毎晩、布団に入ってから眠気が催してくるまでの20~30分程本を読むことにしています。先週の日曜日頃から、ギリシア悲劇の3大詩人の一人エウリピデス(世界古典文学全集・筑摩書房刊)を読み始めました。
Eurīpidēs(エウリピデス、BC480年頃~406年頃)はソフィストと自然哲学の影響を受け,伝統的悲劇を合理主義精神によって改革して、神話の世界を日常の世界にまで引降ろし,悲劇を人間情緒の世界と化したといわれています。
布団に入って本を読み始めると、すぐに眠くなって、なかなか先に進めませんが、やっと『アルケスティス』(呉茂一訳)を読み終わりました。
Alkēstis(アルケスティス)はギリシア神話に登場するテッサリア地方ペライの王であるAdmētos(アドメトス)の妻であり、アドメートスが、アポローンの好意によって身代わりを出せば命が助かることとなり、最終的に妃のアルケスティスが身代わりとなって死ぬのですが、ヘーラクレースが彼女を救い出すという神話を題材としています。
あらすじ:
アポロンとタナトスによる懸け合いで、下界に追放されたアポロンを助けたアドメトスが、報徳として身代わりを立てることで早世を免れる機会を得て、その身代わりとなったアルケスティスの命をついにタナトスが受け取りにきた、というこれまでの経緯が説明されます。
老人たちによる嘆きの後、死を目前にしたアルケスティスが床からアドメトスに最後の別れを告げます。アドメトスの励ましも空しく、アルテスティスは事後のことを頼んで息を引き取ります。そこへトラキアのディオメデスのもとへ向かう途中のヘラクレスが訪れてきます。アドメトスは友人歓待の伝統に従い、アルケスティスの死を隠してヘラクレスを厚くもてなします。一方でアドメトスはアルケスティスの悔み事を言いに来たぺレスと口論になります。アドメトスは老いて行く先少ない身でありながら実の息子のために命を惜しんだ両親を責めるのです。対してぺレスは今日まで育てた恩と豊かな財産を残してやった上に、さらに命までよこせとは暴慢だと責め立てます。
その頃、ヘラクレスは召使いからアドメスティスが隠していたこと、アルケスティスが亡くなったことを知るのです。アドメトスの友情に感激したヘラクレスはアルケスティスを取り戻すため急ぎ冥府へ向かいます。
アルケスティスの葬儀が終わり、その帰り道、アドメトスは老人たちに妻を失った深い悲しみを語ります。そこへヘラクレスが現れ、アドメトスに被衣をした女を預けるから引き取るように言います。アドメトスはヘラクレスの好意に礼を言いつつ、アルケスティスへの思いから引き取りを拒みます。そこでヘラクレスはアドメトスに女の手を取らせ、被衣を取って顔を見せ、彼女こそ自分が冥府から連れ戻してきたアルケスティスであることを示します。最後に、アルケスティスがこれから三日間は声を発してはならないことを告げると、ヘラクレスはトラキアへと旅立って行きます。ヘラクレスを見送った後、アドメトスと老人たちが喜びを歌って物語の落着となります。
今日もウェブニュースからの記事ですが、今日の記事は全く情けない記事です。
安倍内閣の新閣僚に「下着ドロボー」の過去! 警察で取り調べ受けるも敦賀市長の父親と原発利権の力でもみ消し ―― 安倍改造内閣の新閣僚スキャンダルが止まらない。本サイトがスクープした新閣僚の森山裕農水大臣の暴力団交遊、そして馳浩文部科学大臣の体罰自慢は大きな話題となった。森山氏に関しては複数のメディアが後追いし、馳氏は会見で体罰問題の釈明に追われる事態となった。
だが、第三次安倍内閣のスキャンダル劇はそれでは止まらなかった。今日発売の「週刊新潮」(新潮社)と「週刊文春」(文藝春秋)が、同じく初入閣組の高木毅復興・原発事故再生担当大臣のとんでもない過去を暴いている。/その過去とは下着ドロボー。信じられないような話だが、れっきとした事実だ。
事件が起きたのは30年ほど前。当時30歳前後だった高木氏は地元福井県敦賀市の住宅に住む20代女性の下着を盗むべく、家に上がり込みタンスの中を物色したというのだ。高木氏は当時福井銀行敦賀支店に勤めていた被害女性を一方的に気に入り、家を突き止めて下着ドロボーをするという犯行に及んだのだ。
「週刊新潮」では被害者女性の妹がこうはっきりと証言している。
「はい。被害者は私の姉です。近所のおばさんが"家の斜め前に車を停めて中に入っていく人を見たけど、知り合いか"って? 通報したのはわたしだったかな。(略)教えてくれた近所のおばさんが車のナンバーを控えとってくれたんで、すぐにやったのは高木さんやと分かった」
しかも、妹の証言によると、家への侵入方法は計画的なものだった。
「合鍵を勝手に作っとったんです。田舎やから、無防備に小屋にカギ置いといたりするでしょ。それをいつの間にか持っていって、自分のカギを作っとったみたい。それにしても、どうして勝手に家に上がり込んだりするのか。急に家の人が帰ってきたら、とか思わんかったんかな......」
当時高木氏は30歳前後で、結婚もしていたというが、これが事実なら下着ドロボーだけでなくカギの窃盗や家宅不法侵入にも問われる事態だ。実際、高木大臣は、当時、敦賀署で窃盗と住居侵入容疑で取り調べを受けたという。
だが、なぜか、高木氏は逮捕もされず、事件が立件されることはなかった。
「当時、高木氏の父親は敦賀市長で、地元の名士。そこから、警察に手を回したんだろうというもっぱらの噂でした。また、高木氏の父親はバリバリの原発推進派で、電力会社や原発関連企業とべったりでしたから、その筋から被害者の勤務先に圧力が加わったという話もあります」(地元関係者)
しかし、事件化していないとはいえ、「週刊新潮」は今回、被害者の妹だけでなく、近所のおばさんの目撃証言も掲載しており、高木氏に言い逃れする余地はなさそうだ。
しかも高木大臣の下着ドロボーはこれだけではかった。「週刊文春」では前出の被害者に対する下着ドロボーだけでなく、こんな証言も記されている。
「青山学院大学に通っていたときも、帰省した際に元カノのパンツを盗んだそうです」(被害者知人のコメント)
こうした高木氏の"下着ドロボー癖"は永田町にも知れ渡っており、"パンツ大臣"と揶揄されるほど常習犯だったと記されている。もちろん地元敦賀ではもっと露骨だ。
「地元では、若い頃の高木氏はパンツ泥棒の常習犯だったというのは、有名な話です」(「週刊文春」福井県議のコメント)
そのためか、選挙の度に下着ドロボーについて記された怪文書が出回るだけでなく敦賀気比高校の敷地に立つ高木氏の父親の銅像に、"ある異変"が起こるという。
「その銅像に、高木氏が選挙に出るたびに、パンツが被されるんです。パンツの色はたいて自民党のイメージカラーの青」
しかも、信じられないのは、こうした高木氏の下着ドロボー癖を官邸は事前に知っていたということだ。
「あまりに有名すぎる話ですから、もちろん官邸もそれを把握していたはず。しかし高木氏は安倍首相の出身派閥の細田派所属で、細田派と原発ムラからかなり強いプッシュがあった。「昔のことだし時効だろう」と、人事を強行してしまったようです」(大手紙政治部記者)
"どんな人間を大臣にしようが、俺たちには誰もさからえない"という、安倍政権の驕りが伝わってくるような話だが、実際、安倍内閣の不祥事は他にも、続々と明るみに出ている。
前述した森山農水相は暴力団との関係だけでなく、14日には不正献金疑惑までが発覚している。これは森山氏が代表を務める自民党鹿児島県第5選挙区支部が、談合で公正取引委員会から指名停止処置を受けた複数の建設業者から約690万円の献金を受け取っていたというもの。これに対し森山氏は「談合した企業だから献金を受けられないわけではない」などと主張したが、結局事実関係を認め全額返金することを表明している。
同様に馳氏もまた問題献金疑惑が発覚している。これを報じた「週刊文春」(10月22日号)によると、馳氏はボトリングシステムの製造で国内トップシェアを誇る金沢市の澁谷工業から165万円の献金を受けていた。澁谷工業は馳氏の後援会会長が社長を務める会社だが、一方で1億1400万円の国庫補助金を受け取っている企業でもある。
「政治資金規正法では、試験研究目的などの例外を除き、一年以内に国から補助金を受けている企業からの献金を禁じている」(「週刊文春」より)
体罰問題に対し釈明会見で大ウソをついた馳氏だが、今回の問題献金にしてもはなから規則やルールを守るつもりなどなかったのだろう。
だが、新聞やテレビにはこうした不正、スキャンダルを本格的に追及しようという姿勢はほとんど見られない。週刊誌やネットがいくら追及しても、新聞・テレビがこの体たらくでは、問題閣僚を辞任に追い込むことなどできないだろう。日本の政治報道は本当にこれでいいのか。 (BIGLOBEニュース 10月15日(木)21時0分)
ウェブニュースより
芭蕉さん、旅の始まりどこでした? 足立・荒川区が論争 ―― 松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を始めた地点をめぐって、東京都足立区と荒川区が熱い論争を繰り広げている。隅田川にかかる千住大橋周辺とされるが、はっきりとした記録はない。どっちが「本家」なのか。
今月11日、論争の渦中にある千住大橋で芭蕉が歩んだとされる足跡をたどろうと、荒川区民約30人が芭蕉に扮して、橋を渡るイベントがあった。荒川区の南千住地区商店街の企画。あいさつで、西川太一郎・区長は「今までは芭蕉と言えば、足立区が優勢だったが、最近は荒川区も出発の地として認められてきた」と自信をのぞかせた。
「奥の細道」によると、旅立ちは1689年3月27日。江戸・深川から船に乗って隅田川を北上、「千住といふ所にて船をあが」り、そこで「矢立て初めの句」として知られる「行春(ゆくはる)や 鳥啼(なき) 魚の目は泪(なみだ)」を詠んだとされる。ただ、川の北側にある足立区・北千住か、それとも荒川区・南千住なのかの記述はない。
そんな中で、両区は「証拠」をアピールする。
足立区は1974年、千住大橋の北側にある大橋公園に、出発点を意味する「矢立初の碑」を設置。2,004年には足立市場前に芭蕉の石像を設け、翌年、橋付近に芭蕉の壁画を描いた。
一方の荒川区。素盞雄(すさのお)神社にある「行春や」の句碑は1820年建立と、碑に関しては断トツに早かったが、その後は足立区にリードを許してきた。最近は巻き返しに懸命で、今年3月には南千住駅西口に芭蕉のブロンズ像を建てた。
論争の発端は、1989年の「奥の細道」300年記念事業にさかのぼる。旅立ちの再現イベントで、芭蕉に扮した江東区長が屋形船で千住大橋北側に到着し、足立区長が出迎えた。これに対し、「荒川区が呼ばれないのはおかしい」と荒川区民から横やりが入ったのだ。
「当時の江戸は隅田川の南岸までだった」と、荒川区立荒川ふるさと文化館の野尻かおる館長(56)は言う。「いったん南側で下り、江戸を去る心境を一歩一歩かみしめながら、橋を渡ったはずだ」と話す。しかし、足立区立郷土博物館の学芸員・多田文夫さん(52)は「宿泊を手配する問屋場も北側に集中していた。長旅で北に行くのだから北岸に下りるのが普通だろう」と指摘する。
昨年11月には、「芭蕉旅立ちの謎に迫る」と題したシンポジウムが荒川区で開かれたが、両区の議論は平行線のままだった。
果たして、決着はつくのか。両区は、この「論争」を町おこしにつなげようともくろむ。
足立区は06年、全国のゆかりの自治体が集まる「奥の細道サミット」を誘致するなど、芭蕉グッズの開発やスポットをめぐる街歩きイベントなどを積極的に実施してきた。一方、荒川区も08年から、芭蕉が旅を終えた「結びの地」の岐阜県大垣市の児童を招いて「俳句相撲大会」を開き、今年3月には「俳句のまち」を宣言した。
こうした中、最近は地元のファンが、芭蕉ゆかりの地をまとめた両区の共通マップを作るなどの動きも出てきた。足立区のNPO法人「千住文化普及会」の櫟原(いちはら)文夫理事長(64)は「論争は芭蕉さんのプレゼント。決着がつかない方がロマンがある」。荒川区の郷土史家、杉山六郎さん(79)も「千住はもともと一つ。論争を楽しみながら、ともに盛り上げていければ」と話している。 (朝日新聞DIGITAL 2015年10月16日02時30分)
ウェブニュースより
蕪村、未知の212句 長く所在不明の句集見つかる ―― 江戸中期の俳人で俳画を確立した与謝蕪村(よさぶそん、1716~83)の、これまで知られていなかった俳句212句を収めた句集が見つかった。天理大付属天理図書館(奈良県天理市)が14日発表した。句集の存在は戦前から知られていたが、長らく所在不明だった。
蕪村は松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸期の俳人だが、これほど多くの俳句が一挙に見つかるのは極めて異例だ。
見つかったのは、蕪村存命中に門人がまとめた「夜半亭(やはんてい)蕪村句集」(夜半亭は蕪村の俳号のひとつ)の写本2冊。
図書館が4年前に書店から購入。「蕪村全集」(全9巻、講談社)と照合するなどし、四季別に所収されている1903句のうち、「我焼(やき)し野に驚(おどろく)や屮(くさ)の花」「傘(からかさ)も化(ばけ)て目のある月夜哉(かな)」など212句が未知のものと確認した。
句集は以前から研究者の間では知られ、1934年発行の専門誌「俳句研究」が「新蕪村句集の再発見」と題し、35句を紹介していたが、句集はその後所在不明になっていた。
蕪村はこれまで約2900句が確認されている。関西大の藤田真一教授(近世俳諧)は「蕪村は研究し尽くされたと思われていた存在。その知られていない句がまとめて出てきたのは衝撃的で、『やっぱり、あったか』と感動した。蕪村に関する新たな発見ができるかもしれない」と話す。
句集は19日~11月8日、初公開となる句会稿の原本とともに天理図書館(0743・63・9200)で公開される。入場無料。
〈与謝蕪村〉 摂津国毛馬(けま)村(大阪市都島区毛馬町)の生まれ。若い頃に江戸へ出て俳諧や書、漢詩などを学び、丹後、讃岐などを経て晩年は京都に住んだ。俳風は写実的、浪漫的。与謝は母の生地にちなむとの説も。著名な句に「菜の花や月は東に日は西に」「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉(かな)」。明治の俳人、正岡子規が高く評価した。
■新たに見つかった句
○蜻吟(かげろう)や眼鏡をかけて飛歩行(とびあるき)
(とんぼが眼鏡をかけたような大きな目玉でふらふら飛んでいる、「吟」は「蛉」の誤字の可能性)
○我焼(やき)し野に驚(おどろく)や屮(くさ)の花
(ちょっと前に自分が放った火が燃え広がり、一面の草の花が焼けている)
○傘(からかさ)も化(ばけ)て目のある月夜哉(かな)
(唐傘にあいた穴から、夜空に浮かんだ月の明かりが差し込んでくる)
*ふりがなとカッコ内の解釈は藤田真一・関西大教授による (朝日新聞DIGITAL 2015年10月14日20時09分)
ウェブニュースより
政府、14日に不服審査請求=辺野古取り消し、無効化狙う-法廷闘争不可避に ―― 沖縄県の翁長雄志知事が米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先となる名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消したことを受け、政府は移設継続に向けて対抗措置を急ぐ方針だ。防衛省沖縄防衛局は14日、行政不服審査法に基づく審査請求と、裁決までの間の効力停止の申し立てを石井啓一国土交通相に行う。政府と県の対立は、法廷闘争に発展することが不可避の情勢となった。
中谷元防衛相は13日の記者会見で、辺野古沖で実施しているボーリング調査などの作業を当面中断する方針を示す一方、「埋め立て承認取り消しは違法だ」として、不服審査請求と効力停止申し立ての手続きを速やかに行う考えを示した。
菅義偉官房長官も会見で、「普天間の危険除去、閉鎖を政府として何としても実現したい」と強調。法廷闘争も辞さないかとの質問に「しっかり対応したい」と述べた。
防衛局が申し立てを行えば、公有水面埋立法を所管する国交相は、県による承認取り消しが適法か違法かを判断する。裁決には数カ月かかる見通しのため、政府はまず効力停止を認めさせて移設作業を再開したい考えだ。効力停止の是非は数週間程度で決まるが、国交相は政府方針に沿って効力停止を認めるとの見方が支配的だ。
沖縄県幹部も、承認取り消しの効力が停止されるのは「想定の範囲内」とみている。政府が工事再開に踏み切れば、県側は国地方係争処理委員会に不服申し立てを行う構え。また、承認取り消しが違法と裁決されれば、県は裁決無効や工事差し止めを求めて裁判所に提訴するとみられる。
逆に、可能性は小さいものの、国交相が県による承認取り消しを適法と認める場合、政府は取り消しの無効を求めて訴訟を提起する見通しだ。
翁長知事が3月、辺野古のサンゴが損傷したとして移設作業中止を沖縄防衛局に指示した際、同局は林芳正農林水産相(当時)に不服申し立てを行った。最終的な審査結果は出ていないが、知事の指示は効力が停止された。 (jijicom 2015/10/13-20:22)
辺野古移設、参院選争点に=政府・沖縄の対立長期化-普天間 ―― 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設をめぐる政府と県の対立は長期化が必至で、来年夏の参院選でも争点の一つとなるのは確実だ。移設を阻止したい翁長雄志知事と、工事続行の姿勢を崩さない安倍政権はともに選挙を重視、新たな民意を求めて攻防を繰り広げることになりそうだ。
「これから節目節目でいろいろなことが起きる。一つ一つの選挙でチェックされていくのではないか」。翁長知事は埋め立て承認の取り消しを発表した13日の記者会見で、年明けから沖縄で重要な選挙が相次ぐことに触れ、民意を通じて移設阻止へつなげていく意向を強調した。
来年は1月に宜野湾市長選、夏に県議選、参院選と続く。特に参院選沖縄選挙区は、辺野古移設反対派で元宜野湾市長の伊波洋一氏が野党統一候補として現職の島尻安伊子沖縄担当相(自民)にぶつかる。宜野湾市長選も保守系の現職と、辺野古移設に反対する元県幹部の一騎打ちの構図となる見通しだ。
移設問題では、昨年11月の知事選で辺野古案に反対する翁長氏が当選したのに続き、同12月の衆院選の沖縄4選挙区で反対派が全勝。だが、安倍政権は辺野古移設が「唯一の選択肢」として工事を進めている。知事側は一連の選挙でも勝ち続けることで移設反対の民意を突き付けていく考えで、政権側は危機感を強めている。
自民党の谷垣禎一幹事長は13日の記者会見で、承認取り消しに関し「承服しがたい。私どもは(移設を進める)政府の手順をバックアップしていく」と強調。同党は参院選で、沖縄選出議員として初めて沖縄担当相に就いた島尻氏の勝利に向け全力を挙げる方針だ。
一方、民主党の岡田克也代表は党常任幹事会で「政府・与党には沖縄県にしっかり寄り添う姿勢を求めたい」と政権に苦言。維新の党の今井雅人幹事長は記者会見で「地元の理解を得る努力をした上で進めないと問題が大きくなる」と懸念を示し、共産党の志位和夫委員長は「圧倒的な民意を一顧だにしない安倍政権の暴走は絶対に認められない」とする談話を発表した。 (jijicom 2015/10/13-19:18)
今朝のウェブニュースより
「平和賞より安全・食料を」 市民は受賞に戸惑い チュニジア ―― 民主化を促したとしてチュニジアの「国民対話カルテット」へのノーベル平和賞授与が決まったことに、市民から戸惑いの声が上がっている。相次ぐテロや高い失業率など、目の前の現実は「民主化の成功」とはほど遠く、街に祝賀ムードはない。
首都チュニスのハビブ・ブルギバ通り。2011年に23年続いたベンアリ独裁ログイン前の続き政権が倒れた「ジャスミン革命」のデモの中心地だ。しかし受賞決定から一夜明けた10日も、厳戒態勢が続いていた。
車道は閉鎖され、遊歩道には多数の警察車両が止まる。通り沿いにある内務省へのテロを警戒しているためだ。同省は有刺鉄線や柵で囲まれている。
5年間失業中というウィサーム・サギールさん(38)は「『国民対話カルテット』など知ったことではない。まるで絵空事を見せられているような気分だ」とぼやいた。
イドリス・ベンモーメンさん(17)は「賞を受けるのは名誉だが、実際の生活は悲惨だ。政府は言うだけで何もしないし、民主化の実感はない」と話した。博士号を持つ友人もろくな仕事がない。勉強は無意味だと思って学校をやめたという。「欧州に移住したいが難しい。賞よりも、安全と食料がほしい」
国際労働機関(ILO)によると、チュニジアの失業率は若年層で約40%に達する。多くの若者がイラクやシリアで過激派組織「イスラム国」(IS)に加わった。3月のバルドー博物館襲撃事件に続き、6月には北東部スースの高級ホテルが襲撃され、外国人観光客ら38人が殺された。8日にも、世俗派政党所属の国会議員への暗殺未遂事件が起きたばかりだ。 (朝日新聞DIGITAL 2015年10月11日05時00分)
今日のウェブニュースより
中東民主化のモデルに 平和賞にチュニジア組織 ―― 【カイロ=押野真也】今年のノーベル平和賞は、北アフリカのチュニジアで平和的な政権移行に貢献した対話組織「国民対話カルテット」への授与が決まった。チュニジアは2011年の民主化運動「アラブの春」の先駆けとなり、民主的な手続きを踏んで安定した政権移行を実現した唯一の国だ。ノーベル平和賞の授与は成功モデルとしてこれを後押しし、世界の地政学リスクの焦点となっている中東の安定につなげる狙いもある。
「国民対話カルテット」はチュニジアの労働組合や人権組織などの4者で構成し、イスラム勢力と、政教分離を重視する世俗派が対立する中、双方を説得した。新憲法の制定と議会・大統領選挙を実現させ、今年2月に双方が政権に参加する形で正式政府が発足するための原動力となった。
■予想の声少なく
チュニジア関係者の受賞を予想する声は多くなかった。中東政治に詳しいチュニス大学のアブドルラティフ・ハナーシー教授は「予想外だったが、(中東や北アフリカ)地域で対話の重要性を認識させる大きな機会になる」と述べ、期待を寄せた。
シリア内戦が欧州の難民問題や米ロ対立の深刻化につながるなか、中東の安定に向けた「希望のともしび」としてチュニジアへの期待が大きいという認識が授賞決定の背景にある。
「アラブの春」ではリビアやイエメン、シリアがその後、激しい内戦状態に陥る一方、エジプトは軍がクーデターで政権を掌握し専制的な体制に後戻りした。一連の政変が中東・北アフリカに民主化をもたらすという夢を破り、かえって地域に混乱をもたらした。
しかも権力の空白は「イスラム国」(IS)のような過激派が勢力を増す土壌となった。チュニジアで「国民対話カルテット」が機能したのは幸運だった。同国では11年1月に独裁のベンアリ政権が崩壊した後、イスラム原理主義組織「アンナハダ」を中心とする連立与党が暫定統治にあたった。
■難民の発生防ぐ
世俗派とイスラム勢の対話は、政権崩壊後の権力闘争が暴力に転じるシナリオを回避して、リビアやシリアのように大勢の難民を出さずにすんだ。「国民対話カルテット」は議員や有力なイスラム勢力の指導者らと面会を重ねたほか、一般国民を対象とした集会なども開催した。人権の尊重や男女平等、信教の自由などを明記した新憲法が14年1月に成立した。
ただ、チュニジアにも課題はある。今年は外国人観光客を狙ったテロ事件が相次いでおき、日本人観光客も犠牲になった。経済低迷も続き、隣国のリビアからは戦闘員が流入し、国内では今でもテロが大きな脅威になっている。今回の授与は、チュニジアの民主化と安定が揺らぐことを防ぐ狙いもある。
日本にとっても、ひとごとでない。過激派ISは日本も標的にすると明言しており、実際に日本人が拘束され、殺害される事件も起きている。ISにはチュニジアから3000人以上が戦闘員として加わっているとされ、戦闘員の供給国の一つになっている。ISの弱体化にはチュニジアの安定が不可欠だ。日本政府はインフラ整備などを通じてチュニジアへの経済援助を続けてきた。
▼アラブの春 中東と北アフリカで相次いで独裁的な長期政権を倒した民衆運動。2010年12月、チュニジアで青年が警察官から嫌がらせを受けたことに抗議して焼身自殺をはかった。この事件を契機にチュニジアでは、当時のベンアリ大統領の強権体質や腐敗、所得格差の拡大などに反発する民衆の反体制運動が高まり11年1月に政権が崩壊。チュニジアの代表的な花になぞらえて「ジャスミン革命」と呼ばれた。 (日本経済新聞 2015/10/10 1:10)
昨夜のテレビニュースによると、スウェーデン・アカデミーは8日午後1時(日本時間同午後8時)、2015年のノーベル文学賞をベラルーシのスベトラーナ・アレクシエービッチさん(67)に授与すると発表しました。英ブックメーカーで有力候補に挙げられていたという日本の作家・村上春樹さん(66)はまたしても受賞を逸しました。2006年に初めて名前が挙がってから10年連続の落選となり、列島各地でため息が漏れたといいます。
ウェブニュースより
ノーベル文学賞にベラルーシ人作家 フクシマを積極発言 ―― スウェーデン・アカデミーは8日、2015年のノーベル文学賞をベラルーシ人の作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏(67)に授与すると発表した。授賞理由を、「私たちの時代における苦難と勇気の記念碑といえる、多様な声からなる彼女の作品に対して」とした。長年、期待されてきた同氏の受賞に、発表会場に詰めかけた報道陣らから拍手と歓声が起きた。女性の文学賞受賞は14人目。
AFP通信によると、ベラルーシの首都ミンスクで会見したアレクシエービッチ氏は、「私ではなく、私たちの文化、歴史を通して苦しんできたこの小さな国への受賞だ」と語った。
アカデミーのダニウス事務局長は「彼女は40年にわたり新しい文学のジャンルを築いてきた。チェルノブイリ原発事故やアフガン戦争を単なる歴史的出来事ではなく人々の内面の歴史ととらえ、何千ものインタビューをまるで音楽を作曲するように構成して、我々に人間の感情と魂の歴史を認識させた」とたたえた。
賞金は800万クローナ(約1億1600万円)。授賞式は12月10日にストックホルムで行われる。(ストックホルム=渡辺志帆)
■「黒沢明監督の『夢』はまさに予言」
アレクシエービッチ氏は、東京電力福島第一原発事故についても積極的に発言し、高度に発達した技術に依存する現代社会への警告を発している。
ログイン前の続き事故直後、仏紙リベラシオンのインタビューに対して「(チェルノブイリ原発事故に続く)2回目の原子力の教訓が、技術が発展した国で今起きています。これは日本にとってだけでなく、人類全体にとっての悲劇です。私たちはもう、ソビエト体制にも全体主義にも、誰に対しても罪を負わせることができないのです」と指摘。「原発の爆発が描かれた黒沢明監督の『夢』はまさに予言でした」と述べた。 (ストックホルム=渡辺志帆 モスクワ=駒木明義2015年10月8日23時59分 朝日新聞DIGITALより)
※ 黒沢明監督の『夢』:1990年に公開された、黒澤明監督による日本とアメリカの合作映画である。「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の8話からなるオムニバス形式。黒澤明自身が見た夢を元にしている。各エピソードの前に、「こんな夢を見た」という文字が表示されるが、これは夏目漱石の『夢十夜』における各挿話の書き出しと同じである。
《オムニバス全8話》
「第1話/日照り雨」 出演:倍賞 美津子
立派な門構えの家の前。陽が差しているのに雨が降っている。こんな日には"狐の嫁入り"があるという。日照り雨を不思議そうに眺めていた"私"に、母が「狐の嫁入りを見ると怖いことになりますよ」と釘を差す。止められて余計に見たくなった"私"は神社の森に入っていき、金縛りにあってしまう。動けない"私"の目の前で繰り広げられる、煌びやかでどこかおかしい狐の嫁入り。十分に楽しんで家に帰った"私"に母は自殺用の短刀を渡し、狐たちに死ぬ気で謝ることを強いる……。狐たちの美しい装束と対比して描かれる自然界の厳しい掟。黒澤の自然への畏怖が感じ取れる一作。
「第2話/桃畑」 出演:伊崎 充則
姉と女友達が雛祭りのままごとをしていると、不思議な少女が現れる。"私"にはその少女が見えるが、姉たちには見えず馬鹿にされる。少女に惹かれて裏の畑に行ってみると、そこには人間の姿をした雛人形が勢揃いしており、"私"に話かけてきた。これを恐れた人々は「雛人形は桃の木の化身だ」と言い桃の木を全て切り倒してしまう。それを見た"私"は泣き出してしまう。そんな"私"の姿に心を打たれた雛たちは少年に豪華絢爛な花盛りを見せてくれるのだが……。桃の木を自然全体になぞらえて描く、黒澤流の自然破壊と救済の物語。
「第3話/雪あらし」 出演:原田美枝子
"私"を含めた4人の登山隊は猛吹雪に遭遇してしまう。お互いをザイルで結び、睡魔と闘っている"私"に、どこからともなく現れた長髪の美しい女が甘い声で語りかけてくる。甘美な囁きに眠りかけた"私"だったが、自分を押さえつけている強い力に気付き見てみると、さきほどまで美しい姿をしていた女が豹変し、白髪の醜い老女になっていた!老女は勝ち誇ったように高笑いし、ブリザードの中に舞い上がる!二面性を持った雪女が象徴する陰と陽。やさしさと厳しさ。黒澤の人生経験がここに結集する。
「第4話/トンネル」 出演:寺尾 聡
戦時中将校だった"私"は罪悪感と共に戦地から生還した。暮れなずむ中、人気のないトンネルに差し掛かると、夕闇の中から猛犬が唸り声をあげながら向かってきた。驚いた"私"はトンネルの中に飛び込む。不思議なトンネルを抜けた"私"が歩き出そうとすると、重装備の兵隊が闇の中から出てきた。よく見ると彼は戦時中部下の一人であった野口一等兵で、出てくるなり「自分は戦死したのですか?」と問い掛けてくる。戦死した部下の突然の出現に面食らう"私"だったが、せめてもの罪滅ぼしに真実を本人に告げる。野口は実際は自分の腕の中で息を引き取った事実をかみ締めながら……。戦争の時代を生き、罪悪感を持ちつづけた黒澤の贖罪の物語。
「第5話/鴉」 出演:マーティン・スコセッシ
美術館でゴッホの「アルルのはね橋」を見ていた"私"は、いつの間にか絵の中に入り込んでしまう。その瞬間、絵の中の静止した世界は活動を始める。"私"はゴッホに会うため洗濯している女性たちに話を聞き、大平原でデッサンしている男=ゴッホをついに探し出す。尊敬するゴッホに出会い緊張する"私"に対し、最初は無関心であったゴッホだが「何故、描かないんだね?」と声をかけてくる……。CGとゴッホの融合。やがて自殺に至るゴッホの苦悩を最新の技術を用いて、ゴッホに心酔していた黒澤が切り取ってみせた傑作!
「第6話/赤富士」 出演:井川 比佐志
真っ赤に染まった富士山。逃げ惑う人々。そこに中にポツンとたたずむ"私"。何が起こったかわらかない"私"は群集の中の一人をつかまえ話を聞く。すると彼の口から「六基の原子力発電所が爆発した」という驚愕の事実が明かされる。群集を追って海岸の方に逃げた"私"だったが、そこでさらに恐ろしい場面を目にする。切り立った断崖から人々が次々に身投げしていたのだ!人々を必死止めようとする"私"に、カラフルな色をした放射能が迫る---。黒澤が心の根底で持ちつづけた恐怖を叩きつけた一作。日本の美の象徴である富士山の赤、放射能の黄、紫などの色で表現され、恐怖を引き立てる。
「第7話/鬼哭」 出演:いかりや長介
"私"の前に鬼が現れる。鬼は"私"を不思議なものを見せてくれるという。そこで"私"が目にしたのは、巨大化し人間より大きくなったタンポポ、地の池、その周りで飢餓に苦しむ鬼たち、という地獄絵図であった---。しかも実はその鬼は元人間であり、悪事を重ねた人間のなれの果てだと言う。放射能によって突然変異を起こした植物、食糧危機、そしてそこで苦しむ人間たちをとおして、強欲のために世界を破壊し続ける人間に警鐘を鳴らす。『赤富士』と並んで黒澤の人間の愚かさに対する恐怖が表出した一作。
「第8話/水車のある村」 出演:笠 智衆
どこまでも続く大自然。鬱蒼と茂った木々。清らかな水をたたえた川。その中に"私"がいる。"私"は水車の修理をしている老人と出会い、その話に耳を傾ける。その老人の口から出てきたのは、自然と尊び、共存する人間たちの姿だった---。『赤富士』『鬼哭』で人間の所業とその結果を壮絶なまでの映像で見せた黒澤が、その締めくくりで見せた人間への希望のメッセージ。奇をてらうことなく、訥々と語る老人と黒澤の姿が重なって見える最後の『夢』の物語。
Korinthos(コリントス)はもともとMēdeia(メーデイア)の父Aiētēs(アイエーテース)の出身地であり、アイエーテースが執政を置いていたのでメーデイアは統治権を要求できる立場にあったのです。コリントス王Kreon(クレオーン)は、Iāsōn(イアーソーン)の人柄を気に入って彼を歓迎し、娘Glauke(グラウケー)との結婚話を持ちかけるのでした。
イアーソーンは、メーデイアとの間に子供もできていましたが、メーデイアの凄まじいやり口を次第に忌み恐れるようになっていましたので、イアーソーンはメーデイアとの誓いを破棄してクレオーン王の娘グラウケーと結婚しようとするのでした。このためメーデイアは毒を染みこませた結婚衣装をグラウケーに送り、グラウケーがその衣装を身につけたところ、衣装はたちまち炎に包まれ燃え上がり、グラウケーと彼女を助けようとしたクレオーン王はともに焼け死んでしまいます。
さらにメーデイアはイアーソーンとの子まで殺し、竜の牽く戦車に乗ってコリントスを去ったといわれていますが、これは後世Eurīpidēs(エウリーピデース、BC480年頃~406年頃、古代アテナイのギリシア悲劇における三大悲劇詩人の1人)による脚色であるともいわれています。
※ Eugène Delacroix(ウジェーヌ・ドラクロワ):フランスの19世紀ロマン主義を代表する画家。ドラクロワは近代絵画発展上、本質的で革新的な絵画を描いたといわれています。
イアーソーンとメーデイアの間には、7人の息子と7人の娘がいましたが、メーデイアが手にかけたのではなく、グラウケーとクレオーンの殺害に憤激したコリントス人たちが、彼らをことごとく捕らえ、石を投げつけて殺したということです。また、長男のMedeios(メーデイオス)は、イアーソーン同様Pelion(ペーリオン)山のCheirōn(ケイローン)に養育されていて、難を逃れたともいわれています。
悪女とくっついてしまったばかりに貧乏クジばかり引くことになってしまった哀れなイアーソーンはどうなったのでしょうか? 彼は故郷のIolkós(イオルコス)へと戻ることもかなわず、諸国を転々とするはめになったのです。失意のイアソンの末路については諸説あり、いずれも悲惨な最期を迎えているようです。イアーソーンがコリントスの王となってクレオーン王の娘グラウケーとの結婚話が持ち上がり、メーディアを離縁したとき、怒ったメーディアはクレオーンとグラウケー、さらには自分の子どもたちを殺して立ち去りますが、イアーソーンもこの時メーディアに殺された、あるいは自殺したというのがあります。
他の伝説では狂人となって各地をさまよい、アルゴー船が引き上げられて、そのままになっている、イオルコスの浜辺に戻って来ました。「お前だけが僕の友達だ。」そうつぶやいて、船のそばでまどろんでいる時、船は崩れ落ち、舳先がイアーソーンの頭にあたりました。こうしてイアーソーンは、波乱の生涯を閉じたというのもあります。
いずれにしても、能力あり、胆力あり、人望ありとまさに英雄としての条件を全て備えていたイアーソーンではありましたが、彼の唯一にして最大のミスは、メーディアなんて女を妻に迎えてしまったことだったというわけです。
昨日は先だっての大腸ポリープ除去の検査結果の報告を受けに三井記念病院に行きました。ポリープは悪性のものではなく、結果は良好とのことでした。1年後に再検査を行うことを勧めるということでした。
昨日に続いて、ノーベル物理学賞に日本人が選ばれました。
今日のウェブニュースより
ノーベル物理学賞に梶田氏…ニュートリノに質量 ―― スウェーデン王立科学アカデミーは6日、2015年のノーベル物理学賞を、謎の多い素粒子ニュートリノに質量があることを突き止めた東京大学宇宙線研究所の梶田隆章所長(56)ら2人に贈ると発表した。/現代物理学の根幹を成す素粒子の標準理論に修正を迫るもので、宇宙の成り立ちや物質の起源の解明へ道を開く成果と高く評価された。/授賞理由は「ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見」で、同時受賞するのは、カナダ・クイーンズ大学のアーサー・マクドナルド名誉教授(72)。/日本のノーベル賞受賞者は、5日に生理学・医学賞に決まった大村智・北里大特別栄誉教授(80)に続き24人目。物理学賞は、昨年の赤崎勇、天野浩、中村修二の3氏に続き、2年連続で11人目。賞金は800万スウェーデン・クローナ(約1億1500万円)で2人で等分する。/梶田氏は6日夜、東京大(東京都文京区)で記者会見を開き、「非常に光栄なことで、今は頭の中が真っ白。何を話していいかわからない」と受賞決定の喜びを語った。 (読売新聞 2015年10月06日 22時00分)
東京五輪を控え 浅草寺でテロ対策訓練 ―― 東京オリンピック・パラリンピックの開催を控え、海外からの観光客が増えるなか、警視庁は、多くの外国人が訪れる東京・浅草の浅草寺で、テロ対策の訓練を行いました。/訓練には、警視庁の警察官や浅草寺の職員、地元の観光関係者などおよそ60人が参加しました。訓練は、境内に爆発物が置かれたという想定で処理班がロボットを操作して専用の車に収納したほか、サリンがまかれたという想定でけが人の救助や除染の手順を確認していました。現場では、多くの外国人が立ち止まって訓練の様子を見学していて、アメリカから訪れたという女性は「テロ対策の訓練を行うことは、犯罪の抑止につながるので、とてもよいことだと思います」と話していました。/浅草警察署の島田恭一郎署長は、「外国人も多く訪れる観光地だけにテロの標的になることがないよう対策を進めていきたい」と話していました。 (NHK WEB NEWS10月6日 16時46分)
Iāsōn(イアーソーン)はただちにArgo(アルゴー)船を出航させましたが、宝物が盗まれ、わが子もいなくなったことを知ったAiētēs(アイエーテース)は追っ手の船団を差し向けました。アルゴー船にイアーソーンとともに乗り込んでいたMēdeia(メーデイア)は、一緒に連れてきていた幼い弟Apsyrtos(アプシュルトス)を殺し、その亡骸(なきがら)を切り刻んで海にばらまいたのです。追っ手の船団がアプシュルトスの体を拾い集めている間にアルゴー船は脱出に成功したのでした。アイエーテースは引き返してアプシュルトスを黒海沿岸の地に埋葬したといいます。
※ Herbert Draper(ハーバート・ドレイパー):ロンドン生まれのイギリスのラファエル前派の画家です。セント・ジョンズ・ウッド美術学校で学びました。1884年、ロイヤル・アカデミーに入学。1890年、アカデミーで金賞を取りますが、その副賞の海外奨学金を得て、パリのアカデミー・ジュリアンで学び、ローマへ行きました。
アルゴー船が出港して数ヶ月が経ってもArgonautai(アルゴナウタイ)は戻らず、Thessalía(テッサリア)では彼らはみな死んだと噂されるようになりました。Peliās(ペリアース)はイアーソーンらはもう帰ってこないものと信じ、監禁していたAisōn(アイソーン)を殺そうとしました。アイソーンは自決を願って自ら死に、イアーソーンの母親Polymele(ポリュメーレー)もまたペリアースを呪って縊れ死んでしまいます。二人には幼い子供Promachos(プロマコス)もありましたが、ペリアースはこれも殺してしまいます。
このことは、Iolkós(イオールコス)のPagasai(パガサイ)湾に帰り着いたアルゴナウタイにも伝えられました。イアーソーンはペリアースへの復讐を念じましたが、アルゴナウタイにはペリアースの息子Akastos(アカストス)もいたため、ペリアースを殺すという合意は難しく思われました。
また、金羊毛皮をイオールコスに持ち帰ったイアーソーンでしたが、ペリアースは王位を譲ろうとしません。そこでイアーソーンはメーデイアに相談すると、メーデイアは単身でイオールコスの王宮に乗り込むのでした。メーデイアは初め老婆の姿をとってArtemis(アルテミス)の使いだと名乗るのでした。ペリアースの目の前で自らの老いの影を取り去ると、本来の若い姿に戻り、恩寵によって王もこのように若返らせることができると告げるのでした。さらに牡羊を八つ裂きにして煮ると、仔羊となって現れ、ペリアースの娘たちに父親を同様にするよう説いたのです。娘たちはこれを信用して、ペリアースを切り刻んで煮たのであります。
※ Georges Moreau de Tours(ジョルジュ・モロー・ド・ツアー):フランスの歴史画家で、イラストレーターでもありました。
ところが、メーデイアの魔法の力は民の恐れるところとなり、イアーソーンはイオールコスの王位を継ぐどころか、国にいられなくなってKorinthos(コリントス)に逃れることになりました。
sechin@nethome.ne.jp です。
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