萩の花 堀辰雄
萩の花については、私は二三の小さな思ひ出しか持つてゐない。そのいづれもがみな輕井澤で出遇つたことばかりである。その花の咲く頃、私は大抵この村にゐるからであらう。
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いつの夏の末だつたか、鶴屋旅館の離れで、芥川さんと室生さんが、同宿の或る夫人のために、女持ちの小さな扇子に發句を寄せ書きなさつたことがあつた。そのそばで少年の私は默つて見てゐたのである。芥川さんはなんでもその扇面に、小さな細い字で「明星のちろりに響けほととぎす」といふ句をお書きになつた。それをその扇子に書いてしまはれると、こんどはお二人で在りあはせの紙に、即興句を口ずさまれながら、しきりに何やらお書きになつてゐられた。その多くは書くそばからすぐ丸められたが、そのうち芥川さんは一枚だけ、やや氣に入られたか、破かれずに脇に置いておかれた。それには一匹の蜻蛉の繪が輕くあしらはれて、
野茨にからまる萩のさかり哉
と書かれてあつた。それを私がとり上げながら、「これ、僕、頂戴して置いてもよろしう御座いますか」といつても、芥川さんは默つたまま、他の紙に熱心に向はれてゐた。
※
去年の夏も末近くなつた頃であつた。私は村からかなり離れたゴルフ場の近くの、松林のまんなかにある、或る小さなホテルに、氣まぐれに一人でもつて夕食をしにいつた。玄關の脇にはまだゴルフ服の人達が一塊り殘つてゐたが、小さな客間の方はひつそりしてゐて、もう誰もゐなかつた。私はその片隅にぼんやり腰を下ろしながら、その途端おやと云ふやうな氣持で、硝子戸の向うの、松林に續いてゐるテラスに、一組の少年と少女とが籐椅子に凭れてゐるのを認めた。硝子ごしに物を見るといふことはいくぶん人を空想的にさせるものらしい。――私は最初は、その二人をそのホテルに泊つてゐる兄弟で、恐らくゴルフでもしてゐる父の歸りか、或は私と同じやうに夕食の時間を、さうやつて待つてゐるのだらう位に思つてゐた。が、それにしては、向うの松林のなかから自動車が音を立てて出てくる度毎に、すこしそつちの方をそはそはした眼つきで眺め過ぎる。そしてその自動車がホテルの玄關口に停まつて、そこにまだ一塊り殘つてゐたゴルフ服の人達を乘せて、再び音を立てて走り去る毎に、すこし失望の色を漂はせ過ぎる。そのうちに私は、この二人づれはひよつとしたら、夏休みの終りを前にそつと親達の目を盜んでこの人氣のないホテルに來て、別れを惜しんでゐる小さな戀人たちなのかも知れぬぞと考へだしてゐた。もうそろそろ日が暮れだすので、迎への自動車が早くきてくれないと困るし、しかし、いつまでもかうして二人きりで居たいことも居たいし、といつたやうな遣瀬なげな表情が二人の顏に浮んでゐないこともない。
ホテルのボオイ達からもすつかり置き忘れられてゐるやうに見えるこの小さな客を、中でただ一人、よほど彼等が氣になると見えて、さつきから二度も三度もそのテラスに覗きにいつては、二言三言彼等に話しかけてゐる小さなボオイがゐた。そのボオイはそのテラスの少年よりもさらに二つか三つ年下らしい。しかし彼のその僅かに年上の客に對する丁寧なメランコリックな物腰には、すこしも惡意らしいものが混つてゐない。むしろ、自動車の遲いのを二人と一緒に心配してやつてゐるやうに見えるのである。
「まだお迎への車が參りませんが、もう一度電話をお掛けしませうか?」
と、そのボオイがメランコリックな風に腰をかがめながらいふと、
「ああ」
と少年の方は、却つてどうでもいいんだといつたやうな生返事をしてゐる。そんな會話の間ぢゆう、少女は少女で、少しはらはらしながら、すぐ自分の傍らに一しげみ萩の花がいまを盛りと咲きみだれてゐるのを見やつてゐたが、その瞬間、何氣なく手をぐつと延ばして、その一枝を引張つた。するとその一面に花をつけた茂みはいつまでもいつまでも搖れ動いてゐた。……
私は、だんだんに薄暗くなつてくる客間の片隅に、なんだか氣の遠くなるやうな思ひをしながら、そんな情景を眺めやつてゐたのである。
初出:「會舘藝術 第三巻第九号」大阪朝日会館
1934(昭和9)年9月号
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