Kanami女史から返信メールが届きました。曰く、
2016年9月3日15時43分受信 Re: 先日はわざわざ迎えに来てもらって有難う
日高先生
こんにちは。メールありがとうございました。
先日は久しぶりに先生にお目にかかる事ができ、とても嬉しく感じました。
私は塾生の中では「チビ」なので、12月の忘年会は大先輩がたくさんいらっしゃって、若干気おくれしますが、Hitoちゃんを囲む会は非常に楽しい時間を過ごすことが出来ました。
掃除、洗濯、など家事は好きなので、なにかあればお電話下さい。参上いたします!
(料理は献立を考えるのは苦手ですが、食材を切ったりするのは好きです)
ブログ、拝見しました。妹も先生方の事が気になっていたのですが、お忙しいだろうから、と遠慮気味。道でばったり先生にお会いするなんて、妹はラッキーです。
まだ暑く、不安定な天気が続きそうですが、ご自愛ください。 Kanami
恐らく、久し振りにパソコンを開いて爺のメールを見て、返信したものでしょう。
爺のメールで思いついたのか、昨日の夕刻近くKanami女史から電話があり、婆様が受話器を取りましたが、「山梨から葡萄が届いたので、今から持参する」ということでした。
まもなく、Kanami女史が来訪。山梨からの葡萄と手作りの辣韭(らっきょう)漬けを戴きました。
20分ほど話し込んで帰宅しました。
今朝は横浜のIN氏にメールを貰ったままになっているので、その返信を兼ねてメールしてみました。曰く、
2016年9月4日6時25分発信 CC:MY 題:日本におけるシェークスピア
朝晩はいくらか涼しく感じるようになりましたが、まだまた暑い日が続きますね。
毎度のことですが野崎君の演劇通には頭が下がります。
N君からのメールに「終戦直後、なぜあんなにシェークスピアブームが起こったのだろうね。」とあったので、私も少々演劇の歴史を紐解いて見ました。
日本でシェークスピアの翻訳は1884年逍遥の「ジュリアス・シーザー」が最初であるといわれています。1903年川上音二郎・貞奴(写真添付)一座が「ハムレット」を上演、欧州・米国を巡回し話題になったそうです。シェークスピアの第1人者を任ずる逍遥としては、「芝居は面白ければよいと言うものではない、原作に忠実さが求められる」と自ら文芸協会を組織したといわれます。その一座で1908年「ベニスの商人」「ハムレット」などを上演しています。逍遥はシェークスピアの王族関連演劇に日本の近松門左衛門の歌舞伎・浄瑠璃との類似性を見出していたといいます。何とかして日本に演劇を定着させよう、そのためには歌舞伎・浄瑠璃流にアレンジしたほうが日本の風土に西欧流の演劇が根付くと言う信念があったのでしょう。ギリシア・ローマ劇では日本の文化にそぐわない――、シェークスピア物に限るという判断だったようです。
しかし脱アジア入欧米の時代、あまりにも古臭い歌舞伎的なスタイルのシェークスピア物はだんだん厭きられてきたのでしょう。逍遥の弟子、島村抱月は英・独に留学し演劇を学び、帰国して松井須磨子(写真添付)と「芸術座」を結成します。逍遥のような伝統演劇に反して西洋の近代劇を模索して、「新劇」と言われるようになります。出し物はトルストイの「復活」、イプセンの「人形の家」などがそのレパートリーであったといいます。
大正・昭和の前半はシェークスピアの演劇は陰を潜めたようですが、シェークスピア物語は書斎に忍び込みます。夏目漱石はイギリス・ロンドンに留学中、シェークスピアに熱中したといいます。日本に帰って東大で英文学を講義しますが、取り上げた作品はシェークスピア物が多いといいます。「マクベス」「リア王」「ハムレット」などの評論を行い、小説「倫敦塔」を著しています。その他「虞美人草」はシェイクスピア流儀であるといわれいます。大正時代中等教育を受けた層を中心として、安価な岩波文庫などでシェークスピア物が読まれるようになります。教科書にも取り上げられシェークスピアは「教壇と書斎にシェークスピアが現われた」というほど日本に定着したようです。
戦前も太宰治の「新ハムレット」(1941年)など悲劇を道化にすりかえたシェークスピアの新解釈の創作が行われていたといいます。戦後1955年福田恒存訳・演出の「ハムレット」が文学座で上演されたのは福田時代の先駆けとして評価されているようですね。訳・演出もさることながら芥川比呂志や杉村春子など役者がそろって好演したこともあるといいます。1958年には「マクベス」、1963年には「真夏の世の夢」と劇団「雲」で上演され、福田シェークスピア物は続きました。逍遥と違ってリズミカルなセリフのテンポ、「詩」「祭祀」「神話」を取り入れ、また新劇の近代的・合理的・リアリズムとはやや距離をおいた演出など、戦後世代の感覚にマッチした大衆受けする演出が成功の理由であるといわれているそうです。
この100年間日本ほどシェークスピアを多様に解釈した国はないといわれているそうです。何はともあれ、恐らくそれは世界一の寺子屋教育?の伝統を引き継いだ初等教育のおかげでシェークスピア物を多くの日本人が読んで理解し、演劇・映画などで作品を堪能したことで翻訳者・脚色者・演出者のやる気が大いに高まった事もあるのでしょうかね。
N君にはこんなこと初めからご存じだとは思いながらついついパソコンのメール復調に調子づいて、様にならぬメールを打ち込んでしまいました。ごめんなさいね。
ではまた。奥様ともどもご自愛ください。 日高 節夫
IN氏から早々と返信めーるを戴きました。曰く、
2016年9月4日10時15分着信 Re: 日本におけるシェークスピア
日高節夫様
日本でのシェークスピアについてのご教示ありがとう。
わたしがシェークスピアの戯曲に関心を示したのは、たまたま我が家に戦後、焼け残りのシェークスピア全集があったから、ほかにそれしか読む本がなかったからという情けない? 状況だったことによるのです。本を読みたくて図書部に入ったのもそういうわけでした。
何度も書くように、わたしの演劇道の手ほどきは、同期のH君なのです。彼は、当時、演劇評論家の三宅周太郎氏の書いた『演劇〇〇年史』をすでに持っていました。三宅周太郎は当時すでに一世を風靡する演劇評論家で、わたしはH君からこの本を貸して貰うまではその存在を知りませんでした。
この本は、明治以降の演劇の推移、変転を戦後の新しい目でまとめたものでした。明治以降の日本の演劇界を、オッペケペ節の川上音二郎に始まると位置付けているものですから、歌舞伎に思考の大半を占められていた私にとっては、現在ほど、「政治批判が、演劇の始まり」という考え方がよく理解できないところがありました。
演劇は、あくまでも商業演劇(木戸銭をとって、芸を見せ、観客を満足させ、関係者もカネを儲ける生業)が主流だとおもっていましたから、政党政治の宣伝手段が演劇の始まりという主張には、子供心に100%賛成できないところがあったのです。そんなときに河竹繁俊さんの本が出ました。タイトルは忘れましたが、その本には『日本の芸能の根源は四つある。奈良時代の雅楽・舞楽、室町時代の能楽、江戸時代の文楽人形浄瑠璃と歌舞伎だ』というのです。
わたしはこれに飛びついて、四つを学ぼうと無謀な決心をしたのです。門司には何にも関連する資料がないのにです。
退職後にようやく、正面切って、この日本の四大芸能を調べようという気分になったのです。
色々ありましたが、退職後の人生で、十分に堪能できたのは雅楽・舞楽と文楽・歌舞伎だけで、能楽は職場のお謡いの同好会に入って「竹生島」と「羽衣」を二本上げただけでサボってしまいました。
そんな浮気心の私が、ふと見る気になったのが、前進座の国立劇場定期公演の「ベニスの商人」と「鳴神」だったのです。
手帳で調べてみますと、1997年5月16日とありますから、平成9年のことでした。
前進座の全国巡演も、たしか、戦後、早い時期に朝日賞をもらったのではなかったでしょうか。
序でながら、前進座といえば、門司にもう一度巡回公演に来たことがありました。その頃の記録は何もありませんので、日時は分からいませんが、場所は錦町小学校講堂。演目は『ああ無常』
ジャンバルジャンは中村翫右衛門でした。このとき、どういう経過かわかりませんが、わたしは学校新聞の取材で、H君と一緒に、 翫右衛門の楽屋にインタビューに行きました。
講堂に隣接する教室が楽屋になっていて、そこでジャンバルジャンに扮装をしたまま、食事のパンを炭火の四角い火鉢で焼いていました。わたしは、すぐにインタビューに取り掛かろうと、質問を投げかけたんですが、翫右衛門は、「いまから、パンを食べますから、ちょっと待ってください」と押しとどめられたのです。
一緒に行ったH君は、その態度に少しお冠で「なんだ、ひとを待たせて飯を食うとは…」といっていました。わたしの質問は、戦前の焼ける前の明治座公演で、終演後、腹いっぱいエビフライを食うのが楽しみだったという古い想い出を、焼け残りの「主婦の友」かなんかで読んで、それをぶつけたものですから、相当、頓珍漢な質問だったろうと、今振り返って冷や汗が出ます。
そんな想い出があったものですから、19年前の東京公演を思い出したのです。長々とつまらない思い出ばかりですみませんでした。
早く、奥方の腰の疾患が回復されますように願っております IN
sechin@nethome.ne.jp です。
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