瘋癲爺 拙痴无の戯言・放言・歯軋り
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東京には江戸の昔から「七不思議」が数多く伝わってきました。中でも「麻布七不思議」「本所七不思議」「八丁堀七不思議」が江戸の三大七不思議といわれています。今では大使館、芸能人著名人が住む東京を代表する町麻布ですが、起伏に富んだ地形で坂や寺社などが多いことや不思議な地名もあり何かがありそうな雰囲気です。
麻布七不思議
 
「狸坂」「狸穴」「暗闇坂」地名や坂の名前を挙げていくだけでも何かありそうな麻布周辺。現在もそれに関連するものが残っているものを中心に麻布七不思議を紹介していきます。どの七不思議も何故か7つ以上あるのは七不思議の宿命でしょうか…
①蝦蟇池(がまいけ)

 
山崎主税助(やまざきちからのすけ)という旗本の屋敷にあった池には、主である大蝦蟇が住んでいました。
 
この屋敷が火災にあった際、大ガマが水を吹き掛けて鎮火したという言い伝えが残っています。
 
この蝦蟇にあやかって火除けのお札を作ったところ、全国から注文が殺到したとのこと。
2003(平成15)まで元麻布2丁目のマンションの陰に小さな池が残っていた。
 
②善福寺の逆さ銀杏(ぜんぷくじのさかさいちょう)
 
善福寺にある樹齢750年の大銀杏。親鸞聖人が地面に立てた杖から枝葉が広がり、その場に根付いて銀杏になったという。
※戦前には今の3倍のおおきさがあったらしい。
 
銀杏の枝先はつらら状に垂れるという珍しい形をしており、天然記念物に指定されている。
 
大銀杏は親鸞が開祖の浄土真宗の本山にもゆかりがあり(本願寺の水吹き銀杏)、不思議な縁を感じます。
 
③善福寺の柳の井戸(ぜんぷくじのやなぎのいど)
 
善福寺の境内の柳の根元から湧いている「柳の井戸」。東京の名水57選にも選ばれる名水です。
 
弘法大師が杖をさしたところ湧き出した(親鸞聖人という説有)という言い伝えがある。
 
関東大震災や東京大空襲では多くの人の命を救ったという。
 
④長坂の脚気石(ながさかのかっけいし)
 
現在の六本木5丁目に大きな自然石があり脚気に効くというご利益があると信じられてきた。
 
明治時代に区画整理で取り除かれることになったが、根が深く、いくら掘っても取り除けなかった。地上にある部分だけが削られたが根っこは今も地中にあるという。
 
不思議というかただのでかい石です。地中に残っていると考えるとちょっと胸熱ですが…
 
⑤我善坊の大鼠(がぜんぼうのおおねずみ)
 
我善坊にあった万屋という質屋の娘おたまは、番頭の長次郎と深い仲になった。ある夜のこと古くから住み着いていた猫が長次郎に成りすましておたまの寝所に忍び込んだ。
 
その恩を忘れた行動に激怒したやはり古くから住み着いていた大ねずみが猫の忘恩に憤慨して挑みかかり、成りすました猫をかみ殺してしまったという。
 
その後おたまは、猫のように泣く赤ん坊を産み、江戸中の評判になった。化け猫に大鼠…不思議というより完全に怪談です…
 
⑥広尾の送り囃子(ひろおのおくりばやし)
 
現在の広尾病院のあたり、はかつてススキが茂り、江戸庶民が月見や草摘みなどを楽しむ行楽地でしたが、秋の名月のころになると、どこからともなくお囃子の音が聴こえてきて近づいてはいつの間にか消えたといいます。
 
本所七不思議にも似たようなのがあります。

⑦一本松(いっぽんまつ)
 
源経基が平将門討伐の帰途、この地の民家に宿をとった際、民家の主は粟飯を柏の葉にもってもてなしました。その翌日、出立の時に経基が自分の冠装束をかけたのが、この松であると言われます。
 
⑧釜なし横丁(かまなしよこちょう)
 
江戸のころ、絶江坂付近(南麻布2丁目と3丁目の境)に「釜なし横丁」と呼ばれる貧しい長屋がありました。
 
長屋の住人は、氷川神社の祭礼になけなしのお金を集めて大きな釜が乗った山車(だし)を作り汚名を返上しようとしました。
 
…が、釜が張り子であることがバレて益々貧乏が有名になってしまったという。
 
まるでコントです()。というか何が不思議なのか…
 
⑨狸穴の古洞(まみあなのこどう)
 
現在のロシア大使館あたりの地名を狸穴(まみあな)というが、江戸時代このあたりに大狸が住むという洞穴があったといいます。
 
狸穴坂の途中といわれるが、勾配の急な坂や生い茂った草があり、狸が棲むのに相応しい場所であったと考えられます。
 
⑩狸蕎麦(たぬきそば)
 
昔、橋の近くにある蕎麦屋が、子供を背負った女に蕎麦を売った。翌日女が支払ったお金を確認してみると木の葉に変わっていました。
 
人々は女は狸であったのだろうと噂し、以来その橋は「狸橋」という名前がついたといいます。
 
⑪六本木(ろっぽんぎ)
 
昔、この近辺に5本の榎(えのき)があった。平安末期、6人の平家の落ち武者がこの地にたどり着き、そのうち5人は榎の幼木のそばで自害したが、最後の一人は一本松のことろまで彷徨い自害したそうです。
 
これを哀れに思った村人が5本の榎と一本の松を足してこの地を「六本木」と呼ぶようになったという話と
 
六本木の地名は6本の木に由来するといいますが、その6本の木を見た人は誰もいない。…という話もあります。
※ふざけてますが、後者の方が七不思議らしいといえばらしいです()


ウェブニュースより
 
仲邑菫初段、史上最年少で女流棋戦本戦進出決める ―― 囲碁の史上最年少プロ、仲邑菫(なかむら・すみれ)初段(10)は5日、名古屋市東区の日本棋院中部総本部で行われた第23期女流棋聖戦予選Aで、金賢貞(キム・ヒョンジョン)四段(40)に120手までで白番中押し勝ちし、本戦入りを決めた。仲邑初段の10歳5カ月での本戦進出は、藤沢里菜女流名人(20)が13歳5カ月で本戦入りを決めた記録を更新し、史上最年少記録。本戦は10月までに行われる予定。
 
 
この日の対局は、序盤で黒番の金四段が攻め、白番の仲邑初段がしのぐ進行となったが、黒が失着したのを見逃さなかった仲邑初段が厳しく反撃。一気に金四段を投了に追い込んだ。仲邑初段は終局後、「勝ててよかった。点数でいうと(今日の出来は)70点。本戦頑張ります」と話した。
 
仲邑初段は日本棋院が新設した「英才特別採用推薦棋士」の第1号で、4月に史上最年少の10歳0カ月でプロ入りした。同月の公式戦デビュー戦の第29期竜星戦で大森らん初段(16)に敗れたが、7月8日、第23期女流棋聖戦予選Bで田中智恵子四段(67)に勝ち、10歳4カ月の史上最年少での公式戦初勝利を収めていた。
 
女流棋聖戦本戦は16人によるトーナメント戦で、優勝者は上野愛咲美(あさみ)女流棋聖(17)への挑戦権を得る。   (2019.8.5 19:32 産経WEST


 

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