早朝徘徊は足を伸ばして、桜橋~厩橋間を一回りして帰宅しました。万歩計の記録は12523歩、8.6㎞でした。
ギリシア神話の英雄伝は昨日でMeleagros(メレアグロス)を一応終わりましたので、次はMīnōtauros(ミーノータウロス)退治で有名なThēseus(テーセウス)について調べてみようと思います。
Thēseus(テーセウス)はAthēnai(アテーナイ、ギリシャ共和国の首都アテネの古名)の王Aigeus(アイゲウス)とTroizḗn(トロイゼーン、ペロポネソス半島北東部の古代ギリシアの都市国家)の王女Aithrā(アイトラー)の子とされます。海神Poseidō(ポセイドーン)とアイトラーとの間に生まれた子であるという伝説もあります。
アイゲウスは二人の妃を娶りましたがどちらも子がなく、このままでは次の王位継承者を得ることが出来ず、困っていました。そこでアイゲウスは、Delphoi(デルポイ)に赴き、神託に頼りました。神託は「この地からアテーナイに帰るまで、汝が所持する酒袋の口を決して開けるてない」というものでした。アイゲウスはその意味がよく呑み込めず不思議に思ったものの、神託に従ってデルポイからアテーナイに帰ることにしました。
※ Delphoi(デルポイ): 古代ギリシアのPhocis(ポーキス)地方にあった都市国家。Parnassus(パルナッソス)山のふもとにあるこの地は、古代ギリシア世界においては世界のへそと信じられており、Phoibos Apollōn(ポイボス・アポローン、ポイボスはアポローンの別名で、Homerus〈ホメーロス〉では作品ではこの形で記述されることが多い)を祀る神殿で下される「デルポイの神託」で知られていました。
その途中、アイゲウスはTroizḗn(トロイゼン、ペロポネソス半島北東部に位置する歴史的なArgolis〈アルゴリス〉地方にあった都市国家)に滞在しましたが、トロイゼン王Pittheus(ピッテウス)はアイゲウスを大変歓待しました。そして例の神託の話をアイゲウスから聞くと、ピッテウスはその意味をすぐに理解したのです。そこで、まずピッテウスはアイゲウスに大量の酒を飲ませ、ぐでんぐでんに酔わせました。彼が人事不省になって寝室で横になっている所へ、ピッテウスは娘のAithrā(アイトラ)を向かわせます。そして、アイトラは見事懐妊したのです。
しかし、アイゲウスはもうアテーナイに帰らなくてはなりません。アイゲウスは甥のPallas(パラース)の息子たちが自分を快く思っていないことを知っていたので、Mīnōs(ミーノース)がAndrogeōs(アンドロゲオース、ミーノースの子)を通じて彼らを援助し、自分の王権を奪わせるかもしれないと考えていました。彼は、パラースの息子たちを恐れて、テーセウスをアテーナイに呼ぼうとしませんでした。そこで身重のアイトラーに、言葉を残します。「生まれてくる子が息子であったならば、父の名を明かさずに育てて欲しい。そして、大岩の下に隠した剣と靴をその子が自力で取り出すことができたら、その時こそ父の名を明かし、アテーナイへ来るように言って欲しい」と。
やがて月満ちて、テセウスが誕生するのでありました。そのままテーセウスはトロイゼーンで育てられ、すくすくと育ちました。そして16歳になった時、母アイトラはテセウスに父の名を明かします。そして大岩を自力でどけて、剣と靴を手に入れ、アテーナイへ行くように命じたのです。テセウスは素手で大岩をどけて、アイゲウスの息子である証拠の剣と靴を手に入れ、アテーナイへの旅へと出立するのです。アゲウスに息子として認めさせるために、アテーナイに向かいます。アテーナイには安全な海路を取ることも可能でありましたが、テーセウスは敢て危険な陸路を選び、道中の山賊や怪物を討ち果たしたのです。
今朝の早朝徘徊は桜橋~駒形橋間を一周して帰宅しました。ちなみに、携帯の万歩計は、10950歩、7.6㎞を示していました。
Meleagros(メレアグロス)は殺した猪の皮を剥ぎ、一番の手柄はAtalantē(アタランテー)であるとして皮をアタランテーに与えました。これに対して、メレアグロスの叔父Plexippos(プレークシッポス)は、とどめを刺したメレアグロスが手柄をだれかに譲るのなら、名誉の皮はOineus(オイネウス)の義弟である自分のものだと主張し、プレークシッポスの兄弟も、はじめに猪の血を流したのはアタランテーではなくĪphiklēs(イーピクレース)だったとして、同調しました。この争いの結果、ついにメレアグロスは叔父の二人を殺してしまったのです。Althaiā(アルタイアー)には他にも兄弟がいまして、メレアグロスと戦いとなってしまいました。
息子が自分の兄弟たちを殺したと知ったアルタイアーは、メレアグロスを呪い、仕舞ってあった薪を燃えさかる炉に投げ入れるのでした。このときメレアグロスは、戦いの最中でありましたが、たちまち焼け付くような痛みを感じました。メレアグロスは痛みに耐えながら戦いましたが、薪が燃え尽きたとき、ついに敵に殺されてしまうのです。
※ Johann Wilhelm Baur(ヨハン・ヴィルヘルム・バウア):シュトラースブルク出身の細密画家・素描家・版画家、ローマ、ナポリ、ウィーンで活躍しました。
アルタイアーとKleopatrā(クレオパトラー、メレアグロスの妻)は首を吊って自死し、Meleagrid(メレアグリデス、メレアグロスの姉妹たち6人)は声を上げて嘆き悲しむのでした。そこでArtemis(アルテミス)はメレアグロスの姉妹たちをほろほろ鳥の姿に変えてしまいます。このとき、Dionȳsos(ディオニューソス)はアルテミスに対し、Deianeira(デーイアネイラ、Hēraklēs〈ヘーラクレース〉の3番目の妻となりますが、ヘーラクレースの死の原因をなした人物とされます)が自分とアルタイアーの子であると告げ、彼女と仲のよいGorgē(ゴルゲー、メレアグリデスの1人)の二人だけは鳥にされなかったといいます。
今朝の早朝徘徊も控えめに、桜橋~吾妻橋間を一回りして帰宅しました。携帯の万歩計によれば、歩数8995、距離6.2㎞とありました。
Kalydon(カリュドーン)の猪の由来については、一般には女神Artemis(アルテミス)が野に放ったとする以外の言い伝えはありません。Strábôn(ストラボン、BC63年頃~23年頃、古代ローマ時代のギリシア系の地理学者・歴史家・哲学者)は、この猪をKrommyon(クロムミュオーン、昨日添付の地図2→c12、図内30)地方を荒らした雌猪Phaia(パイア、Echidna〈エキドナ〉とTȳphōn〈テューポーン〉の子ともいわれ、Thēseus〈テーセウス〉によって退治されました)の子であるとしていますが、他にこの説を採り上げるものはありません。イギリスの詩人Robert Graves(ロバート・グレーヴス、1895~1985年、イギリスの詩人、小説家、評論家)は、その著書『ギリシア神話』のなかで、猪は三日月型の牙を持つことから月の聖獣とされ、同時にArēs〈アレース〉の聖獣でもあるとしています。
狩が始まると、一隊から距離を置いて進んでいたAtalantē(アタランテー)を犯そうと、かつて山野で狩りしていたアタランテーを見初めていたKentauros(ケンタウロス)のHylaios(ヒューライオス)とRhoikos(ロイコス)が、この時とばかり襲いかかてきましたが、二人ともアタランテーに射殺されてしまいます。
猪はNestōr(ネストール)を襲い、ネストールは木の上に逃れます。そこをJason(イアーソーン)とĪphiklēs(イーピクレース)が狙って槍を投げましたが、イーピクレースの槍が猪の肩をかすめただけでした。Telamōn(テラモーン)とPēleus(ペーレウス)が進み出ますが、テラモーンは木の根につまずいてしまい、ペーレウスがテラモーンを抱き起こそうとするところに猪が突進してきました。Atalantē(アタランテー)が矢を放つと、矢は猪の耳のうしろに刺さりました。猪は一旦逃げたものの、まもなく再び突進してきます。Ankaios(アンカイオス)がその前に立ちはだかって斧を振り下ろしましたが間に合わず、猪に腹を突かれて殺されてしまいます。動転したペーレウスが槍を投げつけたところ、手元が狂ってEurytion(エウリュティオーン)に当たって彼を殺してしまいます。そのときAmphiarāos(アムピアラーオス)の矢が猪の眼を射抜き、Thēseus(テーセウス)とMeleagros(メレアグロス)が槍を投げました。テーセウスの槍は外れましたが、メレアグロスの槍は猪の脇腹を貫き、痛手と刺さった槍のために猪がぐるぐる回るところをメレアグロスが手槍でとどめを刺し、ようやく猪は退治されました。
この神話は「カリュドーンの猪狩り」として、古代ローマでは彫刻の題材として好んで採り上げられました。後世においても著名な神話のひとつであり、バロック期のRubens(ルーベンス、1577~1640年、フランドルの画家、外交官。祭壇画、肖像画、風景画、神話画や寓意画も含む歴史画など、様々なジャンルの絵画作品を残しました)や現代ではPicasso(ピカソ、1881~1973年、スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家)などが絵画や挿絵の題材としているといいます。
退院後1週間ばかりは、運動も控えめにしろということなので、今朝の徘徊は1時間ほどにしました。桜橋~白髭橋間のテラスを往復して帰宅しました。
あるとき、 Meleagros(メレアグロス)父のOineus(オイネウス)がArtemis(アルテミス)への生贄を忘れたことで、アルテミスはその罰として巨大な猪をKalydon(カリュドーン、ギリシア西部の古代都市)に放ちます。猪はオイネウスの家畜や使用人を殺し、作物に大損害を与えました。オイネウスが猪狩りの仲間を募ると、ギリシア全土から続々と勇士たちが集まってきました。狩の参加者は次のような顔ぶれでした。オイネウスは彼らを9日の間饗応したといいます。Apollodoros(アポロドーロス、1世紀~2世紀頃のギリシアの著作家。Biblioteke 〈ビブリオテーケー、日本語訳は『ギリシア神話』ですが、原題は『文庫』の意〉の編纂者として知られています)によれば、HēraklēsヘーラクレースはこのときOmphalē(オムパレー、ギリシア神話に登場するLydia〈リューディア〉の女王)の奴隷として仕えていたために参加しなかったということです。
Spártā(スパルタ、地図1→K16、図内45)からKastō(カストール)とPolydeukēs(ポリュデウケース)の双子、
Messene(メッセネ、地図1→e14、図内43)からĪdās(イーダース)とLynkeus(リュンケウス)、
Athēnai(アテーナイ、地図2→h11、図内1)からThēseus(テーセウス)、
Larissa(ラリッサ、地図2→a2、図内41)からPeirithoos(ペイリトオス)、
Iolkós(イオールコス、テッサリアに属し、パガシティコス湾の北にあったイオールコスは、ギリシア神話におけるアルゴー船の出航地として知られます)からJason(イアーソーン)、
Perai(ペライ、地図1→g16、図内40)からAdmētos(アドメートス)、
Pylos(ピュロス、地図1→d12、図内30)から若きNestōr(ネストール)、
Phthía(プティア、テッサリアの最南部)からPēleus(ペーレウス)とEurytion(エウリュティオーン)、
Thēbai(テーバイ、地図2→e8、図内13)からĪphiklēs(イーピクレース)、
Árgos(アルゴス、地図1→m10、図内1)からAmphiarāos(アムピアラーオス)、
Salamís(サラミース、アッティカに属する島)からTelamōn(テラモーン)、
Magnisía(マグネシア、テッサリア地方のエーゲ海沿岸地域)からKaineus(カイネウス)、
Arkadia(アルカディア、ペロポネソス半島中央部にある古代からの地域名)から、Ankaios(アンカイオス)とKēpheus(ケーペウス)、そして「紅一点」のAtalantē(アタランテー)などでした。
※ それぞれの地域・都市は地図1、2を参照してください。ただし、テッサリアは両地図の北部に位置し、両地図上にはありません。
アンカイオスとケーペウスは狩に女を加えることに異議を唱えました。しかし、メレアグロスはアタランテーに恋心を抱いていたので、彼女の参加を認めることにしました。Althaiā(アルタイアー、メレアグロスの母)の兄弟たちは、甥のメレアグロスが妻を持つ身にもかかわらず、このような振る舞いをすることを不吉と見て、アタランテーを警戒するのでした。
カリュドーンの猪を退治するためにギリシア全土から勇士が集まりましたが、このような英雄たちの集結は、ギリシア神話中でもイアーソーン率いるArgonautai(アルゴナウタイ)及びTroia(トロイア)戦争などでも見られますが、カリュドーンの猪退治は物語の登場人物の関連から、時系列的には「アルゴナウタイ」の後、トロイア戦争以前に位置するといえます。
今日、三井記念病院から退院してきました。早速、ギリシャ神話の英雄Meleagros(メレアグロス)のお話に入ります。
Meleagros(メレアグロス)はAitōlía(アイトーリア、ギリシア中央部の山岳地方を指します)のKalydon(カリュドーン)王Oineus(オイネウス)と王妃Althaiā(アルタイアー)の子ですが、実の父はĀrēs(アレース)であるともいいます。Hēraklēs(ヘーラクレース)の妻となったDeianeira(デーイアネイラ)はメレアグロスの妹です。
メレアグロスが生まれて7日目に、アルタイアーの寝室に3人のMoirai(モイライ、ギリシア神話における「運命の三女神」、幾つかの伝承がありますが、Klōthō(クロートー)、Lachesis(ラケシス)、Atropos(アトロポス)の3柱で、姉妹とされます)が現れました。クロートーは「メレアグロスが高貴な人物となるであろう」と、ラケシスは「メレアグロスが武勇に優れた英雄となるであろう」とそれぞれ予言しますが、アトロポスは薪を炉に投げ入れ、「この薪が燃え尽きないうちはメレアグロスは生きているであろう」と言うのでした。アルタイアーは炉から薪を取り出して火を消し、誰にも見つからないように箱の中に隠しました。
メレアグロスが成人すると、剛勇無双とうたわれるようになり、Iāsōn,(イアーソーン)率いるArgonautai(アルゴナウタイ)にも参加します。とくに槍投げを得意とし、アルゴナウタイの冒険から帰還後、olkós(イオールコス、ギリシア神話におけるアルゴー船の出航地)でPeliās(ペリアース、イオールコス王)の葬礼を記念した競技会では槍投げで優勝するほどでした。
メレアグロスは同じくアルゴナウタイの一人Īdās(イーダース)の娘Kleopatrā(クレオパトラー)を妻としました。
明日から大腸ポリープ除去のため、三井記念病院に入院することになっています。従って、ブログも暫くお休みになります。
ギリシア神話のベレロポーンのお話は今日で終わりますが、退院後はギリシア神話の英雄伝を続けて、カリュドーンの猪退治をしたメレアグロス、怪物ミーノータウロス退治したテーセウスとお話を続ける予定です。
Bellerophōn(ベレロポーン)はめでたくLycia(リュキア)の王となったわけですが、ここで彼の人間像に暗い影を落とす事件が発生します。彼は、嘘をついて自分を陥れたArgo(アルゴス)王女Stheneboia(ステネボイア)に復讐しようとしたのです。彼はステネボイアのもとを訪れて、「自分は本当はあなたのことを愛していたのです。今から二人で駆け落ちしましょう」と、心にもないことを持ちかけたのです。まだベレロポーンのことが諦めきれなかったステネボイアは二つ返事で了承し、ベレロポーンとステネボイアはPēgasos(ペーガソス)に乗って駆け落ちしたのであります。ところが、ベレロポーンはここぞとばかりにステネボイアをペーガソスの背から突き落とし、彼女を殺してしまったのです。
ベレロポーンは次第に増長して傲慢になり、とうとう神になることまで望み始めます。彼は神々の食物であるAmbrosia(アンブロシア)を食べて不死になるために、ペーガソスを駆ってÓlimpos(オリンポス)へ向かったのでした。しかし、これはさすがに人間の分を超えた要求でした。Zeus(ゼウス)は一匹の虻を送ってペーガソスを刺させたのです。驚いたペガサスはベレロポーンを振り落とし、彼を地上に墜落させてしまいました。ペーガソスはそのまま、天に昇って、星座(Pegasus〈ベガスス〉座)になり、ベレロポーンは墜死したといいます。
一説によると、落下した時の怪我がもとで彼は足が不自由になってしまい、その上両目を失明してしまい、結局晩年のベレロポーンは神々からも人間からも憎まれる存在となり、人々の目を避けて国々をさまよい、荒野をさすらっているうちに寂しく死んだといいます。なんとも悲惨な結末ではありませんか。
明日から大腸ポリープ除去のため、三井記念病院に入院することになっています。従って、ブログも暫くお休みになります。
ギリシア神話のベレロポーンのお話は今日で終わりますが、退院後はギリシア神話の英雄伝を続けて、カリュドーンの猪退治をしたメレアグロス、怪物ミーノータウロス退治したテーセウスとお話を続ける予定です。
Bellerophōn(ベレロポーン)はめでたくLycia(リュキア)の王となったわけですが、ここで彼の人間像に暗い影を落とす事件が発生します。彼は、嘘をついて自分を陥れたArgo(アルゴス)王女Stheneboia(ステネボイア)に復讐しようとしたのです。彼はステネボイアのもとを訪れて、「自分は本当はあなたのことを愛していたのです。今から二人で駆け落ちしましょう」と、心にもないことを持ちかけたのです。まだベレロポーンのことが諦めきれなかったステネボイアは二つ返事で了承し、ベレロポーンとステネボイアはPēgasos(ペーガソス)に乗って駆け落ちしたのであります。ところが、ベレロポーンはここぞとばかりにステネボイアをペーガソスの背から突き落とし、彼女を殺してしまったのです。
ベレロポーンは次第に増長して傲慢になり、とうとう神になることまで望み始めます。彼は神々の食物であるAmbrosia(アンブロシア)を食べて不死になるために、ペーガソスを駆ってÓlimpos(オリンポス)へ向かったのでした。しかし、これはさすがに人間の分を超えた要求でした。Zeus(ゼウス)は一匹の虻を送ってペーガソスを刺させたのです。驚いたペガサスはベレロポーンを振り落とし、彼を地上に墜落させてしまいました。ペーガソスはそのまま、天に昇って、星座(Pegasus〈ベガスス〉座)になり、ベレロポーンは墜死したといいます。
一説によると、落下した時の怪我がもとで彼は足が不自由になってしまい、その上両目を失明してしまい、結局晩年のベレロポーンは神々からも人間からも憎まれる存在となり、人々の目を避けて国々をさまよい、荒野をさすらっているうちに寂しく死んだといいます。なんとも悲惨な結末ではありませんか。
Bellerophōn(ベレロポーン)はProitos(プロイトス)の手紙を持ってLycia(リュキア)を訪れ、そこでIobatēs(イオバテース)王の歓待にあいました。イオバテス王は若く凛々しいベレロポーンを9日間歓待し、10日目にプロイトス王の手紙を開きました。手紙にはベレロポーンを称える言葉が書いてありましたが、同時に「どうかこの手紙の持参者ベレロポーンをあなたの手で殺していただきたい」とも書いてあったのです。リュキアの王はこの手紙を見て困ってしまいます。彼もまたベレロポーンを友人として歓待したので、ベレロポーンを殺すことは道徳に背くことだと思ったからです。そこで彼は妙案を思いついたのです。
ベレロポーンを怪獣Chimaira(キマイラ)退治に行かせることにしたのです。キマイラ(Chimera〈キメラ〉ともいいます)とは頭はライオン、胴は山羊、尾は蛇でできている合成獣で、口から火を吹いてはリュキアの人々を恐怖に陥れていました。しかも今までキマイラ退治に向かって生きて帰ってきた者は誰もいなかったので、自分で手を下さずにベレロポーンを抹殺できると思ったのです。
ベレロポーンはキマイラ退治を引き受けたが、さすがに怪物を倒す妙案を思いつくことはできませんでした。途方に暮れたベレロポーンでしたが、彼は預言者Polyīdos(ポリュイドス)のもとを訪れて助言を求るのでした。預言者ポリュイドスは、「天馬Pēgasos(ペーガソス)を手に入れることが出来たなら、キマイラを倒すことも出来るだろう。まずはAthēnā(アテーナー)の神殿にこもって神託を伺ってみなさい。」と、助言してくれました。
ベレロポーンは早速アテーナー神殿を訪れて、そこで一晩中祈りました。彼は祈っている途中で寝てしまうのですが、夢の中で女神アテナが現れて、「目を覚ましなさい、ベレロポーン、この黄金の轡(くつわ)を使えばPegasos(ペーガソス)を手に入れることが出来ますよ」と告げたのでした。ベレロポーンが目を覚ましてみると、夢のとおり目の前に黄金の轡が置かれているではありませんか。ベレロポーンは狂喜してアテナに感謝の祈りを捧げるのでした。
その後ベレロポーンはペーガソスを探すために各地を回り、とうとうPeirene(ペイレネー)の泉で水を飲んでいるペーガソスを見つけることが出来ました。彼が黄金の轡を持って近づくと、天馬ペーガソスは逃げも隠れせずに逆に体を摺り寄せてくるではありませんか。こうしてペーガソスを手に入れたベレロポーンは、いよいよキマイラ退治に向かうことになるのです。キマイラは地上から炎を吹きかけてきましたが、ベレロポーンはペーガソスに乗って上空に浮かんでいるので当たりません。ベレロポーンは上空から矢を射てとうとうこの怪物を倒すことが出来たのでした。
無事にキマイラを退治して帰ってきたベレロポーンを見てリュキア王イオバテースは内心狼狽しましたが、再び彼を危地に送って命を奪おうと考えるのでした。イオバテスはSolymoi(ソリュモイ)人やAmazōn(アマゾン)の女戦士族の討伐を命じましたが、ベレロポンはそれらを難なくやってのけました。最後にはイオバテス自らがベレロポンを殺すために雇った兵士たちも皆殺しにしてしまいました。
とうとうイオバテス王も、ベレロポーンは神様に特別に愛された英雄なのだと理解して、彼に自分の娘を与えて王位を継がせることにしたのです。
昨日、日曜日から大相撲秋場所が始まりました。初日の結びで白鵬が隠岐の海に敗れるという番狂わせがありました。
ウェブニュースより
白鵬 まさかの黒星スタート ――「大相撲秋場所・初日」(13日、両国国技館)
史上最多36度目の優勝を狙う白鵬が、小結隠岐の島に寄り切りで敗れ、波乱のスタートとなった。隠岐の島は13度目の対戦で初めて“大横綱”に勝った。/横綱鶴竜は小結栃ノ心を寄り切って、白星発進。大関陣は照ノ富士、稀勢の里、琴奨菊、豪栄道の4人がすべて勝った。/今場所は特に人気が高く、初日から「札止め」を記録。現在、前売り券は5、6日目に少し残っているだけで「満員御礼」が続きそうだ。 (ディリー スポーツ 2015年9月13日)
昨日のブログでPerseus(ペルセウス)のお話は終わりましたので、今日からは天馬ペーガソスに乗って怪獣キマイラを退治したことで知られる英雄Bellerophōn(ベレロポーン)のお話に移ります。
Bellerophōn(ベレロポーン)は本名ではなく、もとはHipponoosu(ヒッポノオス)といいました。ヒッポノオスはKorinthos(コリントス)王Glaukos(グラウコス)の子で、Sīsyphos(シーシュポス)の孫にあたるといいます。しかし本当の父親はPoseidō(ポセイドーン)だったとされます。
※ Sīsyphos(シーシュポス):ギリシア神話に登場する人物で徒労を意味する「シーシュポスの岩」で知られます。
彼の家系は代代馬好きな家系で、特に彼の父親グラウコスは馬使いの名人として名を馳せていました。グラウコスは馬を強く育てようとするあまり、馬に人間の肉を食わせて育てたといいます。おかげで馬はたくましく成長しましたが、同時に信じられないほど気が荒くなってしまったのです。そしてついにはグラウコスを背から振り落とし、彼を引き裂いて食ってしまったということです。
このような不幸な前例があるにもかかわらず、息子のヒッポノオスもまた馬に対して異常な熱情を抱くようになります。ポセイドーンは彼にPēgasos(ペーガソス)を与えますが、彼はその馬を乗りこなすことができませんでした。そこで、女神Athēnā(アテーナー)が彼に黄金の手綱を与えたので、ようやく彼は天馬ペーガソスを乗りこなせるようになったといいます。
一説には、女神アテーナーがベレロポーンに黄金の轡を与え、これを使って、ペーガソスを捕まえたといいます。
ヒッポノオスはあるとき誤って兄弟のBelleros(ベレロス)を殺してしまったことから、ベレロポーン(ベレロスを殺した者)と呼ばれるようになったといいます。ベレロポーンはその罪で彼はコリントスを追放されてしまい、Árgo(アルゴス)のTiryns(ティーリュンス)王Proitos(プロイトス)のもとに身を寄せ、王によって罪の清めを受けるのでした。
※ Tiryns(ティーリュンス)王Proitos(プロイトス):Akrisos(アクリシオス)と双子の兄弟。2人は生まれる前から母の胎内で争い、成長すると王位をめぐって戦ったといいます。
このとき、プロイトスの妃Stheneboia(ステネボイア、Anteia〈アンテイア〉ともいいます)がベレロポーンを恋してしまったのです。ステネボイアはあれこれ手を使って彼を誘惑するのですが、ベレロポーンはこれを厳しくはねつけ、相手にしなかったことから妃の恨みを買うことになったのです。ステネボイアは可愛さ余って憎さ百倍、ベレロポーンを憎悪するようになり、夫のプロイトスに向かって、ベレロポンが自分を犯しそうになったと濡れ衣を着せ、讒言したのです。プロイトス王はベレロポーンを殺そうかとも思いましたが、当時の習慣として、一度客人として宴会を共にした友人を殺すことは大罪とされていましたので、直接ベレロポーンを殺すことは憚られたのです。そこで彼は、ベレロポーンを小アジアのLycia(リュキア)王のもとに送り、そこで彼を殺してもらおうと考えたのでした。
プロイトスはベレロポーンに手紙を持たせてリュキア王Iobatēs(イオバテース)のもとに送ったのです(ちなみに、この逸話から「自分の窮地をもたらす状況を自分で作る事」を「ベレロポーンの手紙」と言う事があります)。
一説によるとPerseus(ペルセウス)が王となった後、Dionȳsos(ディオニューソス)の来訪が起こりました。多くの土地でディオニュースは拒絶されましたが、Árgos(アルゴス)においては戦争に発展しました。ディオニューソスはエーゲ海の島から「海の女たち」をともなって現れました。ペルセウスは軍を率いてこれと戦い、多くの女たちを殺したといいます。
Pausanias(パウサニアス、115年頃~180年頃、ギリシアの旅行家で地理学者)の証言によると、アルゴスの市内には殺されたMainades(マイナデス、ディオニュソス の信女たち)の墓や合葬墓があったといいます。
その上さらにペルセウスはディオニューソスを殺したとさえ伝えられているようです。そしてペルセウスは神の死体をLerne(レルネー)の泉に捨てた、といいます。しかしディオニューソスはレルネーの泉を通って冥府から戻ってくることができたらしいといわれています。その後、両者は和解し、アルゴス人はディオニューソスの神域を選定して、Krētē(クレーテー)ゆかりのディオニューソスの神殿を建設したといいます。ちなみにこの神域が「クレータゆかりの」と呼ばれるようになったのは、この場所にディオニューソスがAriadne(アリアドネー、クレーテー王の娘で、テーセウスを恋しますが、ディオニューソスが彼女を奪ってLêmnos〈レームノス〉島へと連れて行き、子をなしたといいいます)を葬ったからだといいます。
ペルセウスの死に関しては、Proitos(プロイトス、Akrisos〈アクリシオス〉と双子の兄弟)の息子Megapenthēs(メガペンテース)によって殺されたとする説があります。死後、ペルセウスはAthēnā(アテーナー)によって天に上げられ、ペルセウス座になったといいます。
sechin@nethome.ne.jp です。
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