瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 昨日のコメントで篠山市にある地名“安口(はだかす)”の説明有難う。
 東の横綱が「匝瑳市」、西の横綱が「宍粟市」について調べてみました。

 横浜のIN氏よりメールが入りました。曰く、
2016年10月5日11時26分 題:メリーランドのこと
 日高節夫様
 メリーか?メアリーか?
 つまらないことで、お手数をかけてすみませんでした。
 じつはメリーランド州のことを、メアリーランド州と現地に行くまで、思い込んでいたのは、「アメリカにおける秋山真之」(1969年、朝日新聞社)のせいでした。
 この本は、島田謹二さんの著書で、「ロシアにおける広瀬武夫」(1961年刊)の姉妹版です。時は、日露戦争が始まる前のこと、山本権兵衛が、日本海軍の若い士官のなかから西欧の海軍視察に留学生を出すという物語です。作品の形は比較文学ですから、いわば現在残っている資料をフル活用して、あたかもその時代に呼吸しているような筆遣いで物語を進めていくものです。
 留学生としてアメリカに派遣されたのが秋山真之、ロシアに派遣されたのが広瀬武夫、イギリスが財部彪、フランスが村上格一、ドイツが林三子雄、の5人。その中で広瀬武夫だけが卒業の時の成績がよくない。時の軍務局長・山本権兵衛が、広瀬の卒業席次64/80に派遣決定を躊躇するという描写があります。
 もちろん秋山は文句なしのパスでしたが、その本のなかで、ワシントンからの展望を説明するところで、『メアリ-ランド州』となっていたのです。
 「ロシアにおける広瀬武夫」いらい、島田謹二先生は、私の頭の中では誤りのない人になっていたものですから、「ベセスダは、メアリーランド州じゃあない、メリーランド州だよ」と注意される1989年まで、頭の中にこびりついていたわけ。
 間もなく84歳の誕生日を迎える今でも、時々間違えるのは、若いときの勉学方法がいい加減だったせいだよね。
 なんだか言い訳がましいが、思い込みが間違いを引きずっているというお話しです。
 ノーベル賞発表の週間が始まって、東京工大は大騒ぎだろう。大学院のキャンパスは田園都市線の駅からは不便なところにあるが、国道246号では下りの線だけは左折で東工大大学院に入れる。
 このキャンパスの丘ひとつ越えた隣に新しくできた 最新・最大の横浜市営の火葬場(斎場)があるが、母の葬儀の時はここがクリスマス休日で使えず、保土ヶ谷まで運んで行ったよ。
 ノーベル賞を受賞なさった大先生がいらっしゃるのに、火葬場の話など持ち出してお許しあれ。この年齢になると、おれのときはどこで焼くかということを考えるようになったよ。
 なにはともあれ、ご夫妻、どうぞお健やかにお過ごしあれ。少々の痛い部位は誰でもこの年齢になればあるものだよ。 IN
 


 人間誰しも、歳取って老いてくれば死後を考えます。
  廓兮已滅 慨焉已遐  廓(かく)として已に滅し 慨として已に遐(はる)かなり


  不封不樹 日月遂過  封せず樹せず 日月遂に過ぐ


  匪貴前譽 孰重後歌  前譽を貴ぶにあらず 孰か後歌を重んぜん


  人生實難 死如之何  人生實に難し 死 之を如何せん


  鳴呼哀哉         ああ哀しい哉


 訳)空しくも身は既に滅び、遥かな昔を偲ぶと感慨深い、墓には盛り土もせず、目印の木も植えぬまま、時が過ぎてゆく、生前の名誉を求めぬ私だ、死後のことなどどうでもよい、人生とはむつかしいものだ、死んだからといってどうなるものでもない ああ、悲しいことだ        (陶潜の自祭文より)


 


 明日は塾友Sekiちゃんの父上の通夜です。享年83歳、この爺より一つ下、心筋梗塞で亡くなられた。


 先だってはTY師の母上、HS女史の父上と最近塾友の父母の訃報が続く、いずれも爺と同世代で、思い出の深い人々です。


 


 漢字の中でも読みにくいのが宛字(当て字)です。とくに漢字の音にも訓にもない読みを当てているものはまともに考えたのではなかなか思いつきません。しかし、宛字にもそれなりの法則のようなものがあって、漢語に同じ意味のやまと言葉を読みとして与えたものがあります。たとえば、
 七夕(シチセキ、たなばた)、老舗(ロウホ、しにせ)、火傷(カショウ、やけど)、紅葉(コウヨウ、もみじ)、白髪(ハクハツ、しらが)、一昨日(イッサクジツ、おととい)、丈夫(ジョウブ、ますらお)、生業(セイギョウ、なりわい)、黒子(コクシ、ほくろ)、梅雨(バイウ、つゆ)、黄昏(コウコン、たそがれ)、黄泉(コウセン、よみ)、陽炎(ヨウエン、かげろう)、曽孫(ソウソン、ひまご)、狼煙(ロウエン、のろし 中国では燃やすと風が吹いてもまっすぐに立ちのぼるという狼の糞を用いたことから)
などがあり、いずれも音読み(カタカナで示す)もできます。
 「欠伸(ケンシン・あくび)」は日本語では「あくび」と読みますが、「欠」があくびで、「伸」はのびで、正しくは「あくび」と「のび」のことです。
 生活に密着した気象をあらわす漢語はやまと言葉を当てたものが多いようです。東風(こち)、南風(はえ)はよくご存じだと思います。西風を「ならい」、北風を「あなじ」というのも聞いたことがあります。宛字の意味と同じ意味の漢語で表すのが普通ですが、指しているものが全然違うものがあります。「東雲」は漢語では「トウウン」と読み文字通り東の雲の音ですが、「しののめ」とやまと言葉の読みを当てますと、明け方の意味になります。時雨(ジウ、しぐれ)も漢語で読むと丁度良い時に降る雨の意ですが、「しぐれ」とやまと言葉で読むと晩秋から冬にかけて降る通り雨のことになります。
 「時」のつく熟語で「時鳥(ジチョウ)は漢語では時節に応じて啼く鳥の意ですが、わが国では「ほととぎす」の読みに宛てています。ほととぎすにはほかに、杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰]、時鳥、子規、田鵑など、漢字表記や異名が多くあります。

 名詞だけでなく副詞や形容動詞にも昔の文人たちはぴたりと合った漢語を当てて読んでいました。
 ただひたすらに座禅することを「只管打座(シカンダザ)」といいますが、やまと言葉ではこの只管を「ひたすら」と読みます。一向と書いても「ひたすら」と読ませます。
 物事をいい加減にすることを意味する言葉に等閑(トウカン)といいます。「等閑視する」「等閑に付す」のように使われますが、やまと言葉では 等閑=なおざり と読ませます。
 漢語の劫設(キャクセツ)=かえって説く、閑話(カンワ)=暇にまかせてする無駄話、休題(キュウダイ)=話すことをやめること はいずれも接続詞「さて」と読みました。あとの2語はまとめて、閑話休題と四字熟語になりますが、「それはさておき」と読みます。
 「加之」は漢文調で読むと「之(これ)に加わうるに」で、そればかりでなくの意ですが、これは「しかのみならず」と読ませています。「遮莫」は「遮るもの莫(な)し」で、どうであろうとままよの意ですが、「さもあらばあれ」と読ませます。
 中国から伝わった漢語ではなく、やまと言葉にそれらしい当てて作った熟語もあります。「徒花(あだばな)」は咲いても実を結ばない花のことで、「あだ」というやまと言葉に いたずらに・むだに という意味のある「徒」を当てたものです。ほかに徒事、徒名、徒桜、徒情け、徒波などがあります。音読みにも訓読みにもそんな読みはないが、見ているとそれらしい感じのするものに、飛白(かすり)・煙管(きせる)・白湯(さゆ)・山葵(わさび)・土筆(つくし)・秋刀魚(さんま)・祝詞(のりと)などがあります。
 今は現代かなづかいで、動植物はカタカナ表記することになっていますが、一昔前にはこれらは漢字で表記しました。そのものの持っている性質から字が当てられたものがあります。たとえば、「無花果(いちじく)」は花は咲くのですが、外から見ると花は見当たらないまま実を結ぶことから字が当てられました。「万年青(おもと)」はユリ科の多年生植物でいつも葉が青々としています。赤い花が長く咲き続ける「百日紅」はヒャクジツコウとも読みますが、「さるすべり」とも読みます。幹の皮がなめらかなので猿でさえ滑るという意味からついた名前で、サルナメリともいいます。「馬酔木(あしび・あせび)」は花は可愛らしいのですが、葉や茎に毒をふくみ馬や牛が食べると麻痺することから当てた字です。「向日葵(ひまわり)」は太陽を追って花が回ると考えられいたことから当てられたものですが、実際はほとんど動きません。それにアオイ科ではなくキク科の植物なのです。いわば間違った情報が当てられた字なのです。


 


 横浜のIN氏からメールが入りました。曰く、
2016年10月2日12時08分着信  題:ごぶさた、インド洋の離れ島はまだです
 日高節夫様
 ご無沙汰しました。家内の体調は、風邪ひき、咳込みだけは90%治癒。
 あれやこれや、書きますと約束? しておきながら、だらだらと暮らしているものだから、ちっとも約束を果たせずにいます。お許しあれ。
 関心のあることは次から次へと出てきて、もうしっちゃかめっちゃか状態。
 三菱リージョナルジェット機(MRJ)は1号機がようやく、カムチャッカ半島ペトロパヴロフスク・カムチャツキー市にあるエリゾボ空港、アラスカのアンカレッジ国際空港経由、最終目的地の太平洋岸の州、ワシントン州シアトル郊外のモーゼスレークのグラント郡国際空港に到着した。
 9月26日、名古屋県営空港を発って、新千歳空港経由、現地時間9月28日午後6時に歓迎の放水アーチを潜りながらモーゼスレーク空港に到着した。名古屋県営空港を出発して、空調設備が不調で二度も後戻りした前歴があるので、果たしてうまく、ベーリング海を通過できるのかと心配していたが、三度目の正直で、今回の1号機は、千島列島、カムチャッカ半島、アリューシャン列島を無事飛行して目的地に到着したようです。
 昔々、まだサラリーマンでいた頃、YS11のエンジンをイギリスのロールスロイスだったか、プラットアンドホイットニーだったかに支払い送金をしたことがあった。東京オリンピックの翌年だったと思う。飛行機の製造は機体とエンジンとは別々の会社が造るということを知った初めてのケースでした。YS11はターボプロップ機で、ジェット機ではありませんでしたが戦後初の国産機で、期待の星でした。戦後、日本は飛行機を造ることができず、このターボプロップ機が精々の時代でした。国策会社を作り、各銀行は協調融資という形をとって危険分担をしました。それからすると、今回のMRJが、どこのエンジンを使うのかまだ調べておりませんが飛行機づくりは、いろいろと手間がかかるものですね。
 最終目的地のワシントン州グラント・カウンティー国際空港は、グラント郡が運営管理する空港のようで、アメリカは依然として、郡(county)が、日本の県に相当するようです。元来、日本の県郡制度は、中国の郡県制度を模したものでしょうが、日本は県が大きくて、次が郡、次が町、村。市は郡よりも大きく、県に次ぐ存在だと理解していますが、中国ではたしか郡が県より大きかったのではなかったでしょうか。君にいろいろお世話になった、読売新聞の連載小説・宮城谷昌光氏の「草原の風」でも、郡県の順でしたよね。
 日本の県郡町村の感覚で物を考えていたものですから、1989年初めて、アメリカに行ったときに、郡(カウンティー)が市よりも広い地区を管轄していたのにびっくりしました。アメリカは州の次は郡で、県はありません。今回の最終目的空港が、郡営空港という存在なのは、ちょうど県営名古屋空港と同じような感覚なんでしょうね。
 なかなか、中国メディアが、「わが原潜はインド洋の米軍基地を叩き潰す。米オハイオ級も餌食だ」と勇ましいことを言ってる、ディエゴ・ガルシア島のことが書けません。
 ほかに興味のあることは、「メリーか、メアリーか、クイーン・メリー号はなぜメアリーでないのか」「なぜ、メリーさんの羊は、メアリーさんの羊ではないのか」が疑問。
 もう一つ、今日の読売新聞に、英語会話のCD,カセットテープを売る通販の全面広告が出ている。門司区泉が丘7-8-105という住所。 有限会社遊牧民 鎌田俊二 笑子
 この読売新聞の全面広告がいくらかかるか知りませんが、まあ、門司の人が起業しているのでしょう。関心は、門司にも泉が丘などというハイカラな町ができていて、それがどこだろうと、久しぶりに「九州ロードマップ」を開いて見ましたら、原町の鎮西別院の南西約200メートルのところにあるマンションらしい。こう言う形の英会話学校は本当に、雨後の筍みたいに出てくるもんだね。
 ではまた。奥様をお大事になさってください。 IN

 ウェブニュースより
 初の国産ジェット「MRJ」、米国に到着 挑戦3回目で成功 ――【9月29日 AFP】三菱重工業(Mitsubishi Heavy Industries)は、国産初の小型ジェット旅客機「三菱リージョナルジェット(MRJ)」が米西部時間28日、試験飛行のため米国に到着したと発表した。米国への移送は2回失敗していたが、3回目で成功にこぎ着けた。
 MRJは26日に名古屋を離陸。給油のため北海道、ロシア、米アラスカ(Alaska)州アンカレッジ(Anchorage)を経由して、米ワシントン(Washington)州のグラント(Grant)郡国際空港に到着した。

 三菱では2018年の商用飛行開始を目指しており、国土交通省の「型式証明」取得に向け、米国内で試験飛行を繰り返す予定。三菱によれば約2500時間の試験飛行が必要となる見通しで、さらに3機を米国に移送して計画を加速する方針だ。
 MRJは8月、米国に向けて出発したが、離陸後に空調システムの不具合が見つかり、2回にわたって引き返しを余儀なくされていた。  (AFP 2016年09月29日 16:25 発信地:東京)

 Mary(固有名詞、女の子の名/merry(形容詞、陽気な/marry(動詞、結婚する)の発音を研究社の新英和中辞典でしらべてみると、順に mé(ə)ri/méri/mˈæri となっています。しかし、アメリカのほとんどの地域ではどこも méri と発音するようです。ただ、東部のニュージャージーとかは、Mary/merry/marryの3つの発音は違うそうです。この西に接するペンシルバニア州では Mary/merry は同じで、marry は違うようです。
 とにかく、「Mary Had A Little Lamb(メリーさんの羊)」を聴いて見て下さい。
  https://www.youtube.com/watch?v=ODFBEvZumRU


 この爺には Mary は「メリー」としか聞こえませんが。まあ、実在した女の子はメアリー・ソーヤだから、「メアリーさんの羊」とした方が良いのでしょうが、はてさて、この歌をレコードに入れたエジソンはどのように発音したのでしょうね。


 


 江戸の初期に石田未得(1587~1669年、松永貞徳の門人で、俳人・狂歌師)という人の著した「吾吟我集(ごぎんわかしゅう、古今和歌集をもじり、部立てもそれに倣う)」に
 また飛びぬ 女と男とあはれ ぬし知らじ 死ぬれば跡を とめぬ人魂
(またとびぬ めとをとあはれ ぬししらじ しぬればあとを とめぬひとだま)
という廻文歌が記載されています。廻文歌とは「上から読んでも下から讀んでんも同じ文句の歌」をいいます。私達も子供の頃から「しんぶんし」「竹藪焼けた」「確かに貸した」などの回文をよく口にしたはずです。これもやはり中国の回文を手本にして出発したものといわれています。
 ヨーロッパでも西暦87年ヴェスヴィオ火山の噴火によって滅亡したヘルクラネウムの街の遺跡に「Sator Arepo Tenet Opera Rotas」というラテン語の回文が刻まれている事から、回文の起源は少なくとも西暦79年またはそれ以前まで遡る事ができます。英語では「Madam, I'm Adam」(マダム、私はアダムです)のような例が知られています。

 また、ナポレオンの言葉をもじった ABLE WAS I ERE I SAW ELBA(エルバ島を見るまでは不可能ということを知らなかった ere=before )というのもあります。

 日本でも歴史は古く和歌から発生していったと考えられているようです。「奥義抄」(藤原清輔・12世紀)にある次の回文歌も古いものの一つです。
 むら草に草の名はもし備はらば何(な)ぞしも花の咲くに咲くらむ
(むらくさにくさのなはもしそなはらばなぞしもはなのさくにさくらむ)

 回文は言葉のあやが中心ですから、名歌などなかなかありません。しかし、落語などによく出て来る次の和歌などはかなりの人々に迎えられたらしく、長く歌われています。
 長き夜の 遠の睡ねむりの 皆目醒めざめ 波乗り船の 音の良きかな
(なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな)
 これを枕の下に敷いて、初夢を見るというのが江戸時代の庶民のならわしでした。

 出典元や意味・解釈については、いくつかの説があります。出典元として有力な文献に、室町時代の通俗辞書『運歩色葉集』(著者未詳。1548年に成立)、中国(当時:明)の『日本風土記』(1592年)があります。このことから風習そのものは、16世紀後半に広まり行われたものであったとされます。

 回文は和歌のほか連歌や俳諧でもさかんにおこなわれました。ここでも庶民階級の勃興をもって一般化します。江戸初期、貞門派(松永貞徳(1571~1654年)によって提唱された俳諧の流派)の俳諧は言語遊戯に重きを置いたので回文俳句が数多く作られました。和歌と違って文句が短くなるので無理も少なく作りやすかったのでしょうね。
1、冷えの気さむく酌酒(くむさけ)の酔(ゑひ)
2、ねふりつ乗は春の釣り船
3、今朝皆はのめや菖蒲(あやめ)の花見酒
4、春来るは百鳥(ももとり)共も春来るは
5、鴨か小鴨か鴨か小鴨か
6、灸(やいと)いやもぐさくさくも灸いや
 いくらか鑑賞にたえる句もありますが、所詮は遊びなのです。コトバが優先している姿をはっきり認めることが出来ましょう。中でも5、6のようにkとg音のくり返しや、y、i、m音のくり返しだと舌がもつれていわゆる「早口言葉」に展開していきます。
 親鴨が生米かめば小鴨が小米かむ 生米生麦生卵 の類です。


 


 昨日は浅草は伝法院通りの地口行灯について記しましたので、もっと詳しく写真でお目に掛けます。

 約200メートルの伝法院通りには、名所や見どころがたくさんあります。今日は鎮護堂(おたぬきさん)の縁日に飾られたという地口行灯を写真で堪能してください。


 


 謎は「何ぞ?」と呼びかける語の名詞形ですが、単なる言葉遊びとは違いかなり高度なもので、一種のmental exercise(メンタル・エックスサイズ)といったものです。信仰に関連があり、巫子(みこ)の使う隠語、忌み詞の類に近かったものとわれます。
 奈良末期の歌経標式(かきょうひょうしき)にもすでに謎々を織り込んだ歌がみられます。種々の歌の体を挙げて説明しているのですが、その中に譴警(けんけい、不正や過失を警告すこと)の歌というのがあります。譴警の語自体には、謎の意味はありませんが、譴警の歌の実体を見ると、謎の歌ということができます。
 禰須弥能伊幣 与禰都岐不留比 紀呼岐利弖 比岐岐利伊ダ須 与都等伊不可蘇礼
 ねずみのいへ よねつきふるひ きをきりて ひききりいだす よつといふかそれ
  鼠の家    米搗き篩ひ  木を伐りて 挽き伐りい出す 四つといふかそれ
 鼠の家=穴→あな(感動詞)、米搗き篩ひ=粉(こ)、木を伐りて挽き伐りいだす=火、四つ=シ。すなわち、穴粉火四、「あな恋し」となるのだとの説明がついています。

 謎の起源はかなり古く、主に上流階級によってなされたものと思われます。平安時代にはなぞなぞ物語・なぞなぞ合わせの語が現われますし、なぞの歌合せもあったようです。ここでも和歌がなぞの温床であったわけです。和歌から連歌、時代も平安・鎌倉・室町となるにつれ次第に盛んになったといいます。室町時代には「謎(なぞだて)」と読んでいたようです。この頃に出来たと思われる謎の本に「後奈良院御撰何曾」という本があります。

 十里の道を今朝歸る→ 濁り酒(五里が2つで十里、「けさ」の返りは「さけ」)
 酒の肴→ 袈裟(さけの逆名だからケサ)
 母には二度あ浸れど父には一度もあはず→ 唇(ハハfafaと発音するときは唇が二度あうが、チチchichiと発音するときは唇が合わない)
 腹の中の子の声→ 柱(はらの中の子だから〈は子ら〉となる子の声は子という字の音であり、子(シ)となる。そこで「ハシラ」となる)
 破れ蚊帳や→ 蛙(カイル、蚊いる)
 蝋燭の先足袋の中にあり→ 盥(たらい、らふそくの先で「ら」、その「ら」がタビの中にあるから、タラヒとなる)
   http://snob.s1.xrea.com/fumikura/motooriuchito_nazo/

 江戸時代の初期には「寒川入道筆記」(1613年刊)がありますが、これは松永貞徳(1571~1654年)の作ではないかと言われているものです。和歌や俳諧に関する見聞録、笑い話、巻末には「譴詰之事」(本によっては「謎詰之事」)と題して当時のなぞなぞが109題載せられており、俳諧のネタをためておくための作者のメモとしての意味が強いといいます。笑い話は、教養のない「うつけもの」の滑稽な受け答えを題材とするものが多いようです。なぞなぞとしては「親の教訓、叶わず」として、答えを「子持ち犬」(子用いぬ)とするなど洒落が利いているものが含まれています。先行する他の著作に含まれるなぞなぞも複数あり、すべてのなぞなぞを著者が創作したというわけではありません。謎の調子も和歌や連歌から離れて、庶民的となってきます。
 享保年間に入ると「何曽尽」とか「謎車氷室桜」などが出版され新しく、3段式の謎が登場します。
2段式のもの
 炎天の雁がね→ 彼岸(干雁)
 親が子に酒を盛る→ 木の芽(子飲め)
 盗人の渡し守→ すりこ木(掏摸漕ぎ)
 我が子田舎へ下る→ このたび(子の旅)
 我が女房は妃になる→ 薩摩(后はき先で、いろは歌で「き」の先が「サ」、我が女房は「妻」、全体で「サツマ」となる)
3段式のもの(~とかけて、~と解く、心は~の形式)
 浦島太郎の玉手箱とかけて 十二月三十一日と解く 心はあけると年を取る
 江戸見物とかけて 吉原のひやかしと解く 心は見ながら帰る
 扇の模様とかけて 明日の日和と解く 心はあけねば知れぬ
 蕎麦屋の手間取りとかけて 鬼子母神と解く 心は粉(子)だらけ
 月月とかけて 盃と解く 心は月代(さかやき)の月の字、月は月(つき)なり
 野次馬とかけて 池の中の金魚と解く 心は物好き(藻のすき)に出る
 若後家とかけて 張り子の虎と解く 心は大きな腹で手々(父)がない

 江戸時代の謎を点出してみましたが、謎とはいうものの推理を働かせるその源には、秀句や地口(添付図参照)の知識が必要だし、さらに縁語や懸詞、いろは歌や漢字の知識(音訓)など、日本語によく通じていなくてはなりません。また、歴史上の人物や事件、物語の主人公などについても一応の知識がないと謎は解けないということです。あらゆる点から当意即妙のウィットと日本語の理解が必要になります。

 謎は明治に入っても盛んでしたが、次第に言語遊戯の枠をはみ出して、考え物の感じが強くなってきます。やがては大人の世界からは忘れ去られ、単なる遊びになっていきました。


 


 一昨日の中公望からのコメントについて考えてみました。
 天皇家は万世一系と言いますが、天皇家の血統が何度か変わっているのは明白な史実ではないのですか? 皇族が渡来人の血統を引いているのも明白で、事実天皇もこれを認めている発言をしているようです。

 いやはや、万世一系と信じてる人が多いのは何故でしょうね。朝鮮系の人々を目の敵の様な扱いをする一部の差別主義者や天皇崇拝者はこの事実を知らないのでしょうか? それにあまり血統にこだわると同族結婚が多くなり皇族にとってもあまりいい結果を生むことにはならないのてはないしょうか? この爺にはどうでもいいことですが、この方々の考えでは皇族の人々は国際結婚も出来ぬということですね。まあ、競走馬や犬猫じゃあるまいし、このグローバルな時代に血統なんて持ち出すのは時代遅れもいい所じゃないでしょうか?

 シドニー在住のMihoちゃんからメールが入りました。曰く、
2016年9月27日19時11分着信 Re: ご機嫌如何
 節夫おじさん、道子おばさん
 お元気ですか?
 ありがとうございます。マットの肋骨はもうほとんどよくなり仕事も普通に復帰しています。


 おばさんも回復の方向に向かっているとのことでとても嬉しいニュースです。
 Ayanoちゃんはとても大人っぽくなりましたね。車の運転ができることになってとっても嬉しいんじゃないでしょうか。
 はるなは、9月の24日で3歳になりました!
 親戚でパーティーをしました。はるなは大喜びでパーティを楽しんでいました。料理やデザートをほとんど一人で作ったのでとっても大変でしたが、はるなにとって特別な日になってよかったです。
 来年の1月からプリスクールという幼稚園のようなものに1週間に2日行く予定です。
 写真をウェブサイトにアップデートしました。リンク先をクリックすると見れます。
 では、このへんで。
 お体に気をつけてお過ごしください。


 https://www.flickr.com/gp/131308319@N05/aX3S05
 https://www.flickr.com/gp/131308319@N05/961bM0
  みほ


奈良時代以前には日本語を表す文字が出来ていなかったため、古代の日本人は、中国から輸入した「漢字の読み方(音や訓)」を工夫して、日本語を書き記していました。
 例えば「山」のことを『万葉集』では「八万・也末・野麻」、『古事記』では「山・夜麻」と表記しています。こうした表記法は、特に万葉集において発達し、「万葉仮名」と呼ばれています。
 


 早くも、そこに「ことば遊び」が見られるのです。例えば、「恋」を表記するのに、「古非」「古比」とあるだけでなく、「孤悲」の字を用いた例がかなりあります。このように、漢字の音だけでなく意味を考えて表記する試みが随所に見られ、今日の「当て字(倶楽部・目出度い・型録など)」に近い、すぐれた言語感覚による「仮名遊び」と言えます。こうした、「戯れ〈たわむれ〉」を意図した「万葉仮名の用字法」を「戯書」(戯訓)と呼び慣わしています。
 『万葉集』にはこうした「戯書」と呼ばれる「ことば遊び」が多く見られます。

① 巻9(1787) 笠金村(生没年不詳)の長歌
 天平元年己巳冬十二月の歌一首并せて短歌 (笠金村)
 虚蝉乃 世人有者 大王之 御命恐弥 礒城嶋能 日本國乃 石上 振里尓 紐不解 丸寐乎為者 吾衣有 服者奈礼奴 毎見 戀者雖益 色二山上復有山者 一可知美 冬夜之 明毛不得呼 五十母不宿二 吾歯曽戀流 妹之直香仁
読み) 現世(うつせみ)の 世の人なれば 大王(おほきみ)の 命(みこと)恐(かしこ)み 礒城嶋(しきしま)の 日本(やまと)の国の 石上(いそのかみ) 振(ふる)の里に 紐解(と)かず 丸寝(まるね)をすれば 吾の衣(き)る 服(ころも)は穢(なれ)ぬ 見るごとに 恋はまされど 色(いろ)に出(い)でば 人知りぬべみ 冬の夜の 明(あ)かしもえぬを 寝(い)も寝(ね)ずに 吾はぞ恋ふる 妹が直香(ただか)に
訳) 現世の世を生きる人なので、大王の御命令を謹んで承って、礒城嶋の大和の石上の布留の里に上着の紐を解くこともせず、ごろ寝をすると、私が着る服はよれよれになった。貴女が紐を結んだこの衣を見る度に恋心は増さるけど、表情に出せば人は知るでしょう。冬の長き夜の明かし難いのを寝るに寝られず、私は恋慕う、愛しい貴女の目に映る姿に。
用字: 「山上復有山」を「出で」と読ませています。「山上復有山」を訓で読むと「山の上に復た山あり」です。「山」の上に「山」を載せると「出」となる、「出」の漢字を分解した「ことば遊び」です。

②       巻7(1189) 作者不詳の「羇旅の歌」
  大海尓 荒莫吹 四長鳥 居名之湖尓 舟泊左右手
讀み) 大海(おほうみ)に嵐(あらし)な吹きそしなが鳥猪名(ゐな)の湖(みなと)に舟泊(は)つるまで訳)  大海に嵐よ、吹くな。しなが鳥が居る、その言葉のひびきのような猪名の湊に船が泊まるまで。
用字: 「左右手」を「まで」と読ませています。「ま」=「真」で「完全なもの」を意味します。「左右手(両手)」で「真手」となるわけです。普段から両手で何かすることを「真手(まで)」と言っていたのでしょうか。それを「~するまで」という助詞の用法に当てはめたのです。これも読む人への挑戦、クイズだったのでしょう。他にも、「諸手」「二手」で「まで」と読ませています。

③  巻十一(2542) 作者不詳の「正に心緒(おもひ)を述ぶる歌」
  若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國
讀み) 若草の新(にひ)手枕(たまくら)を枕(ま)き始(そ)めて夜をや隔(へだ)てむ憎くあらなくに訳)  若草のような初々しい貴女と手枕での共寝を始めた、そんな夜の訪れに間を置くでしょうか。嫌いでもないのに。
用字: 「二八十一」を憎く」と読ませます。「二」=「に」、次の「八十一」を「くく」と読ませるのです。言うまでもなく「九九=八十一」のかけ算です。こうした「漢数字を使った戯書」は多く見られます。他には、「猪(しし)」を「十六」で表すもの、「三五月」を「望月(満月)=十五夜」と読ませるものがあります。

④  巻一(48) 「伊勢国に幸しし時、京に留まりて柿本朝臣人麻呂(660?~724年)の作れる歌」
  東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡
讀み)「東(ひむがし)の野に 炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへり見すれば 月〔五文字〕」
訳) 東の野原を見れば空を真っ赤に染めていままさに朝陽が昇ろうとしている。振り返って西の空を見ればまだ月が沈まずに残っている。
用字:有名な柿本人麻呂の歌です。暗記している人も多いでしょうね。「月西渡」を何と読んでいましたか? 恐らく「月傾(かたぶ)きぬ」と覚えていた方が多いでしょう。賀茂真淵が読んだ訓で、月が「西へ渡る」を「傾く」と読むセンスは「さすが」という感じですが、この読み方、「なおも問題あり」で専門家には「暫定的な読み」と考えられているようです。
 まだまだ『万葉集』も読めていない歌が何首もあります。万葉人が残した「謎解き」解明すべき課題はまだまだ残されているといいます。

⑤       巻十二(2991) 作者不詳の「物に寄せて思い陳ぶ歌」
  垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬聲蜂音石花蜘蛛荒鹿 異母二不相而
讀み) たらちねの 母が飼ふ蠶(こ)の 繭隠(まよごも)り いぶせくもあるか 妹に逢はずして
訳)  “たらちねの”母親に飼われるカイコが、繭にこもっている。せつないよ。あの娘に会えないので!(あの娘は母親の監視が厳しくて、家から一歩も出られないよ)
用字:心が晴れない様子を「いぶせく」と言います。なぜ、「馬声蜂音石花蜘蛛荒鹿」を「いぶせくもあるか」と読めるのでしょうか。「馬声」=「イ」/「蜂音」=「ブ」/「石花」=「セ」/「蜘蛛」=「クモ」/「荒鹿」=「アルカ」と分けて読むのだそうです。つまり、「イブ」に「馬声蜂音」の擬音を当てた「ことば遊び」です。奈良時代にあっては、馬のいななきを「イ」「イイン」と聞いていたらしいですね。蜂の羽音は「ブブブ…」でしょう。当時の「音」の感覚がわかる便利な「万葉仮名」です。
 石花は「セ」と読み、牡蠣・かめのて・珊瑚などの事を著すと言います。駿河湾の真ん中辺りを石花海(せのうみ)と言うそうです。
 なお、この一句を「すべて動物につながる漢字(馬、蜂、牡蠣、蜘蛛、鹿)」で表記してあるのも、万葉人の「遊び心」と言えるでしょう。前に挙げている蠶まであわせると、この歌には全部で六種類もの動物が登場します。しかも全部強壮剤、強壮食品として名高い、またはセックスに強い動物ばかり―― 馬はもちろんのこと、女王蜂や女郎蜘蛛(ぐも)は雌対雄が一対うん十、うん百のセックスの女王たちです。それにローヤル・ゼリー、鹿茸(ろくじょう)、牡蠣(かき)、蚕のさなぎにいたるまで強壮剤・強壮食品ばかり(韓国では今でも蒸した蚕のさなぎをよく食べるといいます)です。この文字の使いようでよく分かるとおり、作者は激しい性愛行為を描写しているのという説があるそうですが、如何なものでしょう。
 さらに、「妹」を「異母」と表記しているのも意味深な感じですね。

 いやはや、まるで頓智教室のようですが、漢字勿論九九や動物の鳴き声まで知らないと、「万葉集」も読めないということです。こうした「なぞ」はかなり昔からあり、どうやら中国から学んだものでしょうね。


 


 一昨日(9月26日)のブログについた姪のコメントで 皇位の継承が「男系男子」であるべき理由で、得心のいく説明 について、竹田恒泰の見解は

 「女性宮家の旦那っていうのはどこの馬の骨かもわからないじゃないですか」「天皇というのは血以外の何物でもない!」「天皇というのは血統の原理なんです。これを変えてしまったら皇室が終わります」「皇室典範って皇室は養子をとることができないって規定があるんですね。だから旧皇族の男系の男子から養子をとることが可能だというふうに変えるわけです。そうするとですね、どんなふうに可能性が広がるかというと、赤ちゃんでまずいいわけですよ。だいたい養子って赤ちゃんじゃないですか。個人の意思が芽生える前に。民法は赤ちゃんで養子をとれるようになってるんですね。成人していてもいいし、なんなら夫婦養子でもいいんです。そこまで広げればいくらでも(男系男子が)できる。しかもですね、旧皇族はこれからどんどん子どもが生まれてきます。私の周辺でもいとこ連中どんどん子どもが生まれて、その旧宮家、11宮家のうち、若い世代がどんどん子どもが生まれてきています」 (8月26日放映の「朝まで生テレビ」の発言より)

 イギリスの王位継承順は王位継承法(1701年)により原型が定められているようです。これによれば、


・ステュアート家の血を引いている者(ハノーファー選帝侯妃ゾフィーの子孫)に限る。


・継承者は国王の直系子孫。20111028日以降に生まれた者は、性別を問わずに長子先継(第一子第一子の子孫第二子第二子の子孫→……の順)。


・2013年王位継承法において男子優先の長子先継(長男→長男の子孫→次男→次男の子孫→…→長女→長女の子孫→次女……の順)から改正されたが、2011年10月27日以前生まれの者については改正前の男子優先が適用される。
のようになっていますが、日本もこれに倣えばよいのではないでしょうか?


 


 正直言って、爺のような庶民にとって雲の上のお人の事はよく判らないし、どうでもいいことなのです。


 


 横浜のIN氏からメールが入りました。曰く、
2016年9月25日15時52分着信  題:家内の咳は治まった
 日高節夫様
 雨がよく降ったね、そちらは異常ありませんか。
 当方は、家内の風邪、咳がようやく治まって、というより、寝ている方がよほど腰が痛くて耐えられないということで、内科より、整形外科になったものですから、私の炊事当番は外れました。
 でも、左の膝の皿と右の足首が痛む症状には変わりがないので、 今になって考えると、去年だったか、センター北駅〈最寄りの地下鉄駅)でバス停まで、全力疾走させた無謀を悔いています。タクシーに乗せて帰ればよかった…とね。
 インド洋の小島、ディエゴ・ガルシア島の話を書こうと思っていたのですが、それよりも政府専用機のことを書きます。
 いつも読売新聞の朝刊を読むときに、最初にページを開くのは2面の「安倍首相の一日」という首相の消息欄。
 昨日(23日、24日)は、キューバから帰国するので、また羽田に到着後は夜間の皇居で帰国記帳という文字があるだろうと見当をつけていたら、羽田から直接、自邸に帰宅…となっている。
 常々、いちいち帰国の記帳など、やめればいいのにと思っていたが、どうやら別の理由があった様子。
 国内政治面に「キューバから給油地のサンフランシスコに向かう途中、鳥が政府専用機に衝突して機材にトラブルが発生したため同空港で予備機に乗り換えた。政府専用機は不測の事態に備え、首相の外遊時は原則2機で運用している」という記事があって、羽田空港に着く時刻が夜遅くなりすぎるので、宮内庁への帰国記帳を止めたらしい。
 政府専用機は、通常、30分間隔を置いて、2機で運用しているようで、いわばアメリカ大統領のエアーフォース・ワン〈米空軍1号機というコールサイン)を使う例に倣って天皇や、首相の外遊の時には2機で飛ばしているらしい。
 いわば別のジャンボ機が首相夫妻を乗せて30分前後の間隔で飛行しているという。
 無論、表面的には機体、機材の故障も想定してのことであろうが、主目的は対空攻撃を防ぐ意味合いが多いだろうということはどんな素人でも見当がつく。
 政府専用機を飛ばすには、訪問国で駐機する駐機料も含めて2機分の運用管理費が必要になってくる。日本のような貧乏国が、エアーフォースワンを2機持つ必要があるのだろうかね。2機持つのなら、500人乗り(実態は140人乗りに改造してあるらしいが)でなくて、200人程度の客を乗せれば十分ではないのだろうか。
 とにかく、日本国のエアーフォースワンは2019年、26年間のお役目を終えて、退役。東京オリンピックの前年には、新しい機体に取り換えなければならないのだがね…。
 とりあえず、先日、予告した、家内の体調が戻ったら書くと予告した、ディエゴ・ガルシア島の話は後日に回します。
 どうぞお元気で…。奥さまによろしく。 IN
 


 取り敢えず、ディエゴ・ガルシア島の位置だけ確認しておきました。


 


 ウェブニュースより


 政府専用機に鳥が衝突 安倍首相、予備機で帰国 ―― 安倍晋三首相は24日夜、米ニューヨークでの国連総会出席やキューバ訪問を終え、政府専用機で羽田空港に到着した。キューバを23日午前(日本時間24日未明)に出発したが、鳥の衝突による機体トラブルのため、途中の給油地の米サンフランシスコで予備機に乗り換えた。


 首相が外国訪問で利用する政府専用機は、トラブル発生時に備え、2機で運航している。首相のほか、同行職員らも予備機に乗り換えたが、旅程に大きな乱れはなかった。 (朝日新聞 20169242202分)


 


 さらに、IN氏からのメールが入りました。曰く、
2016年9月26日9時47分 題:チャンドら。ボースの秘宝
 日高節夫様
 昨日は、君宛のメールが、なかなか発信できなくて、イッツコムと電話機を握って小一時間悪戦苦闘をしたが、モデムの接続を直しただけで回復した。
 君のパソコンに迷惑をかけてはいなかったでしょうか、お伺いして、もしトラブルを波及させていたのでしたらお詫びを申しあげます。
 今日は読売の朝刊で、「チャンドラ・ボースの台北空港での航空事故遭難」に関する資料が、公開される日が来た…というニュースが大きく出ている。
 戦後の中学生にとっては、このニュースはスペースは大きくなかったが、衝撃的なニュースでしたね。
 その後、怪しげな政治資金の流れがあると「ボースの宝石」が原資だとイエローペーパーを中心に騒がれた。「ボースの宝石」という言葉は、我々世代には耳なじみのある言葉だね。さて真実はどうなのか?  IN

 ウェブニュースより
 インド独立闘争のボース「墜落死」文書公開へ ――  【ロンドン=角谷志保美】インド独立闘争の英雄スバス・チャンドラ・ボースが太平洋戦争の終結直後に台湾で事故死したことを示す日本政府の機密扱いだった文書が、30日にも外務省の外交史料館(東京都港区)で閲覧可能になる。/インドではボースの生存説が根強く、日本で保管されている遺骨の返還の妨げともなってきた。ボースの遺族は文書公開が、遺骨がインドに戻るきっかけになればと期待を寄せている。/ボースは1945年8月、飛行機の墜落事故で死亡したというのが定説だ。しかし、故郷のインド東部コルカタを中心に「事故死は偽装で本当はソ連に渡った」と主張する勢力があり、遺骨も「本物かどうか分からない」としてインドに戻すことに反対してきた。  (YOMIURI ONLINE 20160926 1446分)


 


プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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