9月4日のMY氏からのメールに「何故、突然お役人はこのような芝居を中学生に見せたのか真意がわかりません。GHQの占領政策の一環だったのかもしれないなと思ったりもしますが」とあったので、当時の前進座の歴史について紐解いてみて、返信メールを送ってみました。曰く、
2016年9月6日6時51分発信 宛先:MY CC:IN 題:戦後の前進座
早速の返信メールありがとうございます。
門司中学の講堂で、前進座の「ベニスの商人」を観たのは、私が疎開先の三次中学から門司中学に復学して間もなくのことでしたから、1947(昭和22)年の中学3年生の時の事だと思います。
テンポの速い台詞回しについて行けないこともありましたが、演劇の設備など何もない狭苦しいあの講堂の台座で、よくあれだけの演技ができたものだと感心しました。
戸上通りのず~っと上(かみ)の方から原町寄りを入った付近に住んでいた古賀精里君の家の当時朝日新聞の記者をしていた親父さんの書斎にあった、青表紙で出来た坪内逍遥訳のシェークスピア全集を2・3冊ずつ借りては読んだのも、前進座の公演を見たからだったかもしれません。
「前進座の歩み」の記録によると、
四七年から四九年にかけてはまさに激動の時代だった。四七年には片山哲社会党内閣が成立したかと思うと翌年には芦田内閣となった。四月は東宝撮影所の争議が起り、こなかったのは軍艦だけという、警察、アメリカ占領軍の介入、弾圧が行われた。十月には第二次吉田内閣となりA級戦犯十九人が釈放された。四九年初頭の衆議員選挙では共産党が三十五名も当選した。その後、国鉄第一次整理に続き、下山総裁事件、三鷹駅電車暴走、松川列車転覆等、不可解な「事件」が相次いだ。そして国際的には中華人民共和国が成立し、翌年には朝鮮戦争が勃発した。
この頃の入場税は逆行して十五割に値上げ、この時の入場料四十円のうち二十四円が税金であった。当時、大劇場は二百円から三百円、小劇場でも五十円から六十円で勤労者には手の出ないものだった。東京では「勤労者演劇協同組合」が組織され、共同鑑賞会が始まった。これはのちの「労演」「演劇鑑賞会」の始まりである。戦後の文化の荒廃した各地では、心から歓迎され、観客と共に公演が組織されていった。四十八年から五十三年にかけての六年間、いくつかの班に分かれ全国津々浦々での公演がおこなわれた。しかしいっぽうで公演が入場税予納制のため、しばしば売上を差し押さえられたり、また警官が入場を拒み、刑事事件として逮捕される主催者もあった。座員たちは厳しい日常生活の現実を見、こうした支援者たちの活動に感動をおぼえた。
GHQと文部省、教育委員会からは早速「後援を拒絶したこと」「学校施設を貸してはいけない」等の通達を各学校長宛に出した。座員はますます団結をかため、溌剌として巡演活動を続けていった。『ベニスの商人』は六一二回の上演を記録、更に『真夏の夜の夢』『レ・ミゼラブル』の班、歌舞伎作品を演ずる「新文化組」、そして「創作班」「建設班」「新生班」と五班活動に入った。 2001年1月刊『グラフ前進座──創立70周年記念』より引用–
とあります。
こうしたGHQや政府の弾圧もあって、前進座は学校巡業から労働組合巡業に移って行ったということです。
なお、N君が前進座の「鳴神」について書いていましたが、これについても同じ「前進座の歩み」の中に、
この(一九四五年)十一月、座は帝国劇場に出演、演目は朝日新聞の古垣鉄郎氏の推進によるフランスの抵抗劇『ツーロン港』(ジャン・リシャール・ブロック作)と『鳴神』であった。GHQ(連合軍司令部)の検閲では『鳴神』は邪教を否定し女性の勝利をうたうヒューマンな芝居であるとの評価であった。新しい出発のこの公演中に、創立者の一人中村鶴蔵は十二月二日、『鳴神』の白雲坊に出演中吐血、七日胃潰瘍のため不帰の人となった。創立以前から翫右衛門の相棒であり名脇役で、国太郎をはじめ座員や子どもたちの指南役、世話役でもあった。まだ四十七歳であった。座は大きな推進力の一人を失った。
とあります。
もっとも、N君が観たのは10年ほど昔、国立劇場であったと言いますから、ここに書かれている時代とは役者も演出家も全くちがったものだったでしょうがね。ともあれ、N君の演劇通にはほとほと頭が下がります。
若かりし頃が懐かしくて、ついつい長々とつまらぬことを書いてしまいました。ごめんなさいね。
まだまだ暑さは続くようです。奥様ともどもご自愛のほどを 日高 節夫
これについて、横浜のIN氏より、返信メールが届きました。曰く、
2016年9月6日14時59分着信 RE:門中の「ベニスの商人」
日高節夫様
懐かしい門司中学での前進座「ベニスの商人」公演がいつだったかを教えてくれてありがとう。中学三年だとすると、昭和22年(1947年)、まだまだ食い物も十分いきわたらない時代だったね。
その後、1980年から1983年にかけて、NHKが、BBCの制作したものを教育テレビで十数本を放送したことがあった。その中にも「ベニスの商人」は含まれていまして、映画ではアル・パチーノが、シャイロックになって、原典に忠実に演じたのを観たのが最後です。
シェークスピアの作品で、今でも気持ちの悪い、吐き気がしそうな作品は「タイタス・アンドロニクス」。白水社のシェークスピア全集で、買ったけれど、肝心なところだけは読んで、まだ通読はしていないというような作品もあります。
取り敢えず、ご教示の御礼まで…。 IM
sechin@nethome.ne.jp です。
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