瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 Pleïades(プレイアデス)はTītān(ティーターン)族のAtlās(アトラース)と、海のNymphē(ニュンペー、精霊あるいは下級の女神)であるPlēïonē(プレーイオネー)との間の7人娘であり、Kyllēnē(キュレーネー)山で生まれといいます。

 

 

その7人とは、

1.Maia(マイア): 昴(すばる)の女神プレイアデス七姉妹の長女です。アルカディア地方、キュレーネーの洞窟内で、ゼウスの子Hermēs(ヘルメース)を生みました。またKallistō(カリストー)が大熊にされた後、その子Arkas(アルカス)を育てたのは彼女であるといわれています。他のプレアデス7姉妹と同様、狩人Orion(オーリーオーン)に追い回されて隠れていたのだといいます。

2.Ēlektrā(エーレクトラー):Zeus(ゼウス)との間にĪasiōn)(イーアシオーン)とDardanos(ダルダノスを生みました。

3.Tāygetē(ターユゲテー):ゼウスとの間にLakedaimon(ラケダイモーン)を生んだとされます。またターユゲテーはLakōnía(ラコーニア)のTaygetos(ターユゲトス)山の名前の由来といわれています。

Lakōnía(ラコーニア)はPelopónnisos(ペロポネソス)半島南部の地方名で、有力都市国家Spártā(スパルター)が所在した土地です。Spártā(スパルター)は古代ギリシア時代のドーリス人による都市国家(ポリス)で自らはLakedaimōn(ラケダイモーン)と称しました。

4.Alkyonē(アルキュオネー):アルキュオネーは海神Poseidōn(ポセイドーン)とApollōn(アポローン)から愛され、ポセイドーンとの間に息子Hyrieus(ヒュリエウス)とHyperenor(ヒュペレーノール)を産んだといわれています。

5.Celaeno(ケライノー):海神Poseidōn(ポセイドーン)の愛人となり、その間にLykos(リュコス)とEurypylus(エウリュピュロス)を産んだ。

6.Sterope(ステロペー)あるいはAsteropeアステロペー):Apollodoros(アポロドーロス、BC2世紀後半の人)によればĒlis(エーリス、古代ギリシアの地方で、現在のイリア県)のPisa(ピーサ)の王Oinomaos(オイノマオス)の妻とされますが、Hyginus(ヒュギーヌス、BC64?~AD17年)によればAsterope(アステロペー)ともいわれ、Ārēs(アレース)との間にOinomaos(オイノマオス)を生んだとされます。

Oinomaos(オイノマオス):オイノマオスはたいへんな愛馬家で、父アレースから授かった馬を持っていた。また娘Hippodameia(ヒッポダメイア)の求婚者を殺害したことで有名です。求婚者たちに娘Hippodameia(ヒッポダメイア)を戦車に乗せてKorinthos(コリントス)地峡まで逃げることができれば結婚を許すが、もし途中で追いつかれたら殺すという条件を出したのです。オイノマオスはアレースから授かった馬と武具を持っていたので、求婚者を先に走らせ、自分はZeus(ゼウス)に犠牲を捧げた後に出発しても追いつくことができ、槍で求婚者を殺し、首を切り落として館に打ちつけたといいます。あるいは屋根に葺いたともいわれます。

7.Meropē(メロペー):末妹。コリントス王Sisyphus(シーシュポス)の妻となり、Glaukos(グラウコス)、Ornytion(オルニュティオーン)、Thersandros(テルサンドロス)、Halmos(ハルモス)を生みました。PleïadesプレイアデスOrion(オーリーオーン)に追いかけられて昴(すばる)になりましたが、他の姉妹が神々を夫としたのに対し、メロペーのみ人間の男を夫としたので恥じて赤い色に見えるとされ、さらにスバルの集団から外され、ほうき星と呼ばれたといいます。

 昨日は謡曲「呉服(くれは)」について、長年謡曲を習っているという藤沢在住のY氏に教えを乞おうと電話してみました。彼の習っている流派は「観世流」で、「呉服(くれは)」と言う曲目を聞いたことがないと言うことでありましたが、「くれはとり」とか「あやはとり」と言う言葉はほかの曲にも出てくると言うことで、大いに参考になりました。今朝ほどパソコンを開くと、Y氏からメールが入っていました。曰く、

「2月28日 1753 発信  日高 様/今日は電話を有難う。/お尋ねの件には応えられず失礼しました。/先ほど貴ブログで呉服のことについての解説拝見しました。/電話の後小生も手元にあるハンドブックで謡曲の呉服(くれは)を調べてみました。/あらすじはブログに示された通りでした。/作者は世阿弥元清だとありましたがハンドブックでは作者不詳とありました。/電話で小生の不勉強で観世流にはない、と云いましたが観世流をはじめ五流全てにありました。間違ってごめんなさい。/梅花の香りも今が盛りでしょうか。Y 」

 

永倉新八(18391915年、松前藩士、新選組隊士)の”同志連名記”によると、江戸に引き上げた時の沖田総司の肺の病はかなり進んでおり、和泉橋の松本良順(18321907年、幕末から明治期の御典医、軍医、政治家)の医学所で治療を受けていましたが、薩長軍の江戸入りに際して、総司を含む患者たちは浅草今戸八幡に収容されたとのことです。松本良順は今戸八幡に寓居して患者の治療にあたり、総司は松本良順宅で療養したといわれています。今戸八幡は現在、今戸神社と改称し、境内には“今戸焼発祥の地”の碑と並んで“沖田総司終焉之地”の碑があります。

爺の少年時代は八幡様と言えば武勇の神様で、よく戦地の武運長久を祈願しに強制的にお参りさせられたものです。それが最近は縁結び乃至安産の神様とお成りになったようです。世の中変われば変わるものですなぁ。

 この今戸神社は我が家から10分足らずの距離にありますが、今は縁結びの神社として「縁結びの会」なども設けられていて、最近頓に若い女性の参拝客が多く、よく道行く女性から今戸神社の行き方を訪ねられます。爺も朝の徘徊などで良く立ち寄るところです。昨日も隅田公園を抜けて今戸神社の前に来ると河津桜が咲いていました。

 

 

 今年は、2度も25cmを超える積雪があり、平年より寒かった所為か、まだ5分咲きというところですが、昨日の気温は特に高く、漸く春がやってきたと言う感じです。

 昨夜は雨模様でしたが、今朝は雨もやんで気温も12℃と、一度に春がやって来たような暖かさでした。爺の家から石浜通りを渡って隅田公園に入るとそこは梅園です。紅、白の梅が咲き誇っています。

 さて梅園に入ってみるとまだ咲き始めたばかりの「呉服枝垂れ」という品種の枝垂れ梅がありました。プレートには、「呉服枝垂れ、~くれはしだれ~」とあります。はてさて、「呉服」を「くれは」と読ませるのかな? と、

帰宅後「呉服」の語源についてしらべてみました。

 

 

 呉で作られていた織物の織り方を日本で取り入れて、その織物のことを「呉服」または「呉織」と書いて「くれはとり=くれ・はたおり」と呼んでいたそうです。それが織物のことを大きく指す言葉になり、生地・反物を商う店を呉服屋と呼ぶようになったそうです。ですから呉服が直接呉(ご)の服を指すのではなく、呉(ご)の織物を模した製品が日本で生まれたということなんだそうです。

 

  謡曲に「呉服(くれは)」という曲があるということです。作者は世阿弥元清といわれているそうです。その典拠は日本書紀や古事記にあり、史実に基づいて脚色されたものだそうです。曲の主人公である呉服(くれはとり)、綾服(あやはとり)は応神の代に天皇の要請で日本に渡来し、我が國に産業文化を伝え、織物の道を教え、人々を寒暑の悩みから救った若い女性で、機織りの祖ということで神格化されているそうです。したがって能の「呉服(くれは)」では神様物に分類されているそうです。あらすじは、

「時の帝に仕える臣下が、摂津の国住吉に参詣し、更に浦伝いに西宮に向かおうとして呉服の里を通りかかったところ、一人は機を織り、一人は糸を引いている二人の女がありました。その様は常に里人とも見えないので不審に思って尋ねると、応神天皇の御代に、立派な御衣を織りそめた呉服織、綾織(あやはどり)という二人の女で、今まためでたき御代を迎えて、再びここに現れ来たのだと答えます。そしてここを呉服の里と呼ぶのも、我等がこの所に住んでいた故であるといい、更に綾織の由来を説き、応神天皇の御代に、呉国の勅使が、綾女糸女の二人を伴れて日本に渡り哀龍の御衣を織って帝に奉った事などを語り、夜明けを待つようにといって姿を消します。やがて臣下が松陰に旅寝して奇特を待っているところに呉服の霊が現れ出で、めでたき君の御代を寿ぎ、綾を織り、舞を舞って帝に捧げ、喜びをなして」終わります。

 

日本書紀には応神天皇の37年、呉の国から織物の技術を伝えるため呉織(くれはとり)、穴織(あやはとり)らの縫工姫(きぬぬひめ)が摂津の国、武庫の津に着いたという記述があります。池田市に伝わる織姫伝説では、この後二人が猪名川を上がって猪名の港(唐船が渕)に着き、同地に織物の技術を伝えたとされています。呉織は139歳まで生き、その遺体を納めたとされる姫宮の跡が現在の呉服(くれはとり)神社であるといわれているそうです。

  Ouranos(ウーラノス)とGaîa(ガイア)の間のTītān(ティーターン)の1柱であるĪapetos(イーアペトス)は、Nereis(ネーレイス、海の精)のAsiā(アシアー)或はKlymenē(クリュメネー)、一説では姉妹にあたるThemis(テミス)を妻として間にAtlās(アトラース、「支える者」・「耐える者」・「歯向かう者」を意味する)、Promētheus(プロメーテウス)、Epimētheus(エピメーテウス)およびMenoitios(メノイティウス)を設けます。

このうちAtlās(アトラース)は穹窿(きゅうりゅう)の支柱の番人、あるいは自らその肩に天を支える巨人で、しばしば美術や文学にも現われます。古くはArkadia(アルカディア、ペロポネソス半島にある古代からの地域名で、後世に牧人の楽園として伝承され、理想郷の代名詞となった)の、一般には世界の西の涯に連なる高い山が虚空を支える巨人と見立てられたのでしょう。Ovidius(オウィディウス、BC43AD17年)はPerseus(ペルセウス)が例のGorgōn(ゴルゴーン、海の神Phorkys〈フォルキュス〉とその妻Kētō〈ケートー〉の娘Sthennō〈ステンノ〉、Euryalē〈エウリュアレ〉、Medousa〈メドゥーサ〉の三姉妹の総称)の首を指し付けて巨人を岩とし、それ以来アフリカ西北帯連なる山脈名Atlas Mountainsとなり、大西洋を Atlantic Ocean と言うようになったと述べています。

※ ペルセウスが持っていたメデゥーサの首により、アトラースを石と化す事となった経緯については諸説ありますが、天を支えるという重荷に耐えかねたアトラースが、ペルセウスに頼んでメデゥーサの首を見せてもらい、石と化して、重荷から解放されたという話や、ゼウスの息子が将来、自分の黄金の林檎を奪いに来るだろうと聞かされていたアトラースが、自分を訪ねてきたペルセウスを追い返そうと、あるいは殺そうとした(ペルセウスはゼウスとダナエーとの間に生まれた子であった)為、逆上したペルセウスによって石と化した話等があります。また、地図帳をアトラスと呼ぶのは、16世紀にMercator〈メルカトル、15121594年、ネーデルラントの地理学者〉が地図帳の表紙としてこのアトラースを描いたことに由来するといいます。

 

 

 Promētheus(プロメーテウス)は人類の創造者あるいは恩人でその名は「前に予め慮る者」の義であるといいます。彼に比するとEpimētheus(エビメーテウス「後に慮る者」の義)は影が薄く、あるいは兄 Promētheus(プロメーテウス)のDoppelgänger(ドペルゲンガー、影法師)なのかもしれません。

 Menoitios〈メノイティオス〉は一番訳の判らない存在でして、Tītānomakhiā(ティータノマキア)のときゼウスの雷に討たれてタルタロスにぶち込まれたと言います。

 このTītānomakhiā(ティータノマキア)のとき、Promētheus(プロメーテウス)は母のThemis(テミス)から訓(おし)えられて、結局はゼウスが勝利を得て、全世界を統治することを覚っていたので、同族たちと袂を分かち、ゼウスの味方についたと言います。それゆえ、Titans〈ティーターン〉 が敗れ厳罰に処せられたときも、彼は免れて自由であったと言います。Atlās(アトラース)もまた天界の支えてとして欠かすことが出来ないため、旧の役割にとどまったと言います。

 Hēsíodos(ヘーシオドス)の『神統記(テオゴニアー)』によれば、Kronos(クロノス)によって切り落とされたOuranos(ウーラノス)の男性器にまとわりついた泡(アプロス、aphros)から生まれ、生まれて間もない彼女に魅せられたZephyros(ゼピュロス、西風)が彼女を運び、Kythira(キュテラ)島に運んだ後、Cyprus(キュプロス)島に行き着いたといいます。

 

 

彼女が島に上陸すると美と愛が生まれ、それを見つけた季節の女神Hōra(ホーラ)たちが彼女を飾って服を着せ、Ólympos(オリュンポス)山に連れて行きました。オリュンポスの神々は出自の判らない彼女に対し、美しさを称賛して仲間に加え、Zeus(ゼウス)が養女にしたといいます。これは、Aphrodītē(アプロディーテー) が「泡の女神」とも解釈可能なことより生じた通俗語源説ともされますが、アプロディーテーが男性器から生まれるという猥雑な誕生の仕方をしているのはHēsíodos(ヘーシオドス)が極度の女嫌いであったためといわれています。

Homerus(ホメーロス)はZeus(ゼウス)とDiōnē(ディオーネー)の娘だと述べています。Cyprus(キュプロス)とアプロディーテー女神の間には本質的な連関があり、女神が最初にキュプロスに上陸したというのは、アプロディーテーの起源とも密接に関係するのでしょう。なお、結婚相手・愛人を含め関係があったものは多々いますが、その主なものは、Hēphaistos(ヘーパイストス)、Ārē(アレース)、Adōnis(アドーニス)がいます。

※ Diōnē(ディオーネー):ウーラノスとガイアの娘で、ティーターンの一柱であるとされています。一説によるとTītān(ティーターン)は14人おり、ディオーネーはPhorkys(ポルキュース)とともにティーターンに加えられています。しかしŌkeanos(オーケアノス)の娘とも、Nēreus(ネーレウス,海神ポントスとガイアの息子で、英雄Nereusとはスペルが異なる)の娘ともいわれ、ゼウスとの間にアプロディーテーをもうけたとされています。

※ Adōnis(アドーニス):キニュラースとメタルメーの息子、ポイニクスとアルペシボイアの息子という説もありますが、アッシリアー王Thias(ティアース)とSmyrn(スミュルナ)の息子という説があり、それによれば、Smyrn(スミュルナ)はアプロディーテーを敬わなかったために怒りを買い、父を恋するよう仕向けられたといわれています。乳母に仲立をさせ、父には素性を知らせずに十二日間父の元に通いますが、父が娘と知ると剣を抜き殺そうとしましたので、娘は逃げながら姿を消すことを神に願うと、娘はSmyrna(スミュルナ、没薬の木)という木になってしまいます。十ヶ月の後に幹が割けアドーニスが生れたといいます。アプロディーテーはアドーニスに恋し、幼いアドーニスを密かに箱に隠してPersephonē(ペルセポネー、冥界の女神)に預けますが、アドーニスを見たペルセポネーは返そうとしません。ゼウスの審判により、1年の3分の1はアドーニスはアプロディーテーと過ごし、3分の1はPersephonē(ペルセポネー)と過ごし、残りの3分の1はアドーニス自身の自由にさせるということとなりました。 しかし、アドーニスは自分の自由になる期間も、アプロディーテーと共に過ごすことを望みます。ペルセポネーは、アドニースのこの態度に、大いに不満でした。アドーニスは狩りが好きで、毎日狩りに熱中していました。アプロディーテはー狩りは危険だから止めるようにといつも言っていたのですが、アドーニスはこれを聞き入れませんでした。アドーニスが自分よりもアプロディーテーを選んだことが気に入らなかったペルセポネーは、アプロディーテーの恋人である軍神アレースに、「あなたの恋人は、あなたを差し置いて、たかが人間に夢中になっている」と告げ口をしたのです。これに腹を立てたアレースは、アドーニスが狩りをしている最中、猪に化けて彼を殺してしまったのです。アプロディーテーはアドーニスの死を、大変に悲しんだのはいうまでもありません。やがてアドーニスの流した血から、アネモネの花が咲いたといいます。

 ギリシア神話に登場する天空神です。全宇宙を最初に統べた神々の王とされています。Ouranos(ウーラノス)とはギリシア語で 「天」 の意味で、天の神格化でしょう。ウラノスとも表記します。

 Gaîa(ガイア)の息子であると同時に親子婚した夫でもあり、ガイアとの間にクロノスらティーターン12神(前出―昨日のブログを参照)を設けます。また、キュクロープス(一つ目の巨人)やヘカトンケイル(百本の手を持つ巨人)もウーラノスとガイアとの間の子供ですが、ウーラノスはその醜怪さを嫌い、彼らをTartaros(タルタロス、奈落)に幽閉してしまいます。子どもたちの母であるガイアは悲しみ、ウーラノスへの報復を考え、子供たちに復讐を呼びかけたのです。子供たちは当初、父を恐れ誰も名乗り出ませんでしたが、末っ子のKronos(クロノス)が自ら名乗りを上げ、ガイアの作った刃(やいば)が魔法の金属・adamas(アダマス)で作られた大鎌を受け取り、ウーラノスへ復讐することとなります。

 その夜、クロノスがガイアに導かれた場所へ行くと、ウーラノスは妻ガイアにかぶさるようにして寝ていました。クロノスは大鎌でウーラノスの男性器を切り落としたのです。これを受け、自らの行動を恥じたウーラノスはガイアのもとを去ったといいます。これよりクロノスが神々の王となりますが、この時クロノスはウーラノスに「やがてお前も自分の息子に王位を退けられることになるだろう」と言われ、この言葉はクロノスの脳裏に焼きつくこととなったといいます。

※農耕神クロノスの武器。この世で最も硬い金属とされるadamas(アダマス)製で、凄まじい切れ味を誇る。大地の女神ガイアが夫ウラノスを去勢するために作り、クロノスに与えたもので、彼の失脚後はゼウスが所有する。後世クロノスが時の神と見なされるようになったことから、絵画などにおいてはすべてを刈り取る「時の翁の鎌」として描かれる。adamas(アダマス」とはダイヤモンドの語源で、「(何事にも)屈しない」「征服できない」という意味です。

 

 

 ギリシアでは、天は元来暗いものと考えられていまして、Hēmerā(ヘーメラー、昼の光)は天の上のAithēr(アイテール、清明な大気)にあるものとされていました。ウーラノスは「星ちりばめたる」という称号を持ち、全身に銀河を散りばめた宇宙の神と考えられていたのです。夜に暗くなるのは、彼がガイアと交わる為にNyx(ニュクス、夜)を伴って大地に近づくためだといわれています。

Aithēr(アイテール):天空の上方にあるとされた、澄み渡った輝く大気の神格化であるといいます。Hēsíodos(ヘーシオドス)によれば、エレボス(幽冥)とニュクス(夜)の息子でヘーメラー(昼光)の兄弟であるとされます。天空神である事からウーラノスと混同されることがあるが、神々の王権が成立する以前の原初の神であるといいます。ニュクスとヘーメラーが夜と昼の対であるということで、表裏一体であるように、アイテールと父のエレボスも、上天の光明と地下の暗黒という点で表裏一体をなしています。/ether(エーテル)の名は、物理学においてかつて光の媒質となると考えられていたエーテルや、化学物質としてのエーテルの語源ともなりました。デカルトは、真空の存在を認めておらず、物質の粒子の間を埋める物として「微細な物質」を想定し、その動きもしくは働きによって光が伝達されるとしました。また近接作用のみを認めたデカルトは惑星は流動し渦巻く物質にのって運動していると考えたのです。これが後に物理学におけるエーテルの概念へと発展しました。一方、化学におけるエーテルは、今日でいうdiethyl ether(ジエチルエーテル)が発見された際に、その高い揮発性を「地上にあるべきではない物質が天に帰ろうとしている」と解釈されたことからその名が付けられたといいます。また高揮発性の石油留分が、同じ発想で「石油エーテル」と命名され、実務分野ではそのまま定着してしまいました。しかし、石油エーテルには化学種としてのエーテルは含有していません。

  神々が生まれる以前、宇宙には何もないChaos(カオス、混沌)が広がっていたといわれ、そこにGaîa(ガイア)が生まれたとされます。ガイアは自らの力だけで天の神Ouranos(ウーラノス、海の神Pontos(ポントス)、暗黒の神Erebos(エレボス)、愛の神Erōs(エロース)を産み、母となります。エロースの働きでウーラノスと親子婚し夫ととます。そして、ウーラノスは神々の王となったのです。

 

 

そしてウーラノスとの間にクロノスをはじめとする男女6柱ずつの子どもを生みました。これがティーターン(巨神)です。

     ティーターン12

Ōkeanos(オーケアノス):ウーラノスとガイアの息子でTītān(ティーターン)一族の長兄に当たる。同じティーターンの女神であるTēthȳs(テーテュース)との間に、数3000、すなわち無数の娘をもうけたとされる。これをŌkeanides(オーケアニデス、大洋の娘)と言う。更に テーテュースとのあいだに、3000を越える、河神の息子をもうけたとされる。/謀略を嫌う性格とされ、クロノスがウーラノスから王位を奪った時には、ティーターンの中でも、謀議に加わらなかったという。また、Tītānomakhiā(ティーターノマキアー)の際にも、娘のステュクスに対し、いち早くゼウスに降伏するよう勧めた。

Coeus(コイオス):Phoibē(ポイベー)を妻とし、レートー、アステリアー姉妹をもうけた。したがってコイオスはアポローン、アルテミス、またヘカテーの祖父でもある。/ほとんど系譜上の存在であり、特に説話らしい説話は伝えられていない。

Kreios(クレイオス):ポントスとガイアの娘エウリュビアーとの間に、アストライオス、ペルセース、パラースをもうけた。/ほとんど系譜上の存在で、説話らしい説話は伝えられていない。

Hyperīōn(ヒュペリーオーン):Theiā(テイアー)の夫で、Hēlios(ヘーリオス、太陽神)、Selēnē(セレーネー、月の女神)、Ēōs(エーオース、暁の女神)の父である。一説にヒュペリーオーンの妻はアイトラーとも、バシレイアともいわれる。/Diodooros Sikheliootees( ディオドロス・シケリオテス、BC1世紀頃シチリア島で生まれた古代ギリシアの歴史家、ユリウス・カエサル、アウグストゥスと同時代の人物)によると、ヒュペリーオーンは初めて天体の運行と季節の変化の関係を人々に教えたとされる。/なおホメーロスの『オデュッセイア』では、ヒュペリーオーンという名は太陽神ヘーリオスの呼称としても用いられ、このためヒュペリーオーンとは元来ヘーリオスの別名にすぎなかったのではないかとも考えられている。

Īapetos(イーアペトス):Klymenē(クリュメネー、オーケアノスの娘)の間に、アトラース、メノイティオス、プロメーテウス、エピメーテウスを設けたとされる。/ティーターノマキアーの際には、他の兄弟たちとともにゼウス側に対して激しく戦うも敗れ、タルタロスの領域に落とされたという。また、彼の息子達も皆ゼウスと敵対している。

Kronos(クロノス):ウーラノスとガイアの息子でティーターンの末弟。レアーの夫であり、ハーデース、ポセイドーン、ゼウスおよびヘーラー、ヘスティアー、デーメーテールの父でもある。またピリュラーとの間にはケイローンをもうけた。

Theiā(テイアー): ヒュペリーオーンの妻で、ヘーリオス(太陽)、セレーネー(月)、エーオース(暁)たち兄弟姉妹の母でもある。/しかしDiodooros Sikheliooteesではテイアーはティーターンに加えられていない。

Rheiā(レアー):レアーがクロノスとの間に産んだ神々はヘスティアー、デーメーテール、ヘーラー、ハーデース、ポセイドーン、ゼウスである。

Themis(テミス):テミスは「正義の女神」と見なされることが多いが、近代・現代的な意味での「正義」とは異なっている。むしろ、古代ギリシア語で正義に該当する神は、ディケー女神である。ギリシア神話においては、ティーターンとオリュンポス神の戦いの後、敗れたティーターンは主要な神の地位を失い、神話においても多くの神が言及されなくなり、また地位が低下している。オリュンポスの時代になって、なおその地位と威勢を変わりなく維持した神はテミスだけである。

Mnēmosynē(ムネーモシュネー、記憶):エレウテールの丘の主で、ピーエリアにおいてゼウスと9日間に渡って添い臥し、人々から苦しみを忘れさせる存在として9人のムーサたちを産んだという。/ムネーモシュネーは名前をつけることを始めたとされ、また学問の道を究めるときにはムネーモシュネーとムーサたちに祈願された。

Phoibē(ポイベー):コイオスの妻で、レートー、アステリアー姉妹の母である。したがってアポローンとアルテミス、またヘカテーの祖母である。/その名は輝く女を意味し、光明神と考えられる。また、この名は月神としてのアルテミスの呼称としても用いられる。/一説によると、ポイベーはデルポイの神託所の創始者で、後にここを孫のアポローンに譲ったともいう。

Tēthȳs(テーテュース):オーケアノスの妻で、3,000人の河神の息子と、オーケアニデスと総称される3,000人の海や泉、地下水の女神の母でもある。/彼女の住まいは、太陽の沈む世界の西の果てとされる。/また、ヘーラーをクロノスから匿い、育てたのもテーテュースとされる。/なお、ギリシア神話にはテーテュース(Tethys)とは別にテティス(Thetis)という名前のニュムペーが登場する。

  ギリシア神話では、天地は神によって作られるものというより、むしろ神が天地そのものであり、神々の誕生の系譜がそのまま天地の由来とされます。このような系譜を神統記といいますが、以下にヘーシオドス『神統記』に見られる、ギリシア神話の創造神話(神統記)を示すことにします。

 

 

1)天地の前にはChaos(カオス、混沌)のみが存在した。

2)カオスから最初にGaî(ガイア、大地)、Nyx(ニュクス、夜)、Erebos(エレボス、闇)、Erōs(エロース、愛)、Tartaros(タルタロス、奈落の底)が生まれた。(エロースについてはアプロディーテーの息子という説もある。)

3)ニュクスとエレボスからaithēr(アイテル、光)とHēmerā(ヘメラ、昼)が生まれた。

ガイアは自力で、Ouranos(ウーラノス、天)を産んだ。

5)ガイアはウラノスとの間にTītān(ティーターン)たちを産んだ。

6)ティーターンには、Ōkeanos(オーケアノス、大洋)、Kronos(クロノス、農業)、Mnēmosynē(ムネーモシュネー、記憶)、Rheā(レアー)、Hyperīōn(ヒュペリオン)、コイオス、クレイオス、イーアペトス、テミス、テーテュース、テイアがいる。

7)Ourano(ウラノス)は子供に地位を奪還されまいとしてティーターンたちをGaî(ガイア、大地)に押し込めた。

怒ったガイアの命を受けたKronos(クロノス)がウーラノスを去勢し、去勢された男根の泡から美と愛の女神Aphrodītē(アプロディーテー)が生まれた。

9)ヒュペリオンとテイアの間に太陽(ヘーリオス)と月(セレーネー)が産まれた。

10)クロノスはレアーとの間にZeus(ゼウス)、Poseidōn(ポセイドーン)、Hādēs(ハーデース)、Hestia(ヘスティア、炉)、Dēmētēr(デーメーテール)、Hērā(ヘーラー)を産んだ。

Hādēs(ハーデース):地下の鉱物資源の守護神でもあることからPlūtōn(プルートーン、富める者)とも呼ばれる。

11クロノスは子孫に地位を奪回されると予言されていたため、子供を次々と飲み込んだ。

12)ゼウスだけがレアによって難を逃れ、Cyclops(キュクロープス、1つ目の巨人)やHekatoncheir(ヘカトンケイル、50100手の巨人)と共にTītānomakhiā(ティタノマキア)でクロノス達を倒し、Tartaros(タルタロス、奈落)に幽閉した。

13)ゼウスが世界の支配者となり、人間がPromētheus(プロメーテウス)の手によって作られた。

14)その後、女がHēphaistos(ヘーパイストス)の手によって作られPandōrā(パンドーラー)と名づけられた。


 2月3日、4日とkaname女史が我が家を訪ねてくれた時、プロメテウスの話が出て、女史がギリシア神話について知りたいというので、変身物語のナルキッソスの話をしましたが、いろいろなギリシア神話が知りたいといっていました。そこでギリシア神話について調べてみました。

 ギリシア神話の大半はホメーロスとヘーシオドスに拠るものということです。

 

 

紀元前20世紀頃、ギリシア民族と呼ばれる人たちが、今のギリシア半島へ南下してきたたといいます。ギリシア民族の持ち込んだ神話とギリシア半島の先住民の神話が争い、征服し、 融合して、ギリシア神話の原型ができたと言われています。その後ミュケナイ文明と呼ばれる文明がエーゲ海周辺に発展しましたが、紀元前12世紀頃、「海の民」と呼ばれる人々の侵入により文明が崩壊、"暗黒時代"が訪れます。

 紀元前9世紀、ギリシア各地に都市国家ポリスが成立、アテナイやスパルタが栄えます。この頃、吟遊詩人Homerus(ホメーロス)による、アキレウスの怒りから始まるトロイア戦争を描いた英雄叙事詩「イリアス」、英雄オデュッセウスのトロイア戦争からの帰路を綴った「オデュッセイア」が成立します。また、紀元前8世紀には、Hēsíodos(ヘーシオドス)が「仕事と日」「神統記(神系賦)」が書かれます。この二人の叙事詩により、それまで口承で伝えられてきたギリシア神話がまとめられました。またこの二人の作品はギリシア神話の基本となり、後の作家たちの手本になったといいます。

 もとよりホメーロスは系統的に纏まった体系は示していませんが、オリュンポスの神々の姿を活き活きとまた美しく、時には親しむべくあるいは恐るべきものとして随所に示してくれます。これに対してヘーシオドスは、ことにそのTheogonia(テオゴニアー、神統記)を分裂按配し、多少の混乱を示しながらもこれを体系化しようとの努力を始めて実らせています。しかし、私たちが持つ知識は多くの場合むしろずっと後代の産物であるといいます。

 紀元前45世紀になると、アテナイの劇詩人達によりたくさんの悲劇、喜劇、合唱詩が作られ、ギリシア文学古典期の黄金時代を迎えるのです。その後、ヘレニズム期を経てローマ帝政時代に入ると、「変身物語」に代表される恋愛譚を中心とした作品が多くなり、この頃の作品が、後にオペラや絵画で題材として取り上げられるようになりました。日本で大衆的にギリシア神話と呼ばれているものも、この頃の作品が大半なのだといわれています。

 

Homerus(ホメーロス): 紀元前8世紀末の吟遊詩人であったとされる人物を指し、ホメロスとも呼ばれます。西洋文学最初期の2つの作品、『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者と考えられています。「ホメーロス」という語は「人質」、もしくは「付き従うことを義務付けられた者」を意味するそうです。古代人はホメーロスをただ「詩人」というシンプルな異名で呼んでいたといいます。今日でもなお、ホメーロスが実在したのかそれとも作り上げられた人物だったのか、また本当に2つの叙事詩の作者であったのかを断ずるのは難しいようです。それでも、イオニアの多くの都市(キオス、スミルナ、コロポーンなど)がこの吟遊詩人の出身地の座を争っているそうです。伝承ではしばしばホメーロスは盲目であったとされ、人格的な個性が与えられています。しかし、彼が実在の人物であったとしても生きていた時代はいつごろなのかも定まっていません。もっとも信じられている伝説では紀元前8世紀とされています。出生についても女神カリオペの子であるという説や私生児であったという説などがありますが、あまりはっきりしません。さらに、かれは、キュクラデス諸島のイオス島で没したと伝承されています。

 

Hēsíodos(ヘーシオドス):古代ギリシアの叙事詩人です。紀元前700年頃に活動したと推定されています。『神統記』や『仕事と日』(仕事と日々)の作者として知られています。『仕事と日』によれば、弟ペルセースとの遺産相続をめぐる裁判に巻き込まれたといいます。地元の領主はペルセースからの賄賂を受けて、ヘーシオドスが自分に忠実でないと難じて、ヘーシオドスの遺産である筈の土地を没収してペルセースに与えてしまったといいます。このため、憤懣やるかたなかった彼は旅に出て詩人として生活するようになったのだと言われいます。いずれの伝承が伝えるところが真実であるにしろ、へーシオドスが吟遊詩人としての訓練を積んでいたことは確かであります。なぜなら当時の詩吟には高度に発達した専門的な様式が存在し、へーシオドスの作品もその様式に則ったものであるためであるからです。

『仕事と日』は勤勉な労働を称え、怠惰と不正な裁判を非難する作品であります。『神統記』は神々の誕生と戦いを描きゼウスの王権の正当性を主張しています。ここに表れる王権の交替神話にはメソポタミア神話の影響が色濃く見られるといわれます。

 早くからインターネット依存症への対応を行っていたネット先進国の米国、韓国にくらべて、日本ではインターネット依存症への問題意識が低かったためか、対処や予防は遅れているようです。 米国、韓国、中国では社会生活にあたえる脅威と認識し、国家的な対策を講じているといいます。 日本政府の問題への取り組みは調査段階にとどまり、積極的な対策はとられていません。 加えて、施策として主導する省庁が決まっておらず、同内容の意識調査を省ごとに行うなど、省庁間での足並みの乱れも目立ちます。

 

 

 今朝のウェブニュスより

 

子ども、ネット1日平均107分 携帯所有6割 1017歳調査 ―― 1017歳の子どもの6割がスマートフォンなどの携帯電話を持ち、1日に平均2時間近くインターネットを使っている――。内閣府が19日、そんな調査結果を公表した。/今年度の調査は昨年1112月に、1017歳の子どもを対象に実施。約1800人から回答を得た。/携帯電話を持つ割合は60%で、前年度より5ポイント上がった。小中高別にみると小学生で37%、中学生は52%、高校生は97%に達した。/3年前と比べると、中高生の保有率はほぼ横ばいだが、小学生では2倍近くに伸びた。年齢が低い子への普及が進んでいる。/保有する機種はスマホが58%を占めた。小中高別で見たスマホの割合は、小学生が16%、中学生は50%、高校生は83%だった。/ネットの使い方(複数回答)では、メールや調べ物、音楽・動画の閲覧、ゲームが上位を占めたが、前年度との比較ではSNS(交流サイト)の伸びが目立つ。携帯電話でネットを使う人の中で、平日の平均利用時間は107分。2009年度の調査開始以来、初めて100分を超え、3年前の1.5倍の長さになった。また、4割の人が2時間以上ネットを使っていた。/また、有害な情報サイトなどの閲覧を制限する「フィルタリング」機能を使っているかを保護者に尋ねたところ、利用率は55%で、前年度より8ポイント下がった。機種別では従来型の携帯電話よりスマホの方が低く、スマホの普及が利用率を押し下げたとみられる。 (朝日新聞 20142200500分)
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