以上の基地はいらない』と思っていることをオバマ大統領に伝えてもらいたい」と主催者代表であいさつ。趣旨に賛同する首長や市民団体代表ら5人が、それぞれ意見表明した。
自公の支援で3度の当選を重ねてきた那覇市の翁長雄志市長は保革の枠を超えて出席。「県民の心は基地の整理、縮小という点で一つになることができる」とし、「(鳩山首相が)県外移設を決断できない場合、沖縄では『友愛』という言葉は封印してもらいたい」と主張した。米空軍嘉手納基地を抱える同県北谷町の野国昌春町長は、岡田外相が同基地への統合案を検討していることに触れ、「(今でも)住民の負担は限界に来ている」と訴えた。
最後に参加者全員の拍手で決議を採択した。
また、訪米中の松沢成文・神奈川県知事が「鳩山政権は現行計画で進めるべき」と発言したことに対し、「沖縄県民の心を踏みにじる言葉だ」と批判の声が上がった。(2009年11月9日 読売新聞)
この中で平野官房長官は、福島消費者・少子化担当大臣が7日、いわゆる官房機密費などの使いみちを一部、公開することも含め改善策を検討すべきだという考えを示したことについて、「適切な支出は当然であり、そのことも含めて政権が代わったから公開するかどうかの議論があることは承知している」と述べました。そのうえで平野官房長官は「官房機密費が本来もっている意味合いや、使用目的などを考えると、現時点で、その目的に照らして適切に処理していく方針に変わりはない」と述べ、現時点で使いみちを公開することは考えていないことをあらためて明らかにしました。その一方で、平野官房長官は「国民に公開することがいいのかどうか、自分なりにしっかり検証したい。公開すべきだという声があることも受け止め、今後の対応は考えたい」と述べ、今後、官房機密費の使いみちを公開するかどうか検討する考えを示しました。
河北を平定した曹操(155~220年)は、208年7月、荊州(けいしゅう)の牧(ぼく、刺史)であった劉表(りゅうひょう、?~208年)を攻めるため兵を率いて荊州へ南下を始めた。ところが8月になると劉表が死亡し、劉表の跡を継いだ次男の劉琮(りゅうそう、生没年不明)は9月、曹操に降伏した。孤立した劉備(116~223年)は長江づたいに南下し、長坂(ちょうはん)で曹軍に追いつかれるが何とか難を逃れ、荊州の動向を探りに来ていた魯肅(ろしゅく、172~217年)と面会し、1万人余りの軍勢を率いる劉表の長男の劉琦と合流しつつ夏口へ到達した。曹操は劉表が作りあげた荊州水軍を手に入れ、そのまま南下して兵を長江沿いに布陣させた。
魯粛は劉備に孫権と同盟を結んで曹操と対抗するように説き、劉備は諸葛亮(しょかつりょう、181~234年)を使者として派遣して孫権と同盟を結び、孫権は周瑜・程普(ていふ、生没年不明)ら数万の水軍を劉備の救援に派遣した。一方の曹操軍も長江を下り、両軍は赤壁で一戦を交え、周瑜らは疫病に悩まされていた曹操軍を撃破した。曹操は後退し烏林に陣を張り、周瑜らも長江を挟んで対峙(たいじ)した。
周瑜の部将の黄蓋(こうがい、? ~215年?)は、敵の船団が互いに密集していることに注目し、火攻めの策を進言した。そして自ら曹軍に対し偽りの降伏を仕掛け、曹軍が油断した隙をつき、油をかけ薪を満載した船に火を放ち敵船に接近させた。折からの強風にあおられて曹操の船団は燃え上がり、炎は岸辺にある軍営にまで達した。船団は大打撃を受け、おびただしい数の人や馬が焼死したり溺死したりした。
以上が伝えられる所の赤壁の戦いのあらましであるが、赤壁の古戦場と伝えられる場所は、長江・漢水沿いに数カ所存在し、その是非については現在も議論があるが、有名なものは二箇所ある。
1.現在の湖北省蒲圻市(ほきし、現:赤壁市)西南の長江南岸に位置する赤壁山である。ここは実際の古戦場として現在最も有力視され、「三国赤壁(別名、武赤壁)」と呼ばれている。
杜牧の「赤壁」の訳: 砂に埋まって錆びていない矛。赤壁の戦いの激戦を物語る遺物。もし、東風が周瑜のために吹かなければ、二人の美人(周瑜の妻と彼女の姉)は、敵の曹操のものになってしまっていただろう。
臨時国会が始って、鳩山首相の施政方針演説続いて各党の代表質問、衆議院予算委員会、参議院予算委員会とテレビに釘付けになっている。若しかしたら腰痛も同じところに坐りっぱなしの所為かも知れない。最近は、四文字熟語を活用して、国会の質疑や答弁を行う事が流行しているようだ。
「君子豹変」について調べてみた。易経第49番目の卦(け)「革(離下兌上、澤火革)」にある(6番目の爻、最上段の陰爻)上六の爻辞にある『君子豹変、小人革面(君子豹変す、小人は面を革む)』とあるのが原典である。「革命成就の秋(とき)であるから、その事業に参与した君子――有位有徳の士人の功業は豹の毛が美しく変わるように輝かしい。無位無徳の小人ならば面持ちを改めて、新しい君主の為す所に随従すべきである」という意であって、俗に言われているように「すばやく変わること」ではない。
さらに、「革」の卦について調べてみた。
爻辞:初九(最下段の陽爻)は、革新の時のはじめ、まだその期が熟さぬから、黄牛の革(黄は中央の色、牛は従順の動物、革は堅固の物、従って中庸従順の徳を堅持するたとえ)でわが身を固く守らねばならぬ。《象伝:鞏(かた)むるに黄牛を用うというのは、まだなにかをしようとしてはならないということである。》/六二(下から2段目の陰爻)はすでに革むべき日に至ってこれを革める象、思い切って進んで事を断行しても、吉であって咎はない。《象伝:已日にしてこれを革むというのは、行って嘉(よ)い事が得られるということである。/九三(下から3段目の陽爻)は事に当っていささか早急に失しやすい。従って軽率に進めば凶であり、目的は真正であっても危険である。しかし革むべしという衆議が三度までまとまれば、事を断行しても人から孚(まこと)とされるであろう。《象伝:革言三度就ければ、もはや事を断行する以外にどうしようがあろう。/九四(最下段から4段目の陽爻)は位が不正なので本来は悔あるべきだが、陽剛の徳を以って事を革めようとするのだから、その悔も消え去るであろう。だから誠意をもって天命を革めるという大事業にあたれば、吉である。《象伝:天命を改めても吉だというのは、人々がその志の正当なことを信じてくれるからである。/九五(下から5段目の陽爻)天下を革新して大事業を完遂して立派な功績を挙げるべき名君の象。すなわちこのような大人は、虎が夏から秋に掛けて毛を抜け変わらせ、たちまちにしてその毛皮の美しさを増すのにも譬えられる。もはや改めて占うこともなく、人から孚とされるであろう。《象伝:大人虎変すというのは、その毛の文様(もよう)がさらに炳(あきら)かに輝くことである。/上六(最上段の陰爻)は革命成就の秋(とき)であるから、その事業に参与した君子――有位有徳の士人の功業は、豹の毛が秋になって美しく変るように輝かしい。また無位無徳の小人ならば面持ちを革めて、新しい君主のなすところに随従すべきである。ただし革命の事業は重大なことであるから、さらにそれをおしすすめてしばしば民生を疲労させることは凶である。じっとその成果を享受していれば、貞正で吉である。《象伝:君子豹変すというのは、その毛の文様が蔚然(うつぜん、草木の生える様子)として美しくなるということである。小人面を革むというのは、従順に新しい君に従うということである。
激しい怒号も飛び交った予算委員会2日目。/開始前から、立ち見で傍聴しようとする新人応援部隊をめぐり、与野党の場外乱闘が発生した。/町村元官房長官が「閣僚は黙っとけ! おい亀井! 閣僚が何だ!」と話すと、亀井郵政・金融担当相は「何の権限があるんだ、町村あたりに。何の権限が!」と言い返した。町村元官房長官は「委員長の指示に、あなたは従わないつもりかよ」と述べた。結局、立ち見を排除することになり、予算委員会は10分遅れでスタートした。
そのころ、次に質問に立つ石破政調会長は、直前まで質問の用紙をチェックしていた。/石破政調会長は、聞きたいことについて、「技術論じゃなくて、日本国憲法どうしますか? 何かやりたいことがあって総理になったんですか?」と述べた。/2人は、1986年初当選の同期。/予算委員会で、石破政調会長は「(わたしが防衛相時代は)政府としてこうであると、統一して発信した。/(今は)どこが国益だ、何が政治主導だ。みんながバラバラなことを言って、それは明らかに国益を損なっている」と閣内不一致を批判した。/これに対し、鳩山首相は「国内の世論、国際的な懸念が高まらないように努力していく中で、私の最終的な判断で決めさせていただきたい」と述べた。/この発言に、石破政調会長は「認識が甘いんじゃないですか。今、日米同盟が本当に危機にひんしている」と追撃した。/さらに、インド洋の給油問題で、鳩山首相は「私どもからすれば、もっとアフガニスタンの方々に喜ばれる別の活動があるのではないか」と述べた。/石破政調会長が「補給される相手側に聞いて、そのような発言をしたのか」と追及すると、鳩山首相は「聞く、聞かないというよりも、補給支援活動が年々減ってきているという事態を考えれば、結論が出せるのではないか」と述べた。
午後に質問に立ったのは、菅元総務相。/日本郵政社長に、小沢幹事長の盟友とされる斎藤元大蔵次官を起用した人事を批判した。/鳩山首相は「今回の斎藤人事。私どもの定義している役所によるあっせんではありません。官僚の天下り、渡りというものは、もう禁止しました」と反論した。/これに対し、菅元総務相は「私が不思議に思うのは、民主党の皆さんの中で、目立った反発がないということなんです」と述べ、この発言のあとに、「小沢が怖いんだよ」という声が聞かれた。etc.…
本日はここ2・3日の冷え込みも和らぎ、朝早く目覚めたので、午前5時30分――まだ暗いうちに徘徊に出掛けた。秋の朝焼けを見ながら桜橋を渡ると墨堤通りを北上、東白鬚公園に掛かるころには明るくなり始めた。公園の葉を落とした枯れ枝の間から、朝日を受けてキラキラ輝いている秋の白雲。西の空には、望を過ぎた月が掛かっている。水神大橋を渡り、隅田川沿いを南下して帰宅した。万歩計の持参を忘れたので記録無し。件の徘徊から9000~10000歩、6~6.5㎞か?
各党代表質問で鳩山由紀夫首相の答弁に押された自民党は、2日の衆院予算委員会を今国会最大の山場と位置付け、質問者に大島理森幹事長らベテラン議員を配した。民主党政権のアキレスけんである米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を追及し、首相から「県民の理解を頂ける結論を出さなければならない」との答弁を引き出すなど、政権の選択肢をさらに縛って追い込むことには成功した。それでも、焦点と目された、首相が抱える偽装献金問題への追及は鈍く、自民党の存在感を示すまでには至らなかった。(以下略)
政権交代後初となった2日の衆院予算委員会は、委員会室の光景もこれまでとは様変わりした。政治主導を掲げる通り、今まで官僚が控えていた席には副大臣・政務官が陣取り、官僚の答弁は一度もなし。自公政権ではほとんど見られなかった、政務官を名指しした質問もあった。
副大臣・政務官は従来、予算委にほとんど姿を見せなかったが、同日は各省の十数人が常時待機し、閣僚の補佐に駆けつけられる態勢を取った。
政務官に質問したのは自民党の町村信孝予算委筆頭理事。長島昭久防衛政務官がインド洋の給油活動に関し、国会の事前承認を条件に継続する案を過去に表明したことを突いて閣内の混乱を狙ったが、長島氏は「日本にふさわしい方法を検討していく」との答弁でかわした。
委員会室後方で拍手やヤジを送る委員以外の「声援要員」は、143人の新人議員を抱える民主党が自民党を圧倒。鳩山由紀夫首相の答弁が終わるたびに、委員会室には拍手がわき起こった。(以下略)――毎日j pより
徒然草七段: あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに、物の哀れもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。/命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。/そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出(い)でまじらはん事を思ひ、夕(ゆふべ)の日に子孫を愛して、榮行(さかゆ)く末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなり行くなん、浅ましき。《訳:あだし野の墓地のつゆは消えることはなく、鳥部山の火葬から無情に昇っていく煙のようにこの地に留まっているのならば、感慨深さも失ってしまう。この世は、先は知れないからこそ美しいのだ。/命あるもの見てみよう、人ほど長く生きる生命はない。かげろうは夕刻にならずに死に、夏の蝉は春秋を知ることはできない。春夏秋冬を味わえる人間は、こんなに穏やかに暮らせるのだ。それなのに満ち足りぬ気分で暮らしているならば、千年もの年月を過ごしたとしても、一夜の夢であるような心地となる。この世は永劫に住めない、老いによって醜い姿へと変貌する。命長ければ屈辱多し。長くても、四十にならずに死ぬことを目安にしたい。/その年過ぎ去ると、うわべを恥らう心を失い、大衆の宴に酔うことを想い、沈没する夕日である身で子孫を愛して末広がっていく美景を見るまでの命を願い、ひたすらこの世に執着する邪心のみを深めていき、美の観念を忘れた抜け殻でしかない醜態のみがここにある。》
荘子天地篇に曰く、「尭(ぎょう)、華(か)に観(あそ)ぶ。華(か)の封人(ほうじん)曰(い)わく、嘻(ああ)、聖人(せいじん)なり。請(こ)う、聖人(せいじん)を祝(しゅく)し、聖人(せいじん)をして寿(いのちなが)からしめん、と。尭(ぎょう)曰(い)わく、辞(じ)す、と。聖人(せいじん)をして富(と)ましめん、と。尭(ぎょう)曰(い)わく、辞(じ)す、と。聖人(せいじん)をして男子(だんし)多(おお)からしめん、と。尭(ぎょう)曰(い)わく、辞(じ)す、と。/封人(ほうじん)曰(い)わく、寿(じゅ)と富(とみ)と男子(だんし)多(おお)きとは、人(ひと)の欲(ほっ)する所(ところ)なり。女(なんじ)独(ひと)り欲(ほっ)せざるとは何(なん)ぞや、と。/尭(ぎょう)曰(い)わく、男子(だんし)多(おお)ければ則(すなわ)ち懼(おそ)れ多(おお)く、富(と)めば則(すなわ)ち事(こと)多(おお)く、寿(いのちなが)ければ則(すなわ)ち辱(はじ)多(おお)し。是(こ)の三者(さんしゃ)は徳(とく)を養(やしな)う所以(ゆえん)に非(あら)ざるなり。故(ゆえ)に辞(じ)す、と。《訳:尭が華と云う土地に遊びに出掛けたとき、そこの封人(さきもり・国境役人)が話しかけた。「ああ、聖人ですね。どうか聖人を祝福させてください。聖人が長生きでありますように」尭は「おことわりします」と答えた。「聖人が金持ちでありますように」尭は「お断りします」と答えた。「聖人に男の子が沢山ありますように」尭は「おことわりします」と答えた。封人は言った。「長生きと金持ちと、そして男の子を沢山持つことは誰もが望むところです。あなただけがそれを望まないのは、どうしてですか」尭は答えた。「男の子をたくさん持つと心配が多く、金持ちになると面倒なことが多く、長生きをすると辱(はずかし)めを受けることが多い。この三つの事は本来の徳(もちまえ)を養うためのものではありません。だから、お断りしたのです」》」
春の女は感傷に耽り、秋の男は悲傷に暮れるという。昨日は桜橋を渡り、遊歩道を通って明治通りへ。東白鬚公園を抜けて水神大橋を渡る。汐入公園からもうひとつの「さくら橋」を渡り、何時もの荒川区の遊歩道に出る。小春日和のポカポカ陽気に汗ばみながら、台東区の隅田川沿い遊歩道を南下して帰宅する。10723歩、6.9kmが昨日の記録。
「沈まぬ太陽」を観た所為か、日本航空(JAL)に関するニュースが気になる。日本航空は世界3位、国内最大の航空会社だが、深刻な経営難で今期の赤字額は5千億円に達する見込みだという。この1カ月間、前原誠司国土交通相の私的専門家チーム「JAL再生タスクフォース」が再建に取り組んでいたが、日航は資金繰りが悪化して11月中にも約2千億円が必要となり、「企業再生支援機構」に支援を要請することになったという。政府は国土交通省を中心とした対策本部を設け、日航の再建を全面支援するということだ。人員削減や、路線の廃止・減便、子会社の売却などリストラを進めるそうだが、問題となっているのが高い賃金と企業年金である。国民を納得させる公的資金の投入には、企業年金の給付水準引き下げが必要だが、それには現役社員や退職者の各3分の2以上の同意が必要でハードルは高い。世界的な経営環境の悪化もあるが、いい加減な経営や天下り官僚、やたらと空港を建設した政治家が招いた日航の経営危機なのではないか。最後は国民がツケを払うというのは納得がいかない。
NIKKEI NET に拠れば、《前原誠司国土交通相は30日の閣議後の記者会見で、国交省、内閣府など関係省庁で構成する「日本航空再建対策本部」を設置すると表明した。同日夕に国交省で初会合を開く。公的機関の企業再生支援機構が日航への支援を決定するまでの間、運航に支障が出ないような措置を協議する。つなぎ融資への政府保証、企業年金の減額などを検討する見通しだ。/国交相は会見で「再建途中に日航が飛び続けることが日本経済や地域の足にとって極めて重要。これにどう万全をつくすかが大事」と本部設置のねらいを説明した。国交相を本部長に内閣府、財務、総務、法務、厚生労働、経済産業の各省庁の副大臣で構成する。/国交相は「再建計画の実行にあたり様々な問題が出てくる。対策本部を中心に関係省庁と連絡を緊密に取る」と表明した。日航は11月中に2000億円規模のつなぎ融資が必要とされ、企業再生支援機構の支援決定は間に合わない。日本政策投資銀行など銀行団は政府保証を求めており、保証をどう付与するかが当面の焦点となりそうだ。(12:01) 》とある。
あらすじは、「国民航空の組合委員長の恩地(渡辺)は職場環境の改善に取り組んだ結果、海外に左遷。行天(三浦)の裏切りや家族と離ればなれの生活に耐え本社復帰を果たすが、未曽有の航空機墜落事故が起きる。遺族係になり悲劇と向き合う恩地は、国見新会長(石坂)のもとで再建を目指すが、会社の不正や癒着に直面する。」というもの。
詩 読み:世(よ)短(みじか)くして 意(い)は常(つね)に多(おお)し/斯(ここ)に人(ひと)久生(きゅうせい)を樂(よろこ)ぶ。/日月(にちげつ)辰(とき)に依(よ)って至(いた)れるに、/俗(ぞく)を 舉(あ)げて其の名を愛(あい)す。/露(つゆ)は淒(せい)として暄風(けんぷう)息(や)み、/氣(き)は澈(す)みて天象(てんしょう)明(あきら)かなり。/往燕(おうえん)遺影(いえい)無く、/来雁(らいがん)餘聲(よせい)有(あ)り。《訳:人生は短く悩みことばかり多い。そのため人間はだれしも永久に生きたいと思っている。九月九日という月日は毎年季節通りに巡ってくるのだが、それでも世間ではこぞってこの吉日を大事に思って菊酒を楽しむわけだ。この時季になると露はひんやりとして暖かい風も吹かなくなり、大気は澄んで空はくっきりと晴れ上がる。飛び立った燕はもはや影を留めず、飛んできた雁はあたりに声を響かせている。》//酒は能(よ)く百慮(ひゃくりょ)を祛(はら)い、菊(きく)は為(ため)に頽齡(たいれい)を制す。/如何(いか)んぞ蓬廬(ほうろ)の士(市)/空しく時運の傾くを視(み)るや。/塵爵(ぢんしゃく)に虚罍(きょらい)を恥じ、/寒華(かんか)は徒(いたづ)らに自(おのずから)ら榮(さか)ゆ。《訳:酒はもろもろの心配事を除き去るし、菊は年をとるのを抑えるという。あばら家の主よ、それなのにどうして時の過ぎ去るのを(酒杯を手にせず)そのまま見過ごしているのか。盃に埃がつもっているのをみて、空っぽの酒樽が恥ずかしく思う。眼前には秋の菊だけが徒に咲き誇っている。》//襟(えり)を歛(おさ)めて獨(ひと)り閒(しず)かに謠(うた)えば、/緬焉(めんえん)として深情(しんじょう)起(おこ)る。/棲遲(せいち)固(もと)より娯(たの)しみ多(おお)く、/淹留(えんりゅう)豈(あ)に成(な)る無(な)からんや。《訳:襟をかき合せてひとり静かに詩を作れば、はるかに感慨がこみ上げてくる。思うにこのような安らかな暮らしには、楽しさがいっぱいあるものだ。ここに長く留まっていれば、何とかならないでもあるまい。》
1964年に復活した生存者叙勲制度は当初から官僚機構にがっちりと組み込まれ、公益法人や天下りの仕組みと構造的に重なり合いながら根を下ろしてきた。老いた企業経営者たちが人生の総仕上げとして目指すのは、1ランクでも上の勲章なのだという。名誉欲にかられた彼らの足元を見透かし、政治家は票とカネの見返りに、官僚は業界の統制や天下り先の確保のために勲章の魔力をちらつかせてきた。「官僚支配の打破」や「天下りの根絶」を掲げて鳩山民主党新政権が発足したが、この叙勲秩序に新政権はどう向き合うつもりなのだろうか? あれほど勲章を毛嫌いしていた旧社会党のリーダーたちは、自・社・さ政権で閣僚に起用されるや、ごく当たり前の顔をして勲一等を受け取った。民主党の面々ならどうするんじゃろな?
sechin@nethome.ne.jp です。
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