瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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茅萱(ちがや)を詠んだ歌4
12-3057:浅茅原茅生に足踏み心ぐみ我が思ふ子らが家のあたり見つ
 
12-3063:浅茅原小野に標結ふ空言も逢はむと聞こせ恋のなぐさに
題詞:寄物陳思
題訓:物に寄せて思を陳ぶ
原文:淺茅原 小野尓標結 空言毛 将相跡令聞 戀之名種尓
            万葉集 巻123063
         作者:柿本人麻呂歌集より


よみ:浅茅原(あさぢはら)、小野に標(しめ)()ふ、空言(そらごと)も、
逢はむと聞こせ、恋のなぐさに
 
意訳:浅茅原(あさぢはら)の 野に標(しめ)を 結ぶみたいに、
むなしい嘘でもいいから、逢いましょうと 言ってください。恋のなぐさめに。
◎「浅茅原(あさぢはら)、小野(をの)に標(しめ)()ふ」で
「空言(そらごと)」を導いています。
左注:或本歌曰、将来知志 君牟志待。又見柿本朝臣人麻呂歌集、然落勺少異耳。
注訓:或る本の歌に曰はく、来むと知らせし君をし待たむ。また、柿本朝臣人麻呂の歌集に見ゆ。然れども落勺(らくしゃく)少しく異なるのみ。
(落勺:後半の内容)
参考歌
万葉集 巻112466 朝茅原 小野印 室事 何在云 公待
よみ:浅茅原(あさぢはら)小野に標結(しまゆ)ふ室事(むろこと)をいかなりと云ひて君は待たなむ
:巻向の浅茅ガ原の小野に縄張りの標を結ぶ室(=小屋)、その言葉のひびきではないが、私との室事(=睦事)をどうしましょうと云って貴方がその小野で私を待っているでしょう。
◎標(しめ)は、大切な所有地などを示すしるしとして縄などをむすんで囲ったものです。でも、「浅茅原(あさぢはら)」はそれほど大切ではないので、標をしても空しいことだったのでしょう。
 
16-3887:天(あま)なるや神楽良(ささら)の小野に茅草(ちがや)刈り草刈りばかに鶉(うづら)を立つも
 
◎怕しき物の謌について、
 この三首の歌は万葉集の歌の中でも「難訓歌」や「意味の取れない歌」となっています。そのために「訓読み万葉集」では、定訓や意訳が定まっていないことになっているようです。
 そこで、この歌々を正しく解釈するには、これらの歌に対して標題を付けた人物の解釈を推定する必要があります。つまり、この三首の歌に付けられた標題の「怕物謌三首」の漢文を、どのように訓むかが重要です。
 さて、この「怕物謌三首」の「怕」の字は「おそ-れ」と訓みます。一方、日本語の「おそれ」を漢字で示すと「怖れ」、「恐れ」と「怕れ」と記すことが出来ますが、その意味合いは少しずつ違います。つまり、標に示す「怕物謌三首」とは、「怕」の字で代表する「怖」、「恐」と「怕」のそれぞれ違った意味合いを持つ「おそれ」を詠った歌三首とも解釈できるのではないでしょうか。
 こうしたとき、この「怕」の漢字で代表する大和言葉で「おそれ」と云う言葉が持つ意味合いを踏まえて、「怕物謌三首」を鑑賞してください。そうすると、それぞれに異なる三種類の「おそれ」が歌に詠われていることに気づくはずです。最初の歌は単純な動物的反応による怖れ、次の歌は死者に対する本能と死に対する知性の絡み合いからの怕れ、そして、最後の歌は純粋に知性からの恐れです。
3887 天にあるやささらの小野に茅草刈り草刈りばかに鶉を立つも
 天上にあるような神が宿るような神楽良の小さな野にある茅草を刈り、その草を刈る途端に鶉が飛び出したような。
 第一の歌の舞台は、天上の草原です。死者は鶉の群れが飛び立つ音に驚かされます。
 
 天上の草原、亡者となった私が草刈り場に近づくと突然、鶉が飛び立つ


3888 奥(おき)つ国(くに)(うる)はく君の染め屋形(やかた)黄染(にそめ)の屋形(やかた)神の門()(なか)
 死者の国を頂戴した者が乗る染め布の屋形、黄色く染めた布の屋形、神の国への門が開くのに涙が流れる。
注意 屋形とは人が乗る箱のこと、普通は牛車の人の乗る部分。ここでは棺を意味して、染屋形とは、棺に布を掛けた状態を示す。
 第二の歌の舞台は、夕暮れの海峡です。死者を乗せた船が黄泉の国へ向かいます。
 
 海に夕日が落ちるとき、黄泉の支配者の朱塗りの船が亡者たちを乗せて海峡を行く


3889 人魂(ひとたま)のさ青()なる君のただ独り逢へりし雨夜(あまよ)()の左思念(おも)
 人の心を持つと云う青面金剛童子像を、私がただ独りで寺に拝んだ雨の夜。左思が「鬱鬱」と詠いだす「詠史」の一節を思い出します。
注意:「人魂乃佐青有君」は、当時に到来した四天王寺庚申堂の青面金剛童子の洒落です。「葉非」も枝は葉に非ずの洒落で、この「枝」と「左思」から「鬱鬱潤底松」で始まる漢詩「詠史」を暗示します。また、青面金剛童子は疫病に苦しむ人々を救済するために現れたとされています。


第三の歌の舞台は、雨の夜の葬儀場です。死者が人魂となって逢いにきます。
 
 雨の葬儀の夜、君はただひとり青白い人魂となって私に逢いに来ます。


 

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