瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 ウェブニュースより
 天地人 ―― 「もったいない」。ドイツ人から、こんな日本語を聞かされるとは思いも寄らなかった。小池百合子都知事と会談した国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長のことだ。2013年の会長就任以降、五輪改革路線をひた走る。
 肝いりで策定された中長期改革は「アジェンダ2020」と呼ばれる。五輪について複数の都市や国内での分散開催を認めるほか、既存や仮設施設の活用も積極的に奨励する。開催都市にのしかかる巨額の財政負担を減らすためだ。
 20年東京五輪の経費削減を訴える小池知事に対し、バッハ会長の口から出たのが「もったいない」発言である。要は節約の考え方は十分理解できるとの姿勢だ。きのうの安倍晋三首相との会談では、東日本大震災の被災地で複数種目を実施する案も示した。
 ならば渦中のボート・カヌー会場も宮城・長沼ボート場に変更すれば、と思うのだが、組織委や競技団体の反発は根強い。運営体制の再構築、警備や輸送のコスト増を強調する。
 招致段階の大会経費の見積もりは約7340億円。今では3兆円を超えるとの指摘もある。新国立競技場といい、そもそも原因は丼勘定にある。責任の所在も曖昧だ。「社長と財務部長を欠いた会社」と皮肉られても仕方あるまい。本番まで4年を切ってなお騒動が続く。時間が「もったいない」ようで。  【Web東奧 2016年10月20日(木)】

 「勿体ない」をパソコンの語源由来辞典で調べると、
 もったいないは、和製漢語「勿体(もったい)」を「無し」で否定した語。勿体の「重々しさ」「威厳さ」などの意味から、もったいないは「妥当でない」「不届きだ」といった意味で用いられていた。転じて、「自分には不相応である」、「ありがたい」「粗末に扱われて惜しい」など、もったいないの持つ意味は広がっていった。また、「勿体」は本来「物体」と書き、「もったい」と読むのは呉音。「物の形」「物のあるべき姿」から派生し、「重要な部分」「本質的なもの」となった。さらに、重々しい態度などの意味に派生し、意味が離れてきたため「物」が省略され、「勿」という表記で和製漢語の「勿体」が生まれたとされる。これらの経緯から、「惜しい」といった意味で用いられる「もったいない」は、「本来あるべき物がない」と原義に戻ったようにも思えるが、「もったいないおばけが出るぞ」など言われるように、「神聖な物」「重要な物」を粗末にする意味が含まれるため、「勿体」の意味が転じた流れによるものと考えられる。
と、あります。

 この「勿体ない」という形容詞は中世以後に用いられるようになった言葉だそうですが、その語源については諸説があるようです。「勿」は「物」の省字(せいじ、漢字の画の一部を省いてあらわした字)で、「物体なし」と書くのが本来であろうかと考えられています。「もったい」は「物体」の呉音読みで「物のかたち」という意味に用いられた語です。江戸時代の初めの評判記「色道大鏡」にはこの語を説明して、
 もったい。僭上(せんじょう)をさきだて景気を繕う貌(かたち)なり。勿体らしきなどという詞なり。
と言っています。すなわち、偉ぶった態度を取って様子を飾るという語だというのです。


 


 確かにこの語は、「もったいぶる」とか、「もったいらしい」とか、あまりいい意味には使われないことが多いようです。しかし、「勿体がある」とか「もったいをつける」と言うといかにも重々しい威厳のある様子になるという意味にも用いられています。「もったい」には、その物に備わって見える品位・品格という意味があったのです。そうした実体がいかにもあるかのようにふるまうのがつ「もったいぶる」であり、その態度が「もったいぶる」なのです。
 「もったいなし」とは、ある物に備わるそういう品位を無いものにする(無視、或いは否定する)ような態度や行動をとる様子をいうのです。場合によっては「無礼だ」「不都合だ」「とんでもない」の意味にもなります。『宇治拾遺物語』に鮭を盗んだ大童子(寺の雑役に使われる下級僧)が裸にされ身体検査を受ける話がありますが、憤慨した大童子が 「あはれ、もったいなき主(ぬし)かな」 と怒鳴るのですが、これは「まあ、無体な(不都合な)お方じゃなあ」という意味になります。
 『日葡辞書』にも「モッタイナイ 耐えがたい。また、不都合な。」と説明されているそうです。

 「耐えがたい」「不都合な」というのは、そのもの本来のありようからすれば受けるべきでない処遇を受けるから、言うのです。
 したがって、へりくだった態度からすれば、この語は「もったいないお言葉です」というように、我が身の分に過ぎて恐れ多いということにもなるし、又、「捨てるのはもったいない」というように、捨ててしまっては、その物のまだ保有している有効性を無視した、その物に対して不都合な処遇をすることになるというような意味にもなるのです。この点で、「惜しい」と通じるのでありまして、「あの人にこんな仕事をさせておくのは、惜しい」というのを「あの人にこんな仕事をさせておくのは、もったいない」という言い方もできるわけです。


 


 明の趙南星の『笑賛』65話に次のような話が載っています。

 王安石はしきりに文字学を研究していたが、ある時、
 「波は水の皮だ」と言った。すると、蘇東坡が、
 『じゃ、滑は水の骨というわけですな』
 賛に曰く、
  王安石の謬(あやま)りはこの通りであった。彼が宰相となって天下を乱さずに済むはずはなかったのだ。最近張新建(ちょうしんけん)という人は文字学から仙道を悟って、ひそかに姜忠文(きょうちゅうぶん)に伝えた。
  「婦人の唾液は華池神水と申してな、いつもこれを吮(す)ってな吞むがよろしい。そうすればながいきできます。活という字は千口水ですから」
  忠文は仁者なればこそ長寿を得たのであって、この法を用いたからではなかった。しかし、新建はそんな年でもないのに早く死んでしまったが、あれは多分神水の呑み方が少なかったからであろう。惜しいかな。

 後漢書五行志に
 「獻帝踐祚の初、京都の童謠に曰く、千里の草、何ぞ青青たる。十日卜するに、生きるを得ざらんと。案ずるに、千里草は董と為し、十日卜は、卓と為す。凡そ別字の體は、皆な上より起り、左右に離合す。下より端を發する者有る無きなり。今二字此くの如き者は、天意に卓は下よりして上を摩し、臣を以て上を陵ぐと曰ふが若きなり」とあります。
 後漢の最後の帝王である献帝(在位189220)の即位したころ、都に、千里草 何青青 十日卜 不得生(千里の草、何ぞ青青たる。十日の卜、生きることを得ず)という童謡がはやった。これは董卓(139193)が君を凌ぐが後に没落する前兆である。千里草で董、十日の卜で卓、それが初めは青々としているが生きられないということです。董卓が殺される前に聞こえてくることになっています。


 


 世説新語(捷悟篇第十一)の捷悟とは素早く悟るといういみで、この篇には機知にとんだ人々の挿話が集められています。楊脩と曹操の逸話について次のような記事があります。

 1、楊徳祖(楊脩)は魏の武帝(曹操)の主簿だった。そのころ相国門(丞相府の門)を作り、たるきの組み立てができたばかりの時、魏の武帝はみずから門の所へうち眺め、門に題額をかけ、「活」の字を書き入れさせて立ち去った。楊徳祖はこれを見ると、すぐにこれを打ち壊させ、すっかり終わるといった。


 「門の中に活があるのは、闊の字になる。門の大きいことこそ、王(武帝)の嫌われることだ」※     闊は、大きい、広いの意。当時曹操は後漢王朝の実権を握り、簒奪の噂が仕切りであったから大きい門は避けるべきだとの意である。

2、ある人が魏の武帝に酒器一杯の酪(酪、チーズのようなもの)を贈った。魏の武帝は少しばかり飲んだ後、ふたの上に「合」の字を書いて、一同の者に示した。一同は何のことかわからない。順番が楊脩の所へ来た時、楊脩はこれを飲んでいった。
 「公は皆の者に一口ずつ飲めと命令されているのだ。何もふしぎがることはない」
※     原文は「公は人を教(し)て噉(くら)うこと一口ならしむなり、また何ぞ疑わん」とある。「合」の字を分解すると「人ごとに一口」となる。

3、魏の武帝(曹操)は、ある時曹娥の碑のそばを通りかかった。楊脩が随行していた。その碑の裏面に「黄絹・幼婦・外孫・齏臼」の八字が刻まれていうのを見て、武帝は脩に言った。「わかるかね。」
  答えて言った。「わかりました。」
  武帝は言った。「(答えは)まだ言わないでおいてくれ。わしが考えてわかるまで待ってくれ。」
  それから三十里ほど行くと、武帝はやっと言った。「わかったぞ。」
  脩には回答を別に書かせてから答えさせた。
  「『黄絹』とは色糸のことです、文字にすると『絶』となります。『幼婦』とは『少女』です。文字にすると『妙』になります。外孫とは『女(むすめ)の子』です。文字にすると『好』になります。『齏臼』とは『辛(からし)を受け入れる器』です。文字にすると『辞』になります。つまり(この八字)は所謂『絶妙好辞』(すばらしい言葉。表面の碑文を讃えたのである)ということになります。」
  武帝の方でも、脩と同様の回答を書きつけてあった。そこで感嘆して言った。「わしの才が、君に三十里及ばないことが今にしてわかったよ。」



 



白川静氏は漢字の多くを呪術や宗教儀礼と結びつけて解釈していますが、これも好き勝手な空想で言っているのではなく、古代文学や甲骨・金文の研究から得られた知見に裏打ちされたものです(それでも「何でも神がかりに結びつけてしまう」という批判があります)。文字の由来を研究しようと思えば、中国語学や甲骨学・金文学をはじめ、古代文学や古代宗教など該博な知識が必要になってきます。

『男』: 田(たんぼの形)と力(農具の「すき」の形)を合わせた字で、農耕地の管理者を表し、もともとは身分や職能を示すものでした。
『女』: ひざまづいて両手を前に合わせた女性のしなやかな形。
『馬』: 馬の二本の足、たてがみ、尾などを表現した形。
『正』: 口(まちを表す)と止(足跡のかたち)、足跡の形からなる字は歩行、進行を表す字が多く、正の場合、まち・むらに進軍して征服することと解釈されています。つまり卜占による神のお告げを得て行う支配行動は正義とされたのでしょう。
『武』: 戈(武器であるほこ)と止(足跡のかたち)を合わせた形で、元来武とは戈(ほこ)をもって戦いをとどめる行為と解釈されてきましたが、実は、ほこをかついで前進し武威を誇ることを表しています。
『祝』: 兄(祝詞や誓約書を入れる器を戴いた人の形で、祈りを司る兄弟の年長者を表した)と示(小さな神卓の形)で、もともとは先祖の霊を祭り、祈ることを表しています。
『祭』: 古い形では月(肉;祭祀において捧げる肉)と又(それを持つ手の形)からなり、後に示(捧げ物を乗せる神卓の形)が加えられました。
『福』: 示(神卓)に酒樽の形を合わせた字で、酒を神前に供え、酒盛りをして福を招くことを表しました。

 独自の「字源」を唱える自称「研究家」もいます。彼らの多くは漢字を適当に分解し、それぞれの要素の意味を漢和辞典で調べ、それらを組み合わせて「字源」だと称します。しかし漢字の中には甲骨文から楷書に至るまでに字体が大きく変わっているものも少なくなく、古代文字の字形を考慮せずに楷書だけに頼っていたのでは説得力がありません(ひどい人になると戦後になって制定された新字体を分解して「字源」を解こうとしていますが、何をか言わんやです)。また漢字の多くは意味を表す部分と発音を表す部分を合わせた「形声文字」であり、このことを無視するのであれば、無視するだけの合理的な根拠を説明する必要があります。
 ウソも方便ということもありますから、漢字を覚える方便として、漢字を分解して根拠のない由来をこじつけた「覚え歌」を使うというのであれば、別に目くじらを立てることでもないでしょう。たとえば
 「戀という字を分析すれば、いと(糸)し、いと(糸)しと言う心」
 「櫻という字を分析すれば、二階(二貝)の女が気(木)にかかる」
といった昔から有名な都々逸は、傑作と呼ぶにふさわしいものです。しかしこういったものは、お遊びとして楽しむならともかく、教育に使うにはやはりふさわしくありません。なぜならその場限りで応用が全くきかないからです。
 「戀」は「恋」の旧字(以前に使われていた字)です。昔の絵文字を見てみると、男女が心の糸をお互い引っ張り合っている様が現在の「恋」という漢字の起源である事がわかります。よく愛し合っている恋人同士を「赤い糸で結ばれている」という言葉がありますが、「糸」を引き合うという表現は紀元前から使用されていた事がわかります。

 「櫻」「鸚」の音「アウ」は「嬰」の音「エイ」が変化したもので、同時に「嬰」は「貝飾りを首にまとった女」がもともとの意味であることから、「櫻」は「貝飾りのような実をつける ゆすらうめ(「さくら」の意味で使うのは実は日本だけ)」の意味にもなる、というように系統立てて覚えた方が、他の字にも類推して応用できるのです。「纓」も音は「エイ」で、意味は貝飾りのように首にめぐらす「冠のひも」という風に。

 900年ほど前の中国にも、こうした「分解法」を唱えた人がいました。北宋の文人で、「新法」と呼ばれる政治改革を推進した政治家でもあった王安石です。彼は『字説』という本を著し、すべての文字は象形字か会意字であると主張して、いろいろな文字の由来を「分解法」で解説しました。王安石もきっちり学問を修めた人ですし、彼の説も一部には見るべきものがあったので、発表された当時は新法派を中心に支持を集めました。しかし極端に走りすぎたこじつけもまた多かったため、新法が停止されるとともに顧みられなくなり、今では『字説』も散佚して断片しか見ることができません。経書の注釈や字書に引用されて残ったものは、『字説』の中でも比較的まともな部分と考えられますが、明の趙南星の著した『笑賛』などの笑話集に引かれているのは、恐らく『字説』の最も牽強附会な部分で、さんざんコケにされています。


 


 ウェブニュースより
 衆院2補選、自民制す=東京10区若狭氏、福岡6区鳩山氏-早期解散の見方拡大も ―― 参院選後最初の国政選挙となった衆院東京10区と福岡6区の両補欠選挙は23日投票、即日開票された。事実上の与野党一騎打ちとなった東京10区は自民党前職の若狭勝氏(59)=公明党推薦=、自民党系無所属2人と野党統一候補らが争った福岡6区は、自民党系無所属で新人の鳩山二郎氏(37)が当選を確実にした。自民党は鳩山氏を追加公認し、同党が選挙前に持っていた2議席を維持した。

 選挙戦では、与党側がアベノミクスの加速を訴える一方、野党側は環太平洋連携協定(TPP)承認案をめぐる与党の国会運営や、年金給付額を抑える年金制度改革法案を批判した。自民党が両補選で勝利したことにより、安倍晋三首相が早期の衆院解散に踏み切るとの見方が与野党でさらに広がる可能性がある。首相は世論の動向や経済状況などを見極め、解散時期を慎重に探るとみられる。
 民進党の蓮舫代表にとって、9月の代表就任後初の国政選挙だったが初陣を飾れず、今後の求心力に課題を残した。野党は、両選挙区で共産党がいったん公認した候補を取り下げ、民進党候補に一本化。同党が推薦を断ったことに対し、共産党などには不満が残っており、次期衆院選に向けた共闘の在り方について模索が続く。
 小池百合子東京都知事の転出に伴う東京10区補選で、都知事は若狭氏を全面支援。知事選をめぐり自民党内にはしこりが残るが、首相は都知事と一緒に街頭演説するなどして結束を演出した。共産、自由、社民の野党3党の支援を受けた民進党新人の鈴木庸介氏(40)らは及ばなかった。
 福岡6区補選は鳩山邦夫元法相の死去に伴う。自民党は候補者調整が付かず、邦夫氏の次男の鳩山氏と新人の蔵内謙氏(35)がともに無所属で立候補。「弔い合戦」を旗印に支持を訴えた鳩山氏が、民進党新人の新井富美子氏(49)らを下した。  (jiji.com 2016/10/23-23:43)

  今回の補選は最初から結論が分かっているような選挙だした。東京10区の場合は小池百合子の後釜選挙で、都知事選で小池の参謀役だった若狭が出馬すれば、小池人気に便乗して当選するのは目に見えていました。
 福岡6区の場合は、露骨な世襲選挙だ。鳩山邦夫の死去に伴い、せがれが名乗りを上げました。この時点で事実上、当選が決まりでした。「弔い合戦」と言う言葉に弱い日本人は、政策や、候補者の資質、能力などお構いなしに出馬する親族に同情してしまいます。その同情票で楽々当選、これがパターン化しているようです。

 論語泰伯篇に「子曰。民可使由之。不可使知之。」とあります。「子(し)曰(いわ)く、民(たみ)は之(これ)に由(よ)らしむ可(べ)し。之を知らしむ可からず。」と読みます。訳すと、
 孔子先生がおっしゃいました。「人民を政道に従わせることはできるが、一人一人にその内容を理解させることは難しい」と。
 この章を「人民は黙って政治につき従わせておくべきで、いちいち内容を説明すべきものではない」と曲解している人がいますが、可(べし)・不可(べからず)を命令形(~せよ!~するな!)と勘違いしているのでしょう。残念ながら日本の政治家や官僚には勘違いしている人が多いようですが、ここで使われている可(べし)・不可(べからず)は可能形で、できる・できないの意味なのです。


 


 漢字は機械的に教えられるものではありません。覚えるものであり、悟るものです。言葉は文章の中に作品の中にあるものです。その息吹のままその語を捉えることです。文字だけを切り離して教えようとするのは、暗号を覚えさせるのと同じで、初めから無理な話なのです。
 漢字記憶法とか漢字教育法などというもので問題を解決しうると考えるのは基本的には誤りなのであります。記憶法とか教育法とかいうものには便宜的なものが多いのです。
 親=立木のそばで見まもる親 放=木の枝で向こう方へ追っ払う 原=がけ下の泉が原っぱに流れる 配=酒つぼが割れないか心配 字=家で子どもが字を書く 安=家の中の女は安全 切=刀で七つに切る 和=禾(米)を食べられる平和な時代 知=知ったことを矢つぎばやにいう
 これらは学業不振児のために作られたものといいますが、どれも便宜的な説法にすぎません。便宜的な説法ならばなるべくなるべく字形解釈に触れない形式のほうがまだしもと思われます。
 業=タテタテチョンチョン、ヨコチョンチョン、ヨコヨコヨコのタテチョンチョン 寒=ウサンタテタテハッチョンチョン
 また、分解的方法では 朝=十月十日 壽=士のフエは一吋(インチ) のように覚えます。いわゆる離合です。
 江戸期には先日のブログで述べたように「歌字尽(うたじづくし)」のようなものが行われましたが、この方法は新しく試みられることもあります。
 尸部の 尾、尻、尿、屍、屁 「毛は尾にて 九は尻(しり)なれば 水尿(いばり) 死ねば屍(かばね)ぞ 比ぶるは屁ぞ」
 攵部の 政、故、救、改   「正しきは 政(まつりごと)なり 古き故 救(すくひ)求めて 己(おのれ)改たむる」

 正しい字説を児童に理解させるのは困難なことです。しかし字を覚えさせるために、誤りを教えてもよいという道理はありません。
 白川静先生は「正しい字形教育を阻害しているのは、ほかならぬあの新字表である」と仰っています。
 
 たとえば、「器」「臭」「戻」「突」「類」の「大」の部分は元「犬」でした。「大」よりも「犬」の方が、成り立ちがよく分かります。
 器:口が4つ + 犬
   口はさまざまな容器を表す。犬は種類の多いものの代表として加えた。
   儀式に使ういろいろな器を並べたさま。犬は器を清めるための犠牲の犬。 (白川説)
 臭:自 + 犬
   自は鼻の形。犬の鼻は臭いをよく嗅ぎ分ける。
 戻:戸 + 犬
   暴犬が戸内に閉じ込められ暴れるさま→逆らう、もどる。
   玄関の下に悪霊よけのために埋められた犬。悪霊を追い返す→もどす。 (白川説)


 突:穴 + 犬
   穴の中から急に犬がとび出すさま→つく。
   かまどの穴に犠牲の犬を供えるさま。かまどから煙を出すための煙突→つきでる、つく。 (白川説)
 類:米 + 犬 + 頁
   米は、たくさんの植物の代表。犬は、種類の多い動物の代表。頁は、あたま。多くのものの頭かずをそろえて、区わけすることをあらわす。
   頁は、儀礼のときの衣冠を整えた姿。米と犬の犠牲を供え、礼装して拝む形。常例の祭りににせた臨時の祭礼→にせる、るいする。 (白川説)
 白川説の大きな特徴は、犬を儀式の犠牲としている所であります。事実、古代中国の遺跡からは、犠牲に捧げられた犬の骨が多く見つかっています。

 白川氏は著書「常用字解」の中で、「犬」が「大」になったことについて、次のように仰っています。
 「今の常用漢字の字形は、犬を大に変えて臭としているが、臭は大きな鼻の意味となり、においという意味にはならない。ほかにも、常用漢字では器、突、類、戻としているが、伏、就は大に変えていない。常用漢字の字形には、このように字の構造や意味を理解できないように変えてしまっている場合がある。」
 

『小野篁歌字尽』は「往来物(おうらいもの)」と呼ばれる、主に寺子屋で使用された昔の初歩教科書の一つでした。
 https://library.u-gakugei.ac.jp/digitalarchive/pdf/honji-orai1.pdf

 同じ原理でできた漢字や字形の似通った漢字、また同字を含む熟語や世話字・宛字の類を行毎に二~五字(語)ずつ掲げ、さらに暗誦用の和歌を添えたのが『小野篁歌字尽』で、語彙科往来では最も流布したものの一つでした。
 寛文二(1662)年一月刊本(京都・近江屋次良右衛門板)がその最古本で、本文冒頭の「椿 榎 楸 柊 桐」 春つばき夏はゑのきに秋ひさぎ 冬はひらぎ同はきり
のように、行毎に部首が共通する漢字を列挙するのが一般的です(これを仮に「椿」本と読んでおきましょう)。


 


 しかし、『小野篁歌字尽』はその後かなりの板種が見られ、寛文~延宝期に京都で数種が刊行されました。他の出版物同様、その後の出版地は江戸中心となり、江戸中期以降は江戸板が圧倒的となりました。

 森は木が3つ集まった漢字です。このように同じ漢字を3つ集めて作った漢字がいくつもありますね。(添付図参照)

 それぞれの漢字の読み方を和歌にして覚えたようです。
  男みつかけは(ば)たは(ば)かる女をは(ば) かしましとよむ 車とゝ(ゞ)ろく
  三つかける鳥はあつまる 鹿おろか 魚はめゝさ(ざ)こ 羊なまく(ぐ)さ
   ※ めめざこ=めめじゃこ(メダカなどの小魚類)
  三つかける火はひは(ば)な也 水ふかし 木もり 日ひかり 馬はおと(ど)ろく

 歌字尽はいくつも出版されましたが、『安政歌字尽』ように『小野篁歌字尽』と共通する字がほとんどないものが現われます。これは序文のように意図的に『小野篁歌字尽』中の漢字を避けた結果であるといいます。本書は意図的に『小野篁歌字尽』の漢字を排除したため、所収の漢字に俗字がとりわけ多いのが特徴です。例えば、末尾には、添付図のように「心」という漢字をいくつも並べた俗字を掲げています(それぞれ読みは「かなしむ」「まよう」「うたがう」「よろこぶ」)。ほとんど謎掛けのような甚だしい俗字ばかりです。


 ウェブニュースより
 ノーベル賞辞退、過去に6人=ボブ・ディラン氏、沈黙続く ――  13日に今年のノーベル文学賞授与が決まった米シンガー・ソングライター、ボブ・ディラン氏(75)の沈黙が続いている。ステージには立っており、決して雲隠れしているわけではないが、受賞するのかしないのか、はっきりしない。ただ、受賞を辞退しても、ノーベル賞の歴史では初めてではない。ノーベル賞の公式サイトによると、辞退者は過去に6人存在する。

 最も新しい例は1973年の平和賞で、当時のキッシンジャー米大統領補佐官と共同授賞が決まった北ベトナムの労働党政治局員レ・ドク・トが拒否している。68年からのパリ和平交渉の舞台裏で秘密協議を重ね、73年1月のパリ協定調印を実現した。協定に従い米軍の大半は3月、ベトナムから撤退。ノルウェーのノーベル賞委員会は「足かけ4年に及ぶ交渉の末、停戦に結び付けた」と両者を称賛していた。
 しかし、ベトナムの戦火は完全には消えていなかった。公式サイトによると、北ベトナムからは「米国が停戦違反を繰り返している」ことを理由に受賞拒否が伝えられた。委員会は「ベトナムの状況が許せば翌74年10月1日まで受賞は可能」と待ち続けた。ベトナムは75年、サイゴン陥落を迎え南北統一を果たす。もう一人は、64年の文学賞を拒否したフランスの哲学者サルトルで、授与決定後、仏紙フィガロに「選ばないでくれと手紙を送った。(選考機関の)スウェーデン・アカデミーを侮辱したのではない。賞は全て辞退している」と理由を説明していた。アカデミーは選考から50年を経過した後、関連する資料を公開しており、当時のサルトルの手紙も昨年公開されている。郵便事情が悪くて間に合わず、ストックホルムに届いたのは授与発表の後だったことが確認された。
 文学賞は58年、旧ソ連の作家パステルナークも辞退に追い込まれている。小説「ドクトル・ジバゴ」の内容が反ロシア革命的と見なされ、ソ連共産党から強い圧力を受けていた。
 同様に第2次大戦前に辞退したのはいずれもドイツまたはオーストリアの学者で、39年化学賞のブーテナント、同年医学生理学賞のドーマク、38年化学賞のクーンの3人。いずれもナチス政権の圧力で受賞できなかった。
 このため自分の意思で辞退したのは、6人のうちレ・ドク・トとサルトルの2人だけということになる。ただ、公式サイトによると、ロシアの文豪トルストイも1910年の死去まで繰り返し推薦を受け候補となったが「本人が望まず、授与が決まっても辞退すると述べた」と付記されている。 (jiji.com 2016/10/18-14:28


 戦後日本は、戦争の惨禍を踏まえ、戦争放棄を掲げた憲法のもと、平和国家としての歩みを重ねてきました。それから70年目の今、安倍政権は数の力をかりて、日本を戦争する国に変えようとしています。安倍首相は国内合意よりもアメリカに対する約束を優先し、国民の強い反対や懸念を無視・黙殺して暴走をつづけ、アメリカの戦争に日本が世界中で加担することを可能にする安全保障関連法案を強行的に“成立”させてしまいました。こんな無理押しいつまで続くのでしょうね。国民を馬鹿にするにもほどがあります。

 史記(秦始皇本紀)に次のような記述があります。

 八月己亥。趙高欲為亂。恐群臣不聽。乃先設驗。持鹿獻於二世曰。馬也。二世笑曰。丞相誤邪。謂鹿為馬。問左右。左右或默。或言馬。以阿順趙高。或言鹿者。高因陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高。
(書き下し文)
 八月己亥(きがい)、趙高、乱を為さんと欲し、群臣の聴かざるを恐る。
 乃ち先づ験を設け、鹿を持して二世に献じて曰く、馬なり、と。
 二世笑ひて曰く、丞相誤れるか。鹿を謂ひて馬と為す、と。 左右に問ふ。
 左右或ひは黙し、或ひは馬と言ひ、以て趙高に阿(おもね)り順(したが)ふ。 或ひは鹿と言ふ、高因りて諸(もろもろ)の鹿と言ひし者を法を以て陰(ひそ)かに中(あ)つ。後、群臣皆な高を畏る。
(訳)
 八月己亥(きがい)の日、趙高は悪化する形勢が皇帝に露見してしまうことを恐れ、謀反を起こそうと考えた。群臣が自分に従うか心配した趙高は、一計を案じ、鹿を引いて二世皇帝に献じて言った。 馬です、と。
 皇帝は笑って言った。丞相は何を言っているのだ。鹿を指して馬と為している、と。 そして左右に尋ねた。
 ある者は黙して答えず、ある者は同調して馬といい、趙高を恐れて曲従した。中には鹿と答えた者も居たが、趙高はこれを法に引っかけて罪に陥れた。これより後、群臣の誰もが趙高に恐怖した。

 この故事から「鹿を指して馬と為す」とは「人を威圧により無理強いさせること。また、間違いを押し通し、人を欺くこと。」をいうようになりました。
 なお、馬鹿は、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味する「baka」「moha」の音写「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」が転じたとされています。日本では、鎌倉時代末期頃から「ばか」の用例があり、室町中期の「文明本説用集」には、馬鹿の異表記として「母娘」「馬娘」「破家」をあげ、「とんでもない」の意味で「狼藉之義也」と説明しているそうです。以上のことから、「ばか」を「馬鹿」と書くのは、当て字と考えられます。

 馬鹿の語源の俗説には、上記の『史記(秦始皇本紀)』の故事「鹿をさして馬となす」からというものがあります。この故事よりより、自分の権勢をよいことに矛盾したことを押し通す意味として「馬鹿」と言うようになったというものです。しかし、「鹿」を「か」と読むのは大和言葉で、漢文では「ばろく」と読むため、この故事が「ばか」の語源とは考え難く、「ばか」に「馬鹿」の字が当てられた由来として考慮するにとどまります。その他、「おこがましい」の語源となる「をこ」を語源とする説もありますが、「をこ」から「ばか」という音変化は考え難いようです。


 


 国字のツクリでよく使われるものに“花”があります。
 土+花で 埖(ごみ、塵)、石+花で 硴(かき、垣)があります。
 錵(にえ)は日本刀の刃のところに現れる銀砂を振り掛けたように輝いて見える雲形の模様です。糀(こうじ)は米や麦を蒸してコウジカビを繁殖させる時カビが米や麦の周りに花のように付くことからできた字です。椛(もみじ)は木の葉が花のように赤くなることからできた字で、紅葉を愛でる日本人の国民性が示したものといえるでしょう。女+花で 「だて、伊達」と読むのだそうですが、この字は爺のパソコンでは打ち出すことが出来ませんでした。

 私達の身の回りの木、鳥、魚の字にも国字が多いようです。
 木偏の国字
 栂(つが、とが)は、木目が細かく建材などに使われることが多く、建材の母体となる木です。
 椙(すぎ)は、木と栄える意味を持つ昌を合わせて、すくすく伸びる杉を表したものです。
 榊(さかき)は、神前に捧げる木の意で、樫(かし)は堅い木の意ですね。
 栃木県の栃(とち)も国字ですがどうしてこの字が出来たか字源はよく判っていません。

 このほか、木偏を使った国字には 枠(わく)、柾(まさき)、椛(もみじ)、杣(そま、古代・中世の日本で国家・権門が所有した山林)、枡(ます)、桝(ます)、椚(くぬぎ)、楾(はんぞう、湯水を注ぐための器で,その柄が半分器の中にさしこまれているもの)、榁(むろ)、槝(かし、船をつなぎとめるために用いる水底に立てる杭)、椥(なぎ)、杁(いり、水の流れる量を調節するために堤(つつみ)などに埋めた樋〈とい〉)、樮(ほくそ、燃えかすのこと)、椨(たぶ)、椣(しで)、椡(くぬぎ)、橲(ずさ、?)、欟(つき、)、橸(まさ、幽霊字、)
*JIS基本漢字に含まれる、典拠不明の文字の総称。幽霊漢字(ゆうれいかんじ)、幽霊字(ゆうれいじ)とも呼ぶ。橸は日本地名大辞典に用例あり。石橸(いしだる)/静岡県。

 鳥偏の国字
 鳰(にお)は「かいつぶり」という水鳥で、水に入る鳥という意です。
 鵆(ちどり)は行き交う鳥の意で、中国では鴴の字を用います。現在では千鳥と書くのが普通でしょう。
 鵇(とき)は年を告げる鳥の意で、朱鷺・鴇とも書きます。
 鵥(かけす)は人の言葉を判断する鳥の意で、ほかの鳥の鳴き声や物音を真似るのが得意と言います。懸巣とも書きます。
 鶍(いすか)はスズメ科の小鳥で、針葉樹の実を食べやすいように上下のくちばしがくい違っているため、行違うという意を持つ“易”の字と鳥を組み合わせたものです。

 このほかに鴫(しぎ)、鵤(いかる、いかるが)、鶫(つぐみ)、鵈(とび、みさご)などがあります。

 魚偏の国字
 鮲(こち)は、砂地に住んでいます。頭が大きい平べったい魚で、砂地に伏し隠れているという意です。
 鯐(すばしり)は“走り”の訓読みを当てたものです。東京などではボラの稚魚をこのように呼ぶそうです。
 鯱(しゃち)はイルカ類で魚ではありませんが、魚偏の国字になりました。虎のように激しい気性の魚という意です。
 一字ではありませんが、鮟鱇は「鱇」が国字で、「あんこう」と読みます。

 日本は海に囲まれ、色々な種類の魚が獲れます。従って魚のついた国字は沢山あります。
 鰯(いわし)、鱈(たら)、鮗(このしろ)、鮖(かじか)、鮴(ごり)、鯒(こち)、鯑(かずのこ)、鯏(あさり、うぐい)、鯲(どじょう)、鯰(なまず)、鰰(はたはた)、鱚(きす)、鰡(ぼら)などがあります。
 寿司屋の湯呑には魚の名がいっぱい書かれたものがありますが、みなさんはどれぐらい読めますか?


 


 ウェブニュースより
 自民候補支援、小池氏が応諾=二階氏の要請に-東京10区補選 ―― 自民党の二階俊博幹事長は6日、小池百合子東京都知事と都内で会談した。小池氏の衆院議員失職に伴う衆院東京10区補欠選挙(11日告示、23日投開票)に関し、二階氏は同党が公認する若狭勝衆院議員(比例東京)への支援を要請。小池氏は応じる考えを伝えた。また、16日には小池氏が安倍晋三首相や公明党の山口那津男代表とともに若狭氏の応援演説を行う方向となった。
 公明、若狭氏の推薦決定=東京10区補選
 二階氏が「ぜひ小池都知事も若狭氏の選挙について全面的にやってほしい」と求めたのに対し、小池氏も「自分が選対本部長になったつもりで先頭に立って仕切ってやる」と語った。同席した自民党の下村博文都連会長は、小池氏を支援した豊島、練馬両区の区議7人への離党勧告に関し、「補選を通じて考えたい」と述べ、処分緩和も検討する意向を伝達。都知事選で生じた党都連内の亀裂修復への協力も求めた。小池氏は「一気には解決しないだろうが、そういう方向に行ければいいと思う」と、前向きな姿勢を示した。 (jiji.com 2016/10/06-16:17)

 孫子九地篇の次の故事により「呉越同船」という四字熟語が出来ました。

 故善用兵者、譬如率然、率然者、常山之蛇也、撃其首則尾至、撃其尾、則首至、撃其中、則首尾倶至、敢問、兵可使如率然乎、曰、可、夫呉人與越人相惡也、當其同舟而濟遇風、其相救也、如左右手、是故方馬埋輪、未足恃也、齋勇若一、政之道也、剛柔皆得、地之理也、故善用兵者、攜手若使一人、不得已也、
(書き下し文)
 故(ゆえ)に善く兵を用うる者は、譬(たと)えば率然の如し。率然とは、常山の蛇なり。其の首を撃てば則(すなわ)ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。あえて問う、兵は率然のごとくならしむべきか。曰く、可なり。それ呉人と越人と相悪むも、その舟を同じくして済(わた)り風に遇(あ)うに当たりては、その相救うや左右の手のごとし。このゆえに馬を方(なら)べ輪を埋むるも、いまだ恃むに足らず。勇を斉(ひと)しくし一(いつ)のごとくするは政(せい)の道なり。剛柔みな得るは地の理なり。ゆえに善く兵を用もちうる者は、手を携さうること一人を使うがごとし。已(や)むを得ざらしむればなり。
(訳)
 そこで、巧みな用兵者は、たとえば卒然(そつぜん)のようなものである。この卒然とは常山(じょうざん、)の蛇の名であるが、この蛇は頭を撃つと尾が応じ、尾を撃てば頭が応じ、腹を撃てば頭と尾が応じてくるものである。
 さて、あえておたずねする。「兵は卒然のごとくなしうるか」
 お答えしよう。「まさにそうしうる」と。
 そもそも呉の人と越の人とは互いに憎み合ってはいるが同じ舟に乗っていて風波に遭遇すれば、互いに左右の手のように助け合うことになる。だから馬を並べてつなぎ車輪を土中に埋めて陣固めをしてみても、その備えも結局たいして頼りにはならない。
 兵卒たちをひとしく勇者にならせるのは、軍令の運用の是非によってである。強いものも弱いものも十分に力をだしきれるようにさせるのは、地の利を生かすかどうかによっている。そこで、巧みな用兵者は手をとって人をあやつるように自在に兵をあやつるが、そうなるのは、兵卒たちをそのようにして戦うほかない状況下におくからである。


 


プロフィール
ハンドルネーム:
目高 拙痴无
年齢:
92
誕生日:
1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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