国民学校6年生の時に習った国語に「修行者と羅刹」というのがありました。その全文を手に入れることができましたので、ここに紹介します。
修行者と羅刹
色はにほへど 散りぬるを、 わがよたれぞ 常ならむ。
どこからか聞えて來る尊いことば。美しい聲。
ところは雪山の山の中である。長い間の難行苦行に、身も心も疲れきつた一人の修行者が、ふとこのことばに耳を傾けた。
いひ知れぬ喜びが、かれの胸にわきあがつて來た。病人が良藥を得、渇者が淸冷な水を得たのにもまして、大きな喜びであつた。
「今のは佛の御聲でなかつたらうか。」
と、かれは考へた。しかし、「花は咲いてもたちまち散り、人は生まれてもやがて死ぬ。無常は生ある者の免れない運命である。」といふ今のことばだけでは、まだ十分でない。もしあれが佛のみことばであれば、そのあとに何か續くことばがなくてはならない。かれには、さう思はれた。
修行者は、座を立つてあたりを見まはしたが、佛の御姿も人影もない。ただ、ふとそば近く、恐しい惡魔の姿をした羅刹のゐるのに氣がついた。
「この羅刹の聲であつたらうか。」
さう思ひながら、修行者は、じつとそのものすごい形相を見つめた。
「まさか、この無知非道な羅刹のことばとは思へない。」
と、一度は否定してみたが、
「いやいや、かれとても、昔の御佛に敎へを聞かなかつたとは限らない。よし、相手は羅刹にもせよ、惡魔にもせよ、佛のみことばとあれば聞かなければならない。」
修行者はかう考へて、靜かに羅刹に問ひかけた。
「いつたいおまへは、だれに今のことばを敎へられたのか。思ふに、佛のみことばであらう。それも前半分で、まだあとの半分があるに違ひない。前半分を聞いてさへ、私は喜びにたへないが、どうか殘りを聞かせて、私に悟りを開かせてくれ。」
すると、羅刹はとぼけたやうに、
「わしは、何も知りませんよ、行者さん。わしは腹がへつてをります。あんまりへつたので、つい、うは言が出たかも知れないが、わしには何も覺えがないのです。」と答へた。
修行者は、いつそう謙遜な心でいつた。
「私はおまへの弟子にならう。終生の弟子にならう。どうか、殘りを敎へていただきたい。」
羅刹は首を振つた。
「だめだ、行者さん。おまへは自分のことばつかり考へて、人の腹のへつてゐることを考へてくれない。」
「いつたい、おまへは何をたべるのか。」
「びつくりしちやいけませんよ。わしのたべ物といふのはね、行者さん、人間の生肉、それから飲み物といふのが、人間の生き血さ。」
といふそばから、さも食ひしんばうらしく、羅刹は舌なめずりをした。
しかし、修行者は少しも驚かなかつた。
「よろしい。あのことばの殘りを聞かう。さうしたら、私のからだをおまへにやつてもよい。」
「えつ。たつた二文句ですよ。二文句と、行者さんのからだと、取りかへつこをしてもよいといふのですかい。」
修行者は、どこまでも眞劒であつた。
「どうせ死ぬべきこのからだを捨てて、永久の命を得ようといふのだ。何でこの身が惜しからう。」
かういひながら、かれはその身に着けてゐる鹿の皮を取つて、それを地上に敷いた。
「さあ、これへおすわりください。つつしんで佛のみことばを承りませう。」
羅刹は座に着いて、おもむろに口を開いた。あの恐しい形相から、どうしてこんな聲が出るかと思はれるほど美しい聲である。
「有爲の奥山今日越えて、 淺き夢見じ醉ひもせず。」
と歌ふやうにいひ終ると、
「たつたこれだけですがね、行者さん。でも、お約束だから、そろそろごちそうになりませうかな。」
といつて、ぎよろりと目を光らした。
修行者は、うつとりとしてこのことばを聞き、それをくり返し口に唱へた。すると、
「生死を超越してしまへば、もう淺はかな夢も迷ひもない。そこにほんたうの悟りの境地がある。」
といふ深い意味が、かれにはつきりと浮かんだ。心は喜びでいつぱいになつた。
この喜びをあまねく世に分つて、人間を救はなければならないと、かれは思つた。かれは、あたりの石といはず、木の幹といはず、今のことばを書きつけた。
色はにほへど散りぬるを、 わが世たれぞ常ならむ。
有爲の奥山今日越えて、 淺き夢見じ醉ひもせず。
書き終ると、かれは手近にある木に登つた。
そのてつぺんから身を投じて、今や羅刹の餌食にならうといふのである。
木は、枝や葉を震はせながら、修行者の心に感動するかのやうに見えた。修行者は、
「一言半句の敎へのために、この身を捨てるわれを見よ。」
と高らかにいつて、ひらりと樹上から飛んだ。
とたんに、妙なる樂の音が起つて、朗かに天上に響き渡つた。と見れば、あの恐しい羅刹は、たちまち端嚴な帝釋天の姿となつて、修行者を空中にささげ、さうしてうやうやしく地上に安置した。
もろもろの尊者、多くの天人たちが現れて、修行者の足もとにひれ伏しながら、心から禮拜した。
この修行者こそ、ただ一すぢに道を求めて止まなかつた、ありし日のお釋迦樣であつた。
「大般涅槃経」の記事における「雪山童子」の解説
これは法隆寺の玉虫厨子に描かれる「施身聞偈圖」として知られる。釈迦の前世の物語、本生譚(ジャータカ・本尊生譚ともいう)の一つである。釈迦は過去世のいまだ仏が出世しない時にヒマラヤ(雪山)でバラモンの童子でありながら菩薩の行を修していた。ある時どこからか「諸行無常、是生滅法」と聞こえた。それを羅刹が唱えているのを知り、その後を教えてくれと頼んだが羅刹は「長い間、食事せず疲れて出任せを言った」というと、「ではどうするば良いのか」と童子が聞くと、「人間の生身と生血がほしい」といった。雪山童子はこれを了解したと言い、その後の「生滅滅已、寂滅為楽」を羅刹から聞き、後世の者のために聞いた偈を木々や岩に書き写してから、羅刹の餌食になるため高台に登りそこから飛び降りた。すると羅刹は帝釈天に姿を変え、落下する雪山童子を両手を広げて受け止めた。帝釈天は当時雪山童子だった釈迦の修行の真剣さをためし、後に仏となった暁には自身を救ってくれるかどうか確かめたという話である。
この「諸行無常」は、『平家物語』冒頭の部分「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ」の句として殊に有名。また娑羅双樹はクシナガラで釈迦が涅槃に入る時にあった樹木であることから、涅槃の場面を取材したものであることがわかる。また、いろは歌も『涅槃経』の雪山童子から作られていると言われている。
ウェブニュースより
子規の新出句発見 東京の保存会が発表 下村為山が描いた絵も ―― 俳人正岡子規(1867〜1902年)の未発表の句が記された「歳旦帳」(1897年1月2日)が見つかったと、子規庵保存会(東京・根岸)が29日、発表した。新出句は
「吾健にして十乃みかんをくひつく須」
交流の深かった同郷の画家下村為山(65〜1949年)が描いた11の絵も収められている。
子規研究者の復本一郎神奈川大名誉教授(愛媛県宇和島市出身)によると、子規の歳旦帳は、子規庵を訪れた人が記名したり、俳句や絵を残したりした芳名録のような冊子。復本名誉教授は新出句について「病で床に伏せていた子規が、まだまだ元気で今でも10ぐらいのみかんは食べられると年賀客にアピールしたのだろう」と説明した。
歳旦帳は1897〜1901年のものが存在するとされ、保存会はこれまでに1897年と1901年の元日の歳旦帳を発見していた。今回の1897年1月2日分は一般から保存会に寄託され、復本名誉教授が研究を進めていた。 【gooニュース 2023/08/29 20:40】
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