茅萱(ちがや)を詠んだ歌2
巻8-1449: 茅花抜く浅茅が原のつほすみれ今盛りなり我が恋ふらくは
巻8-1460: 戯奴がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花ぞ食して肥えませ
※紀小鹿(きのおしか、生没年未詳)
奈良時代中期の女流歌人です。紀女郎(きのいらつめ)ともいいのす。
安貴王の妻でしたが、王は神亀元年(724年)ごろ、因幡八上采女関係を持ち、天皇の采女に臣下が手を出したという不敬罪で本郷(もとつくに)に退去させられています。そのことが原因かどうかは不明ですが、天平年間(729~749年)ごろから大伴家持とたびたび歌を交わしています。
ほかにも、「怨恨(うらみ)の歌三首」や、包める物を友に贈る歌、梅の歌があります。ほとんどの歌が「相聞」歌であり、代表的な万葉女流歌人の一人とされています。
巻8-1462: 我が君に戯奴は恋ふらし賜りたる茅花を食めどいや痩せに痩す
巻8-1514: 秋萩は咲くべくあらし我がやどの浅茅が花の散りゆく見れば
※穂積皇子(ほづみのみこ、?~715年)
天武天皇の第5皇子(『続日本紀(しょくにほんぎ)』薨伝(こうでん))といわれますが、10人の天武の皇子中出生順では8番目と推定されています。母は蘇我赤兄(そがのあかえ)の娘太蕤娘(おおぬのいらつめ)です。生年は未詳ですが、薨年の霊亀(れいき)元年(715)に50歳と考える説によれば、666年(天智天皇5年)生まれです。705年(慶雲2)知太政官事、706年右大臣となり、715年一品に昇叙しています。同年7月に没しました。異母妹但馬皇女(たじまのひめみこ)との激しい恋愛は有名です。『万葉集』に4首の短歌を残しており、但馬皇女の死を悲しむ「降る雪はあはにな降りそ吉隠(よなばり)の猪養(ゐかひ)の岡の寒からまくに(万葉集、巻2-203)」はとくに哀切。
巻8-1578:今朝鳴きて行きし雁が音寒みかもこの野の浅茅色づきにける
※阿部朝臣蟲麻呂(?~752年)
天平9年(737年)に正七位上から五階の昇叙を受け、外位ながら従五位下に叙せられ、皇后宮亮に任ぜられます。同年12月に長く病んでいた皇太夫人・藤原宮子が玄昉の看病により回復して、久しぶりに聖武天皇と相見えたことから、中宮職の諸官人が昇叙され、虫麻呂も内位の従五位下への叙位を受けています。天平10年(738年)中務少輔に遷ります。
天平12年(740年)藤原広嗣の乱が発生したため、9月上旬に衛門督・佐伯常人と共に勅使として九州へ派遣されます。9月下旬に常人と共に隼人24名・軍士4000名を率いて豊前国板櫃営(現在の福岡県北九州市小倉北区到津地区)に着陣し、10月に板櫃川で藤原広嗣軍と交戦します。乱鎮圧後の11月に伊勢国鈴鹿郡赤坂頓宮において供奉者への叙位がなされて従五位上に、天平13年(741年)には乱での戦功により、正五位下に昇叙されます。同年8月に播磨守として地方官に転じます。天平15年(743年)にも正五位上に叙せられ、のち左中弁を務めるなど、聖武朝後半は順調に昇進しました。
孝謙朝に入り、天平勝宝元年(749年)紫微中台が設置されると紫微大忠を兼ね、天平勝宝3年(751年)には従四位下に至ります。天平勝宝4年(752年)3月17日卒去。最終官位は中務大輔従四位下。
万葉歌人であり、『万葉集』には虫麻呂の詠んだ「しつたまき 数にもあらぬ 我が身もち 如何でここだく 我が恋ひ渡る」という和歌ほか5首が採録されています。
巻8-1654:松蔭の浅茅の上の白雪を消たずて置かむことはかもなき
ウェブニュースより
中村晃V弾 話題呼んだ丸との一幕「終わっている」 ―― <SMBC日本シリーズ2020:ソフトバンク4-0巨人>◇第3戦◇24日◇ペイペイドーム
「ミスター・ポストシーズン」中村晃外野手(31)のバットが巨人に襲いかかった。3回2死二塁。巨人サンチェスのフォークをとらえた打球は、鷹党の待つ右翼スタンドに飛びこんだ。先制2ラン。「追い込まれていたので、我慢しながら。最後の最後で甘いボールが来ました」。7回には左腕高梨から3点目となる適時打。投手戦の中で効果的な2安打3打点だった。
どんな打順でもこなし、工藤監督に「いてもらわないと困る」と言わしめるくせ者。だが短期決戦では柳田やデスパイネもびっくりの「スラッガー」に化ける。シーズンでは通算46本塁打ながら、日本シリーズではこれが14、15、17年に次ぐ4本目。クライマックスシリーズ(CS)では今年、第2戦で2打席連続本塁打を放ってMVPを獲得したほか、16年から5年連続本塁打と驚異的な勝負強さを見せている。
中村晃の1発はチームにとって、ポストシーズン20試合連続の本塁打。球団名がソフトバンクになった05年からは、ポストシーズンで節目のチーム100号となった。今季リーグトップの126本塁打をマークした自慢の武器は、日本シリーズでも健在だ。
第1戦では一塁守備で、打者走者の丸と接触していた。SNSでカブス・ダルビッシュが言及するなど話題を呼んでいたプレーだ。中村晃は「(当日に丸から)電話がかかってきました。同級生(同じ学年)ですし、丸のこともよく知ってますし。いろんな人がいろんなこと言ってますけど、ぼくと丸の中では終わっているので。いいのかなと思っています」と、穏やかに振り返った。
日本一というゴールはすぐそこまできた。「最後の力を振り絞って、全員で勝ちにいきたい」と、力強く言った。 [日刊スポーツ 2020年11月24日23時0分]
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