ウェブニュースより
ブルキナファソの高級ホテル襲撃、20人以上が死亡 ―― 西アフリカ・ブルキナファソの首都ワガドゥグで15日夜(日本時間16日早朝)、外国人らが宿泊する高級ホテルがイスラム過激派の武装勢力に襲撃された。武装勢力は宿泊客を人質にとってホテルに立てこもり、駆けつけた治安部隊と銃撃戦になった。治安部隊は16日早朝、ホテル内に突入し、宿泊客らを解放した。作戦によって過激派4人が死亡した。
AFP通信などによると、宿泊客ら20人以上が死亡。30人以上が負傷した。犠牲者の国籍は十数カ国にわたるとみられる。日本の外務省によると、邦人が巻き込まれたとの情報はない。国際テロ組織アルカイダ系の武装勢力「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」が犯行声明を出した。
現場は高級ホテル「スプレンディッド」(147室)。15日午後7時半ごろ、ホテル周辺で2台の車が爆発し、覆面をした数人の男がホテルや近隣のカフェを襲った。現地からの映像では、ホテル周辺で車が激しく燃えている様子が映し出されている。
また、ロイター通信は16日、ブルキナファソ北部でオーストリア国籍の男性医師と妻が誘拐されたと伝えた。ホテル襲撃との関連は不明だという。
ブルキナファソでは2014年10月、27年間実権を握ったコンパオレ前大統領が市民の反政府デモを受けて退陣。昨年11月の大統領選挙で元首相が当選したばかり。
西アフリカでは昨年11月にも、ブルキナファソの隣国マリの首都バマコで高級ホテル「ラディソンブル」が武装集団に襲撃され、宿泊客ら約20人が死亡。アルカイダ系の武装勢力が犯行声明を出した。(モンロビアにて) (朝日新聞DIGITAL 2016年1月16日20時50分)
台湾、立法院選でも民進党が初の単独過半数 ―― 【台北】台湾の立法院(国会、定数113)選挙が16日投開票され、最大野党・民進党が躍進した。議席数を改選前の40から大きく伸ばし68議席を獲得、初めて過半数(57議席)を上回った。同日の総統選で大勝した蔡英文氏の指揮のもとで議会運営でも優位に立つ。一方、「時代力量(時代の力)」などの新政党も若者の支持を背景に存在感を高めた。
中央選挙委員会や各党の発表によると民進党は小選挙区(計73議席)で49議席、比例区(計34)や別枠の先住民区(計6)で19議席を得た。支持基盤の南部に加え、国民党の地盤の台北市など北部でも得票を伸ばした。
民進党は与党だった2000~08年の陳水扁政権時代に立法院の過半の議席を得られず、少数与党として議会運営で苦労した経緯がある。過半獲得は1986年の結党以来の悲願だった。与党・国民党は経済政策への不満などを背景に議席数を改選前の64から35まで減らし、総統選と同じく大敗を喫した。
一方、中台間のサービス貿易協定発効への反対派が14年3月に起こした「ヒマワリ学生運動」のリーダーの一人、黄国昌主席(42)率いる時代力量は18人の候補者を擁立し、5議席を獲得した。
民進党が小政党とも連携し、国民党への不満票を取り込む戦略をとってきたことも追い風となった。若者の支持を集める時代力量などは今後、立法院の第三極として存在感を高めそうだ。
選挙結果を受けた立法院は2月1日に開会する。
▼立法院選挙 国会議員に相当する立法委員を選出する。一院制で任期は4年。小選挙区比例代表制で、定数113議席のうち小選挙区が73、比例区が34、「先住民区」が6議席ある。比例区は得票率が5%に達しないと議席が得られない。全議席の3分の2で総統の罷免や弾劾、4分の3で憲法改正の発議が可能になる。 (日本経済新聞 2016/1/16 21:05 (2016/1/16 23:44更新)
長野県軽井沢町の山中で、スキー客を乗せたツアーバスがガードレールを突き破って崖下に転落する事故が起きたそうです。多くの乗客と運転手が死亡し、近年の同種事故としては最悪の惨事となったし報じられています。大型バスの事故はこれまでも相次いでいるようです。2012年には群馬県藤岡市の関越自動車道で乗客7人が死亡する事故が起き、安全対策が強化されたはずでした。
ウェブニュースより
バス事故、問われる管理体制…健康診断怠る、無断変更 ―― 本来のルートを外れて走っていたスキーバスで、14人の命が奪われた。旅行会社は運行の実態を知らず、バス会社は事故を起こした運転手への健康診断を怠っていた。繰り返される重大事故を受け、安全対策が強化されてきたはずだったが、死角はなかったのか。
「運転手が自分の判断でルートを変更した。バス会社に対する管理不足」。ツアーを企画した旅行会社「キースツアー」(東京都渋谷区)の福田万吉社長(38)は15日、自社前で報道陣に陳謝した。
同社がバス会社「イーエスピー」(東京都羽村市)に出した手配書では、群馬県から長野県に抜ける区間は高速道路を通る予定だった。事故が起きた現場の一般道について福田社長は「道路幅も狭く、非常に危険」と説明。これまでのツアーでもこの一般道を通る手配はしなかった。運転手が渋滞回避などで別ルートを選ぶ場合は携帯電話で了解を得る運用になっていたという。
国土交通省によると、貸し切りバスのツアーでは、ツアーを主催する会社が行程表を作り、バス会社は行程を記した運行指示書を運転手に渡す。運転手の判断でルートを変える場合、バス会社の運行管理者の許可が必要で、許可がなければバス会社が道路運送法違反に問われる。
イーエスピーの山本崇人営業部長は「ルート変更の情報は運転手から会社に伝わっていなかった」と話した。
スキーツアー経験のある首都圏の50代のバス運転手は「長野へのスキーツアーではルート変更はよくある」と明かす。長野県内で雪道となる一般道を避けて高速道路を使うため、長野に入る前の高速料金を浮かすのが目的だという。
イーエスピーは昨年2月の国交省の監査で、運転手13人中10人に健康診断を受けさせていなかったことが発覚し、バス1台の20日間使用停止の処分を今月13日に受けたばかりだった。
労働安全衛生法に基づく規則では、事業者は従業員に雇用時と年1回の健康診断を行わなければならない。イーエスピーによると、今回運転していた運転手は契約社員で、昨年12月の採用時に健康診断をしていなかった。山本営業部長は「フル稼働でなく、繁忙期に助けてもらう運転手だったため」と釈明した。 (朝日新聞DIGITAL 2016年1月16日05時16分)
ウェブニュースより
テロで市民2人死亡=東南アジア初、IS犯行声明-爆発相次ぎ銃撃戦・ジャカルタ ―― 【ジャカルタ時事】インドネシアの首都ジャカルタ中心部で14日、自爆テロとみられる複数の爆発と銃撃戦が発生し、容疑者の男5人を含む7人が死亡、24人が負傷した。AFP通信などによると、過激派組織「イスラム国」(IS)が「インドネシアにおけるカリフ国の兵団が十字軍の仲間を攻撃した。武器と自爆ベルトで戦い、仕掛けた爆弾を爆発させた」と犯行声明を出した。東南アジアでISを名乗る集団がテロを実行したのは初めてとみられる。
ルフット政治・治安担当調整相は死亡した5人の容疑者のうち3人は警察に射殺され、2人は自爆死したと述べた。また、死亡した市民2人はインドネシア人とカナダ人。国家警察によると負傷者の中には外国人4人が含まれている。
調整相によると、爆発は計5回発生。1回は米コーヒー・チェーン大手「スターバックス」の店舗内、1回は店舗の外、残りの3回は店舗近くにある警察官詰め所周辺で起きた。
警察当局者によると、容疑者の一部は銃で武装し、爆発後に警察官と銃撃戦になった。ジョコ大統領は報道陣に対し、「国民は恐れないでほしい。われわれはテロに負けない」と語った。
現場となったコーヒー店は、日系企業も入居する「スカイラインビル」1階で営業。ジャカルタの目抜き通りに面し、日本大使館からも近く、老舗百貨店サリナデパートの隣にある。ジャカルタの日本大使館によると、死者に日本人は含まれておらず、負傷者も確認されていない。
スカイラインビル内に勤める団体職員の日本人男性によると、爆発音は断続的に聞こえ、すぐにビルから退去するよう当局に促された。警察は狙撃班を含む多数の警察官をビル周囲に配置し、付近の道路を封鎖した。
インドネシアでは、若者を中心にISの支持者が増加しており、昨年12月にはIS支持者ら計11人が自爆テロを計画したとして逮捕された。警察は年末年始にテロが起きる可能性もあるとして、警戒を強めていた。 (jijicom 2016/01/15-00:38)
かつてTegea(テゲアー、アルカディア南東部に位置した古代ギリシアの都市)の王Aleos(アレオス)はDelphoi(デルポイ)で神託を授かったとき、自分の息子たちが娘Augē(アウゲー)の生んだ子供に殺されると告げられました。このためアレオスはアウゲーをAthēnā(アテーナー)・Alea(アレアー)神殿の女神官とし、アウゲーにもし男と通じたら殺すと言いきかせます。
ところが英雄Hēraklēs(ヘーラクレース)がテゲアーにやってきたとき、アレオスはアテーナーの神殿でヘーラクレースをもてなしにすが、酒に酔ったヘーラクレースはアウゲーに欲情して犯してしまい、アウゲーは子を身ごもってしまいます。後にアウゲーは密かに子を出産し、神殿内に隠しました。しかしこの行為がアテーナーの怒りに触れ、テゲアーには疫病が流行します。あるいは飢饉に見舞われたともいわれます。
アレオスが神託に原因を尋ねると、神殿内に原因があると告げられます。そこでアテーナーの神殿を調べるとアウゲーの生んだ赤子が見つかります。アレオスは赤子をarthenion(パルテニオン)山に捨て、アウゲーを罰するためにNauplios(ナウプリオス)に引き渡しました。しかし彼はKatreus(カトレウス、クレータ島の王)の娘たちも奴隷として売りさばくように言われており、まるで奴隷仲介人の仕事でもしているようです。とにもかくにもナウプリオスはアウゲーをMysia(ミュシア、アナトリア半島北西部、ギリシア神話ではTeuthrania(テウトラニア)とも呼ばれます)の王Teuthras(テウトラス)に与え、テウトラースは彼女を妻としてしまいます。一方、赤子は神の意思によって牝鹿に養われ、牧人に発見されて育てられた。そのさい、赤子は牝鹿elaphos(エラポス)にちなんでテーレポスと名づけられたといいます。
その他にもテーレポスの誕生には多くの別伝があります。Hyginus(ヒュギーヌス、BD64~AD17年、ラテン語の著作家)によると、アウゲーは密かにパルテニオン山で子を生んで捨てます。アウゲーはさらに父を恐れてミューシアのテウトラース王のもとに逃げ、テウトラースは彼女を自分の娘とします。同じころ、アルカディアの女戦士Atalantē,(アタランテー)も自分の子をパルテニオン山に捨てたのです。そこで牧人たちは子供たちを見つけ、アウゲーの子を牝鹿にちなんでテーレポスと名づけ、アタランテーの子は彼女が実際は処女ではなかったことにちなんでParthenopaios(パルテノパイオス)と名づけて育てました。
Alkidamas(アルキダマース、前4世紀のギリシアの修辞家,ソフィスト)によると、アレオスはアウゲーが妊娠しているのを見つけ、海で溺死させるべくナウプリオスに引き渡します。しかしパルテニオン山を通ったとき、アウゲーが赤子を出産し、それを見たナウプリオスは2人をミューシアのテウトラース王のところに連れて行ったといいます。
さらにSikelia(シケリア、現在のSicilia〈シチリア〉)のDiodorus(ディオドロス、紀元前1世紀にシケリア(シチリア)島で生まれた古代ギリシアの歴史家)によれば、アウゲーはナウプリオスともにパルテニオン山を通ったときに密かに子を生んで捨てたといい、アウゲーはテウトラース王のところに連れて行かれたといいます。一方の赤子は牝鹿に養われているのを牧人に発見され、牧人はコリュトス王に赤子を渡し、王によってテーレポスと名づけられて育てられたといいます。
成人した彼は母親を求めてMysia(ミュシア、古代の小アジア〈トルコのアナトリア半島〉北西部の地方)へ赴き、どういう経緯か母親であるアウゲと結婚しようとする仲にまでなったのです。しかし彼の身の上話や身につけていた装飾品などで、親子だと判明します。2人は改めて再会を喜びあいます。母親ほども年の離れた女性と結婚するのは、この時代では普通の出来事だったのでしょうか。
とにかくテーレポスはテウトラース王の後を継いで、Teuthrania(テウトラニア)を治めることになるのです。
ヒュギーヌスによればテーレポスがミューシアにやってきたとき、テウトラースはĪdās〈イーダース〉の軍に攻撃されていました。そこでテウトラースはテーレポスに、もしイーダースを追い払ってくれたら、王国と、養女としていたアウゲーをテーレポスの母とは知らずに妻として与えると約束したのです。そこでテーレポスはパルテノパイオスとともにイーダースと戦って勝利し、ミューシアの王となり、テーレポスとアウゲーはお互いが母子と知らずに結婚した。しかしアウゲーはこの結婚を受け入れておらず、アウゲーは新婚の部屋に入ったとき、剣を隠し持ってテーレポスを殺そうとした。ところが部屋の中に神の遣わした大蛇が現れたため、アウゲーは驚いて剣を大蛇に向かって投げた。アウゲーの企てを知ったテーレポスは彼女を殺そうとしますが、アウゲーがヘーラクレースに祈ったため、テーレポスは彼女が自分の母であることを悟ったのです。
テーレポスはまた祖父アレオスの授かった神託どおりに自分の伯父たちを殺したとも言われます。
ヘラクレスの三度目の妻ははDeianeira(デイアネイラ)と言います。彼女は、河神Achelōos(アケロオス)に求婚されておりました。ヘラクレスはアケロオスに勝負を挑み、アケロオスを倒してデイアネイラを妻にしました。
※ Bartholomeus Spranger(バルトロメウス・スプランヘル、1546~1611年):ブラバント公国(現在のベルギー)の画家。北方マニエリスムの代表的な美術家。
さて、ヘーラクレースとその妻デーイアネイラは、彼らの子供であるHyllos(ヒュロス)を連れて旅をしていました。ある日のことです。Evenus(エウエノス)川のほとりでヘーにクレースとデイアネイラは途方にくれていました。対岸に行きたいのですが、川の水かさが増し、このままでは渡ることができません。その時、半人半馬のケンタウロス族のNessos(ネッソス)がやってきて言いました。
「大変そうだな。奥さんの方は俺の背に乗せて川を渡ってやるよ」
ヘラクレスはデイアネイラをネッソスに託し、自分は一人で川を渡りました(他にヘラクレスは息子を抱えて川に入ったという話もあります)。無事川を渡り終えたヘラクレスですが、ふと周囲を見渡すとデイアネイラとネッソスの姿が見当たりません。不審を覚えたとき、突如妻の悲鳴が響き渡りました。驚いて悲鳴のした方を見ると、草むらの奥でネッソスが妻に襲いかかろうとしているではありませんか!
※ Guido Reni(グイド・レーニ):バロック期に活動したイタリアの画家。アンニーバレ・カラッチらによって創始されたボローニャ派に属する画家で、ラファエロ風の古典主義的な画風を特色とします。
ヘラクレスはヒュドラの毒を浸した矢をつがえて、すぐさまネッソスを射貫きました。
※ Louis Lagrené(ルイ・ラグネル):フランス画家。1744年からローマ王立学校でカール・ファン・ローに学び、1755年、Rアカデミーメンバーとなります。1762年からボザール教授。1781年からローマのフランスアカデミーディレクター。
ネッソスは息絶える前に、デイアネイラに言いました。
「俺の血を浸した布を持っておくがいい。後にヘーラクレースが心変わりをしてあんたから離れようとしたときに、この布で服をつくりヘーラクレースに着せるんだ。ヘーラクレースはあんたの元に帰ってくるよ」
デイアネイラは困惑しながらもネッソスの血を浸した布を握りしめました。…… 後に、これがヘーラクレースの命を奪うことになるとは露とも知らずに。
後に、ヘラクレスは妻デイアネイラをTrachis(トラキス)という国に預け、自分は人を募ってOichalia(オイカリア)に攻め入ります。かつて、弓術試合でEurytos(エリュトス)一家がヘーラクレースとの約束を守らなかったので、その復讐のためです。へーりクレースは王エリュトスと王子たちを殺し、王女Iolē(イオレー)を捕虜として手に入れました。
オイカリアとの戦を終えたヘーラクレースは、ゼウスに感謝を捧げる儀式を行うことにし、トラキスにいる妻デイアネイラに新しい服を送るように使者を送ります。使者から話しを聞いたデイアネイラ。夫のヘーラクレースが若い王女イオレーに熱を入れているのを知ります。自分はもう若くなく、到底イオレーに叶わないことも判っています。
そこでデイアネイラはその昔、ケンタウロス族ネッソスの死に際の言葉を思い出します。…… ネッソスの血に浸った布で服をつくり、ヘーラクレースに与えれば彼の心が取り戻せると思ったからです。デイアネイラはネッソスの血が浸った布で礼服を作ります。そして完成した礼服をへーラクレースに送りました。
ヘーラクレースは妻から送られた礼服を身にまといました。ですが、なんということでしょう‼ 皮膚がただれ、全身を激しい痛みが襲いかかりました。
…… そうです。ネッソスの血が浸った布で作った礼服が原因だったのです。ネッソスの血そのものが毒であったわけではなく、ヘーラクレースがネッソスを射た時、その鏃にはHydrā(ヒュドラー)の毒が塗られていました。ネッソスはヒュドラーの毒が全身に回って死んだのです。いわば、ネッソスの血はヒュドラーの毒によって犯されており、その血を浸した布は毒布と化していたのです! 当然、ネッソスはそれを承知の上でデイアネイラに勧めた、というわけです。…… 恐るべし。死せるネッソスが英雄ヘラクレスをまさに追い詰めた瞬間でありました。
ヘラクレスは急遽妻のいるトラキスに搬送されます。事態を知ったデイアネイラは、自分がネッソスに騙されたことを悟りました。
「私はなんて愚かだったのでしょう!」
デイアネイラは嘆き悲しみ、そしてなんと自害してしまいます‼
一方ヘラクレスも重体です。己の死期を悟ったヘラクレスはOitē(オイテ)山(バルカン半島部南部にある山地)の山頂に薪を組上げました。そしてその上に横たわると、息子ヒュロスに火をつけるように言いますが、ヒュロスはそれを拒みます。父を生きながら火葬にするなんて、その火付け役などできるはずもありません。
そこへ羊の群を探して通りかかったPoiās(ポイアース)がヘ-ラクレ-ス親子から話を聞いて哀れと思い、火付け役を買って出てくれました。ヘーラクレースは火付け役を買って出たお礼にポイアースに弓を与えました。Hyginus(ヒュギーヌス、BC64年頃~AD17年頃、ラテン語の著述家)では、Philoktētēs(ピロクテーテース、ポイアースの息子)がヘーラクレースの火葬壇を築き、ヘーラクレースの弓を譲られたとします。この弓は、後に予言者Kalchās(カルカース、、Troia〈トロイア〉戦争のさいにAgamemnōn〈アガメムノーン〉に乞われてギリシア軍に従軍し、予言の術でギリシア軍を助けました)によって、トロイア戦争でギリシア勢が勝利する条件とされました。
※ Guido Reni(グレイド・レニー):7世紀前半、バロック期に活動したイタリアの画家。アンニーバレ・カラッチらによって創始されたボローニャ派に属する画家で、ラファエロ風の古典主義的な画風を特色とする。
※ Francisco de Zurbarán(フランシスコ・デ・スルバラン):バロック期のスペインの画家。スペイン絵画の黄金時代と言われる17世紀前半に活動した画家であり、宗教画、静物画に優れていました。
ヘーラクレースはヒュロスにイオレーを妻とすることを遺言し、火葬されてオリュンポスに昇り、神となったのです。ヘーラクレースの肉体は灰燼に帰し、魂は天へと登ります。天上ではゼウスが彼を暖かく迎い入れました。そして、女神Hērā(ヘ-ラ-)ともここでようやく和解します。へーラーの娘である青春の女神Hēbē(ヘーべー)を妻に娶り、ヘーラクレースは神の一員として天上で暮らしたのでありました。
そしてヘーベーとの間にAlexiares(アレクシアレース)とAniketos(アニーケートス)という二柱の息子を儲けたのであります。
この巨人はKronos〈クロノス、大地および農耕の神で、Zeus〈ゼウス〉の父親〉によりOuranos〈ウーラノス、全宇宙を最初に統べた原初の神々の王とされます〉の性器が切り取られた際に滴り落ちた血をGaia(ガイアが受胎)し、産み落とされたものとされています。巨人はGigās(ギガース、複数形はGigantes〈ギガンテス〉)と呼ばれ、巨大で濃い毛を生やし、腰から下は竜の形をしています。
※Giorgio Vasari(ジョルジョ・ヴァザーリ):イタリアのMannerism(マニエリスム、ルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す)期の画家、建築家。ラファエロらの作品に学んだといわれます。
予言により、この巨人には人間の力を借りなければ勝利は得られないと告げられており、オリュンポスの神々は負けはしないものの、巨人に打ち勝つ事ができなかったのです。このため、ゼウスは人間の女Alkmēn(アルクメーネー)と交わり、ヘーラクレースをもうけ、味方としたいわれています。ガイアはギガースの弱点を克服させるために、人間に対しても不死身になる薬草を大地に生やしましたが、これを察知したゼウスによっていち早く刈り取られ、遂にギガースがそれを得ることはありませんでした。
ギガースたちは、山脈や島々など、ありとあらゆる地形を引き裂きながら進軍し、巨岩や山そのものを激しく投げ飛ばして神々を攻撃しました。これに対し、オリュンポスの神々も迎撃を開始し、Tītānomakhiā(ティタノマキア、ゼウス率いる Ólimpos〈オリュンポス〉の神々と、クロノス率いる巨神族Tītān〈ティーターン〉との戦い)以来の宇宙の存亡を賭けた戦争が再び始まったのです。
ゼウスは巨人たちを雷霆で次々と撃ち倒し、戦闘不能になった巨人たちは尽くヘーラクレースの強弓の餌食となりました。他の神々も奮闘し、Dionȳsos(ディオニューソス)はthyrsos(テュルソス)の杖(きづたやぶどうを巻きつけ,先端に松かさを取付けた聖杖で、神自身の持物でもあり、信女らもたずさえたといいます。霊妙な威力を発揮し,無敵の武器ともなり,乳や蜜,清水などを自在に湧出させると信じられていました)でエウリュトスを打ち倒し、ヘーラクレースが毒矢でとどめを刺しました。Hekátē(ヘカテー、三相一体の姿をした女神で、松明を持って地獄の猛犬を連れているいわれる)は灼熱の炬火をKlytios(クリュティオス)に投げつけ殴り殺しました。またアテーナーとポセイドーンは火山や島そのものを巨人に叩きつけて押し潰し、最後にヘーラクレースが強大な毒矢や怪力を以て巨人に止めを刺しました。ポセイドーンはコス島の岩山をもぎ取り、ギガースの一人であるPolybōtēs(ポリュボーテース)に打ち付け、その岩山は後にNisyros(ニーシューロス)という火山島になったといいます。岩山に封印されたポリュボーテースが重みに耐えかねて火炎を吹くのだといわれています。
ヘーラクレースは矢でAlkyoneus(アルキュオネウス)を射てみたものの、巨人が大地へ倒れるとまた息を吹き返しますので、女神Athēnā(アテーナー)の助言を容れて、巨人の生まれ故郷Pallene(パレーネー)から引きずり出すことにしました。パレーネーの地に触れている限り無敵の力を得る最強の巨人でしたが、ヘーラクレースの圧倒的な怪力によってその地から引き剥がされ、その後彼の剛腕によって殺されました。
Porphyriōn(ポルピュリオーン)はオリュンポスの神々を苦しめたので、ゼウスは奸計を用います。すなわちポルピュリオーンがHērā(ヘーラー)、ヘーラクレースと戦ったときに、ゼウスはポルピュリオーンの心をヘーラーへの欲情で満たしたのです。このためポルピュリオーンはヘーラーに夢中になり、襲いかかってヘーラーの衣服を裂きました。ヘーラーは叫んで助けを呼びますが、このすきにゼウスはポルピュリオーンに雷を投げつけ、ヘーラクレースは矢を射て討ち果たしました。なお、ポルピュリオーンはアプロディーテーに討たれたとも、アポローンに討たれたともいわれています。
アルキュオネウスとポルピュリオーンが討たれた後、Ephialtes(エピアルテース)は左目をアポローンに、右目をヘーラクレースに射抜かれて倒されました。
ギガースたちは神々とヘーラクレースによって皆殺しにされ、この壮大な戦争はオリュンポスの圧勝に終わりました。
この戦いの後、ガイアは最大最強の怪物Tȳphōn(テューポーン)を産み落とし、ゼウスに最後の戦いを挑んだのです。
神統記によれば、ゼウスはテューポーンと全宇宙を揺るがす激闘の末に、雷霆の一撃によって世界を尽く溶解させて、そのままテューポーンをタルタロスへと放り込んだのだといいます。
ヘーラクレースの12の功業中にElis(エーリス、ペロポネソス半島にあり、北をアカイア、東をアルカディア、南をメッセニア、西をイオニア海とそれぞれ接しています)王Augeiās(アウゲイアース、「12の難行」の第5番目『アウゲイアースの家畜小屋掃除』参照-2015年11月7日のブログ)に報酬を踏み倒されたことの復讐として、後にヘーラクレースはエーリスに攻め入りました。エーリス軍にはMolione(モリオネ)という双子(一説には結合双生児〈1つの体に頭が2つある〉)の英雄がおり、彼らはPoseidōn(ポセイドーン)の息子でCalydon(カリュドーン)の猪狩りに参加するほど武勇に優れ、怪力も有していました。双子であるが故に二対一の戦いとなり、剛勇無双のヘーラクレースといえども苦戦を強いられました。攻防戦の最中にヘーラクレースは病にかかり、休戦協定を結んだのですが、モリオネはそれを破って攻撃を止めず、ヘーラクレースは撤退せざるを得なくなりました。その後、ヘーラクレースはモリオネがIsthmia(イストミア)大祭に参加するという報せを聞き、その道中に待ち伏せしてモリオネを毒矢で射殺したのです。ヘーラクレースは強力な英雄を失ったエーリスを攻略し、この勝利を記念してOlympia(オリュンピア、ペロポネソス半島西部に位置する古代ギリシアの都市。古代Olympic〈オリンピック〉が行われた場所)にゼウス神殿を建て、その地で競技会を行いました。以後、この競技会は4年に1度開催されるようになり、やがて古代オリンピックになったといいます。
ギリシア神話に残るOlympia(オリュンピア)祭(古代ギリシャ文明の国際的運動会、4年に一度開催される。現在のオリンピック行事の原型となった祭りです)の起源には諸説あるようです。
Homerus(ホメーロス)によれば、Troia(トロイア)戦争で死んだPatroklo(パトロクロス、英雄Achilleus〈アキレウス〉に仕えた武将で、主人のアキレウスとは竹馬の友でもありました)の死を悼むため、アキレウスが競技会を行いました。これがオリュンピア祭の由来であるとします。
さらに別の説によれば、エーリス王・Oinomaos(オイノマオス)との戦車競走で細工をして王の馬車を転倒させて王を殺し、その娘・Hippodameia(ヒッポダメイア)と結婚したPelops(ペロプス)が、企てに協力した御者のMyrtilos(ミュルティロス)が邪魔になったので殺し、その後、願いがかなったことを感謝するためにゼウス神殿を建てて競技会を開いたのだといいます。ペロプスの没後も競技会は続き、これが始まりだ、というものもあります。
後世の古代オリンピックではヘーラクレースの末裔と信じられたTheogenes(テオゲネス)が華々しい結果を残しています。テオゲネスは記録に残っているだけでもボクシングなどの種目で1300戦全勝し、古代オリンピックだけではなくあらゆる競技会で優勝を繰り返し、生涯無敗でした。ちなみに、この人物は神話上の存在ではなく実在した人物です。
このブログを立ち上げるときにお世話になったKS氏から賀状が届きました。それに携帯の電話番号がありましたのでSMSで、お礼のメールを出したその返事です。曰く、
16/01/06 12:44受信 FW:メールありがとうございます
KSです。/あけましておめでとうございます。/メールありがとうございます。/携帯のアドレスはこちらです (メールアドレスの記入あり)/いま使っているのはソフトバンクですが、アドレスだけは変更する切っ掛けを逃し、昔のままです。
テストを兼ねて、言い訳にパソコンでメール送信ができないことをボヤいて返信メールを送ったところ、折り返しメールが入りました。曰く、
16/01/06 13:25受信 Re:メール有り難う
受信できているのに送信できない場合は、ポート番号の設定を確認するとできるようになるかもしれません。/以下手順です。/メールソフトを起動して、使用しているメールアカウントのプロパティを開く。/詳細設定タブを見て、「サーバーのポート番号」の「送信メール(SMTP) 」が「番号記入」になっているか確認する。(初期設定では〈番号〉になっていることが多いです。)/ぜひご確認ください。
早速試してみましたが、相変わらずメール送信はできないようです。
KS氏にはどうやら年賀状発送が抜けたようなので、遅まきながら年賀状を投函しておきました。
ウェブニュースより
「水爆」は強化型原爆か 北朝鮮核実験 規模小さく―― 【ソウル】北朝鮮は六日、初の水爆実験に成功したと発表した。北朝鮮による核実験は四回目で、金正恩(キムジョンウン)第一書記の体制下では二〇一三年二月に続いて二回目。ただ、爆発の規模が小さいため、水爆の前段階にあたる「ブースト型核分裂弾(強化原爆)」などの可能性が高いとする指摘もある。/韓国の情報機関・国家情報院は六日夜、国会情報委員会に対し「水爆の可能性は低い」と説明。根拠として、インドが一九九八年に水爆実験に失敗した例を挙げ、「当時の爆発の規模は四十三キロトンだったが、今回の規模は北朝鮮の三度目の核実験時と同程度(六~七キロトン)だった」と述べた。/国情院の説明を受けた同委員会所属議員によると、北朝鮮が二〇一三年二月に行った三度目の核実験の爆発規模は七・九キロトン、地震の推定規模はマグニチュード(M)4.9(気象庁はM5.2)だったが、今回はそれぞれ六・〇キロトン、M4.8(同5.0)にとどまり、これまでの原子爆弾実験時の規模と変わらなかった。通常、水爆実験では、成功時には数百倍、失敗時でも数十倍の規模になるという。/ブースト型核分裂弾は、同量の核物質でより大きな威力を得られ、核弾頭の小型化には不可欠の技術とされる。核弾頭の小型化に成功すれば、米国本土に届く長距離弾道ミサイルに搭載することが可能となる。/国連安全保障理事会は緊急会合を開き対応を協議。日米は、北朝鮮への制裁強化など新たな安保理決議採択に向け協調する方針。/青瓦台(韓国大統領府)は六日、緊急の国家安全保障会議(NSC)を開催。朴槿恵(パククネ)大統領は「国際社会と緊密に協力し、北朝鮮に相応の対価を払わせなければならない」と述べた。/過去三回の核実験では中国に事前通知があったが、中国外務省は同日の会見で今回は事前通知はなかったと説明。二回目と三回目に事前通知があった米国へも今回はなかったという。
北朝鮮は同日昼、国営の朝鮮中央テレビを通じて「特別重大報道」を放送。「水爆実験が成功裏に実施された。小型化された水爆の威力を科学的に証明した」と明らかにし、「核保有国の戦列に上り詰めた」と強調した。同テレビは金第一書記が昨年十二月十五日に水爆実験を命令したとし「米国の対朝鮮敵視ほど根深く執拗(しつよう)なものはない」と米国を名指しで批判した。/韓国気象庁は六日午前十時半ごろ、北朝鮮北東部の咸鏡北道吉州郡豊渓里(ハムギョンプクドキルジュグンプンゲリ)で、マグニチュード(M)4.8の人工地震を観測した。 (東京新聞 2016年1月7日 07時06分)
今まで述べてきたように、Hēraklēs(ヘーラクレース)は、12の難行をし遂げる間にいくつもの功業を成し遂げています。まだまだ他にもいくつもの功業があるようですが、そのうちのいくつかを調べだしてみました。
Hēraklēs(ヘーラクレース)の嫁事件
12の難行を終えたヘーラクレースはようやく自由の身となり、Thēbai(テーバイ)に戻ります。 妻Megarā(メガラ)を甥のIolāos(イオラオス)に与え、自分は新たに結婚しようと嫁探しを始めました。
Apollodoros(アポロドーロス、1世紀~2世紀のギリシアの著述家)によれば、Messenia(メッセニア)のOichalia(オイカリア)へ赴いたとき、ちょうど王Eurytos(エウリュトス)が自分や息子達と弓術をして勝ったものに、 褒美として娘Iolē(イオレ-)を嫁に提供するという催し物を開催していました。 鼻息荒くヘーラクレースは勝負して、簡単に彼らを打ち負かしてしまいます。なお、この試合でエウリュトスは殺され、この後の話はエウリュトスでなく息子たちの話だとする説もあるようです。
Annibale Carracci(アンニーバレ・カラッチ):バロック期のイタリアの画家。 イタリア美術における初期バロック様式を確立した画家の一人であり、イタリア北部のボローニャを中心に活動したボローニャ派の代表的画家です。 アンニーバレを中心とするカラッチ一族の門下からは多くの著名画家が育っており、後世への影響も大きい。
しかし、ヘーラクレースは、Hērā(ヘーラー)に吹き込まれた狂気のためエウリュトスの子Īphitus(イーピトス)を殺して、病気に悩まされるようになるのです。すなわち、王たちはヘーラクレースに王女イオレーを与えることを渋り始めました。 原因はすべてヘーラクレースの素行にあり、狂乱の末子供たちを殺したことのある前科者だったからです。 王の長男イーピトスだけはヘラクレスの味方をしてくれますが、結局結婚は破棄されてしまいます。しばらくして王エウリュトスの牛が盗まれる事件が起きます。犯人はHermēs(ヘルメース)の子で、 かつてヘーラクレースにレスリングを教えたAutolykos(アウトリュコス)だったのですが、 王たちはヘラクレスが腹いせに盗んだのだと決めてかかっていました。実はアウトリュコスがエウリュトスの牛を盗み、これをヘーラクレースに売りつけたのですが、この時もヘーラクレースの弁護をしてくれたのはイーピトスでした。 そしてTiryns(ティリュンス)に滞在していたヘ-ラクレ-スを訪ねてきて、一緒に牛を探して欲しいと誘ってきたのです。 ヘーラクレースは喜んで承知し彼をご馳走でもてなしていたのですが、またも不幸な事件が起きてしまいます。 ヘーラクレースに狂気の心が渦巻き…… たぶん酒乱のせいでしょうが、 馬鹿力でイーピトスをテュリンスの城壁から投げ飛ばし殺してしまったのです。 正気に戻ったヘーラクレースは、救いようのないほどドン底に落ち込んでしまいます。そして王エウリュトス一族の反感はますます募っていくのでした。
ヘーラクレースは殺人の罪を清めてもらうために、Pylos(ピュロス)王Neleus(ネーレウス)の元にやってきました。
「申し訳ないが、私は貴方の罪を清めることはできない。私は王エウリュトスと友情を誓っている。 その息子を殺したことは、私にも耐え難い屈辱である。他をあたってくれ。」
無下に断られたヘーラクレースはLakonía(ラコニア)のAmyklai(アミュクライ)まで赴いて、王Dēiphobos(デイポボス)に清めてもらったのでした。 それでも狂気が彼の中から消えることはありませんでした。
とにかく本人の苦痛は癒えることがなく、Delphoi(デルポイ)に来てApollōn(アポローン)に信託を求めることにしたのです。 しかし神殿の巫女は信託さえ拒んだので、短気なヘーラクレースは腹を立てて神器の1つである3脚の鼎を奪っていこうとしました。 アポローンも我慢ならなくなり、自らヘーラクレースの前に姿を現します。
「神聖なる物を奪っていくとは、なんて罪深いやつだ! 見損なったぞ!」
「お前が俺に信託をくれないからじゃねーか!」
「そんな態度を取っていると、天罰が下るぞ!」
「やれるものならやってみろ!」
「なにぃ!」
というわけで、ヘーラクレースとアポローンが大喧嘩を始めてしまったのです。
これに気づいたZeus(ゼウス)はあわてふためき、2人の間に雷を落として喧嘩を止めさせるのでした。ゼウスにとっては2人とも大事な息子なのです。
「何を喧嘩しておるのだ、2人とも!」
「ヘラクレスが私の神殿を汚そうとしたからですよ!」
「そもそも信託をくれないからじゃないか!わざわざデルポイまで赴いたってのに!」
「わかったわかった。アポロンもそう意地悪するでない。本人もかなり悩んでいるようだし信託を与えよ。」
「えー、だってこいつただの酒乱だし…… 酒を止めろっていうのもつまらんな。よし、わかった。信託を授けよう。」
「まじめにな。」
「殺人の償いは、3年間(または1年説もある)奴隷となり、王エウリュトスには代償を支払うこと。そうすれば病は癒えるだろう。 ま、せいぜい頑張るんだな。はっはっは。」
こうしてヘーラクレースはHermēs(ヘルメース)により、Lydia(リュディア)女王Omphalē(オンパレ)の奴隷に売られたのです。
※Tischbein(ティッシュバイン)家はドイツ,ヘッセンの画家一族。 18世紀から 19世紀にかけて 20人以上の画家を出した家系で、J.H.W.ティッシュバインのほか、彼のおじでカッセルで宮廷画家として活動、A.ワトーや F.ブーシェの影響を受け、ロココ様式の肖像画、神話的主題の作品を多数制作したJohann Heinrich Tischbein(ヨハン・ハインリヒ・ティッシュバイン、1722~1789年) や,ヨハン・ハインリヒの甥でワルデック,ライプチヒで活動したロココから古典主義への過渡期の肖像画家のヨハン・アウグスト・フリードリヒ・ティッシュバイン (1750~1812) らを輩出しました。
彼女はIardanes(イアルダネス)の娘でTmolos(トモロス)の寡婦でしたが、夫の死後この国を統治していたのです。そして奴隷の身でありながら、女王を孕ませてAgelāos(アゲラーオス)が生まれました。 アポロドロス説では、この時にEphesos(エペソス)近傍でKerkops(ケルコプス)と出会うことになっています。(ケルコプスについては、11月13日のブログを参照) またこの間にArgonautai(アルゴナウタイ)の探索やCalydon(カリュドーン)の猪狩りが行われました。また、Thēseus(テーセウス)がTroizḗn(トロイゼーン)よりAthēnai(アテーナイ)に向い、その途上でならず者たちを退治したとされます。にも拘らずヘーラクレースはアルゴー遠征とカリュドンの猪狩にも参加していて、矛盾だらけですが、ここも目をつぶることにしましょう。
その後どういう経緯かAulis(アウリス)の地でSyleus( シューレウス、「奪略する者」の意)はヘラクレスの主人となったのですが、 ヘーラクレースが乱暴にブドウ畑を荒すのでほとほと困り果てたといいます。しかし、アポロドロス説では、このシュ-レウ-スという男は通りかかる旅人に自分の畑を強制的に掘らせていたため、 ヘラクレスはブドウの木を根っこから焼いてしまい彼の娘Xenodoke(クセノドケ)ともども殺してしまったのだといいます。
さらにDoliche(ドリケー)島に立ち寄ったとき、Īkaros(イーカロス)の死骸が海岸に打ち上げられているのを見てこれを葬り、島をIkaria(イーカリアー)と呼んだといいます。イーカロスの父Daidalos(ダイダロス、ギリシア神話に登場する有名な大工、工匠、職人、発明家)は感謝してお礼にピサの地にヘーラクレースの像を建てましたが、ヘーラクレースは夜にこの像を見たため生きていると思い込んで石を投げつけてしまったといいます。
※ Eleas Greitherについては、目下不明です。
ヘーラクレースがオムパレーに仕えたとき、二人は互いの衣装を取り替えたいわれます。この衣装取り替えについては、ローマ期以降脚色を受けて物語化され、絵画の題材としても好んで採り上げられるようになりました。
以下は、Bernard Evslin(バーナード エヴスリン、1922~1993年、ニューヨークの小説家兼劇作家)の『ギリシア神話小事典』の記述の概略です。
オムパレーは専横な主人で、ヘーラクレースは女装のうえ、糸紡ぎの仕事をさせられます。オムパレーがヘーラクレースの獅子の皮を身にまとい、棍棒を持ったところ、棍棒の重さによろめいたといいます。ある日、オムパレーは森から奇襲を受け、牛をさらわれ、部下が殺されます。ヘーラクレースが獅子の皮をまとって棍棒を持って森に入り、敵を掃討したので、オムパレーはヘーラクレースを夫とし、3人の子を産みました。
※ Gustave Moreau(ギュスターヴ・モロー)は印象派の画家たちとほぼ同時代に活動し、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描いたといいます。彼の作品は19世紀末のいわゆる『世紀末』の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされています。
イギリス在住の塾友IA氏よりメールが入りました。昨年暮れに郵送した昭和42度の文集再製版のお礼のメールです。曰く、
2016/01/04 8:26 着信 文集 受領しました。
日高先生ご夫妻様 /明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
大晦日に 文集が届きました。 /早速 私の駄文を読み、それから 同期生達の作文に目を通しているところです。/Kuriちゃんの作文に「Ara君と二人がかりで、A先生のお化けをみぞに落としました。」とか「Ara君のカルメンは、予想以上の美人だった」とか 出て来て懐かしく思っています。 /また Ⅰ君の作文にも「Araリンとこっそり相談して、、」とかあり、私は 規約破りの常習者だったかも知れません。 /涙を誘う 亡くなったマエチの作文を読んで懐かしがっていたら、最後に「国民のために 頑張ろうと思う。」で 大笑いもしました。 /兎に角 「中学生の私」に戻して頂き、有難うございました。 /いつ日本へ行けるか分かりませんが、私の知っている先生や生徒の皆さん達に 宜しくお伝え下さい。 IA
中東情勢の混迷はに拍車が掛かっているようです。ウェブニュースより
サウジとイラン、対立激化の背景 2国とも計算ずくか ―― 3日にイランと断交したサウジアラビアのジュベイル外相は4日、イランへの民間機の発着や国民のイラン渡航を禁止し、経済関係も断絶する考えを明らかにした。ロイター通信が報じた。サウジに続き、4日にはバーレーンとスーダンもイランとの断交を宣言。アラブ首長国連邦(UAE)も駐イラン大使の召還など、「外交関係の格下げ」を表明した。サウジによるイスラム教シーア派指導者の死刑執行をきっかけに先鋭化した中東の2大国の対立は、周辺諸国を巻き込んで深刻化している。/バーレーンとスーダンはサウジが昨年3月に始めたイエメンへの軍事介入に参加するなど、サウジと緊密な関係にある。特にスンニ派の王政ながら、シーア派が住民の過半数を占めるバーレーンは、反政府デモが広がるたびに「イランが関与している」と主張。2011年にはサウジを中心とする合同軍がデモを鎮圧した。/対立の発端は2日、テロ活動に従事した罪で14年に死刑判決を受けたシーア派指導者ニムル師を処刑したと、サウジが発表したことだ。同じシーア派の指導者が国を治め、同師を処刑しないよう要請してきたイランは猛反発。最高指導者ハメネイ師が「サウジアラビアは神の報復に直面するだろう」との声明を出した。イランにあるサウジ大使館や領事館は、暴徒化した群衆に襲われ、放火された。/一方でサウジから見れば、ニムル師は体制転覆を唱えた「危険人物」。宗派対立をあおっているのはイランの方だ。ジュベイル外相は過去のイランでの外国公館襲撃事件にも触れ、「イラン政府が黙認している」と批判した。/ともに保守的なイスラム教国で産油国のサウジとイラン。両国は衝突と融和を繰り返してきた。共和制でシーア派を国教とするイランと、その影響力の拡大を防ぎたいスンニ派の王制国家サウジの覇権争いだ。/両国関係は、11年に中東に広がった民主化運動「アラブの春」で、一気に険悪化した。サウジなど湾岸諸国は、国内のシーア派住民によるデモを「背後から手引きした」とイランを非難した。/さらにサウジで昨年1月に即位したサルマン国王は、イエメンへの軍事介入などタカ派の姿勢が目立つ。メッカで昨年9月、巡礼中のイラン人464人が死亡する事故が起きるなど、対立が深まる事案も続いた。/両国政府が、「敵国」の存在を国内の引き締めに利用しているのも事実だ。カーネギー中東センターのレナド・マンスール客員研究員は「両国とも、相手の反発を十分に計算した上で行動している。両国とも、この『冷戦状態』の継続を望むだろう」と指摘する。/ただ両国の対立は、スンニ派とシーア派が混在する中東全体の分断を招く。イラクでは3日、スンニ派のモスクを狙った爆弾テロ事件が相次いで発生。宗派対立をあおって勢力の拡大をめざす過激派組織「イスラム国」(IS)などの活動を活発化させかねない事態になっている。(ドバイ)
■和平への影響必至
サウジとイランの対立を国際社会は懸念する。/サウジの断交宣言の後、米ニューヨーク商業取引所では一時、原油先物価格が3%以上値上がりした。/米国務省のカービー報道官は「違いを克服するためには外交努力と直接対話が不可欠だ」とし、緊張緩和に向けた取り組みを促した。また欧州連合(EU)のモゲリーニ外交安全保障上級代表は3日、イランのザリフ外相に電話し、緊張緩和を要請した。/中東不安定化の要因であるシリア、イエメンの内戦でも、サウジはスンニ派、イランはシーア派の諸勢力を支援している。/シリアをめぐっては、国連安全保障理事会が先月18日、和平を目指す決議を初めて採択。仲介役を務める国連は、アサド政権と反体制派の双方が参加する和平協議を今月25日にジュネーブで開催させるべく尽力している。だがスンニ派の反体制派諸勢力をサウジが、アサド政権をイランが支援している。協議開催すら危ぶまれる事態だ。/米政府はこれまで、サウジ、イラン両政府に直接対話をするよう圧力をかけてきた。米紙ウォールストリート・ジャーナルなどによると、対立深刻化で、内戦終結へ向けた取り組みが損なわれかねないと米政府高官は危惧しているという。/イエメンでは、スンニ派のハディ暫定大統領を支援するサウジが、イランの支援するシーア派反政府組織「フーシ」排除を目指して空爆を続ける。内戦が続く中、イエメン南東部に拠点を置く「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」に加え、過激派組織「イスラム国」(IS)も活動を活発化。混乱が国中に広がっている。/昨年12月、国連の仲介の下でハディ大統領派とフーシの代表らが参加する和平協議がスイスで開かれた。だが、内戦終結に向けた合意は得られなかった。国連は今月14日に改めて協議を開く予定だが、シリア和平協議と同様、対立深刻化で開催が危ぶまれている。(イスタンブール)
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〈スンニ派とシーア派〉 世界に約16億人いるイスラム教徒は、約9割のスンニ派と1割程度のシーア派などに分かれる。預言者ムハンマドの後継者をめぐって違いが生まれた。ムハンマドのいとこで4代目カリフ(指導者)であるアリーの血統を正統とみなすシーア派に対し、スンニ派は信者の話し合いで選ばれた者がカリフになるべきだとする。 (朝日新聞DIGITALドバイ・イスタンブール2016年1月5日03時48分)
sechin@nethome.ne.jp です。
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