瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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 今日も朝から蒸し暑く感じます。いやはや、この暑さは年寄りには堪えます。歳は取りたくないものです。
 まだまだ、自分は若いと思っていましたが、最近は歳を感じることが多くなりました。まっこと、歳月は人を待たずです。


 「歳月は人を待たず」は人生のはかなさを説き、時に及んで行楽すべしと詠う陶淵明の詩の中にあり、かなり有名なものてす。特に最後の四句は人口に膾炙(かいしゃ)してこられました。爺が中学・高校の頃は意味を取り違えて、「歳月は人を待たないから、寸刻を惜しんで勉強すべし」というふうに、教えられてきました。それは「勉励」を、普通に言う勉強と受け止めたためでしょうが、ここでいう「勉励」とは「行楽に精を出すこと」をいうのだそうです。爺たちは長い間陶淵明の意に反して間違った解釈をしていたものです。
 


  雜詩其一   (とう)(せん



)


  人生無根蔕   (じん)(せい)(こん)(てい)なく


  飄如陌上塵   (ひょう)として(はく)(じょう)の塵の如し


  分散逐風轉   (ぶん)(さん)し風を()って(てん)


  此已非常身   ()(すで)に常の身に非ず


  落地爲兄弟   地に落ちては(けい)(てい)と爲る


  何必骨肉親   何ぞ必ずしも(こつ)(にく)の親のみならんや


  得歡當作樂   (かん)を得ては(まさ)に樂しみを()すべし


  斗酒聚比鄰   ()(しゅ) ()(りん)(あつ)めよ


  盛年不重來   (せい)(ねん) 重ねては來たらず


  一日難再晨   一日 再びは(あした)なりがたし


  及時當勉勵   時に及んで(まさ)(べん)(れい)すべし


  歳月不待人   (さい)(げつ)は人を()たず


 


  訳) 人の命には木の根や果実の蔕(へた)のような、しっかりした拠
    り所がない。まるであてどなく舞い上がる路上の埃(ほこり)のよ
    うなものだ。風のまにまにあちらこちらへ吹き飛ばされて、この身
    は、最早元の姿を保ちえない。
     そんな世の中に生まれ出たからには、すべての人が兄弟のよう
    なもの。肉親だけに限る必要はさらさらない。嬉しい時には、心
    ゆくまで楽しみ、酒をたっぷり用意して近所の仲間と一緒に飲む
    がよい。
     若い時は二度とやって来ないし、一日に二度の朝はない。楽し
    める時には、楽しもう。
     時というものは人を待ってはくれないぞ。


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目高 拙痴无
年齢:
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誕生日:
1932/02/04
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 sechin@nethome.ne.jp です。


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