瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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槻を詠める歌2
巻2-0213:うつそみと思ひし時にたづさはり.......(長歌)
題詞:柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首[并短歌] 或本歌曰
標訓:柿本朝臣人麿の妻死りし後に泣()()ち哀慟(かなし)みて作れる歌二首并せて短歌 或本の歌に曰く
原文:宇都曽臣等 念之時 携手 吾二見之 出立 百兄槻木 虚知期知尓 枝刺有如 春葉 茂如 念有之 妹庭雖在 恃有之 妹庭雖在 世中 背不得者 香切火之 燎流荒野尓 白栲 天領巾隠 鳥自物 朝立伊行而 入日成 隠西加婆 吾妹子之 形見尓置有 緑兒之 乞哭別 取委 物之無者 男自物 腋挾持 吾妹子與 二吾宿之 枕附 嬬屋内尓 <>者 浦不怜晩之 夜者 息<>明之 雖嘆 為便不知 雖戀 相縁無 大鳥 羽易山尓 汝戀 妹座等 人云者 石根割見而 奈積来之 好雲叙無 宇都曽臣 念之妹我 灰而座者
            
 万葉集 巻2-0213
          作者:柿本人麻呂


よみ:うつそみと 思ひし時に たづさはり 我がふたり見し 出立の 百枝槻の木 こちごちに 枝させるごと 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 妹にはあれど 世間を 背きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠り 鳥じもの 朝立ちい行きて 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と 二人我が寝し 枕付く 妻屋のうちに 昼は うらさび暮らし 夜は 息づき明かし 嘆けども 為むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽がひの山に 汝が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば
 
意訳:この世の中のことと思っていた時に、お互いの手を取り合って、私と貴女と二人で見た庭先の堤に立つ欅の木のあちらこちらの枝に春の葉が茂るように、生き生きとした貴女でしたが、そして、頼りのなる若い貴女でしたが、人の生き死にの、この世のことの決まりことに背くことが出来なくて、ほむらの燃える荒野に白妙の布で貴女の遺体を包み隠して、鳥たちのように朝に送り立たせて、夕日のときに葬儀を終えて貴女の身をこの世から隠すと、貴女の形見に残した幼子が貴女を求めて泣くごとに、幼子にしゃぶらせることのできるようなものもないければ、男である私の腋に抱えてあやし、貴女と二人で私と共寝した枕を置く貴女との部屋の内に、または、心悲しく日を暮らし、夜はあれこれ考え朝迎え、嘆くのだけどどうしょうもなくて、貴女を恋しく思っても、再び貴女に逢うこともありえない。大きな鳥のような羽を交わすような山に私が恋しい貴女がいますと人が云うので、岩道を踏み分け苦しみながらも来たことよ。貴女に逢えるという良いこともなくて、この世の人と思いたい貴女が火葬の灰になっているので。

ウェブニュースより
 コメディアン 小松政夫さん死去 ――「デンセンマンの電線音頭」や「しらけ鳥音頭」などのネタや歌で人気を集め「小松の親分」の愛称で知られたコメディアンの小松政夫さんが今月7日、肝細胞がんのため東京都内の病院で亡くなりました。78歳でした。
 
https://www.youtube.com/watch?v=hLhPCESHFfg
  小松さんは福岡市の出身で、昭和39年に当時、国民的人気だったコメディアンの植木等さんの付き人として芸能界入りし、テレビ番組や舞台で演じたひょうきんなキャラクターや持ち前のギャグで一躍人気者となりました。
 中でも、伊東四朗さんとのコンビで出演したコント番組で演じた「小松の親分」は、小松さんを代表するキャラクターとなり、番組の中で披露した「デンセンマンの電線音頭」や「しらけ鳥音頭」などのネタや歌が大ヒットしました。
また、イッセー尾形さんとの即興の二人芝居など舞台での活動も精力的に行ったほか、植木等さんとの師弟関係を描いた自伝的長編小説「のぼせもんやけん」は平成29年に原案としてNHKでドラマ化されています。
 
小松さんは去年11月に肝細胞がんが見つかり、治療を受けながら最近まで仕事を続けていましたが、先月14日から入院し、今月7日、都内の病院で肝細胞がんのため亡くなりました。78歳でした。
 
葬儀は親族のみで11日執り行ったということです。
 
伊東四朗さん「俺より先に逝くなんて」
 
コメディアンの小松政夫さんが亡くなったことについて、コント番組にコンビで出演していた俳優の伊東四朗さんは「俺より先に逝くなんて馬鹿野郎。会いたかった」と、所属事務所を通じてコメントを発表しました。
 
イッセー尾形さん「どんな無茶ぶりも受けとめ笑いに」
 
コメディアンの小松政夫さんが亡くなったことについて、小松さんとの二人芝居で共演した俳優のイッセー尾形さんは「突然の訃報にただただ驚いています。きっと元気でやっておられるとばっかり思ってました。楽しい舞台をご一緒させていただきました。笑いの渦と真剣な汗が目に焼きついています。こう言うと、ますます信じられませんが…とにかく小松さんの包容力に甘えての舞台でした。どんな無茶ぶりでも受けとめて大きな笑いを劇場に巻き起こしたものです。ここで型どおりを言わなければならないなんて。残念です。心よりご冥福をお祈りいたします。やすらかにお休みください。おつかれさまでした」と、コメントを寄せました。
 
出身地 福岡では悼む声
 
コメディアンの小松政夫さんが生まれ育った福岡市博多区の商店街では、小松さんの死を悼む声が聞かれました。
 
買い物に訪れていた女性は「テレビの中ではふざけていますが、とても温かく、芯は優しい人という感じがありました。亡くなってさみしいです」と話していました。
 
商店街で働く女性は「この近く出身で、山笠のときにははっぴを着ているのを見かけていたのでさみしいです。山笠やどんたくが再開するのを見守っていてください」と話していました。
 
小松さんが働いていた和菓子店副社長「大変お世話になりました」
 
小松政夫さんが高校生のころに住み込みで働いていた福岡市博多区の和菓子店の石村慎悟副社長は「とてもびっくりしています。2代目の社長にあたる祖父が小松さんをかわいがっていて、店の2階に住んで働いていました。上京したあとも気にしてくださっていて、福岡に来られたときは『元気にしとお?』と博多弁で話しかけてくださって励ましていただきました。大変お世話になりました」と話していました。
 
うどん店 店主「律儀な方でした」
 
福岡市博多区にある創業138年のうどん店、「かろのうろん」の店主、瓜生高康さんによりますと、小松さんは子どものころ、店の近くに住んでいて、瓜生さんの父親と幼なじみだったということです。
 
店内には、小松さんがうどんを食べる写真や瓜生さん親子と撮った写真、それに小松さんの似顔絵とともに代表的なギャグが印刷された手ぬぐいなどが飾られています。
 
小松さんが最後に店を訪れたのは去年の山笠の時期で、いつも好んで食べていた、ごぼうの天ぷらと魚のすり身の天ぷらが入った「ごぼうまる天うどん」を注文したということです。
 瓜生さんは小松さんについて「父が亡くなったときも線香あげさせてくれと、黙って仏壇の前で涙を流してくれました。それ以来、ずっと来ていただいていて、律儀な方でした。ほんとうにさみしい気持ちでいまでも『帰ってきたよ』と現れる感じがします」と話していました。   (NHK WEB NEWS 20201211 2305分)


 

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プロフィール
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目高 拙痴无
年齢:
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1932/02/04
自己紹介:
くたばりかけの糞爺々です。よろしく。メールも頼むね。
 sechin@nethome.ne.jp です。


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