今朝も朝から蒸し暑く、窓を開けても風もあまりはいって来ません。台風13号が近づいているようです。
ウェブニュースより
台風13号が北上、8日に東日本接近 ―― 台風13号が6日、沖縄・宮古島の北海上で発生し、北寄りに進んだ。勢力を強めながら北上を続け、7日は西日本の南海上を北東に進み、8日朝には暴風域を伴って東日本に接近する見込み。気象庁は高波や強風に注意を求めている。
台風10号などの影響で甚大な被害が出た東北や北海道には、8日から9日にかけて近づく恐れがある。台風13号の接近で前線の活動も活発化するとみられ、西日本から東日本の太平洋側では8日にかけて大雨が降るとみられる。
7日午後6時までの24時間予想雨量は、多い所で、近畿で250ミリ、奄美で200ミリ、沖縄、九州南部、四国、東海で150ミリ、関東甲信で100ミリとなっている。
気象庁によると、台風13号は6日午後9時現在、奄美大島の西約200キロを時速約35キロで北東に進んだ。中心気圧は1000ヘクトパスカル、最大風速は20メートル、最大瞬間風速は30メートル。中心の南東側280キロ以内と北西側170キロ以内は風速15メートル以上の強風域となっている。
西日本から東日本の太平洋側では風が強まり、海は大しけとなるとみられる。気象庁はうねりを伴った高波にも警戒するよう呼び掛けている。 〔日本経済新聞 2016/9/7 0:03 (2016/9/7 6:11更新)〕
昨日取り上げた陶淵明の詩はたいていの教科書には出ていて、次の「少年、老い易く学成り難し」と共にこの爺たちの年代以上の人々の教訓詩となっていました。どこの学校でもそのように教わってきました。
少年易老学難成 少年、老い易く、学成り難し。
一寸光陰不可軽 一寸の光陰、軽んずべからず。
未覚池塘春草夢 未だ覚めず池塘春草の夢。
階前梧葉已秋声 階前の梧葉、已に秋声。
訳 若い時はうつろいやすいもので、あっという間に歳をとる半面、学問はなかなか成就しない。だからこそ、わずかな時間さえも無駄にしてはならないのだ。池のほとりに草が芽吹いたような春の夢にうつつを抜かしていれば、たちまち階(きざはし)の前の青桐の葉が落ちる秋になってしまうぞ。
全集の中で陶淵明の原詩を見れば、淵明は決してそんなしかつめらしい教訓を垂れたものではなく、実はその反対に若い時は二度と来ないのだから、酒は飲めるうちに大いに飲むべしと勧めた詩であることがはっきりわかります。
上に掲げる「少年老い易く学成り難し」の詩にしても、昔から儒学の大先生である朱子の「偶成(偶々出来た)」とされていますが、これは真っ赤な嘘ぱちで室町末期か江戸初期あたりのお寺の坊さんが、その寵愛する美少年に与えたかなり猥褻な詩を、明治になって教訓詩に作り替えたものだそうです。こんなことも世の中には往々にしてあるのですから、全く油断もすきもなりませんね。
まず、柳瀬喜代志(1939~1997年)先生によって、近世初期に禅僧の滑稽詩を集めた『滑稽詩文』(『続群書類従』所収)に、「寄小人」という題で、この詩が収録されていることが指摘されました。作者名は記されていません。転句が「未覺池塘芳草夢」となっている点が、「偶成」と異なっています。柳瀬先生の説によると、題の「小人」は「年若い僧」を意味し、起句の「少年」は「寺院にあずけられた俗人の子弟、あるいは幼少にして出家し僧を目指している男児」であると共に、僧侶の性愛の対象である稚児の意をも含んでいるといいます。それ故この詩は、年若い僧に対して「君の稚児さんは老け易いが、君の学業成就は難しい」、だから男色と学問とにその若い時を惜しんで過ごしなさいと勧める詩意を成す滑稽詩だというのです。
※ 柳瀬喜代志:漢文学者。福岡県生まれ。早大卒、早稲田大学教育学部助教授、教授。中国文学専攻。
※ 続群書類従:塙保己一編、江戸時代の1819年(文政2年)完成、正編1270種530巻666冊からなる日本最大の国書の叢書。/盲目の国学者・塙保己一が古書の散逸を危惧し、41年の年月を掛けて集輯・編纂。幕府や諸大名、寺社など多くの機関や人々が協力して、江戸初期までに刊行された史書や文学作品を所収。その後の歴史学、国文学等に多大な影響を与え、学術研究に貢献している、今なお非常に貴重な叢書である。/続編「続群書類従」は2103種1150巻1185冊、編者塙保己一は死去、子の忠宝は暗殺、そののち孫の忠韶に編纂が受け継がれ、孫の代の明治44年・1911年に完成した。正編と同様、のちの学界に大きな影響を与えた。
朝倉和先生が、観中中諦(かんちゅうちゅうたい、1342~1406年))の『青嶂集(せいしょうしゅう)』(相国寺刊・梶谷宗忍訳注『観中録・青嶂集』所収)に、「進学斎」という題で収録されていることを指摘しました。現在のところ、この作品の最古のテキストであるといわれています。これは転句が「枕上未醒芳草夢」となっています。「進学斎」とは書斎の名であり、張耒(ちょう らい、1054~1114年)の「進学斎記」(『事文類聚』所収)を踏まえた勧学の詩とみられます。
※朝倉和(ひとし):1995年広島大学 文学部 国語学国文学卒、2003年広島大学 文学研究科 国語学国文学。出生年月日など不明
※観中中諦:室町時代の臨済宗の僧。京都の相国寺9世。康永元年生まれ。阿波の出身。日奉氏。9歳のとき京都に上り夢窓疎石に師事するが、翌年夢窓が示寂し、以後義堂周信や春屋妙葩の指導を受けた。応安6年、義堂の勧めで元に渡るが、紅巾の乱後の社会事情のためまもなく帰国した。
※張耒:中国,北宋の文学者。楚州淮陰 (江蘇省清江市) の人。字,文潜。号,柯山。宛丘(えんきゅう)先生と呼ばれた。蘇軾 (そしょく) の門に入り,その引立てで著作郎,起居舎人,竜図閣学士と進んだが,潤州 (江蘇省) 知事のとき蘇軾の失脚とともに左遷され,以後不遇のうちに陳州 (河南省) で没した。
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