2. 山田の焼鮒(やきふな)
体に黒い焦げ目模様のついているフナのことです。親鸞が南無阿弥陀仏と言いながら、池に放したところ、その鮒は生き返ったという言い伝えが残っています。
田代家(見真大師焼鮒御旧蹟) 新潟県新潟市西区山田646
昔、親鸞聖人は、宗教弾圧を受け、越後の国に遠島の罪を受けられました。国府(今の上越市)に2年、鳥屋野(今の新潟市、焼鮒のある山田の里に近い)に3年、逗留されました。
その間、越後の人々に布教活動をされましたが、中でもこの山田の里の山王権現が気に入られて、建暦元年11月17日、勅免の御沙汰があり、京に帰ることになり、鳥屋野を出発し、山田の里で、村人達とお別れをされました。
お酒を酌み交わし、村人達はその酒の肴にと、焼いた鮒を聖人に差し上げたところ、袈裟を傍らの榎に掛けて、その焼いた鮒を手にとって、「我が真宗の御法、佛意にかない、念仏往生間違いなくんばこの鮒、必ず生るべし」といわれ、念仏を申されながら、池に放されたら、不思議な事に鮒がたちまち生き返ったのでした。
そして、この袈裟をかけた榎に念仏の願を掛けておくので、この榎を大事に育てよといわれたそうです。そして、600年余りその榎は山王権現に祀られてきました。
しかしながら、江戸時代、寛政8年辰の年、今で言う台風の風に倒れ、祀ってきた村の人々の意に反して、木を伐らざるを得なくなりました。ところが、二股に分かれた木を切ってみると、一方の幹には、親鸞聖人の御姿、もう一方の幹には、焼鮒の御形が現れていました。切っても切っても、幹には二つの姿が現れていました。これは、まさに親鸞聖人の教えの通り、山王権現の榎に深く宿願を籠められて、御法は旭の輝くがごとく、末世にその霊験を残さんとの御遺命に違わず、つまり、この幹に御姿を残されたのだと、村人達は理解したそうです。それからは、袈裟かけの榎の代わりに、「聖人の御姿」と「焼鮒の御形」を、宝物として大事に祀ってきたそうです。
ところが、この山田の里の「田代家」に戦時中から、疎開して住んでいたものが、昭和23年に不始末をして火を出し、その館が全焼してしまったそうです。村人達が必死に火の中から取り出して無事だったのが、「焼鮒の御形」で、「聖人の御姿」は燃えて炭となってしまったのだそうです。それ以来、田代家では、村人から寄贈された仏壇「お厨子様」に、戦前焼ける前に村人が撮った「聖人のお姿」の写真を貼った炭となった「聖人のお姿」の幹と、無事であった「焼鮒の御形」が、祀られてあります。
sechin@nethome.ne.jp です。
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