8.川越波切の御名号
親鸞が平島村(現在の新潟市西区)に迎えられた時のこと。念仏の教えを説いた後、新十郎という人物が鳥屋野草庵に帰る親鸞を送ろうと信濃川に船で漕ぎ出したところ、北風が激しく吹き、川を渡れなくなってしまった。すると親鸞は懐中から紙を出し、「南無阿弥陀仏」の六字の名号を書き、新十郎に与えた。船の表に掲げると、不思議なことに難なく波を切り分けて渡ることができたという。以来、名号は子孫代々大切に守られている。
鈴木家(川越波切の御名号) 新潟県新潟市西区寺地940-4
親鸞聖人は、五年に及ぶ越後流罪が赦免され、この北陸の地に教化の折、五十嵐浜から平島(さめづら)に上陸され、さらに信濃川対岸の鳥屋野から近郷の村々を御布教して居られた途中のことでした。御布教を終えられた親鸞聖人が、いっもの通り、寺地村(さめづら)の渡し守、鈴木新十郎の船に乗って、信濃川を鳥屋野へ渡ろうとなされた時、にわかに天候が悪化し、北風が激しく吹いて嵐になり、船は木の葉のように揺れて進まず、船頭の力も尽きようとしていました。新十郎は手のほどこしようもなく途方に暮れていたところ、親鸞聖人が、懐中より紙を取り出され「南無阿弥陀仏」の六号御名号を書かれて新十郎に与えられました。早速、新十郎がこの御名号を船の帆先にくくり付けたところ、不思議に嵐は収まり、波が静かになり、無事に対岸の鳥屋野にお着きになることが出来ました。
聖人は、この六字御名号を、敬覚寺開基となる八木次郎左衛門と新十郎にお与えになり、鈴木家はこの地に御名号堂を建立しました。
承久年間、順徳天皇のお渡り時「間遠なり」と言われ、以来平島と鳥屋野の間は、「間遠の渡」といいます。また元禄のはじめ俳人芭蕉が立ち寄り、「船の中眠る間遠のわたし哉」と読んだと伝えられます。
ウェブニュースより
マラソン札幌開催案、IOCに危機感 ドーハも引き金 ―― 2020年東京五輪のマラソンと競歩について、国際オリンピック委員会(IOC)が猛暑を懸念して開催地を札幌市に移す検討に入った。これまでも暑さは運営課題として認識され、スタート時間を早めるなどの対応が取られてきた。IOCが混乱も伴うこの時期の計画変更を提案した背景には、9月末~10月初めにカタール・ドーハで行われた世界選手権の惨状も影響したと思われる。
高温多湿の悪条件で行われた世界選手権は、マラソンと競歩のスタート時間が午後11時30分~午前0時の間に設定された。にもかかわらず、女子マラソンはスタート時の気温が32.7度、湿度73.3%と高く、出場選手の4割超に当たる28選手が途中棄権。男子50キロ競歩でも出場46選手のうち、14人がゴールにたどりつけなかった(失格者を除く)。
女子マラソンに所属選手を送り出した天満屋の武冨豊監督は「2度とこういうレースは走らせたくない」と選手の受けるダメージの深刻さに懸念を示していた。レース後数日たっても微熱が続くなど、体調不良を訴える選手もいたという。
選手や関係者から不安の声が上がり、「アスリートファースト(選手第一)」を掲げるIOCも危機感を強めたようだ。トーマス・バッハ会長は変更検討について「マラソンと競歩の開催地を移す新たな提案は、我々がどれほど深刻な懸念を持っているかの表れだ」とのコメントを出した。
実際、東京大会に懸念を示す声は上がっていた。競歩は皇居外苑を周回するコースで日陰が全くない。今回の世界選手権男子50キロで金メダルを獲得し、東京五輪代表に決まっている鈴木雄介選手(富士通)も「選手や観客、運営の方々の健康を考えても、陰のあるコースにしてほしいと強く願っている」とかねて見直しを訴えていた。
一方で、IOCの突然の方針転換に戸惑いも広がる。既に多方面で準備が進んでいるからだ。9月15日に五輪本番とほぼ同じコースで行われた日本代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ」はテスト大会を兼ねて行われ、チケットも既に発売済みで対応が迫られる。
気象条件やコースを踏まえた現場の本番対策も進んでいた。女子マラソンの山下佐知子・日本陸連五輪強化コーチは「全く聞いていなかった。(日本選手は)暑さの中のレースでないと勝負できないと思っていたので驚きだ」と困惑している。 (日本経済新聞 2019/10/17 2:00)
sechin@nethome.ne.jp です。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |