朝の徘徊から帰宅して、着替えをしていると少し大きな揺れを感じました。インチ―ネットで調べると、東京湾が震源のようです。
ウェブニュースより
東京都で震度5弱 ―― 12日午前5時49分ごろ、東京都で震度5弱の強い揺れを観測する地震がありました。この地震による津波の心配はありません。/震度5弱の揺れを観測したのは東京・調布市です。/震度4の揺れを、さいたま市北区、千葉県木更津市、東京・千代田区、横浜市中区など、埼玉県、東京都、千葉県、神奈川県の各地で観測しました。/また、関東甲信越と東海、それに東北地方の各地で震度3から1の揺れを観測しました。
気象庁の観測によりますと、震源地は東京湾で、震源の深さは70キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5.3と推定されています。/東京で震度5弱を観測した地震について、気象庁は、午前7時50分から記者会見をして地震の発生のメカニズムなどを説明することにしています。 (NHK NEWS WEB 9月12日 5時55分)
ギリシア神話の英雄ペルセウスのお話を続けます。
その後、Perseus(ペルセウス)は妻Andromedā(アンドロメダー)や母Danaē(ダナエー)と共にÁrgos(アルゴス)に帰国しましたが、このことを伝え聞いたAkrisos(アクリシオス)はペルセウスを恐れてアルゴスから逃亡します。ペルセウスはアルゴスの王となったのです。
ところが、ある時、ペルセウスはLarisa(ラーリッサ、ギリシア中部テッサリア地方の中心都市)の街で競技会に出場しました。ペルセウスが円盤を投げたところ、誤って円盤は観覧席に入り、老人に当たってその老人は死んでしまいます。その老人こそアクリシオスで、こうして神託は実現したのです。
Hyginus(ヒュギーヌス、BC64年頃~AD17年、ラテン語の著作家で『神話集』を著しました)によれば、アクリシオスはSeriphu(セリーポス)島の王Polydektēs(ポリュデクテース〉のところでDanaē(ダナエー)とペルセウスが生きていることを知り、連れ戻そうとしました。そこでポリュデクテースは両者を和解させたのですが、アクリシオスが嵐で帰国できないうちにポリュデクテースが死に、ペルセウスはポリュデクテースの葬礼競技を行ったのですが、ペルセウスが競技で投げた円盤がアクリシオスの頭に当って死んでしまったのだといいます。
ペルセウスは自分が殺してしまった祖父の国土を継承することを恥じ、Tiryns(ティーリュンス)の王Megapenthēs(メガペンテース、アクリシオスと双子の兄弟であるProitos〈プロイトス〉の子)のところに行って国土の交換を行い、Midea(ミデア)、Tiryns(ティーリュンス)、Mikenes(ミュケーナイ)の支配者となりました。
※ Tiryns(ティーリュンス):ティーリュンスは青銅器時代の始まりから7000年間の間、丘砦(きゅうさい)でした。絶頂期はBC1400年~BC1200年の間でした。最も注目に値するのは、宮殿、Cyclopean masonry(サイクロピーアン メイスンリー、サイクロプ式。巨石積み)の地下道、それにHomerus(ホメロス)に「強力に囲まれたるティリンス」」と添え名させたほどの壁で囲まれていました。古代、ティーリュンスはHēraklēs(ヘーラクレース、ペルセウスの子孫であり、ミュケーナイ王家の血を引くといわれています)にまつわる神話と結びついていて、いくつかの言い伝えでは、ティーリュンスがヘーラクレースの生地であるとされています。
今朝は5日振りの朝の徘徊に出かけました。
いやはや、降りも降ったり、栃木や茨城の被害は想像を絶するものがあるようです。
ギリシア神話のペルセウスのお話を続けます。
Kassiopeia(カッシオペイア、Ethiopia〈エティオピア〉王Kēpheus〈ケーペウス〉の妃)は自分の美しさを鼻にかけ、Nērēïs(ネーレーイス、海に棲む女神たち、あるいはNymphē〈ニュムペー〉たち)よりも美しいと自慢しました。しかしこの言葉がネーレーイスたちの怒りをかい、ネーレーイスたちは海神Poseidō(ポセイドーン)に訴えたのです。そこでポセイドーンは海の怪物kētos(ケートス、鯨やイルカのような大きく膨れた胴体に犬の頭部を持ち、下半身は魚。尾鰭は扇形で二つに割れているといいます。Zeus (ゼウス)乃至ポセイドーンによって作られたといわれます)を送ってエティオピアを荒らさせました。このためケーペウスとカッシオペイアは娘を怪物の生贄に供さなければならなくなりましたが、娘Andromedā(アンドロメダー)は英雄Perseus(ペルセウス)によって救い出されたとされます。
※ Nikias(ニキーアス):前4世紀末,Alexandros(アレクサンドロス)大王の時代からDiádochos(ディアドコス、後継者)時代にかけて活躍したギリシアの大画家。有名なEuphranōr(エウフラノル、前4世紀のギリシアの画家,彫刻家)の孫弟子で、Attikē(アッチカ)派の最後を飾った。大彫刻家Praxitelēs(プラクシテレス、前4世紀中頃のアテネの彫刻家)の彫刻に彩色を施して栄誉を受けたともいわれます。
ちなみにHyginus(ヒュギーヌス、BC64~AD17年、ラテン語の著作家〉はカッシオペイアが自慢したのは自分の美しさではなく、アンドロメダーの美しさであったとしています。
Medoūsa(メドゥーサ)の首を袋に入れて飛行中のPerseus(ペルセウス)は、母カッシオペイアのために海神ポセイドーンの怒りを買い、生贄とされかけていたエティオピアの王女アンドロメダーを見つけます。ペルセウスは彼女の父ケーペウスにアンドロメダーと結婚する許可を得ると、海の怪獣と戦って倒し、アンドロメダーを救ったのです。
ところがアンドロメダにはもともとPhīneus(ピーネウス)という婚約者がありまして、仲間を率いて婚礼の宴に現れ、ペルセウスを亡き者にしようとしたのです。宴は戦争のような混乱に包まれましたが、ペルセウスはピーネウスら一党にメドゥーサの首を見せて石と化してしまいます。
アンドロメダーと結婚したペルセウスはSeriphus(セリーポス)島に戻ると、Polydektēs(ポリュデクテース)に約束の首をつきつけて石にしてしまい、祭壇に逃れていた母Danaē(ダナエー)とDiktys(ディクテュス)を助け出した。そして恩義あるディクテュスを新たな王に就けたのです。
Perseus(ペルセウス)はMedoūsa(メドゥーサ)殺しの試練から帰る途中、Libya(リビュア、漠然とナイル川の西の地方を指します)を飛行しました。このときメドゥーサの首から血が大地(大洋という説もあります)に滴り落ちました。するとその場所から様々な種類のヘビが生まれ、リビュアは多くのヘビが棲息する土地となったのだといいます。またペルセウスは巨人Atlās(アトラース、Tītān〈ティーターン〉神族がZeus〈ゼウス〉達との戦いに敗れると、アトラースはゼウスによって、世界の西の果てで天空を背負うという役目を負わされる事となりました)が支配するHesperides(ヘスペリデス、一般的にはアトラースの娘として知られます)の園を訪れました。空を飛び続けた彼は夜の闇に不安を感じ、へスペリスの園で休ませてもらおうと思ったのです。しかしアトラースはThemis(テミス、ギリシア神話の法・掟の女神)から「ゼウスの息子に黄金の林檎の木の実を奪われる」という予言を授かっていたため、ペルセウスが予言の男なのではないかと疑って、追い払おうとしました。ペルセウスは根気よく頼みましたが、アトラースに抵抗できるはずもなく、ついにアトラースに向けてメドゥーサの首をかざしてしまいます。こうしてアトラースは山と化し、そのうえに天空が乗ったといわれています。
※ Hesperides(ヘスペリデス)の園:ヘスペリデスはアトラースを父とするニンフ達です。「ヘスペリデスの園」にはHērā(ヘーラー)の果樹園があり、ヘスペリデスは果樹園に植えられた黄金のリンゴの木を世話して、明るい声で歌を歌っています。リンゴの木は、ゼウスとヘーラーの結婚の祝いとしてガイアが贈ったものです。しかし、ゼウスがこのリンゴを採っては恋の贈り物としてばらまいてしまうため、ゼウスの手が届かないように、アトラース山の頂にある果樹園にヘーラーが移し植えたとのだとされています。
※ 予言の男:テミスの「ゼウスの息子に黄金のリンゴの実を奪われる」の予言のされたゼウスの息子とは実(じつ)はHēraklēs(ヘーラクレース)のことだったのです。
一説によれば、天を支えるという重荷に耐えかねたアトラースが、ペルセウスに頼んでメデゥーサの首を見せてもらい、石と化して、重荷から解放されたともいいます。そして、アトラースが石となった名残りが、アトラース山脈であるといわれています。
Perseus(ペルセウス)はSeriphus(セリーポス)島で成長しましたが、やがて、Diktys(ディクテュス)の兄でセリーポス島の領主であるPolydektēs(ポリュデクテース)がペルセウスの母であるDanaē(ダナエー)に恋慕するようになり、邪魔になるペルセウスを遠ざけるためにGorgōn(ゴルゴーン)の一人Medoūsa(メドゥーサ)の首を取ってくるように命じたのです。
※ Gorgōn(ゴルゴーン):Phorkys(ポルキュース、大地母神Gaia〈ガイア〉と海神Pontos〈ポントス〉の子)は兄妹であるKētō(ケート―)の間にゴルゴーン3姉妹を儲けました。ゴルゴーンは黄金の翼、青銅の手、イノシシのような牙を持つもので、下半身が馬の腹から下に描かれています。Hēsíodos(ヘシオドス)の『神統記』ではゴルゴーンをSthennō(ステンノー)、Euryalē(エウリュアレー)、Medoūsa(メドゥーサ)からなる3姉妹であり、海神の娘達であるとしています。Ōkeanos(オーケアノス)の流れや「Hesperides(ヘスペリデス)の園」の近くの世界の西の果ての島に住んでいるとされます。
伝承によれば元々美少女であったメドゥーサは、海神Poseidōn(ポセイドーン)とAthēnā(アテーナー)の神殿の一つで交わったためにアテーナーの怒りをかい、醜い怪物にされてしまったといいます。これに抗議したメドゥーサの姉達も怪物に変えられてしまったのです。姉のエウリュアレーとステンノーは不死身でしたが、メドゥーサだけは可死であったためペルセウスに討ち取られたとされます。アテーナーはその首を自分の山羊皮の楯Aigis(アイギス)にはめ込んだといいます。別の伝承では、美少女であったメドゥーサは次第に傲慢になっていき、そして、とうとう女神アテーナーよりも美しいと公言してしまいます。この発言がアテーナーの怒りを買い、醜い姿に変えられたといいます。
ペルセウスはアテーナーとHermēs(ヘルメース)の助力を受け、アテーナーの楯、ヘルメースの翼のある鞋(サンダル)、Hādēs(ハーデース)の隠れ兜などを身につけていました。また、流れのニンフのNaiades(ナイアデス)がkibisis(キビシス、ヘシオドスによれば金銀で飾られたものといいます)という袋をゴルゴーンの首を容れるために貸してくれました。うっかりしてペルセウスが石に変わっては大変だからです。
ゴルゴーンの居場所を聞くためにゴルゴーンの妹であるGraiai(グライアイ)三姉妹の元に行ったのです。彼女たちは生まれつき醜い老女で、三人でたった一つの眼と一本の歯しか持っていませんでした。彼女たちが居場所を教えてくれないので、この眼と歯を奪って脅し、無理やりゴルゴーンの居場所を聞き出しました。
一説には、鞋(サンダル)、兜、およびキビシス(袋)はゴルゴーンの居場所を聞くために立ち寄ったグライアイの所有物で、ゴルゴーンの居場所を聞いたついでに奪っていったという説もありす。この説によるとペルセウスはヘルメースからはHarpe(ハルペー、金剛の鎌)を授かったとされます。しかしこれは、後代の異伝であろうとされています。
こうしてペルセウスは死者の国の洞窟の中でゴルゴーン姉妹を発見し、アテーナーに手を引かれ、メドゥーサの顔を見ないようにして、盾に映し出されたメドゥーサの姿を見ながら、剣でメドゥーサの首を取ることに成功しました。
このとき、首を切られたメドゥーサの体から血しぶきとともに翼ある馬Pēgasos(ペーガソス)とChrȳsāōr(クリューサーオール)が飛び出したといいます。ペルセウスはキビシスの中にメドゥーサの首を入れ、飛び去っていきました。他のゴルゴーンたちは目を覚まし、メドゥーサの殺害者を探しますが、ペルセウスは兜の力で姿を見られることもなく逃げのびることができたのです。
※ Chrȳsāōr(クリューサーオール):ギリシア神話に登場する人物あるいは怪物で、その名は「黄金の剣を持てる者」の意です。ペルセウスがメドゥーサの首をはねた際に、その流血が海(すなわちポセイドーン)にしたたり、ペーガソスと共に産まれました。つまり、ペーガソスとは双子となりますが、血が滴ったのは大地で、ともに傷口から飛び出したのだともいわれます。
今朝も早朝から雨、徘徊は今日もお休みしました。
早速、ギリシア神話の英雄伝に取り掛からせていただきます。まずは、「Perseus(ペルセウス)の誕生」から始めます。
Árgos(アルゴス)王Acrisius(アクリシオス)には娘Danaē(ダナエー)がありましたが、男の子がおらず、息子を望んだアクリシオスは使者を使わして神託を求めます。神託は「息子は生まれず、アクリシオスは彼の孫によって殺される」という恐るべき内容でしたため、アクリシオスはダナエーを青銅の部屋に幽閉してしまいます。
※ Árgos(アルゴス): ギリシア共和国ペロポネソス地方東北部にある古代ギリシアの都市国家であり、古代Argolis(アルゴリス)の中心地でした。
ところがZeus(ゼウス)が黄金の雨に身を変えて忍び込み、ダナエーはPerseus(ペルセウス)を産みます。これを知ったアクリシオスは、娘とその子を手にかけることができず、二人を箱に閉じこめて川に流したのです。ダナエー親子はSeriphus(セリーポス)島に流れ着き、漁師Diktys(ディクテュス)によって救出されました。
※ Seriphus(セリーポス、又はセリフォス)島:エーゲ海にあるギリシアの島。Kyklade〈キクラデス〉諸島西部に位置します。
※ John William Waterhouse(ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス、11849~1917年):イギリスの画家。神話や文学作品に登場する女性を題材にしたことで知られます。
ここのところ、大気の不安定が続き、今日も早朝から雨で、徘徊はお休みしました。
8月はギリシア神話の変身譚について、調べてみましたが、続いてギリシア神話の英雄伝について調べてみたいと思います。古代ギリシアの伝説にある英雄の主なものとしては、まずHēraklēs(ヘーラクレース)を筆頭とし、続いてThēseus(テーセウス)、多分にお伽噺的な要素に富むPerseus(ペルセウス)、天馬Pēgasos(ペーガソス)に縁のあるBellerophōn(ベレーロポーン)、大猪狩で名高いKalydon(カリュードーン)のMeleagros(メレアグロス)などがあります。これらの英雄のことごとくが人生行路の涯において決して幸福とは言えない暗い不幸な末路を嘆かねばならないのはある意味においていかにもギリシア的ともいえます。ギリシア人が明朗かつ翳(かげ)を知らない民族のように見受けられるのは、彼らの意志の力と、激しい努力のためだといえるのでしょう。逆説的に言えば、彼らの絶望が、彼らの性格を明るくしたともいえるのではないでしょうか。
ペルセウスは不図(ふと)祖父を殺して故郷を去り、ヘーラクレースは自焚(じふん)し、テーセウスは孤島に憤死し、ベレーロポーンは孤島で狂乱し、メレアグロスは母の呪いで死にます。Solōn(ソロン)の言を借りれば、彼らは皆不幸です。彼らはむしろ「幸福」とは何かを尋ねているようでもあります。あるいは彼らの価値は「幸福」が唯一無比ではないと語らずして叫んでいるところにあるとも判断できるのです。ギリシア神話は、当然に彼らの世界観・人生観の結晶であるのですから。
ともあれ、しばらくの間ギリシア神話の英雄伝にお付き合いください。
今日は浅草寺病院の健診日でした。
朝食後、散髪に出かけ、午後早目の昼食を済ますと浅草寺病院に出かけました。
テレビのニュースよると、好調を続ける大相撲に水を差すような事件が持ち上がったようです。
ウェブニュースより
大相撲の熊ヶ谷親方 傷害容疑で逮捕 ―― 大相撲の宮城野部屋の熊ヶ谷親方がことし7月、名古屋場所の際に使っていた宿泊先で、自分で雇っていた運転手の男性に暴行を加えてけがをさせていた疑いが強まり、傷害の疑いで警視庁に逮捕されました。調べに対し、親方は容疑を認めているということす。/逮捕されたのは、東京・墨田区にある大相撲の宮城野部屋で部屋付きの親方をしている熊ヶ谷親方、本名、山村和行容疑者(45)です。警視庁の調べによりますと、熊ヶ谷親方は、ことし7月、名古屋場所の際に使っていた宿泊先で、自分で雇っていた運転手の31歳の男性に対して金属バットで殴るなどの暴行を加えてけがをさせたとして、傷害の疑いが持たれています。/警視庁によりますと、男性はスケジュール管理や送迎をしていましたが、熊ヶ谷親方は、指示どおりに仕事ができないなどと言って、5日間にわたって連日、暴行が行われたということです。警視庁によりますと、調べに対し熊ヶ谷親方は、「間違いありません。私がしてしまったことです」と容疑を認めているということです。宮城野部屋は、横綱白鵬が所属している相撲部屋で、警視庁は、関係先として捜索し、詳しいいきさつを調べています。
過去に週刊誌発言で降格処分
元十両・金親の熊ヶ谷親方は横浜市出身の45歳。昭和60年の秋場所で初土俵を踏み、平成4年の春場所に月山のしこ名で十両に初めて昇進しました。1場所で幕下に陥落しましたが、当時の本名、金親のしこ名で翌年の九州場所で十両に復帰しました。平成7年の名古屋場所で自己最高位の東の十両2枚目まで番付を上げるなど十両を通算24場所務めましたが、平成10年の春場所を最後に幕下に陥落しました。平成16年8月に現役を引退し、年寄、宮城野を襲名して白鵬の所属する宮城野部屋を継承しました。/しかし、平成22年に八百長を仲介したなどと事実とは異なる内容の発言が当時週刊誌に取り上げられ大相撲の名誉を傷つけたとして、日本相撲協会から降格処分を受けるとともに部屋の師匠を外れるよう勧告を受け、元幕内・竹葉山で現在の宮城野親方に部屋の師匠を譲り、熊ヶ谷親方として部屋付きの親方になっていました。
白鵬「びっくりしている」
宮城野部屋に所属する横綱・白鵬は2日夕方、報道陣の取材に応じ、「朝稽古をしていて熊ヶ谷親方の逮捕は知らなかったのでびっくりしています。聞いたばかりなので、詳しいことは分かりません」と話しました。また、今月13日に始まる秋場所への影響については「動揺はありません。頑張ります」と話していました。
宮城野親方が謝罪
宮城野部屋の宮城野親方は「ご迷惑をおかけし、おわびします。今回の事件は残念なことだが、これからも気を引き締めて部屋の運営に当たっていきたい。処分については、日本相撲協会の判断を仰ぎたい」と話していました。
日本相撲協会は「今後、警察の捜査状況を確認し、危機管理委員会にて対応いたします」とのコメントを出しました。 (NHK NEWS WEB 9月2日 17時49分)
今日から9月。ここ数日秋雨前線に覆われ、あの猛暑が嘘のような日がつづいています。早朝からの雨の日もあり、朝の徘徊もお休みの日がありました。
三井記念病院胃腸外科の手術から、はや5ケ月ばかりか経ちます。今日は退院後2回目の外来健診で、雨の中を三井記念病院へ行ってきました。退院後の経過は良好なようですが、手術前の大腸の内視鏡検査でまだポリープが取り切れていないということで、9月17日からポリープ除去のための入院をすることになりました。期間は3・4日ということです。
ウェブニュースより
東京五輪エンブレム、原案も“そっくり” 組織委は? ―― 東京オリンピックのエンブレムのデザインをめぐる問題がますます深みにはまっています。組織委員会は先日、佐野研二郎氏のデザインが盗用ではないことを証明するために原案を公開しました。しかし、この原案も2年前、都内で開かれた展覧会のロゴとそっくりであることが分かりました。
白黒の写真に、濃い黒と金色を思わせる色で「J」「T」とデザインされたイニシャル。写真の男性は書体、デザインなどを手がけ、20世紀に名前を残すタイポグラファー、ヤン・チヒョルトで、このポスターは2年前に東京・銀座で開かれた展示会のものです。
この文字がアートディレクターの佐野研二郎氏が手がけた2020年東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムのデザイン原案に似ているという指摘が、インターネット上で相次いでいるのです。
組織委員会は先週、エンブレムのデザインについて説明。それによりますと、佐野氏の原案には類似する商標が存在したため、佐野氏が修正案を提出したと言います。
「(佐野氏の作品が)いろんな意味で優れていると、類似のものが出てくるのは、よくある話なんですね。その場合でも、これを使い続けようと」(組織委員会 専務理事 武藤敏郎 事務総長)
しかし、疑惑はこれだけではありません。佐野氏がコンペに提出した羽田空港でのイメージ画像などがインターネットのブログの画像を転用したのではないかという指摘も出ていると言います。
「力を出し切って、真にオリジナルなものができたからこそ、自信を持って世の中に出せる、送り出せるようなものになったと思います」(アートディレクター 佐野研二郎氏、8月5日)
組織委員会側は画像の転用があったかどうかについて、「権利の状況に関しては事実関係を確認中」としていますが、今後、どのような説明がされるのでしょうか。(TBS News 31日18:03)
五輪エンブレム:使用中止 類似騒動受け組織委が会議招集 ―― 2020年東京五輪の公式エンブレムが、ベルギーのリエージュ劇場のロゴに似ていると指摘されている問題で、大会組織委員会はエンブレムの使用を中止する方針を固めたことが分かった。組織委関係者が明らかにした。1日午後、政府や東京都など大会準備に関わる組織の代表者による調整会議の臨時会合を開き、正式に決定するとみられる。
決定された五輪のエンブレムが使用中止となるのは極めて異例の事態。組織委や東京都、スポンサーは既にエンブレムの使用を開始しており、大きな影響が出そうだ。
エンブレムを制作した佐野研二郎氏の事務所は「対応について本人と広報担当者が会議をしており、詳細についてコメントできない」としている。
エンブレムを巡っては、リエージュ劇場とデザイナー側が8月14日、国際オリンピック委員会(IOC)を相手にエンブレム使用の差し止めと、使用された場合、1回につき5万ユーロ(約690万円)を支払うよう求めリエージュの民事裁判所に提訴した。
一方、組織委は8月28日、佐野氏の原案を示して選考過程を説明した。最終案は原案から2度の修正を経ているとして、組織委の武藤敏郎事務総長は「原案は劇場のロゴとは別もの。オリジナルだと確信している」と独自性を強調した。組織委はIOCとともに国際商標を調査し、問題がないと判断していた。
五輪エンブレムは「TOKYO(東京)」「TEAM(チーム)」「TOMORROW(明日)」の頭文字「T」をイメージしたデザインで、7月24日に組織委が発表した。
佐野氏はデザインについて「これまでの知識と経験を集大成したと言える作品」と強調した。劇場ロゴはアルファベットの「T」と「L」を組み合わせたデザインであるとの見解を示す一方、五輪エンブレムの右下の銀色部分は、1964年東京五輪のエンブレムを意識して中央に置いた円を描くためのものと説明していた。
安倍晋三首相は1日午後、記者団に、五輪エンブレムの問題に関して「組織委員会で状況を判断したのだろう。いずれにせよ、祝福されるオリンピックにしなければならない」と語った。 毎日新聞 2015年09月01日 13時11分(最終更新 09月01日 13時26分)
今日は変身譚ではありませんが、昨日のブログの最後に触れた、Sophoklēs(ソポクレス)作の『オイディプス王』を取り上げます。
Oidipūs(オイディプース)がThēbai(テーバイ、古代ギリシアの都市国家)の王になって以来、不作と疫病が続きました。Creon(クレオーン、テーバイの摂政)がDelphoi(デルポイ、古代ギリシアのポーキス地方にあった都市国家。パルナッソス山のふもとにあるこの地は、古代ギリシア世界においては世界のへそと信じられており、ポイボス・アポローンを祀る神殿で下される「デルポイの神託」で知られていました)に神託を求めました所、不作と疫病はLāïos(ラーイオス、オイディブースの実父)殺害の穢れの為なので殺害者を捕らえ、テーバイから追放せよという神託を得ました。
そこでオイディプースは「ラーイオス殺害者を捕まえよ、殺害者を庇う者があればその者も処罰する」とテーバイ人達に布告を出します。さらに、オイディプースはクレオーンの薦めにより、テーバイに住む高名な予言者で盲(めしい)のTeiresiās(テイレシアース)にラーイオスの殺害者を尋ねる事にしました。
自らの子に手を引かれオイディプースの前に現われたテイレシアースは、卜占により真実を知るのですが、その真実をオイディプースに伝えるのは忍びなく思い、予言を隠そうとします。しかし、オイディプースがテイレシアースを詰(なじ)ったため、テイレシアースは怒りに任せて、オイディプースに、不作と疫病の原因はテーバイ王その人にあると言います。これを聞いたオイディプースは激怒し、クレオーンがテイレシアースと共謀してテイレシアースに偽の予言をさせているのだと誤解します。この為オイディプースはクレオーンを呼び出して詰問するのですが、身に覚えのないクレオーンは反駁するのみでした。そこにIokastē(イオカステー、オイディプースの母にして妻)が現われ、オイディプースとクレオーンとの罵り合いを仲裁するのです。
イオカステーは、テイレシアースの予言を気に病むオイディプースを安心させるため、オイディプースに、予言など当てにならないのだと言い、その例としてラーイオスとイオカステーの間に産まれた子供の話をします。ラーイオスとイオカステーはもし子供を作ればその子供がラーイオスを殺すとの神託をその昔受けますが、ラーイオスはPhocis(ポーキス、古代ギリシアの一地方)の三叉路で何者かに殺されてしまい、この予言は当たらなかったとオイディプースに伝えるのでした。
しかしながらこの話を聞いたオイディプースはかえって不安に陥った。何となればオイディプースは、過去にポーキスの三叉路で人を殺した事があるからです。不安に陥ったオイディプースをイオカステーがたしなめ、ラーイオスが殺害された際殺害を報せた生き残りの従者を呼んで真実を確かめる事を忠言します。忠言に従ったオイディプースはその従者を求めますが、従者はオイディプースが王位についた頃にテーバイから遠く離れた田舎に移り住んでいました。予言が実現された事を知った従者は、恐ろしさのあまりテーバイの見えぬところへと何も言わずに逃げていたのです。
オイディプースがラーイオス殺害者と従者とを追っていると、彼のもとにKorinthos(コリントス、ペロポネソス地方にある商業都市。紀元前9世紀、ドーリア人によって建設され、Aphrodītē〈アプロディーテー〉を守護神としその祭祀で知られます)からの使者が訪れます。使者はコリントス王Polybos(ポリュボス、オイディプースの養父で、名付け親ともいわれる)が死んだ為コリントス王の座はオイディプースのものになったと伝え、オイディプスにコリントスへの帰国を促すのでした。
しかし、自分の両親を殺すであろうという神託を受けていたオイディプースは帰国を断ります。何となればオイディプースは、ポリュボスとMeropē(メロペー、ポリュボスの妻)を実の父母と信じていたからです。この為使者は、オイディプースに、ポリュボスとメロペーは実の父母ではないのだと伝えます。これを聞いたイオカステーは真実を知り、自殺するためその場を離れるのでした。しかし未だ真実を悟らないオイディプースはイオカステーが自殺しようとしている事に気づかず、女ゆえの気の弱さから話を聞く勇気が失せて部屋に戻ったのだと思い違いをしたのです。
まもなく、かつてラーイオスが殺害されたことを報せた生き残りの従者がオイディプースのもとに連れて来られました。この従者はオイディプースをKitheronas(キタイローン)の山中に捨てる事を命じられた従者と同一人物でした。
従者はオイディプースに全てを伝えるのでした。真実を知ったオイディプースは、イオカステーを探すべくイオカステーの部屋を訪れました。するとイオカステーはすでに縊(くび)れていました。オイディプースは縄をほどき下ろしますが、時すでに遅く、彼女は死んでいました。
罪悪感に苛(さいな)まれたオイディプースは、狂乱のうちに我と我が目をイオカステーのつけていたブローチで刺し、自ら盲(めしい)になります。彼自身の言によれば、もし目が見えていたなら冥府を訪れたときどのような顔をして父と母を見ればよいのか判らない、そう感じたというのでした。そして自身をテーバイから追放するようクレオーンに頼み、自ら乞食になるのでした。
男子が父親を殺し、母親と性的関係を持つというオイディプス王の悲劇は、Sigmund Freud(ジークムント・フロイト)が提唱した「Oedipus complex(エディプス・コンプレックス)」の語源にもなりました。
Teiresiās(テイレシアース)は盲目の予言者として知られるが、盲目となった理由は諸説あります。一説には、女神Athēnā〈アテーナー〉が沐浴している姿を見てしまい、アテーナーによって盲目とされますが、これを不憫に思ったAphrodītē(アプロディーテー)が(または、Chariklō〈カリクロー〉から息子の目を元に戻すよう訴えられたアテーナー自身が)予言の力を与えたという。
※ Chariklō〈カリクロー〉:ギリシアの戦士Spartoi(スパルトイ)のEueres(エウエーレース)の妻になり、テイレシアースを産みました。
また一説には、テイレシアースがKyllēnē〈キュレーネー〉山中で交尾している蛇を打ったところ、テイレシアースは女性になってしまったといいます。9年間(7年ともいう)女性として暮らした後、再び交尾している蛇を見つけ、これを打つと男性に戻ったということです。
※ Johann Ulrich Kraus(ヨハン・ウルリッヒ・クラウス、1655~1719年):ドイツのAugsburg(アウスブルク)のイラストレイター、彫版家で出版企業者でもありました。
あるときZeus(ゼウス)とHērā(ヘーラー)が、男女の性感の差について論争します。ゼウスは女がより快感が大きいと言い、ヘーラーは男の方が大きいとして言い争いとなりましたので、テイレシアースの意見を求めることになりました。テイレシアースは「男を1とすれば、女はその10倍快感が大きい」と答えたのです。ヘーラーは怒ってテイレシアースの目を見えなくしてしまいます。ゼウスはその代償に、テイレシアースに予言の力と長寿を与えたといいます。
テイレーシアスは予言者となり、さまざまな場面で出てきます。Narkissos(ナルキッソス)を占って「己を知らないままでいれば、長生きできるであろう」と予言し、恐ろしい予言は16年後に水鏡に映った自分を見た時に的中してしまう話は先だって取り上げたばかりです。そして、もっとも有名なのが、Sophoklēs(ソポクレス、紀元前496年頃~紀元前406年頃のアテナイの悲劇作家、古代ギリシア三大悲劇詩人の一人)の『Oidipūs(オイディプス王)』です。
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