萩の花 尾花葛花 瞿麦(ナデシコ)の花
女郎花(オミナエシ) また藤袴 朝貌(アサガオ)の花
山上憶良 万葉集 1538 巻八
「秋の七草」として親しまれる七種の草の中の「あさがおのはな(朝貌の花)」は、「朝顔」とも、「昼顔」とも、「木槿」とも、「桔梗」とも言われ、諸説がありますが、一般的には「桔梗」を指すとするのが有力で、辞典類も「キキョウ」とするものが多く見られます。植物学者の牧野富太郎博士(1862年・文久2年~1957年・昭和32年)は、「朝貌の花」は「桔梗」であるとの説を採っています。
牧野博士によれば、今で言う「朝顔」が中国から伝わったのは山上憶良より後の時代であり、「人家に栽培している蔓草のアサガオは秋の七種中のアサガオではけっしてない」とし、また、万葉集の別の歌に「朝顔は夕方に咲くのが見事」と詠まれていて、「夕方が見事」というのは現在の「朝顔」と合致しないことなどを挙げ「アサガオ説」を否定。また、「木槿(ムクゲ)」については、中国からの外来の灌木であり野辺に自然に生えているものでもなく、また万葉歌の時代に果たしてムクゲが日本へ来ていたのかどうかも疑わしいとしてこれを否定し、「万葉歌のアサガオをヒルガオだとする人もあったが、この説もけっして穏当ではない」と「ヒルガオ説」も否定している。「キキョウ説」については、山上憶良より200年ほど下った平安時代に書かれた、現存する漢和辞典では日本最古の『新撰字鏡』(平安前期の昌泰年間(898〜901)に成立)の「桔梗」の項で、「阿佐加保」と振り仮名が振られていることなどを根拠として、「この貴重な文献においてそれに従ってよいと信ずる」と「朝貌の花」が「桔梗」であるとされることに異を唱えてはいない。
(「秋の七草の話」1931年・昭和6年講演、「植物知識」
1949年・昭和24年、「随筆 植物一日一題」1953年・昭和28年 など)
「春の七草」は無病息災を願って「七草粥」として食べますが、「秋の七草」は観賞して楽しむ植物です。現在一般に言われている「秋の七草」は、万葉の歌人、山上憶良(660?〜733?)が二首の歌に詠んで以来、日本の秋を代表する草花として親しまれるようになったとされます。
秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り
かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
(山上憶良 万葉集 1537 巻八)
意味:秋の野にとりどりに咲く花を、指を折りながら一つひとつ数えてみると、七種類の花がありました。
萩の花 尾花葛花 瞿麦の花
女郎花 また藤袴 朝貌の花
(山上憶良 万葉集 一五三八 巻八)
一首目は、「五・七・五・七・七」の短歌で、二首目は、「五・七・七、五・七・七」の旋頭歌です。
『年中故事』(寛政12年・1800年 玉田永教著)には、次のように見られます。
一、猿田彦祭 七月七日
正月七日は七草を以て祭る、今日は秋の七草とて供へ祭る。
朝貌 萩 尾花 撫子 女郎花 蕨 葛花
茄子 瓜 小豆 桃 柿 素麪 莧花
七は金の数にて、秋は金也、七日の成れば是神を祭る、御鼻の長さ七咫(あた)、御背長七尋(ひろ)とあり、是神天孫降臨の時導き給ふ、道祖神といふ、幸神といふ、 (続日本随筆大成 別巻11民間風俗年中行事)
《江戸時代の錦絵に見る『秋の七草』》
『試験準備近世理科問答 博物ノ部』 明治41年・1908年
明治41年・1908年(今から111年前)に、小学生の復習用、中学師範入学準備、農学校・商業学校・幼年学校などの試験対策として出版された、尋常小学校5年・6年で習う範囲とする問題に登場する『秋の七草』です。 「秋の七草とは何々か」との設問で、答えは『ハギ、オバナ、キキョウ、クズ、ナデシコ、フジバカマ、オミナエシ』とされています。
sechin@nethome.ne.jp です。
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