瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 横浜のIN氏より、メールがありました。曰く、
2016年9月14日11時17分着信  題:大雨、ご様子如何?
 日高節夫様
 台風関連の大雨が次々と続きますが、ご夫妻の体調はいかがですか。
 地震も相変らず活発で、最近は朝鮮半島の影響を受けて、対馬の震度3が、新羅の古都・慶州のとばっちりでした。地震も他国のとばっちりを受けるようになりましたね。
 我が家二人の最近の体調は、相変らずで、足の痛い夫婦が、9年目の車検を済ませたおんぼろ車を慎重に運転しながら、時々スーパーに食料品を買いに行って、細々と暮らしています。
 君に、メールで書きたいことは山ほどあるのですが、どうもあんまり君の役に立つようなものではないので、テーマだけ書いておきます。
①MRJ〈三菱リージョナル・ジェット機)はいつになったらアメリカの型式証明が取れるの?
②太陽光発電で世界一周を果たしたサウジ・アラビアがスポンサーの翼長機は、二年越しで目的を達成したが、お手本になる点は?
③門司中学の時に、ただ一回だけ受けた米空軍機機銃掃射はいつ? その機種は、グラマンだったか、ロッキードP38だったか?
④世の中、グレイな存在が、いつの間にか、本業、公認の商売を押しのけて、政府公認の存在になるものか?〈ラブホテルのホテル業公認)
⑤日本政府の政府専用機、間もなく買い替え。次の機種は何に?
 このように分からないことがいっぱいです。
 何はともあれご夫妻の健康が第一、どうぞお大事に、ご無理をなさらないようにお祈り申し上げます。 IN


 爺の返信メールに曰く、
2016年9月15日10時42分発信  Re: 大雨、ご様子如何?
 メールありがとう。
 車の運転にはくれぐれも慎重に。お気を付け下さい。私は最近では自転車も使用していません。すべてテクシーで終わらせています。歩く速度も今ではすっかり落ちてしまいました。早朝徘徊もやめてしまって、毎日の買い物で1日3000歩程度の歩きしかしていません。
 役に立つ立たないはともかく、この歳になっても何でも知ってやろうとする知識欲はお互い旺盛なようですね。
 君の掲げた5つのテーマについても知りたいとは思うものの私の能力ではどうしようもありません。でも、インターネットをあちこち訊ね歩いて、色々と調べてみました。
 添付写真をご覧ください。


 以上、回答にならない写真を添付し、駄文を付け加えました。
 まあ、お互いに生ある限り気楽にやりましょう。      日高節夫


 


 シェークスピアといえば、爺が小学6年生の時に使用した国定教科書「小学国語読本 尋常科用巻十二」に『リヤ王』という題で、小学生向けにハッピーエンドに変更されて掲載されていました。少し長くなりますが、国定教科書復刻版から転写しておきましょう。爺がこの教科書を用いたのは1943(昭和18)年の事でありますから、表記は旧(歴史的)仮名遣い、漢字も旧字体です。
 


リヤ王
       (一)
    リヤ王は、三人の娘、娘のむこ、重臣などを面前に呼んで言渡す。
リヤ王「予も大分高齢になったによって、以来めんだうな政治の事は若い者たちに任せ、身輕になって老後を送りたいと思ふ。そこで、今日は、我が王国を三分して、三人の娘たちに與へることとする。(臣下に)地図を持て。
 さて、娘ども。そなたたちの中で、誰が一番此のわしを大事に思つてくれるか、それを、そなたたちの口から聞きたい。其の上で、一番孝行の心ある者に、最大の恩恵を與へるであらう。先づ、姉のゴナリルから申せ。
ゴナリル「父上、私は口で申すことの出来ます以上に、父上を尊敬も致し、おいとしくも思ひます。此の世にある何よりも、どんな尊い寶よりも、いや、私自身の命よりも、父上を大切と存じます。この世に生まれたどんな孝行の子にもまして、眞心を父上に捧げます。
リヤ王「うむ。(地圖を指して)では、此の線から此の線までを、そなたに與へる。茂った森林、豊かな平野、魚に富む川、廣い牧場のある此の領域の領主と、そなたをするのだ。さて、二番娘のリガンは。
リガン「私の心持は、姉上と全く同じでございます。姉上は、私の思ってゐる通りをおつしゃいました。たゞほんの少しおつしやり足らぬところが違ひますだけで、私は、あらゆる幸福、一切の楽しみを犠牲にしましても、父上お一人にお仕へ申すのを仕合はせと存じます。
リヤ王「では、これがそなたの領地ぢや。廣さにおいても、値うちにおいても、決して姉のに劣りはせぬぞ。さあ、いとしい末のコーデリヤは何とだ。
コーデリヤ「あゝ、何と申し上げたものか、口先だけでは実行の伴なはない事は、私には申し上げられない。父上、私にはなんにも申し上げることがございませぬ。
リヤ王「なんにも。
コーデリヤ「はい。
リヤ王「なんにもない所からは、なんにも生まれぬぞ。改めて申せ。
コーデリヤ「私は、此の心にあることを口に出して言へないのでございます。私は、あなたを父上として大切に致すつもりでございます。
リヤ王「コーデリヤ、言方をつくろはぬと、身のためにならぬぞ。
コーデリヤ「父上のお言附けをまもります。子としての勤もいたします。
リヤ王「あいきやうのない言葉ぢゃ。たつたそれだけか。
コーデリヤ「………
リヤ王「それは本心で言ふのか。
コーデリヤ「はい。眞實でございます。眞實よりほかに、私は何もございませぬ。
リヤ王「勝手にしろ。其の眞實だけを持参金にして、どこへでも嫁入るがよい。残りの三分の一は、改めて長女と次女とにわけ與へる。
重臣「あ、もうし、それはあんまりではございませぬか。
リヤ王「弓は引きしぼつてある。矢先を避けろ。
重臣「私は謹んで申し上げます。末姫様は、決して御不孝なお方ではございませぬ。若し私の此の判断があやまつてをりますなら、どうぞ私の首をお召くださいませ。
リヤ王「いや、くどい、くどい、もう言ふな。さて、かう領地を二分して二人の娘に與へるからには、予は今後百人だけの家来をつれ、月代りに姉娘・妹娘の許へ参って、餘生を送ることにする。
(フランス王に)大王、末娘とのかねての婚約、あなたはそれをお果しになるおつもりか。御覧の通り、一切持参金なしの乞食同然、如何やうになされようと、あなた次第でござるが――。
フランス王「私は持参金と婚約は致しませぬ。コーデリヤどのの尊い眞實を寶に、どこまでも妃と致します。
リヤ王「よいやうになされ。娘は勘当でござるぞ。
フランス王「承知いたしました。
       (二)
     リヤ王、家来たちと狩から帰る。ゴナリルの召使に、
リヤ王「少しも待てぬ。早速食事の支度をしろと言へ。いや、もうすつかり疲れた。食事だ、食事だ。
     ゴナリル、むづかしさうな顔をして出て来る。
 どうしたのだ、娘。なぜ額に八の字を作つてゐる。近頃は、むづかしい顔ばかり見せるなう。
ゴナリル「どうも、無作法千萬なお附きの家来たちが、しよつちゅうのゝしり合つて、私の宅はまるではたご屋同然でございます。それも、きっと父上に取りしまつて頂かうと存じますのに、どうやら父上がしり押しをなすっていらつしやるやうに思はれてなりませぬ。私がとりしまりをすることになりまして、自然父上のごきげんを損ねるやうなことになるかと存じます。
リヤ王「それで、お前さんはわしの娘か。
ゴナリル「もし、そんな皮肉はごめんかうむります。父上は御高齢でいらつしやるから、御賢明でなくてはなりませぬ。父上、さつきも申しました通り、毎朝毎晩、お附きの百人の大騒ぎ、これには私もほとほと閉口致します。今日限り五十人にへらすことに、御同意を願ひます。
リヤ王「おのれ、よくも申したな。予の馬に鞍を置け。家来ども、集まれ。道知らずの恩知らずめ。もう厄介にならぬわい。わしには、まだもう一人の娘がある。あゝ、あゝ、後悔先に立たず、飼い犬に手をかまれた方がまだましぢや。
ゴナリル「どうなりともお好きなやうになさいませ。
       (三)
     リガンの家の門前で、召使に、
リヤ王「なに、御病気でお目にかゝれぬと。病気なら、父が病床へお見舞い申すと言へ。
     リガン出て来る。
 おゝ、来た。さうあるべきぢや。娘よ、姉めはひどい女ぢやぞ。不孝者の爪で、わしの心をかきむしりをつた。
リガン「父上、あなたには、姉上の眞心がよくおわかりにならないのだと存じます。
リヤ王「なんと。
リガン「私には、姉上が少しでもお勤をお怠りにならうとは思はれませぬ。あなたのお附きの者の亂暴に對して、或はお小言が出たかもしれませぬが。
リヤ王「わしの家来を五十人にへらしをつた。
リガン「五十人で結構ぢやございませぬか。おとなしく、姉上の所へお歸りあそばせ。
リヤ王「いや歸らぬ。決して歸らぬ。今日から、そなたの所で世話にならう。
リガン「私の所では、五十人の半分の二十五人にして頂きたうございます。それに、姉上の所へいらつしやつてからやつと二週間、私の方には、まだお迎え申す準備がしてございませぬ。
リヤ王「これや、不孝者のうは手ぢや。おゝ、神々もご照覧あれ、年も積もり、悲しみも積つて、見るかげもなくなった此の老いの果を、おのれ、不孝者め、今に世界中がひつくり返らないでゐるものか。
     外は次第に暴風、雷雨。
 出て行かう。あらしだ。あらしよ、吹け。雨よ、瀧つ瀬と降れ。雷よ、天地をつんざけ。
       (四)
     リヤ王が姉たちにぎゃく待されてゐることを探知したコーデリヤは、フランス王に従い、老父王のために軍勢を率ゐて英国に渡つた。ひどいあらしの翌朝、発狂した老人が荒野にさまよつてゐるのをフランス兵が発見して陣所に伴なひ、侍醫が手を盡して介抱する。それがリヤ王であった。
侍醫「いかが致しませうか。もう大分長くお休みになってをります。
コーデリヤ「萬事おためによいやうに取りはからつておくれ。
     王に近寄って、寝顔を眺め、
 おゝ、おとう様。私の力、侍醫の力、ありとあらゆる薬物の力で、姉上たちからお受けになったお心の痛みが、すつかり取れますやうに。たとへ、あなたがおとう様でないにもせよ、此の白い髪やおひげを見ては、御気の毒だと思はねばならないはずだのに、まあ、此のお顔を荒狂ふあのあらしにおさらしになつたとは。あのはためく雷に、すさまじい雨に。
     リヤ王、目を開く。
リヤ王「墓場から、わしを連出すとはあんまりぢや。はて、あなたは、天人ぢやな。
コーデリヤ「私を御存じございませぬか。
リヤ王「かうつと、わしは、いままでどこにゐたのかな。こゝはどこぢや。や、日がさす。手をつねると痛い。
コーデリヤ「私を、ようく御覧下さいませ。
リヤ王「どうか、なぶつてくださるな。わしは、ばかな、たはけた老人でござる。はて、お前さんは、どうやら見覺えのある方のやうだが、はつきりせぬ。笑つて下さるな、どうもわしの末娘コーデリヤのやうに思へてならぬ。
コーデリヤ「其のコーデリヤでございます。コーデリヤでございます。
リヤ王「涙を流して泣いて下さるのか。おゝ涙ぢや。お前さんは、わしをうらんでゐるはずだが。
コーデリヤ「なんでうらむわけがございませう。なんでうらむわけがございませう。
リヤ王「わしはフランスへ来てゐるのか。
侍醫「いや、御本國にいらせられます。
リヤ王「えい、だますな。
コーデリヤ「まだお心の亂れがお直りになってゐない。
     と歎息する。
侍醫「其の點はお心強く思し召しあそばしませ。激しい御亂心は、もうをさまりました。御后様には、奥へいらつしやつて、しばらくお會ひならぬ方がよろしうございます。こゝ二三日で、きつと御本復になりますから。


 


以下は『Romeo and Juliet(ロミオとジュリエット)』のあらすじです。
 ヴェローナの2つの名家、キャピュレット家とモンタギュー家は仇敵同士です。ところが、モンタギュー家の一人息子ロミオとキャピュレット家の一人娘ジュリエットとが互いに一目惚れしてしまいます。
 神父のロレンス修道士は「この縁組」が両家の和解を導くこともあろうかと一肌脱いで二人をひそかに結婚させます。ところが、ロミオは喧嘩に巻き込まれて、ジュリエットの従兄弟ティボルトを殺し、ヴェローナを追放されます。

 一方、ジュリエットは大公の親戚、パリス伯爵との結婚を両親に命じられます。修道士は一計を案じ、ジュリエットを薬で仮死状態にして葬らせ、蘇生後にロミオと駆け落ちさせようとします。ところがロミオは、その手はずを知らないまま、ジュリエットの死の知らせを受けると墓に駆けつけ、毒薬をあおって死んでしまいます。目覚めて彼の死を知ったジュリエットも短剣で自殺します。

 シェークスピアの『ロミオとジュリエット』は悲劇とされ、シェークスピアの死後に刊行された全集の分類でも悲劇とされています。この作品が、『Hamlet(ハムレット)』と並んでシェークスピア作品の中でもずば抜けて有名であるにもかかわらず、シェークスピアの四大悲劇が『ハムレット』に加え『Othello(オセロ)』『Macbeth(マクベス)』『King Lear(リア王)』とされるのは、この作品が主題が異なるため、同じ恋愛悲劇である『Antony and Cleopatra(アントニ―とクレオパトラ)』などと並べて論じられるからです。
 ロミオとジュリエットは男女間の悲恋を取り扱った物語であり、人間の愚かさや人間が持つ醜さを扱ったものではない。
 悲劇とは、実らない恋愛でも人の死でもなく、人間だれしも持つ弱さが招いたその人自身の人生の破滅、さらにはその人の周りの人の人生の破滅を意味するといえるのでしょう。
 シェークスピアの全戯曲のほとんどは、既存の物語やエピソード、詩などをベースに翻案したものであると言われていますが。シェイクスピアが『ロミオとジュリエット』を書くにあたって直接種本としたのは、Arthur Brooke(アーサー・ブルック)の物語詩『The Tragical History of Romeus and Juliet(ロミウスとジュリエットの悲しい物語)』(1562年、イギリス)と言われています。しかし、アーサー・ブルックについては、生没年はもとより不明なことが多いようです。
 『ロミオとジュリエット』の物語の成立は、西欧の民間伝承やギリシアの古典物語に端を発しているともいわれています。中でも特に有名なのは、昨日の爺のブログで取り上げた、古代ローマの詩人オウィディウスがギリシアの神話に基づいて著した『Pyramus and Thisbe(ピュラモスとティスベ)』で、シェイクスピアは『A Midsummer Night's Dream(真夏の夜の夢)』の中でも『ピュラモスとティスベ』を劇中劇として取り上げています。


 ロミオとジュリエットの物語は、対立する二つのグループと、それに翻弄され悲しい結末へ至る恋人達という、時代や文化背景を越えた、普遍性のあるドラマ的構図を含んでいます。それ故に、古代の民間伝承から中世のシェイクスピアに至るまでの間、何度も翻案をされ続けてきたのでしょう。


 シェイクスピア作の『ロミオとジュリエット』は、彼の属する宮中の大臣一座の人気の演目として、観客達に受け入れられたと言います。その後の時代でも、欧米を中心に、様々な演出家、俳優達によって、多くの劇場で何度も上演されてきました。時にはオペラやバレエに翻案されることもあり、『ロミオとジュリエット』の種本が、戯曲化されて上演されることもあったようです。現代においては映画・テレビなどの分野でも、題材として取り上げられることが多々あります。


 


 以下は、ギリシャ神話およびローマ神話の一つで、オウィディウスの『変身物語』に収録されている「ピュラモスとティスベ」の物語です(付図は除く)。

 無類の美青年ピュラモスと、これも『東方』だいいちの美女ティスベ―–このふたりが、隣り合わせの家に住んでいたのです。セミラミス女王が高い煉瓦の城壁で囲んだという、あのバビュロンの都での話です。二人の馴れ初めは、家の近さが取り持ったということになりますが、時とともに、この恋がつのってゆきました。
 親たちの反対さえなけれぱ、めでたく結ばれたふたりだったでしょう。でも、こればかりは、親たちにも反対のしようがありません。つまり、ふたりは、同じように気もそぞろで、恋の炎に身を焼かれていたのです。なかに立ってくれるような、腹心の友もありません。うなずきと目くばせが、語らいのすべてです。そして、つつめばつつむほど、炎は燃えたちます。
 両家を境する壁に、細い裂け目がありました。むかし、建築ちゅうに出来たものでしょう。この孔(あな)は、長い歳月のあいだに、誰の目にもつかなかったのですが、この恋人たちが、はじめてこれを見つけました–何につけても目ざといのが、恋というものなのでしょう。ふたりは、この孔を、声の通路にしたのです。そして、いつも、うまいぐあいにこの孔から甘いささやきを送るのでした。ティスベがこちらに、ピュラモスがあちらに立って、たがいに相手の喘ぎをとらえあってから、しばしばこんなふうにいうのでした。
 『嫉妬ぶかい壁よ、どうして恋人たちの邪魔をするのだ?わたしたちに、からだごと抱きあうことを許したとしても、いや、それがあんまりだというのなら、せめて口づけを交わせるほどの場所をあけてくれたとしても、それがどれほどのことだというのだろう?もっとも、わたしたちも感謝はしている。愛する耳もとへの言葉を送ることができるのも、おまえのおかげだとは認めている』
 


 離れた場所から、むなしくこんなふうに語りあいながら、日暮れが近づくと、『さようなら!』といって、それそれが自分の側の壁に、しょせん向こうへはとどかない口づけを与えるのです。


 あくる朝、曙(あけぼの)が星々を追い散らし、霜に濡れた草の葉が日差しに乾いたころ、ふたりはいつもの場所に寄って来ました。それから、つもる嘆きをか細いささやきに託したあと、ついにこんな取り決めを交わしました。夜のしじまが訪れたら、見張りの目をかわして、門の外へ抜け出すことにしよう。家を出たら、そのまま町はずれまで行こう。広い野原に出ることになろうが、そこではぐれたりはしないように、ニノス王の基で落ち合い、木の陰に隠れていることにしよう ―― そういうことにしたのです。じっさい、そこには、真っ白な実をいっぱいに垂らした木が–高い桑の木だったのです ―― 冷たい泉のそばに立っているのです。
 ふたりは、このような約束をしました。いやに遅々とした足どりのように思えた太陽も、西の海に沈み、その同じ海から、夜の闇が寄せて来ます。
 夜陰に乗じて、門へ蝶番(ちょうつがい)をはずしたティスベは、家の者に気づかれないで、うまく外へ出てゆきました。ヴェールで顔を隠して、墓までやって来ると、いわれた木の下に坐ります。恋が彼女を大胆にしていたのです。–その時です。一頭の雌獅子がこちらへやって来るではありませんか。牛を食い殺したばかりで、ロを血だらけにして、近くの泉の水で乾きをしずめようとしているのです。遠くから、月の光でその姿を認めたティスベは、ふるえる足で、暗い洞穴に逃げ込みました。逃げながら、背から落としたヴェールを、そこへ置き去りにしました。
 獰猛な獅子は、たくさんの水で渇きをいやし、森へ帰ってゆく途中、たまたまちょうど、置き去りにされていた薄衣を見つけて、血だらけの口でそれを引き製いたのです。遅れて家を出たピュラモスは、積もった砂ぼこりのうえに、まぎれもないけものの足跡を認めて、顔一面が真っ青になりました。そのうえ、血に染ったヴェールさえも見つかったからたまりません。おもわず、こう叫びます。
 『この同じ一夜に、恋人ふたりが死んでゆく。ふたりのなかでは、彼女のほうこそ、生きながらえるのにふさわしかったのに。悪いのはぼくだ。かわいそうに、ぼくがおまえを死なせたのだ。危険にみちたこの場所ヘ、夜歩きをさせて、させた本人が遅刻するなんて!ぼくのこのからだを、罪深いこのはらわたを、荒々しい牙(きば)でくいつくすのだ、おお、この崖(がけ)下に住む獅子たちよ!が、ロ先で死を願うのは、臆病者のしわざだ!』


 ティスベのヴェールを取りあげ、約束の木陰まで持ってゆきます。見知ったそのヴェールに涙をそそぎ、口づけして、こういうのです。『今こそ、さあ、ぼくの血潮も吸ってくれるのだ!』
 腰につけていた剣を、わき腹に突きたてました。そして、すぐに、焼けるように熱い傷ロから、それを引き抜きました。あお向けに地上に倒れると、血が高く噴きあげます。水道管が破れて、裂け目ができると、細い孔(あな)から、しゅうしゅうと音をたてながら高々と水が噴きあがって、空をつんざきます--そんなさまに変わりがないのです。そばの桑の実は、血しぶきを浴びて、どす黒い色に変わりました。根も血を吸って、垂れさがる実を赤く染めるのです。
 このとき、いまだに恐怖を捨てきれないでいるものの、恋人にはぐれてもいけないと思ったティスベがもどって来ました。血まなこで、懸命に若者を探すのですが、自分がどれほどの危険を避けていたのかを知らせたい一心です。場所をさぐり当て、木の姿にも見おぼえはあるのですが、実の色が不審を呼びます。この木だったのかしら、と迷うのです。そんな疑念にとらえられているうちに、何やら人影がぴくぴくと、地上にうごめいているのが見えたのです。驚いて、あとじさりします。顔は、つげの木よりも青白くなって、からだはがくがくと震えます--そよ風に水面をなぶられて、ふるえ動く海原(うなばら)のように。
 でも、しばらくあとで、それが自分の恋人だとわかると、罪もない腕を高らかに打ちたたいて、嘆きをほとばしらせます。髪を引きむしり一いとしいからだを抱いて、傷口を涙で埋めますと、その涙が血と混ざるのです。冷たい顔に口づけしながら、『ピュラモス!』と叫びました。『何という不運が、あなたをわたしから奪ったのでしょう? ピュラモス、答えてちょうだい!あなたの最愛のティスベが、あなたの名を呼んでいるのよ。間いてちょうだい!うなだれた顔を起こして!』


 ピュラモスは、ティスベの名を間いて、死の眠りで垂くなった口をあげ、彼女を見てから、ふたたび目を閉じました。
 ティスベは、白分のヴェールと、中身のからな象牙の剣鞘を見てとると、こういいます。『あなたの手と、そして愛が、あなたの生命を奪ったのね、不しあわせなかた!でも、わたしにも、その同じことをするための雄々しい手と、愛がありますわ。その愛が、みずからを傷つけるだけのカを与えてくれるのよ。あの世へおともをいたしましょう。あなたの死の哀れな原因でもあり、その道連れともいわれましょうよ。死によってのみわたしから引き離されることのできたあなたが、もう、死によってさえも引き離されることはできないのです。おお、わたしのお父さま、それにこのかたのお父さまも、どんなにお可哀そうなことか!
 でも、あなたがたに、わたしたちふたりからのお願いがあるのです。確かな愛が、いまわの刻(とき)が、こうして結びつけてくれたわたしたちを、同じお墓に葬っていただきたいのです。それに、この桑の木にもお願いが・・・。今は、みじめなひとりのなきがらを、枝の下に隠しているけれど、もうすぐ、ふたりのからだを覆い隠してくれましょうね。これからは、わたしたちの死の形見に、いつも、嘆きにふさわしい黒い実をつけてほしいの。ふたりの血潮の思い出にね』
 こういって、胸の下に刃(やいば)をあてがうと、血のぬくもりがまだ残っている剣のうえに、うつ伏せになりました。でも、彼女の願いは、神々によって、親たちによって、聞きいれられたのです。桑の実は、熟しきると、黒っぽい色になるのですし、焼け残った彼らの骨は、ひとつの壷に眠っているのですから。        オウィディウス 変身物語より、 中村善也訳


 


※ 中村善也(19251985年):古典古代文学者。 福井県生まれ。京都大学文学部卒。西京大学、京都府立大学助教授、教授。在職中に死去。


 


 Shinさんからメールが届きました。曰く、
2016年9月11日5時47分着信  Re: ブログへのコメント有難うございました


 日高さん、おはようございます!早速お返事いただいて、誠にありがとうございます。パソコンのアドレスに無事にこのメールが届くのを祈ります。ウシン

 パソコンにShinさんのメールが届いたことをメールしました。曰く、
2016年9月11日17時12分  Re: ブログへのコメント有難うございました
 返信ありがとうございます。
 しっかり届いています。    日高節夫

 恐らくNaruちゃんから爺との交信が可能になったことを聞いたのでしょう。携帯にSekiちゃんからメールが届きました。曰く、
2016年9月11日17時5分   FW:関口でございます。
 日高先生
 こんにちは。メールを頂戴していたそうで申し訳ございません。
 なぜか、自宅のPCには届いていないようで……
 この携帯電話のアドレスを再登録いただければ幸いです。これならいつでも確認ができます。
 よろしくお願い申し上げます。 TS  iPhoneから送信

 早速パソコンからSekiちゃん宛てにメールを送りましたが、届かないので、携帯でメールしました。曰く、
2016年9月11日19時33分  RE:関口でございます。
 パソコンから送信するとうまく届きません。君から私のパソコンにメールしてみてください。アドレスは、 ▼▼▼▼▼▼です。 日高節夫

 折り返しメールが届きました。曰く、
2016年9月19時40分着信  題:テスト
 日高先生  如何でしょうか?  S

 すぐに、ちゃんと届いた旨メールしました。


 塾友のNaruちゃんから携帯とパソコンに同文のメールが届きました。曰く、
2016年9月10日9時19分着信 題:Naru○○○です
 日高先生
 おはようございます。
 先日は仁美を囲む会、とても楽しかったです。日高先生も参加いただきありがとうございました。
  携帯からメールしています。
 パソコンのメールアドレスは▼▼▼▼▼▼▼▼です。
 よろしくお願いします。  JN

 早速、パソコンから返信メールを送りました。曰く、
2016年9月10日9時58分 題:届かなかったメール
 メールありがとう。8月の末から次のメールを送っていたのですが、何故だか届かなかったようです。
 「 先日のHitoちゃんを囲む会ではいきなり出席して色々とお世話になり、有難う。
 むさい爺が若い人達の中では迷惑だろうとも思ったのですが、Kanamiちゃんに誘われてお邪魔してしまいました。でも、皆さんが歓迎して下さり、皆さんの元気な姿を見て、話も伺い大変楽しく過ごすことが出来ました。ただ、皆さんがあまり気を遣って下さると、却って年齢を感じてしまいます。
 特に、貴兄とSekiちゃんのお二人にはお世話になりました。
 翌日Hitoちゃんが家族で訪ねくれました。何だかパソコンの修理のために来てもらったようで、人様の世話になるばかり、何もできない自分が情けなくなります。いやはや、歳を取ると愚痴っぽくなってしまいます。
 大変遅くなりましたが、パソコンのテスト送信を兼ねて、お礼まで
 ここの所、少し早起きをしてブログの更新をしています。」(8月31日)
 多分、このメールは届くと思いますが、如何なものでしょう。   日高 節夫

 折り返し返信メールが届きました。曰く、
2016年9月10日10時3分 Re: 届かなかったメール
 日高先生
 メール届きました。日高先生のブログ更新を毎日楽しみにしています。
 本日、SekiちゃんはNさん家族と海水浴に行っているらしいです。
 まだまだ暑い日が続きますが、お身体に気をつけてお過ごしください。 JN
 


 ここの所、ブログに陶淵明の詩を取り上げたので Shinさんを思い出し、携帯でメールしてみました。曰く、
2016年9月10日11時33分 題:ご無沙汰しています
 永らくご無沙汰してしまいましたが、お変わり御座いませんか。私もどうやら命拾いをしたようで、最近では早起きしてブログの更新をしています。
 昨年はS君が誤嚥性肺炎で亡くなり寂しくなりました。
 まずは、ご無沙汰のお詫び旁、ご機嫌伺まで。 日高節夫

 昨日のブログにShinさんからのコメントがつきました。その中に「返信しましたが、docomoからエラーメッセージが出され、届かなかったようです。」と、あったので、パソコンでメールしてみました。曰く、
2016年9月11日4時57分 題:ブログへのコメント有難うございました
 メールの返信をしてもdocomoからエラーメッセージがでて届かなかったとのこと。早速私の携帯を調べてみます。
 下記アドレスはパソコンのアドレスです。ここなら通じると思いますので、返信をお待ちしています。
 いやはや、私のパソコンは長い間送信不能になっていて、つい最近回復したものですから、永のご無沙汰になってしまいました。
 テスト送信を兼ねて、コメントのお礼まで  日高 節夫


 


 都知事選以来、民放はこぞって小池都知事の報道を偏っているようです。勿論東京都民にとっては重要な報道なのでしょうが、行も同じようなことを繰り返し繰り返し報道されるといささかウンザリすることもあります。まるで、小池都知事様々で小池都知事一辺倒です。まるで都民全員いや日本国中が小池都知事を担いでいるようです。

 ウェブニュースより
 ドン悲鳴 小池知事「報酬半減」なら都議会自民は分裂必至 ――  小池都知事が繰り出した「知事報酬半減」パフォーマンスに、“都議会ドン”の内田茂都議が悲鳴を上げている。このままでは自分たちまで議員歳費を減らされるうえ、都議会自民党は分裂必至だからだ。

 知事選の時の「公約」通り、知事報酬を半減させる条例案を28日に開かれる定例都議会に提出する小池知事。現在、都知事の年収は2896万円と全国トップ。条例案が成立すれば、年収は1450万円と全国最低となる。
 狙いは、いかに都議会議員がベラボーな報酬を受け取っているかをバクロすることと、自民党都議に「踏み絵」を踏ませ、分裂させることだ。小池知事周辺は綿密なシナリオを練っているという。
 都議会議員の年収は、1700万円の報酬のほか、政務活動費が年間720万円支給され、総額2420万円も受け取っている。もし、都知事の報酬が半減されて1450万円となったら、都議の方が1000万円も多くなる。都民から「都議の報酬を都知事より下にすべきだ」との声が噴出するのは確実だ。
■政務活動費が焦点
 小池サイドは、シンパの野党議員を使って都議会のドンを追い込むシナリオのようだ。ポイントは、1700万円の報酬だけでなく、年間720万円の「政務活動費」に焦点を当てることだという。
 「政務活動費」は、兵庫県の“号泣県議”野々村竜太郎氏が不正な使い方をしていたことがバレて逮捕されたいわくつきのもの。都議会でも、デタラメな使い方をしている都議は当然いるだろう。小池サイドは、「政務活動費」の使われ方を、過去に遡って明らかにさせるつもりらしい。
 「以前から1700万円の報酬や720万円の政務活動費については、『高すぎる』『使われ方が不透明だ』と批判が強く、“都議会のあり方検討会”という会議体で見直しが検討されていました。ただし、完全に非公開で行われ、議事録もない。来年夏には都議選があるので、都議会自民党は、このまま“時間切れ”に持ち込むつもりでした。小池サイドは、この“あり方検討会”をフルオープンにし、ネットでも中継させる方針です。フルオープンとなったら、さすがに自民党都議も、“報酬減額”や“政務活動費の見直し”に正面から反対できないでしょう。ただし、都知事に倣って1700万円の報酬を半額にすることはのんでも、政務活動費を廃止するとなったら、都議会自民党は分裂する可能性があります。年収が800万円になってしまう。都議選を控えているだけに、選挙に弱い都議は賛成せざるを得ないでしょうが、ドンを中心とする選挙に強いベテランは絶対に反対です。小池サイドは、踏み絵を踏ませるつもりです」(都政関係者)
 知事報酬の半減は、人気取りのパフォーマンスがミエミエだが、ドンはいいようにやられている。 (日刊ゲンダイ 201699日)


 藤沢市在住のMY氏より、返信メールが届きました。曰く、
2016年9月9日23時13分着信  題:前進座のあゆみ
 日高 様
 「前進座の歩み」について解説有難うございました。
  お礼の返信が遅くなってしまいましたが、実は数日前からパソコンが思うように動かなくなり文字の入力もままならずパニック状態でした。あれこれ弄り回したら何とか作動するようになりました。
 私の疑問、つまり何故あの時期に「ベニスの商人」ような演劇を地方の中学生にみせたのか? GHQの占領政策の一つ(軍国主義、帝国主義の払拭の徹底?)かなと思ったりしたのですがどうやら全くの見当違いらしいことが「前進座のあゆみ」を読んでわかりました。
 即ち戦前に当局の弾圧に抗して雌伏していた反体制派の劇団は敗戦を機に活動を復活させたがGHQは共産主義がより強く成り過ぎることを警戒し文部省を通じて活動に圧力をかけた。そのため前進座のような劇団は食べてゆくために地方巡業に精を出したということですね。
 昭和二二年はまだ戦後の大混乱の時期で食うや食わずの生活でした。「前進座の歩み」にもあるように政治、経済、社会のいろいろな面で混迷の時期でした。この年の象徴的な事件の一つとして私が覚えていることで「2 .1ゼネスト中止」があります。全国官公勞の賃上げ要求で600万人に及ぶ一斉ストライキを打とうとしました。これは影響があまりにも大きいのでマッカーサーが中止命令を出しました。井伊弥四郎委員長はNHKのラジオを通じて全組合員に涙ながらに中止を呼びかけました。私はこの放送を聴いたことを覚えています。ベニスの商人を観た年がこの年だったとは。


 


 異常気象が続いています。まだまだ暑さが続きそうです。熱中症にならないようお気を付けください。
 奥様によろしくお伝えください。  MY


 


 


 今日9月9日は重陽の節句です。
 陰陽思想では奇数が陽でめでたい数字とされ、陽の数字で最も大きい9が重なることから重陽(ちょうよう)と呼び、古代中国では大変めでたい日として菊の花を飾り、菊酒を飲んでいました。日本では平安時代から菊酒を飲み長寿を祈る「観菊会」が行われ、また、「お九日」(おくんち)と呼び、各地で秋祭りが行われてきました。

 東晋の陶淵明は菊と酒を愛した詩人として有名であり、重陽節との関係も深いようです。北宋以後、重陽節は菊花をめでる日ともなり、菊の種類の飛躍的な増加とともに、菊の鉢を山や塔の形に陳列したり、展覧会が開かれたりしたといいます。


飮酒二十首 其五 (とう)(せん

 結廬在人境, (いおり)(むす)んで(じん)(きょう)()り,
 而無車馬喧。 (しか)(しゃ)()(かまびす)しき()し。
 問君何能爾, 君に問ふ 何ぞ()(しかる)ると,
 心遠地自偏。 心遠く地(おのず)から(へん)なり。
 采菊東籬下, 菊を()る (とう)()(もと)
 悠然見南山。 (ゆう)(ぜん)として(なん)(ざん)を 見る。
 山氣日夕佳, (さん)() (にっ)(せき)()し,
 飛鳥相與還。 ()(ちょう) ()(とも)(かえ)る。
 此中有眞意, ()(うち)(しん)()有り,
 欲辨已忘言。 (べん)ぜんと(ほっ)して(すで)に言を忘る。

 訳) 人里に庵を構えているが、役人どもの車馬の音に煩わされること
   はない。「どうしてそんなことがあり得るのだ」とおたずねか。
   なぁに、心が世俗から離れているため、ここも自然と僻遠の地に変
   わってしまうのだ。
    東側の垣根の下に咲いている菊を手折りつつ、ゆったりとした気
   持ちでふと頭をもたげると、南方遥かに廬山のゆったりとした姿が
   目に入る。山のたたずまいは夕方が特にすばらしく、鳥たちが連れ
   立って山のねぐらに帰って行く。この自然の中にこそ、人間のあり
   うべき真の姿があるように思われる。しかし、それを説明しようと
   したとたん、言葉などもう忘れてしまった。



 9月4日のMY氏からのメールに「何故、突然お役人はこのような芝居を中学生に見せたのか真意がわかりません。GHQの占領政策の一環だったのかもしれないなと思ったりもしますが」とあったので、当時の前進座の歴史について紐解いてみて、返信メールを送ってみました。曰く、
2016年9月6日6時51分発信 宛先:MY CC:IN  題:戦後の前進座
 早速の返信メールありがとうございます。
 門司中学の講堂で、前進座の「ベニスの商人」を観たのは、私が疎開先の三次中学から門司中学に復学して間もなくのことでしたから、1947(昭和22)年の中学3年生の時の事だと思います。


 テンポの速い台詞回しについて行けないこともありましたが、演劇の設備など何もない狭苦しいあの講堂の台座で、よくあれだけの演技ができたものだと感心しました。
 戸上通りのず~っと上(かみ)の方から原町寄りを入った付近に住んでいた古賀精里君の家の当時朝日新聞の記者をしていた親父さんの書斎にあった、青表紙で出来た坪内逍遥訳のシェークスピア全集を2・3冊ずつ借りては読んだのも、前進座の公演を見たからだったかもしれません。
 「前進座の歩み」の記録によると、
 四七年から四九年にかけてはまさに激動の時代だった。四七年には片山哲社会党内閣が成立したかと思うと翌年には芦田内閣となった。四月は東宝撮影所の争議が起り、こなかったのは軍艦だけという、警察、アメリカ占領軍の介入、弾圧が行われた。十月には第二次吉田内閣となりA級戦犯十九人が釈放された。四九年初頭の衆議員選挙では共産党が三十五名も当選した。その後、国鉄第一次整理に続き、下山総裁事件、三鷹駅電車暴走、松川列車転覆等、不可解な「事件」が相次いだ。そして国際的には中華人民共和国が成立し、翌年には朝鮮戦争が勃発した。
 この頃の入場税は逆行して十五割に値上げ、この時の入場料四十円のうち二十四円が税金であった。当時、大劇場は二百円から三百円、小劇場でも五十円から六十円で勤労者には手の出ないものだった。東京では「勤労者演劇協同組合」が組織され、共同鑑賞会が始まった。これはのちの「労演」「演劇鑑賞会」の始まりである。戦後の文化の荒廃した各地では、心から歓迎され、観客と共に公演が組織されていった。四十八年から五十三年にかけての六年間、いくつかの班に分かれ全国津々浦々での公演がおこなわれた。しかしいっぽうで公演が入場税予納制のため、しばしば売上を差し押さえられたり、また警官が入場を拒み、刑事事件として逮捕される主催者もあった。座員たちは厳しい日常生活の現実を見、こうした支援者たちの活動に感動をおぼえた。
 GHQと文部省、教育委員会からは早速「後援を拒絶したこと」「学校施設を貸してはいけない」等の通達を各学校長宛に出した。座員はますます団結をかため、溌剌として巡演活動を続けていった。『ベニスの商人』は六一二回の上演を記録、更に『真夏の夜の夢』『レ・ミゼラブル』の班、歌舞伎作品を演ずる「新文化組」、そして「創作班」「建設班」「新生班」と五班活動に入った。   2001年1月刊『グラフ前進座──創立70周年記念』より引用–
とあります。
 こうしたGHQや政府の弾圧もあって、前進座は学校巡業から労働組合巡業に移って行ったということです。

 なお、N君が前進座の「鳴神」について書いていましたが、これについても同じ「前進座の歩み」の中に、
 この(一九四五年)十一月、座は帝国劇場に出演、演目は朝日新聞の古垣鉄郎氏の推進によるフランスの抵抗劇『ツーロン港』(ジャン・リシャール・ブロック作)と『鳴神』であった。GHQ(連合軍司令部)の検閲では『鳴神』は邪教を否定し女性の勝利をうたうヒューマンな芝居であるとの評価であった。新しい出発のこの公演中に、創立者の一人中村鶴蔵は十二月二日、『鳴神』の白雲坊に出演中吐血、七日胃潰瘍のため不帰の人となった。創立以前から翫右衛門の相棒であり名脇役で、国太郎をはじめ座員や子どもたちの指南役、世話役でもあった。まだ四十七歳であった。座は大きな推進力の一人を失った。
とあります。
 もっとも、N君が観たのは10年ほど昔、国立劇場であったと言いますから、ここに書かれている時代とは役者も演出家も全くちがったものだったでしょうがね。ともあれ、N君の演劇通にはほとほと頭が下がります。
 若かりし頃が懐かしくて、ついつい長々とつまらぬことを書いてしまいました。ごめんなさいね。
 まだまだ暑さは続くようです。奥様ともどもご自愛のほどを    日高 節夫

 これについて、横浜のIN氏より、返信メールが届きました。曰く、
2016年9月6日14時59分着信  RE:門中の「ベニスの商人」
 日高節夫様
 懐かしい門司中学での前進座「ベニスの商人」公演がいつだったかを教えてくれてありがとう。中学三年だとすると、昭和22年(1947年)、まだまだ食い物も十分いきわたらない時代だったね。
 その後、1980年から1983年にかけて、NHKが、BBCの制作したものを教育テレビで十数本を放送したことがあった。その中にも「ベニスの商人」は含まれていまして、映画ではアル・パチーノが、シャイロックになって、原典に忠実に演じたのを観たのが最後です。



 シェークスピアの作品で、今でも気持ちの悪い、吐き気がしそうな作品は「タイタス・アンドロニクス」。白水社のシェークスピア全集で、買ったけれど、肝心なところだけは読んで、まだ通読はしていないというような作品もあります。
 取り敢えず、ご教示の御礼まで…。  IM


 


 今朝も朝から蒸し暑く、窓を開けても風もあまりはいって来ません。台風13号が近づいているようです。
 ウェブニュースより
 台風13号が北上、8日に東日本接近  ―― 台風13号が6日、沖縄・宮古島の北海上で発生し、北寄りに進んだ。勢力を強めながら北上を続け、7日は西日本の南海上を北東に進み、8日朝には暴風域を伴って東日本に接近する見込み。気象庁は高波や強風に注意を求めている。

 台風10号などの影響で甚大な被害が出た東北や北海道には、8日から9日にかけて近づく恐れがある。台風13号の接近で前線の活動も活発化するとみられ、西日本から東日本の太平洋側では8日にかけて大雨が降るとみられる。
 7日午後6時までの24時間予想雨量は、多い所で、近畿で250ミリ、奄美で200ミリ、沖縄、九州南部、四国、東海で150ミリ、関東甲信で100ミリとなっている。
 気象庁によると、台風13号は6日午後9時現在、奄美大島の西約200キロを時速約35キロで北東に進んだ。中心気圧は1000ヘクトパスカル、最大風速は20メートル、最大瞬間風速は30メートル。中心の南東側280キロ以内と北西側170キロ以内は風速15メートル以上の強風域となっている。
 西日本から東日本の太平洋側では風が強まり、海は大しけとなるとみられる。気象庁はうねりを伴った高波にも警戒するよう呼び掛けている。  〔日本経済新聞 2016/9/7 0:03 (2016/9/7 6:11更新)〕

 昨日取り上げた陶淵明の詩はたいていの教科書には出ていて、次の「少年、老い易く学成り難し」と共にこの爺たちの年代以上の人々の教訓詩となっていました。どこの学校でもそのように教わってきました。
 少年易老学難成  少年、()(やす)く、(がく)成り難し。
 一寸光陰不可軽  (いっ)(すん)(こう)(いん)、軽んずべからず。
 未覚池塘春草夢  (いま)だ覚めず()(とう)(しゅん)(そう)の夢。
 階前梧葉已秋声  (かい)(ぜん)()(よう)(すで)(しゅう)(せい)
 訳 若い時はうつろいやすいもので、あっという間に歳をとる半面、学問はなかなか成就しない。だからこそ、わずかな時間さえも無駄にしてはならないのだ。池のほとりに草が芽吹いたような春の夢にうつつを抜かしていれば、たちまち階(きざはし)の前の青桐の葉が落ちる秋になってしまうぞ。

 全集の中で陶淵明の原詩を見れば、淵明は決してそんなしかつめらしい教訓を垂れたものではなく、実はその反対に若い時は二度と来ないのだから、酒は飲めるうちに大いに飲むべしと勧めた詩であることがはっきりわかります。
 上に掲げる「少年老い易く学成り難し」の詩にしても、昔から儒学の大先生である朱子の「偶成(偶々出来た)」とされていますが、これは真っ赤な嘘ぱちで室町末期か江戸初期あたりのお寺の坊さんが、その寵愛する美少年に与えたかなり猥褻な詩を、明治になって教訓詩に作り替えたものだそうです。こんなことも世の中には往々にしてあるのですから、全く油断もすきもなりませんね。

 まず、柳瀬喜代志(1939~1997年)先生によって、近世初期に禅僧の滑稽詩を集めた『滑稽詩文』(『続群書類従』所収)に、「寄小人」という題で、この詩が収録されていることが指摘されました。作者名は記されていません。転句が「未覺池塘芳草夢」となっている点が、「偶成」と異なっています。柳瀬先生の説によると、題の「小人」は「年若い僧」を意味し、起句の「少年」は「寺院にあずけられた俗人の子弟、あるいは幼少にして出家し僧を目指している男児」であると共に、僧侶の性愛の対象である稚児の意をも含んでいるといいます。それ故この詩は、年若い僧に対して「君の稚児さんは老け易いが、君の学業成就は難しい」、だから男色と学問とにその若い時を惜しんで過ごしなさいと勧める詩意を成す滑稽詩だというのです。
※     柳瀬喜代志:漢文学者。福岡県生まれ。早大卒、早稲田大学教育学部助教授、教授。中国文学専攻。
※     続群書類従:塙保己一編、江戸時代の1819年(文政2年)完成、正編1270種530巻666冊からなる日本最大の国書の叢書。/盲目の国学者・塙保己一が古書の散逸を危惧し、41年の年月を掛けて集輯・編纂。幕府や諸大名、寺社など多くの機関や人々が協力して、江戸初期までに刊行された史書や文学作品を所収。その後の歴史学、国文学等に多大な影響を与え、学術研究に貢献している、今なお非常に貴重な叢書である。/続編「続群書類従」は2103種1150巻1185冊、編者塙保己一は死去、子の忠宝は暗殺、そののち孫の忠韶に編纂が受け継がれ、孫の代の明治44年・1911年に完成した。正編と同様、のちの学界に大きな影響を与えた。

 朝倉和先生が、観中中諦(かんちゅうちゅうたい、1342~1406年))の『青嶂集(せいしょうしゅう)』(相国寺刊・梶谷宗忍訳注『観中録・青嶂集』所収)に、「進学斎」という題で収録されていることを指摘しました。現在のところ、この作品の最古のテキストであるといわれています。これは転句が「枕上未醒芳草夢」となっています。「進学斎」とは書斎の名であり、張耒(ちょう らい、1054~1114年)の「進学斎記」(『事文類聚』所収)を踏まえた勧学の詩とみられます。
※朝倉和(ひとし):1995年広島大学 文学部 国語学国文学卒、2003年広島大学 文学研究科 国語学国文学。出生年月日など不明
※観中中諦:室町時代の臨済宗の僧。京都の相国寺9世。康永元年生まれ。阿波の出身。日奉氏。9歳のとき京都に上り夢窓疎石に師事するが、翌年夢窓が示寂し、以後義堂周信や春屋妙葩の指導を受けた。応安6年、義堂の勧めで元に渡るが、紅巾の乱後の社会事情のためまもなく帰国した。
※張耒:中国,北宋の文学者。楚州淮陰 (江蘇省清江市) の人。字,文潜。号,柯山。宛丘(えんきゅう)先生と呼ばれた。蘇軾 (そしょく) の門に入り,その引立てで著作郎,起居舎人,竜図閣学士と進んだが,潤州 (江蘇省) 知事のとき蘇軾の失脚とともに左遷され,以後不遇のうちに陳州 (河南省) で没した。


 


プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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