瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日は、昼食後テレビのBSで大相撲を観戦していると、姪のCUからメールが入りました。曰く、

16/01/24 13:50 受信 FW:全国都道府県駅伝
 昨年まで何気なく見てましたが、70年前叔父さんたちが通ったコースと重なるんですね。平和ならでこその駅伝ですが、見てらっしゃるでしょうか? 今日は父の誕生日94才。兄からさっき病院に行ってきたとメールがありました。 では、また。


 早速テレビを駅伝実況に切り替え、3時過ぎまで都道府県対抗男子駅伝を観戦しました。コースの1区、7区の一部を除いてその殆どが70年前の原爆後8月7日に歩いたコースト重なっています。優勝は愛知で、地元広島は2位でした。

 ウェブニュースより


辺野古移設工事を本格化へ 宜野湾市長選、首相「大きな勝利」 ――  米軍普天間基地を抱える沖縄県宜野湾市の市長選で、与党の支援を受けた現職の佐喜真淳氏が再選したのを受け、政府は同基地の名護市辺野古への移設工事を本格的に進める。国と県の対立は続くが、安倍政権は移設反対派の勝利が続いた流れに歯止めがかかったとみている。
 佐喜真氏は記者団に「普天間の固定化を許さないと訴えたことが市民に響いたのではないか」と表明。敗れた志村恵一郎氏は「辺野古移設に反対を示す選挙だとの訴えが届かなかった」と語った。翁長雄志知事は辺野古移設に関して「これからも許されないという姿勢を堅持する」と述べた。
 安倍晋三首相は24日、自民党幹部と電話し「この勝利は大きい」と伝えた。中谷元・防衛相は取材に答え「(普天間基地の)代替施設建設事業を進め、沖縄の負担軽減に取り組む」と表明した。
 政府は辺野古では現場への資材搬入などにとどめていたが、今後は本格的な海上作業に取りかかる。2020年10月までの工事完了を目指す。今回、敗れれば反対運動が勢いづき「辺野古で物理的に移設阻止を図る動きも活発になる」(政府関係者)と懸念していたが「移設推進にも一定の民意があることが示された」と安堵が広がった。
 沖縄では14年1月の名護市長選、同11月の知事選、同12月の衆院選の全小選挙区で移設反対派が勝っていたため、政府・与党は宜野湾市長選を国政選挙並みの態勢で支援した。自民党の茂木敏充選挙対策委員長は「この勢いを4月の衆院北海道5区補欠選挙や参院選につなげたい」と述べた。
 一方、維新の党の松野頼久代表は「今回の勝利を口実に移設計画の推進を正当化することがあってはならない」とコメントした。
 国と県は辺野古の埋め立てを巡る法廷闘争に入っている。政府は工事を進めながら、沖縄県民に粘り強く移設方針への理解を求める考えだ。  (日本経済新聞 2016/1/25 0:38)

 琴奨菊、初優勝 日本勢力士10年ぶり ――  大相撲の初場所千秋楽が24日、東京・両国国技館で行われ、大関の琴奨菊(31)=本名菊次一弘、福岡県柳川市出身、佐渡ケ嶽部屋=が豪栄道を下し、幕内初優勝を飾った。日本出身力士が制したのは、2006年初場所の大関栃東(現玉ノ井親方)以来10年ぶり。九州出身力士の優勝は04年秋場所の大関魁皇(現浅香山親方)=福岡県直方市出身=以来となった。

 今場所の琴奨菊は得意のがぶり寄りが光り、初日から12連勝。11日目の横綱白鵬との全勝対決で勝つなど、鶴竜、日馬富士の3横綱を連破した。13日目に初黒星を喫したが、単独トップで迎えた千秋楽で豪栄道を突き落とし、14勝1敗とした。
 琴奨菊は相撲留学した高知・明徳義塾中高を経て2001年に佐渡ケ嶽部屋に入門。02年初場所で初土俵を踏み、05年初場所で新入幕を果たした。07年春場所新関脇。11年の九州場所を新大関として迎えた。
 初の賜杯を手にした琴奨菊は「言葉に表せないくらいにうれしい」と喜びに浸った。この日、国技館で観戦した父の一典さん(60)と母の美恵子さん(61)は感涙した。一典さんは、琴奨菊に相撲の手ほどきをした祖父の故一男さんの写真を掲げていたために優勝の瞬間を見られなかったが「自分よりも勝った瞬間をおやじに見せてやりたかった」と感極まった。
 琴奨菊は横綱昇進を懸け、春場所(3月13日初日・大阪)に臨む。 =2016/01/25付 西日本新聞朝刊=20160125 0011

 広島2位、大声援後押し 都道府県対抗男子駅伝 -―  第21回全国都道府県対抗男子駅伝(7区間48.0キロ)が24日、広島市の平和記念公園前を発着点にあり、広島は2時間2043秒で、第5回大会以来の2位だった。約25万人の観客(主催者発表)は雪が舞う中、大きな声援を選手らに送った。
 「流れを作りたい」と話していた1区の中島大就(たいじゅ)選手(世羅高)は、トップと12秒差の11位。「中継地点の直前で先頭集団から離されてしまった。それでも、大きく崩れなかったのは良かった」
 2区の前垣内皓大(まえがいちこうた)選手(三原五中)は、区間3位の好記録で3位に浮上した。3区の北魁道(かいどう)選手(中国電力)も粘りながら3位を維持。北選手は「先頭を追うということを考えて走った。地元の友人が応援に来てくれて、気持ちよく走れた」
 4、5区は世羅高の選手が続いた。4区の植村拓未選手は「走る直前まで、仲間がずっと『緊張せずに楽しんでこい』と言ってくれた。声援を背に楽しんで走れた」と笑顔を見せた。「区間賞を狙って最初からガンガン行った」という5区の吉田圭太選手は、区間3位の記録で順位を2位に上げた。
 「後続を離すことだけを意識した」という6区の梶山林太郎選手(坂中)は順位を守り、アンカーの工藤有生(なおき)選手(駒沢大)にたすきを渡した。工藤選手は前半、1位の愛知との差を縮め、沿道の観客から大きな歓声が上がったが、後半に引き離されて第1回大会以来の優勝とはならなかった。「後半に失速してしまった。来年も出場できたら次は、絶対に監督を胴上げしたい」と悔しがった。
 昨年12月の全国高校駅伝競走大会で優勝した世羅高の選手たちを擁し、優勝候補の一角とされた広島。だが前回大会でアンカーだった主将の鎧坂(よろいざか)哲哉選手(旭化成)や、4区に出場予定だった新迫志希選手(世羅高)がけがや調整不足のため出場できなかった。
 岩本真弥監督は「チームの柱が抜けて、硬い走りだったが、みんなよく走ってくれた。2位という結果は残念だが、力を出し切れたと思う」と話した。  (朝日新聞DIGITAL 20161250300分)


 

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