瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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・稲(いね)科。イネ科の多年草。山野に群生する。高さ約1.5メートル。茎の頂につける花穂は「尾花」と呼ばれ、秋の七草のひとつです。カヤ。
 
 
「スス」は「ササ(笹)」に通じ、「細い」意味の「ささ(細小)」もしくは「ササ(笹)」の変形です。「キ」は「木」「茎」「草」など「K」の音に通じ、この場合は「草」か「茎」の意味でしょう。ススキの「スス」には、すくすく(直々)と生い立つ意味など他にも多くの説がありますが、「ササ(笹)」「ささ(細小)」より有力な説はありません。
 
カヤと呼ばれるのは、細長い葉と茎を地上から立てる一部の有用草本植物で、代表種にチガヤ、スゲ、ススキがあります。語源には諸説あり、屋根を葺くことから刈屋あるいは上屋、あるいは朝鮮語起源ともいわれます。「茅」は元来はカヤの1種のチガヤの意味で、カヤ全体の意味に広がったものです。「萱」とも書きますが、この字の本来の意味は「ワスレグサ」であり、「かや」と訓ずるのは国訓です。
・学名 Miscanthus sinensis(ススキ)
    Miscanthus : ススキ属    sinensis : 中国の
    Miscanthus(ミスカンサス)はギリシャ語の「mischos(小花の柄) anthos(花)」が語源。
・秋の月見のおそなえとして欠かせないものです。
【中秋の名月】(十五夜)には収穫物と一緒に供えられますが、収穫物を悪霊から守り、翌年の豊作を祈願する意味があります。
 
・屋根材のほかにも、炭俵用、家畜の飼料用などとしてもよく利用されます。
・箱根の仙石原や、奈良の若草山で行われる「山焼き」は、ススキを野焼きすることです。
 
 春先に行います。この野焼きをしないと、ススキの草原には次第に樹木が侵入し、ススキの原として維持することができなくなるので、一年に一度全部焼き払ってススキ草原を残すようにしているのです。
 
・「常磐(ときわ)すすき」という種類は「すすき」に比べて開花が早いため、真夏の頃から穂を楽しめる。
 
・「茅の輪くぐり」とは、参道の鳥居などの結界内に、茅(ちがや)で編んだ直径数メートルの輪を作り、これをくぐることで心身を清めて災厄を祓い、無病息災を祈願するというものです。日本神話のスサノオノミコトに由来するといわれ、唱え詞を唱えながら8の字に3度くぐり抜けます。茅の輪くぐりは、毎年630日に各地の神社で執り行われる「夏越の祓(なごしのはらえ)」で行われる儀式であり、茅の輪くぐりが夏越の祓と同義で呼ばれるほど、日本に定着している風習です。
 
 
茅の輪くぐりはに日本神話に由来します。スサノオノミコトが旅の途中に宿を求めた、備後国の蘇民将来(そみんしょうらい)との逸話が起源です。
 
貧しいにもかかわらず、喜んでスサノオノミコトをもてなした蘇民将来に対し、弟である巨旦将来(きょたんしょうらい)は裕福にもかかわらず宿を貸そうともしませんでした。数年後、再びスサノオノミコトは蘇民将来のもとを訪れ「疫病を逃れるために、茅の輪を腰につけなさい」と教えました。教えを守った蘇民将来は難を逃れられ、それ以来、無病息災を祈願するため、茅の輪を腰につけていたものが、江戸時代を迎える頃には、現在のようにくぐり抜けるものになったといわれています。
これに薄(すすき)を入れぬ、いみじうあやしと、人言ふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは、薄こそあれ。穂先の蘇枋(すおう)にいと濃きが、朝霧に濡れてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋の果てぞ、いと見所なき。色々に乱れ咲きたりし花の、かたもなく散りたるに、冬の末まで頭の白くおほどれたるも知らず、昔思ひいで顔に風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそ、あはれと思ふべけれ。―――「枕草紙」(清少納言)64
(この中に薄(すすき)を入れないのは、とても怪しい(とても納得できない)という人もいるだろう。秋の野原の情趣が漂う風情というのは、薄あってのものなのである。穂先が赤くなった薄が、朝露に濡れて風になびいている姿は、これほどに素晴らしいものが他にあるだろうか。しかし秋の終わりになると、本当に見所のないものになる。色々な色彩で咲き乱れている秋草の花が、跡形もなく散ってしまった後、冬の終わり頃に頭がもう真っ白に覆われてしまったのも知らずに、昔を思い出しながら風に顔を吹かれてゆらゆらと立っている、これは人間の人生にとても良く似ている。それに寄り添うような心があって、それを哀れと思っているのである。)
・「秋の野の み草刈葺(ふ)き 宿(やど)れりし
       
宇治の京(みやこ)の 仮廬(かりほ)し思ほゆ
                  
万葉集巻一0007 額田王
※(美草=薄)
(秋の野の草を刈り、屋根を葺いて宿った宇治の行宮での仮廬が思い出されることだ)

(世間の人たち皆は萩を秋の風情の代表という。だが、かまうもんか、私は尾花を、秋一番の風情と言おう.)
・「虫の音も ほのかになりぬ 花すすき
       穂にいずる宿の 秋の夕暮れ
               金槐和歌集 源実朝
・「狐火の 燃つくばかり 枯尾花」   与謝蕪村
・「山は暮れて 野は黄昏の 芒かな」  与謝蕪村
・東京周辺の見どころ <箱根の仙石原>

 仙石高原に広がる、広大なすすきヶ原。すすきの見頃は10月中旬頃。バス停「仙石高原」。


 

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